今朝はsoftwindさんのおかげで、久しぶりに飯沼正明氏を思い出した。こちらの超カッコいいパイロットの男性のことです。容貌のことばかり言ってはしたないとは思うけれど、もう顔も性格も人物も最高!
今日は「飛行機の日」なんですね。
世界新記録!
ライト兄弟の偉業はこちら↑で復習していただくとして、飛行機といえば「翼よ、あれがパリの灯だ」もすぐに思い出されますね。リンドバーグがニューヨーク-パリ間を初めて飛んだのでした。それは1927年のこと。
それから10年後の1937年、当時26歳の飯沼氏は「神風号」で塚越賢爾機関士と一緒に東京-ロンドン間を94時間ほど(睡眠や食事、休憩なども含まれる)で飛ぶという、それまで誰も成し遂げられなかった、有名なフランス人飛行士などが幾度も挑戦したもののすべて失敗に終わった…そんな偉業をやってのけたのでした。
http://www.geocities.jp/jkomjkom/newpage114.html
写真・解説とも↑こちらよりお借りしています。
朝日新聞社は、1937年5月12日ロンドンで行われるジョージ六世の戴冠式奉祝の名のもとに、亜欧連絡飛行を計画し、キ15の試作2号機を払い下げるよう、陸軍を説得した。愛称には、公募した中から「神風」が選ばれた。
乗員は、飯沼正明飛行士(1912-1941)と塚越賢爾機関士(1900-1943)。一度悪天候で引き返したのち、4月6日早暁立川飛行場を離陸。台北、ハノイ、ビエンチャン、カルカッタ、カラチ、バスラ、バクダッド、アテネ、ローマ、パリと着陸し、現地時間の9日午後ロンドンに着陸。立川離陸後94時間17分56秒で、給油・仮眠をのぞく実飛行時間は、51時間19分23秒であった。
東京-ロンドン間15000kmを国産機で飛行するという挑戦を立案した朝日新聞社は、最新の飛行機を借してくれと陸軍に頼みます。そしてこの命がけの大冒険に、飯沼・塚越両氏を抜擢します。
こちら、朝日新聞が当時の新聞などを載せて偉業を振り返り、詳しい解説をつけています。↓
国産機で東京―ロンドンの世界記録! - ことばマガジン:朝日新聞デジタル
パリでもロンドンでも、勿論イギリスでも大変な歓迎を受けます。が、私のブログはベルギーブログなので(笑)ベルギー・ブリュッセルのフィーバーぶりを見てみましょう。
深田 祐介 著『美貌なれ昭和―諏訪根自子と神風号の男たち』 (文春文庫1985年)の巻頭の写真、2ページ分借りています。
写真左から塚越氏、飯沼氏のお二人。一人置いて来栖三郎(パールハーバーを回避しようとギリギリまで奮闘した外交官)、当時ベルギーに留学中で、美貌の天才少女と呼ばれた諏訪 根自子(すわ ねじこ)、その横は来栖氏のお嬢さん。
右の写真はフランスのル・ブールジュ空港で、群衆の中から飛び出してきた女性にキスをされる飯沼氏。彼女は来日もしたルイーズ・イルスという女性飛行士。
諏訪根自子は4月16日の日記に記したものを、朝日新聞に寄稿しました。
これが凄いんです。当時の興奮ぶりがよく伝わってきます。全部載せられなくて申し訳ないんですが。
(現代の仮名遣いに直しました)
(略)
九時頃、飛行機が着く筈だったが、少し遅れて十時半頃ようよう着いた。出迎えの六台の飛行機も一緒に飛んで来た。とても風があって、雨が降って嫌なお天気だ。ピヤちゃん(来栖輝)と私とは花を持って行くので飛行機のすぐそばまで行く。飛行機はあまり大きくないが、水色でとても綺麗だ。ここの大臣や偉い人達は皆来ている、新聞記者や写真班が大変だった。ピヤちゃんは飯沼さん、私は塚越さんに花を上げる、二人ともとても素敵、殊に飯沼さんはとても綺麗、あんな人は一寸見たことがない、日本人は全部来た。ベルギー人も大勢、皆日本の旗を持って出迎えた。こんな嬉しいことはない。
それから飛行場のレストランで一寸シャンパンを飲んで大臣や大使が演説をした(みなラヂオ放送)。それから大使と両勇士は王様のところへ行く。その間私達はそこに休んで待っている。また十二時ベルリンに向けて出発するまで・・・。
(略)
皆飛行機が見えなくなるまで旗を振っていた。飯沼氏はダンゼン素敵だったので、ジロジロと眺めるだけ眺めた、あゝ今日はホントに嬉しかった」
最後の「飯沼氏はダンゼン素敵だったので、ジロジロと眺めるだけ眺めた」ここは笑いますね。
また飯沼のほうも、東京への国際電話で「今日は諏訪根自子さんが、出迎えてくれた」と報告したそうです。
諏訪の人生も華やかで波瀾万丈なんですが、今日は書くことができません。5年位前に亡くなったので、クラシック音楽に精通していなくても訃報記事を読んだ方、多いのではないでしょうか。
神風号の快挙は二つの「日本伝説」を打ち砕いたことだと言われています。一つは、日本の工業製品は性能が悪く安価な模造品というもの。もう一つは、実に驚くしかないのですが、日本人は飛行機の操縦に向かない民族だというもの。
神風号を迎えた当日の英デイリー・ヘラルド紙は
「生理学的に日本人は優れたパイロットになれないものとこれまで信じられてきた。彼らは、ある高度に達すると、方角の観念を失いがちになり、眩暈を覚える…。これは何世紀にもわたる米食と魚嗜好が作り上げた適応以上なのである」
「神風の到着は、この日本人は飛べない、という考えに一大打撃を加えるものだ」と述べている。
(『美貌なれ昭和』より引用)
もちろん今だって日本人は「下がり目」、中国人は「つり目」といったカリカチュア的な偏見は生きています。アメリカではかつては「眼鏡に出っ歯」でしたが、今はどうなんでしょうか。
深田 祐介氏の『美貌なれ昭和』というタイトルは、当時朝日新聞に「宮本武蔵」を連載中だった吉川英治が、この飛行士二人が美男子で、女性たちの人気の的になっていることに触れて「美貌なれ国家」という一文を寄せたことに由来しています。
しかしその後「美貌な日本」は軍国日本に、そして泥沼の悲惨な戦争へと押し流されていき、二人の美貌な飛行士たちも戦死してしまいます。
〈「飛行機の日」ここまで〉
Twitterで拾ったおもしろいもの。同じ年1937年の広告。
私は「トップガン」とエアポートシリーズしか知らないなあ。
紅の豚、好きだった。
櫛を駆使!
最後にこちら
Airportraits
ナニコレ?と思いますね。
こちらのサイトです。
飛行機が大好きな建築写真家のマイク・ケリー。
ある日、彼はひとつのアイデアを思いついた。
「ロサンゼルス国際空港で飛行機を眺めていました。その時、行き交う多くの機体を1枚の写真に収めてみたいと思ったのです。そうすることで、ロサンゼルス国際空港を行き来する飛行機の数がどれだけ多いのか、表現できたらと考えました」
そして出来上がったのが「Airportraits」という写真シリーズだ。
このような合成写真を成功させるには、撮影時の天候や太陽の位置が重要だとケリーはいう。別々に撮影された飛行機の画像の全てが、1枚の写真に同時に登場していても違和感のない見え方をしなければならないからだ。
「写真の撮影に何週間もかかった後、満足のいく仕上がりにするため、フォトショップで細かい修正を何カ月も続けることもあります」
ではまた次回!