考える達人

第9回 「時代はどうして動いていくのか」
出口治明さん:前編

予防医学研究者の石川善樹が、これからの時代を生き抜くためには何をどう考えることが必要かを、9人の賢人と会って話し合う。 必要な能力として、直観・論理・大局観、ジャンルをアカデミック・ビジネス・カルチャーに分け、それぞれの交わるところの達人に お話をうかがっていく連載。5人目のゲストは、「大局観×アカデミック」の賢者、出口治明さん。いきなり、「どうすれば大局的に物をみられますか」という、石川さんの直球の質問から始まった対談は、歴史、時代、イノベーションとダイナミックに展開していきました。
 
出口・治明(でぐち・はるあき) 
ライフネット生命保険株式会社創業者。1948年、三重県生まれ。京都大学法学部卒業後、日本生命保険相互会社入社。企画部や財務企画部にて経営企画を担当する。2006年に退職。著書に、『人類5000年史Ⅰ-紀元前の世界』(ちくま新書)『生命保険入門新版』(岩波書店)、『「全世界史」講義Ⅰ、Ⅱ』(新潮社)『世界史の10人』 (文藝春秋)、『仕事に効く教養としての世界史Ⅰ、Ⅱ』(祥伝社)、『リーダーは歴史観をみがけ』(中公新書ラクレ)等多数。

●全体はシンプルにつくられている
石川 はじめまして。出口さんの歴史に関する本を読んで、「この人なら、僕の疑問に答えてくれるかもしれない」と思い、今日はやってきました。お聞きしたいことを一言でいうと、どうすれば大局的に物を見ることができるのか、ということです。
 たとえば、学校で中国の歴史を勉強したときは、なんて複雑なんだろうと思いました。それが出口さんの本では、始皇帝のつくったグランドデザインが現在までずっと続いている、とシンプルに説明されています。なかなか、こういう説明は研究者にはできません。
 僕もそうですが、研究者は最新を追いかけて、問題をどんどんややこしく複雑にしようとしがちです。
出口 「要するに何や?」という全体像が見えなくなってしまうんですね。
石川 そうなんです。でも多くの人は「要は中国とはどういう国なんだ?」ということこそ一番知りたいはずです。
出口 中国はものすごく広いし、異質な人間がたくさんいます。だから始皇帝は、手綱を緩めたらみんな好き勝手なことをするに決まっていると考えて、エリート官僚を使い、文書行政による中央集権国家をつくったんですね。
 いまの中国も同じです。中央がすべてを仕切り、地方に官僚を送って文書行政で統一的に支配する。変わったのは、政府の建前が共産主義になったというだけです。
 たとえば、アメリカと中国の面積はだいたい同じなんですが、アメリカには地域によって六つの標準時間があるのに対して、中国は北京の時間ひとつだけ。それに中国全土が合わせています。これだけでも中国が中央集権だということがよくわかります。
石川 そうやって全体像をシンプルに捉える方法って、じつは研究者は全然習わないことなんです。
出口 本が好きで、歴史の本などをたくさん読んできました。そうすると、自然に知識がつながって、大きな絵柄が見えるようになるんです。
  僕は、人間はアホやと思っているんですよ。脳研究者の池谷(いけがや)裕二先生はいつも、人間の脳みそはポンコツだとおっしゃっている。アホな人間が複雑なことを考えられるはずはないので、人間がつくるものはだいたいがシンプルだと思っているのです。

