あの悲惨な事故から13ヶ月。やっと肩の痛みが治ったよ。
去年の11月、僕はプールで軽く泳いだあと、更衣室のシャワールームでシャワーを浴びていた。ところが、髪を洗って、体をこするスポンジを手にしたところで、石鹸を忘れていることに気付いてしまったんだ。
そのまま、シャワーだけですませばよかったものを、僕は、どうしても体をこすりたい、という衝動に駆られて、一旦シャワーを止めて体をふいて、洗面台の横にある石鹸を探しに行ってしまった。
それは本来、手を洗ったりする、ジムが提供している公共の石鹸だから、体を洗うために使っちゃいけない。でも、その石鹸をシャワールームで使ってる人もいるから、スポンジを泡立てるくらいなら構わないと思って。そんな安易な気持ちで、僕はスポンジで石鹸をよく泡立ててから、再びシャワールームへ戻ったんだよ。
悲劇は、その洗面台から2メートルしか離れていない帰り道で起こった。僕はスポンジを手に向き直り、1歩、2歩、3歩目で右折して、シャワールームの扉が見えた瞬間、視界が90度回転した。
同時に、ドンッ!という衝撃があって、肩に強い圧迫を感じた。すべてが一瞬の出来事で、最初はなにが起きたのか把握できなくて、強烈な肩の痛みに体を丸めて耐えるしかなかった。
全裸の41歳が、更衣室のシャワールームのまえで、目に涙をためて横たわっている。酷い話だよ。目撃者がいなかったのが唯一の救いだった。そうやって、うずくまっているうちに、かろうじて体を起こすことが出来て、僕は被弾した兵士が塹壕へ潜り込むように、シャワールームへ這い進み、動く方の手でドアを閉めて床に座り込んだ。
右肩はビリビリと鳴っていて、過去に経験したことのない痺れが襲っていた。そこで、ようやく理性的な思考が出来るようになって、少しでも気を紛らわせようと、いま起こった出来事を客観的に検証してみた。
僕は、3歩目を床に着いた瞬間、シャワールーム側に方向転換しようとした。すると、リノリウムの床に敷いてあった長方形のタオルがギュっと捩れてしまった。タオルは垂直方向にグリップしていたけど、捩れたことで摩擦抵抗を失って、そのまま真っ直ぐスベってしまった。
一方で、僕の体はすでに横を向いていたから、滑り出したタオルと直角に転倒してしまった。
まるで、失敗したテーブルクロス引きのようにね。すべり出したタオルがテーブルクロスで、倒れて割れたワインボトルが僕。しかも手には、泡立てたスポンジを持っていたから、まったく受け身をとれずに、全体重を落下ダメージに変換して、肩からドスン。
そこまで検証したところで、やっと肩の痺れが遠のいて、変わりに激痛が襲ってきた。
骨までいったか(折れたか)....というのが、率直な感想だった。
そう思いつつ、ジワリ、ジワリと、腕を持ち上げててみると、なんとか稼働した。指の感覚は失われたままだったけど、中指から一本づつ司令を送ると微かな反応があった。
コイツ動くぞ、とか、脳内でつぶやきつつ、手をグーパーしたり、肘をゆっくり前後左右にゆらしてみると、どうやら神経は大丈夫で、骨までもいってなかった。
あの衝撃によく耐えてくれたなマイショルダー、とか、脳内でつぶやきつつ、左手を抱きしめるようにクロスさせて、右腕全体を揉むようにさすりながら、痛みが治まるまで座っていた。
それから、家に帰ってひと晩寝たら、翌日には治ってた。右肩は、腫れもなく、アザもなくて、少し赤みがかっているだけで、一見すると何事もなかった。
でも、腕をあげようとすると、突っ張るような明らかなペイン(痛み)があった。日常生活とか、スイミングに支障はなかったけど、走ると肩が抜けるような痛みがあるし、重い荷物を肩に担げなくなった。僕は、痛めた右肩をさすっては、自らの愚かさのスティグマ(刻印)に苦しみ続けた。
それでも僕は、毎日スイミングに通って、痛くても手を伸ばすことを意識してリハビリに励んだ。とにかく気に病まぬこと。仮に一生、痛みが残ったとしても、痛みと共に生き、痛みを友とするような、そんなマッチョな人生を歩む決意をしたんだ。
ちょっと長くなってしまったけれど、これがあの日、僕の身に降りかかった事故とその後の物語り。
そして13ヶ月の時を経て、それが完治したことを、ここに報告するよ。もう、腕を振り回しても、まったく痛まないんだ。
この経験から、僕は、もしも体を痛めても、諦めないこと、痛みを気にしないこと、そして動かすことが、回復への近道になることを学んだ。
人間の体は、そこそこの年月が経つと、腕も足も、腰や関節も、さまざまな箇所に不具合が生じてくる。それは、肉体という消耗品を持って生まれてきた人間の必然だよね。
いつか僕も、返事がない、ただのしかばねになる日が来る。だけど、その日がくるまで、僕は生きるのをやめないよ。
この命を燃やし尽くすんだ。