七十六年前の師走十二月。この国であの戦争が始まりました。国中の熱気に包まれて。その日を想像してごらん。あんな戦争、誰が始めてしまったの?
ことし九月の敬老の日、「聴かせてよ、宝の言葉」と題する社説を書いて、戦中戦後を生き抜いた皆さんに、戦争のリアルな空気や手触りを、次世代へ積極的に語り伝えてほしいと呼びかけました。
それに応じて読者から、一冊の自著を送っていただきました。
岐阜県各務原市の加藤昇さん(84)が八月に出版した、「歌文集 君は、戦争を選ぶか」というタイトルの非売品。二百冊印刷し、広島、長崎、そして沖縄の高校や図書館へ寄贈しました。
◆今と未来も語りたい
「昭和ヒトケタ老人は、記憶だけでなく現代と未来を語っておく責任があると私は、自覚します」
その本の冒頭近く「ぼくの戦中・敗戦直後のこと」という章があり、「ここにだけは、視線を届けてもらいたい」と、同封の手紙にありました。
加藤さんは、九人きょうだいの八番目。長男は学業を終えると間もなく応召し、中国戦線に送られ、戦死しました。
加藤さんが小学三年生の時でした。秀才の誉れも高く、裁判官をめざしていたそうです。
<長男である息子の戦死を知らされた時の母の泣き声のすさまじさは、いまもぼくの耳の底にこびりついています->
長兄の死から半年ほどたったころ、母親のゆくえさんが加藤さんを縁側に座らせて、言いました。
「お前の兄さんは優秀な機関銃隊員だったから大勢の敵を殺したはずや。兄さんに殺された敵の兵隊にも親があり子もいたはずや。その人たちの辛(つら)さを思うと、わいは泣いてばかりいては恥しいと思うんや」
一八九一年生まれ、生まれてこの方、一冊の本も読んだことがないという母親の理性と深い愛情、そこから生まれる想像力に、加藤さんは圧倒されました。
「どんなことがあっても、お前は人を殺したらあかん。人を殺したらあかんのや、絶対にあかんのや。そんなことをしたら何人もの母親を泣かせるだけやんか」
殺すのも殺されるのも真っ平だ-。この時の母の記憶が、七十年余の時を経て、加藤さんに、その本を書かせたと言ってもいいのでしょう。
◆母親の涙を忘れない
忘れがたい母の涙に、加藤さんは自作の短歌を添えました。
戦死した機関銃名手の息子に撃たれた敵兵にも親あり子ありという母の涙の撫子(なでしこ)の花
戦場に身を置いて、殺すこと、ましてや殺されることには思いが及びません。
勇ましさにわれを忘れて、負けることなど考えない。もし想像力が働けば、殺し合いなど始めるはずがないでしょう。
先の大戦は国家が始め、国民に強いたものかもしれません。
しかし、もしも近い将来、再び戦争が起きるとすれば、私たち国民自身が、それを選んだことになる。
もう二度と、戦争という未来が選ばれないようにするために、体験者のリアルな記憶が、もっともっと必要です。
記憶という過去に学んで未来を選ぶ。選択をするのは今、現在しかありません。
<だから、君たちがいま直ちにやっておくべきことは、戦争で死なないことをココロにキメテおくことです->と。
この次は戦争か平和かを君自身が選択するのだ 神よ みくびるな
北風に震える師走。戦争の足音は、本当に近づきつつあるのでしょうか。
◆荒野を想像してみれば
「イマジン」、想像してごらん-。開戦と同じ師走八日に非業の死を遂げた、元ビートルズのジョン・レノンの名曲です。
♪想像してごらん、すべての人が平和に暮らしていると…。
クリスマスに浮かれる街に、穏やかなジョンの歌声が流れます。
しかし時には、戦争の荒野、あるいは焦土にひとり取り残されて、恐怖におののき、命と向き合う自分自身を、思い描いてみるべきなのかもしれません。
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