●社会科学には前進しているという感覚がない
石川 21世紀になって急に立ち上がった学問の一つに、ネットワーク科学があります。これがなぜ立ち上がったかというと、それまでの学問は物理学にしろ、心理学、社会学にしろ、マクロな視点とミクロな視点のどちらかしかなかったからです。
 極大と極小だけ見ていても、その間にあるつながりがわからない。そこでネットワークという観点から既存の学問を見直そうという研究があらゆる分野で立ち上がっていったんですね。
出口 地球温暖化問題に似ていますよね。気候もめちゃくちゃ複雑なネットワークシステムでしょう。本当に温暖効果ガスが悪いかどうかがわかるほど人間は賢くないけれど、増えすぎたらロクなことがないことはわかる。だから、少なくとも二酸化炭素等の排出は増やさないでおこうということにしているわけですよね。
石川 そうです。20世紀後半に複雑系という学問が立ち上がったんですけど、これは難しすぎた。その点、ネットワーク科学はまだアプローチ可能な考え方だったんですね。学問のイノベーションってやっぱり、シンプルにすることで一気に広がる側面が大きいんです。
 ただ、なかなかそういうイノベーションは起こりません。とくに社会科学はただ広がっているだけで、前進しているという感覚がないんです。
出口 前進の定義は何ですか?
石川 感覚的な話になってしまいますが、「理解が進んでいる」という研究者の共通認識ですね。物理学は、それがかなりあるんですけど、社会科学で人や社会の理解が進んでいるかと聞かれたら、たぶんほとんどの人はノーと言うと思うんです。
出口 まあ、社会科学にかぎらず、人間の脳だってまだほとんどわかっていないと、池谷裕二先生はおっしゃっています。社会科学でいえば、フランスの作家ミシェル・ウエルベックの『地図と領土』(ちくま文庫)という小説の中に「ノーベル経済学賞などというものが存在することはまったく驚きだ」という台詞が出てきます。
石川 でも、遅々とした歩みではあるんですが、自然科学のほうは前進しているという感覚はあるんです。
出口 自然科学は相互に検証可能なデータを積み上げていくから巨人の肩に乗りやすいんでしょうね。
石川 それはありますね。理論と実験がうまいこと行ったり来たりしていますから。それが社会科学だとすごくやりにくいんです。
出口 人文科学や社会科学もおもしろいんですけれどね。人類の哲学の流れを見ていると、哲学者も周りの人を意識しながらやっているんですよ。プラトンはソクラテスを意識し、アリストテレスはプラトンを意識しというように、連綿と巨人の肩に乗り続けてきた歴史があります。ただ、自然科学のような検証可能性は見えないですね。
石川 だから戦線が拡大するだけで、進んでいるという感覚が持ちにくいんでしょうね。
出口 それはたぶん統合が必要なんでしょう。一旦は広げて、どこかでまとめてシンプルにする。
石川 その点で、出口さんは統合している人だなと思ったんです。
出口 素人から見ると、学問の世界が広がりすぎて、要するに何だったのかということが誰もわからなくなっているんです。
 なぜこんな考え方を持つに至ったかというと、僕はライフネット生命をつくる前は、東大の総長室アドバイザーという仕事をしていたんです。そこで副学長の佐藤慎一先生とよく飲みに行って、先生のご専門である近現代の中国史についていろいろと教えてもらいました。また、自分が本で読んだ中国の話もよくしました。
 すると佐藤先生から、自分の専門分野以外は君のほうが詳しいねと言われたんです。研究者は専門分野しか見ないので、全体を見ることがない。だから、君のような素人のほうが、かえって全体が見えるんだよ、と。そんなものかと思って、自分で歴史の本を書こうと思ったんですよ。

