学生時代、文化祭で張り切った経験がある人は少なくないだろう。
僕もその一人だ。
放課後、校舎に残って「ヤベー!間に合わねー!」とか何とか言って、模擬店の飾りをせっせと作った。

しかし、そもそも何故、僕らは文化祭で張り切れたのだろうか?

模擬店で売り上げを出しても、自分の懐にチャリンと入ってくるわけではなかった。
貰える“報酬”は、しいて言うなら「お前のとこの出し物(模擬店やオバケ屋敷など)、いいねー」という言葉だけ。

それでも僕らは文化祭の準備に汗を流し、「みんな、ちゃんとやろうよ!」と泣き出す女子まで発生した。
ストレスの対価として給料を貰っている大人からすると、摩訶不思議な状況だ。

それでも僕らは文化祭に熱狂した。

理由は二つあると思う。

①「学校」という先生から生徒へ情報が一方通行で流れる空間が、あの日だけ双方向になった。
生徒は初めて“発信できる権利”を手に入れ、自分達で考え、自分達で発信し、自分達のアイデンティティーが評価される喜びを覚え、ドーパミンがドパドバ出た。

②同じゴールを目指すことで、共通の会話が発生し、普段喋らないヤツとも喋るようになって、自分をとりまくコミュニティーを拡大することができた。

あの頃の僕たちにとっては、この①と②こそが“報酬”で、そこに給料が発生し低なくても前向きに行動することができた。

このことを踏まえて…

インターネットが作り出した世界というのは、実に文化祭的だ。
皆が情報を発信し、双方向であり、
「いいね」と「コミュニティー」の獲得の為に、今日もせっせと働いている。

文化祭は評価経済だった。

文化祭に熱狂したあの日、一銭も貰えなくても僕らは満足した。 
それと同じように、やはりインターネットが作り出した世界でも、金銭以外の報酬が貰えるようになり、お金の価値はグッと下がった。 
「お金持ち」よりも「イイネ持ち」を目指し始めている。

オジサン達はまだ気づいちゃいないが、
時代は“文化祭ノリ”を選んだ。
模擬店の看板のペンキの“ムラ”が目立とうが、それが自分達が作った看板であれば、プロの業者が作った看板よりも満足度が高い。

僕は、映画『えんとつ町のプペル』の公開を2年後に控えている。
昨夜も、ずいぶん遅くまで会議が続いた。
これまで、いろんな挑戦を繰り返してきたが、今度の挑戦が最も大きなモノになる。

挑む相手は巨人で、今の時点ではボロ負けなのだけれど、勝てない相手ではないと思っている。
時代が味方をしてくれるからだ。

映画『えんとつ町のプペル』の宣伝チームを各都道府県に作りました。
もし、興味があれば参加してみてください。
文化祭のように映画を作りたいです。

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