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宮川さんのFacebookの文章を投稿いたします。
なお、画像ファイルが4件有りますところ、一つの投稿に3件のみの挿入の仕様ですので、もう一件(先生の肖像写真)は、すぐ後に投稿いたします。
不思議なる縁(えにし).
シリーズNo.15
久遠の友との出会い.
尊き友よりの報、
" 遥か遠く、某国より、
日蓮世界宗、世界本部総裁、原田の録音音声が送られてきた "
数日前、遥か遠くの、
メンバーと思(おぼ)しき人から、音声メッセージと、音声資料が送られて来た。
メッセージは、
現地言語の録音メッセージ。
文章化されたものであれば、グーグル翻訳も可能であるが、
音声である為、グーグル翻訳も不可能である。
誰かに翻訳してもらうとしても、内容が全く分からないし、何処の国の言葉かも分からない。
英語やフランス語、ドイツ語辺りであれば、何となく分かるかもしれないが、
余り聞き慣れない言語である。
どうしたものかと、思いながら音声資料を開いて見たら、資料の方は日本語であった。
どうも、先月、11月の中旬に日本で行われたSGIの会合での質問会の録音テープらしい。
聞き覚えのある声である。
そう、
日蓮世界宗 総裁、
創価学会会長、
原田 稔の声である。
欧米の友に確認すると、
今年2017年11月13日の
S G I 総会で、
原田に対する海外メンバーの質問会での内容ではないか、との事。
音声は、聴き取りにくい箇所が、二箇所程あったが、
忠実にテープ起こしをした。
2017.11月13日.
SGI 総 会での質問会。
超多忙な中、2時間かけて、テープ起こしをした。
もし、原田が形だけでも、
池田先生の弟子と名乗るならば、即刻、これらの発言を撤回し、先生に謝罪すべきである。
テープ起こしは、
以下の内容である。
ーーテープ反訳ーー
じゃあ、そちらの、
○○さん。 ( 司会者の声か )
(☆語で質問)
(☆☆☆)の理事長です。
新人間革命 30 巻の
「大山」の章で、
先生が勇退されたときに、
多くの幹部が先生と叫ばないようにと指示した。
更に、先生が入場される時や、
壇上で話される時に、
拍手をしないように、
などと
通達をされたとのことで、
そのことを知られた先生が、
簡単に権力に屈服する姿を
悲しく思われた、
ということが書かれているが、
どうし て当時の幹部は、
先生を守るという精神を
失ってしまったのでしょうか?
また将来、
このような師弟の精神を
忘れてしまうようなことが
起こらないようにするためには、
どのようにしたらよいでしょうか?
ーー( 原田の回答 )ーー
え~~。
1979 年 5 月 3 日の
創価大学で行われた本部総会のことを先生は書いてくださったわけです。
勇退直後の初めて迎える、
本部幹部会。
創価大学の体育館で、その会合は開かれました。
で、
当時の現状として、宗門に対する配慮から、
法主が入場し、そして池田先生が入場する。
そういう状況の中で、まぁ、
過度の配慮が現場で働いたのではないかと。
司会が、
先生入場の時に大きな拍手が沸き、
法主が入場するときに大きな 拍手が沸かない、
それは今の現状から考えて、
えー、避けたほうがよいだろうと、
多分、
このような配慮の元で、
司会がそういう注意を話したのではないか、
という風に思われます。
まあ、
事実の経過はそのような経過であったのでは?
先生は、
そうした事実がどうであるか、
経過がどうであるかということではなく、
先生がご指摘されたのは何かというと、まぁ、
かつて、
池田先生が戸田先生の弟子として戦いをしたときには、
えー、
池田先生は師匠である戸田先生の思っておられること、
あるいは、言葉には出さないけれども、
考えておられること、
それをすべて成し遂げて下さいました。
まぁ~、成し遂げてこられたという、
先生の弟子としての確々たる心が先生はおありです。
学会が大変なときに、
池田先生の弟子である
門下生、
そういうときに、本当の信心を発揮 して、
たとえ宗門がどう思おうと、
どういう対応になってこようと、
それを乗り越えて弟子としての信心を(? ? ?)、
弟子としての師匠への熱い思い、
そういうものを、
なぜ弟子が発揮できなかったのか。
先生は、
え~、
そういう 弟子の心の弱い部分を、
本質的に、
あの小説の中で指摘していただいたものだと思います。
そういう意味では 、
1979 年、
当時私も青年部の幹部の一員でありました。
私自身は信濃町で本部に残り、
その会場には行かずに、
本陣を固めていたのでありますが、
まぁ、
我々も含めて、
当時の幹部の最大の反省は何かというと、
様々な事情があるけれども、
そういうことを踏まえたうえで、
なお且つ、
池田先生の弟子として、
立ち上がるべき時に立ち上がる、
この究極の信心の 一念が、
あの事件を通して、
私たちは試されたのだと。
え~、
断じてそのような ことがあってはならない。
また、
そのことを多くの後輩にも
教育をしていこう、
教えていこう、
こういう風に(? ? ?)したわけであります。
従って、
これからも、
どういう時代が展開されるかどうかわかりませんが、
しかし、
なによりも、
今回皆さんがそろって、
初代、2 代、3 代の会長を
創価学会の広宣流布の、
永遠の師匠という風に定めた。
そして、え~、
それを、会憲 という形に集約をさせていただきました。
で、これからは、
何があろうと、
3 代会長の指導、
三代会長の真理、
それを高らかに掲げながら、
それを、
大きく歩みを進めていく、
そういう時が 、
いよいよ来たのではないかと。
そういう時代が到来したんだ、
このように 決意をして前進していきたい。
このように思いますので、
よろしくお願い します。
ーーー以 上ーーー
先生のご勇退、と言うより
会長の役職解任。
弟子に取って、これ以上ない恥辱を、海外メンバーが、勇気を出して問うているのに、
この回答は何だ!
私は本部に居て、
会場に行ってないから知りません、
関係ありません、
とでも言いたいのか!
全てが、先生を貶める為に、天才詐欺師.山崎正友、
C IA仕込みの謀略家.秋谷、
タカリ屋.野崎 勲、
嫉妬の塊の石田次男、
先生を見下し続けた牧口門下、
物陰からおこぼれを狙うハイエナの如き原田、宮川(清)、
そして、日達、
これらに依って周到に計画された先生の追放劇であった。
先生は、詠まれた。
「 共 戦、
生涯にわたり、
われ 広布を、
不動の心にて、
決意あり、
真実の
同志あるを信じつつ、
合掌
( 昭和54年5月3日 夜、大作 )
私は、絶対に師を苦しめた輩を許さない!
地の果てまで、追いかけても、仇を討つ!
例え此の身に、十万本の矢を受けようとも。
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