最近、梅田という街を歩いていて何とも言えない空虚さを感じた。
どこまでも、商業主義な感じだ。
そして、見てくれのいい人間が多く歩いている。
それ以外の人間は淘汰されたのか。
最近感じるが、この記事のとおりにイジメはやはり、楽しいから行われるのが事実だろう。
恐らく、いじめる側には休日には「関わる価値すらない」人間が学校の空間で同じになるから起こり得る。
自分の高校でいじめられていたのは、やはり容姿が醜い人間だった。
実際に醜い人間を出して、描いたらイジメられる側に非があるとも思うだろう。
そういうのは、どこかフィクション制作側は知っているのではないか。
あえて自覚してか、無自覚かわからないが商業との兼ね合いで敢えてずらしているのはずだ。
純文学はフィクションじゃないというマウンティング現場がここです。