Day 165:日本の#metoo と被害者叩き
男友達から「パーティのデートになってくれ」とお願いされた。一人で行くのが苦痛の面倒くさいタイプのやつだ。「シングルの利点はそういうのに行かなくていいところなのだよ」と断ろうとしたが、何度も頼まれたので条件をつけて引き受けた。結局、パーティでも二人で政治の話をしていた。やつは「みんながネット中立性や税法改革やセクハラに夢中になってる間に、共和党はムーラーの調査をやめさせようとしている」とプリプリしている。クリスマスまでにムーラーの調査は中止になる、というのがやつの読みである。そんなこと許されるのかな。
帰宅して、はあちゅうさんがセクハラ/モラハラの被害を公表した、というニュースを読んだ(はあちゅうさんとは一度お会いしたことがある)。伊藤詩織さんの「ブラックボックス」以降、日本の#metoo はどう展開していくのだろうかと考えていた矢先である。アメリカでもそうだけれど、被害を名乗り出ると、必ず一定数の悪意や中傷を投げつけられる結果になる。それなりの覚悟がないとできないことだ。彼女たちの勇気に敬意を表したい。こういうダークな暴力行為やハラスメントが減りますように。
「ピンヒールははかない」でもレイプの被害を名乗り出た女性ふたりの話を紹介したけれど、特に有名プロデューサーにレイプされた友達のラーキンのケースはリアルタイムで見ていたので、ソーシャルにヒドいコメントがつくのをつぶさに目撃した。信憑性を疑うタイプのもの、被害を被害者のせいにするタイプのもの、なぜそのとき名乗り出なかったのだと責めるタイプのもの、もっとヒドい罵り系、いろいろだ。見ているだけで心が潰れそうになる。こういうのを英語ではvictim blaming (被害者叩き。victim shaming, slut shamingなどのバリエーションあり)。最近では、こういう行為や発言は、call outされる(ツッコミを受ける)風潮になってきているのがまだ救いである。こういう行為に及ぶ人たちの心理はどうなっているんだ、と思ったら、心理学者を取材して書かれた記事を見つけた。日本語では公正世界仮説と言うらしい。「悪いことが起きる人には悪いところがあるに違いない」というやつです。さらには、ストーリーテリングの見地からいうと、被害者のストーリーにフォーカスするとvictim shamingの度合いがあがる、加害者のストーリーにフォーカスすると、victim shamingの度合いが下がる、という調査結果を紹介している。人間ってなあ。自分は被害者の苦しみにフォーカスしてしまうタイプだから覚えておかなくては。