●時代をつくる三つの波
石川 歴史ということで、ぜひ出口さんに教えてほしいことがあるんですよ。最近、僕は時代というものがどうやってできていくのかという問題に興味があるんです。
出口 一言でいうと偶然です。もう少し丁寧にいえば、人類が定住して以降の時代は、大きくは気候で動いてきたんですよ。
 寒くなったら、北のほうで暮らしていた人間は生きていけない。たとえば2世紀から3世紀にかけて、地球は寒冷期を迎えます。すると、ユーラシア大陸の北の方にすんでいた人は、羊や馬を連れて南下するんです。そうしたら、天山山脈にぶつかるじゃないですか。
 山脈を越えるのは大変だから、そこで東西に分かれるんです。東へ向かった遊牧民が五胡十六国時代を作ったのに対し、西へ向かったのがフン族(匈奴)です。フン族が西進したことで、さまざまな部族が玉突きで追い出される。これが世界史で習うゲルマン民族の大移動です。ちなみに最近の学説ではゲルマン民族と呼ばれる人々の一体性には疑問が投げかけられていますが。
石川 気候で人が大移動をするんですね。
出口 はい。昔は国境線などありませんから、人が移動すると国が壊れたり、文化がまざったり、大きな変化が起きます。だいたい200~300年前ぐらいまでは、そうやって気候をベースにして人間の生活は変わってきたんです。その後、化石燃料と鉄鉱石とゴムを使って産業革命が起こり、気候の束縛から少しは自由になったので、その分変わってきたんですけれども。
 フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルが言っていることですが、時代を見る時に、まずこういう大きな波があります。その次に、中ぐらいの波がある。
石川 中ぐらいの波というのは?
出口 ブローデルの『地中海』でいえば、ハプスブルク家とフランス王家の確執ですね。ハプスブルク家はスペインとドイツを領有していました。そうするとフランス王家は、サンドイッチになって嫌じゃないですか。そこで両者が対立する。これもなかなか、変えられない枠組ですよね。
石川 なるほど、社会的な環境みたいなものが中ぐらいの波なんですね。
出口 ええ。そのなかで、カール五世やフランソワ一世のような個性的な人物が現れて、時代をかき回す。こういう個人の思惑で動くような短い波がある。だから、時代というのは、長波、中波、短波という三つの波が合わさってできているというのがブローデルのモデルです。
 長波も中波も、50年足らずの個人の人生ではさほど変えられない。だから運の要素が大きいわけです。もちろん、個人がどう生きるかで変わっていく部分もあります。けれども人類の歴史を見ると、やっぱり偶然的な要素が多いんじゃないでしょうか。
 たとえば、トランプさんの勝利はほとんど誤差の範囲じゃないですか。投票数ではヒラリーさんが勝っていたぐらいだから。もしヒラリーさんが勝っていたら、トランプさんが大統領になった現在とはずいぶん違う世界になっていたと思います。
石川 時代は偶然でできあがっているということですね。
出口 そうです。ときどき、運は引き寄せられるとか、運を味方につけるとか、アホなことを言うおじさんやおばさんがいますが、そんなもんやないでと。隕石が落ちたら、人間の力ではどうしようもありませんからね。

イノベーションが起きるのはたまたま
石川 私は予防医学という分野を研究しているんですが、予防医学を誰がつくったかというと、ロックフェラーなんですよ。ロックフェラーは、慈善事業や福祉が大嫌いだった。もっと本質的なことにやりたいと考えて、予防医学のような新しい学問をつくることに取り組んだんです。たとえば、ハーバードの公衆衛生大学院をつくったのも、ロックフェラーなんですね。
出口 アメリカの大学は、大富豪が大学院のコースをつくっていますよね。
石川 その根本的な考え方をつくったのがロックフェラーなんですよ。予防医学のほかにも、マーケティングや人工知能という学問も、実はロックフェラーが最初に投資してます。いったい彼は、どれほど先を見通していたんだろうと驚きます。100年前は治療が中心の時代で、予防が学問になるという発想なんてなかったんです。
出口 時々、そういう鋭い人が出てくるんですね。ただ、ロックフェラーさんが特段すごいかというと、そうでもない。
 たとえば古代ギリシアの時代に、万物の根源は何だろうかと探求し始めた人たちがいて、ターレスは水だと考えた。これ、かなり正しいですよね。人間のからだも7割ぐらいは水ですから。さらに、デモクリトスは原子というアイデアを出しています。そのことを考えれば、ロックフェラーさんも普通に鋭い人だったんでしょう。
 たしかアインシュタインが死ぬ間際に、イノベーションについて質問されたことがあったんです。そのとき彼は、イノベーションなんて滅多に起こりませんと答えていたと思います。イノベーションと見えるもののほとんどは模倣で、僕の長い人生でもイノベーションと言えるのは、一つか二つぐらいしか思い当たりませんと。
石川 最近、科学の世界でも、イノベーションに関して画期的な研究が出たんです。サイエンス・オブ・サイエンスという分野で、偉大な研究はどうやって生まれるのかというのことを調べると、ほぼ偶然だという結果が出て、みんなびっくりしたんですよ。
 最初の研究でノーベル賞を獲る人もいれば、大学を解雇されることが決まって最後にやった研究でノーベル賞を獲った人もいます。
出口 進化論の突然変異と同じですよね。一定の確率でアットランダムに起きる。
石川 そうなんです。だから、イノベーティブな研究をした人が、その次に出す研究もイノベーティブかというと、全然そんなことはないんです。
出口 そうでしょうね。突然変異で人類がここまで進化してきたとすれば、脳が考えることも突然変異に決まってるんじゃないかと僕は思います。

[構成:斎藤哲也]

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