今日の朝、起きてすぐ、LINEとTwitterを見て、
!!!!!!!!
と、なりました。
呼吸が5秒くらい、止まった気がします。
そう、
ABC予想、解決!!
京都大学 数理解析研究所の望月新一先生の論文(2012年に発表したもの)が、ついに「正しい」と認められ、専門誌に掲載される予定とのことです。
本当に本当にびっくり…!
週明けから、数学に詳しい人々にインタビューしてこようと思ってますが(その内容も、シェアしたいです)、
まずは取り急ぎ…
ABC予想、何がすごいの!?
というテーマで、書いていこうと思います!!
0.はじめに
2012年に、望月先生が論文を発表した時点で、
「ABC予想って何なの?」
と、色んな人に聞かれました。
今回も「解説よろしく」と、ちょこちょこ知り合いに言われます。
しかし、実は、私、
全然詳しくないです。
何も数学的に深いことは語れません。
ごめんなさい。
というわけで、素人目線で書いていこうと思います。
でも、完全素人というわけではなく、
曲がりなりにも、かつては数学専攻だった私…。
なので、ちょっとだけ深くつっこめるかもしれないのと、
さらに、ここ数年、色んな数学者の方に本件について教えてもらったことがあるので、書ける範囲で書いていこうと思います☆
1.ABC予想の主張
ABC予想のスゴいところは、
予想の主張自体は、中学生でも理解可能
なとことです。
整数の性質に関する、シンプルな予想なのです。
↓詳しくは、こちらのブログにわかりやすくまとまっています!
私の主観ですが、
この、「予想の主張自体は、中学生でも理解可能」ってのが、恐ろしすぎると思うんです。
というのも、これってフェルマーの最終定理も同じなんですよ。
350年以上解決されず、1995年にアンドリュー・ワイルズが解決した定理。そんな、かつての超難問も「予想の主張自体は、中学生でも理解可能」な予想でした。
2.数学における「証明」
本論に入る前に、まず、きちんと説明しておかなければならないのは、
○数学における「証明」のこと
○論文の「査読」のこと
です。
まずは、数学における「証明」について、少し解説したいと思います。
3.大学以降は「証明問題」しか存在しない
「証明」と聞くと、「ああ、あの、合同とか相似のやつね!」「何書けば良いか、わかんなかった」というようなイメージを持たれる方が多いと思います。
たぶん、「数学で出てくる、解きにくい問題の一つ」みたいなイメージで、「計算問題と証明問題がある」と思ってる人は少なくないと思います。
つまり、多くの方が「数学の一部分」として認識されているのではないのかなあ…と思うのです。
しかし、大学以降の数学を学ぶと、ほぼ、毎日、定理や命題の証明しかしません。
「『一部分』ではなく、もはや『全て』」になってしまう、と言っても過言ではないような気がします。
ひたすら数学書の証明を読み続け、
授業でも、何らかの結果の証明を聴き続け、
ゼミでも、何らかの結果の証明を発表し、
レポートでも、出された問題の証明を書いて提出します。
そのくらい、数学において、証明が重要で、もはや、それしかありません。
4.膨大な論述量
さらに、お伝えしておきたいのは、証明における「論述量」です。
定期テストならば、10行くらい書けば十分かなあ、と思います。
大学入試ならば、A3用紙1枚くらいに収まります。
大学のレポートでは、A3用紙5ページくらいは書いたことあります。
「abが素数pで割れるならば、aまたはbがpで割れることを証明せよ」という課題が出たとき、5ページくらいになったのを、覚えています。
数学書では、10~20ページの証明は、当たり前です。3ページくらいで終わると「あ、短くて良かった~」と、なります。
そして、ABC予想の論文は、600ページです。
少し、「証明」へのイメージ、変わりましたか?
5.「正しさ」との戦い
「なぜ、証明をするのか?」と言うと、
「正しいか正しくないか、合ってるか間違ってるか、を判定するため」
です。
よく、「数学って、答えがあるから、楽でいいよね」「答えがあるところが、好きじゃない」という声を、良く聞きます。
申し訳ないですが、その意見に反論させてください。
答えがあるから、大変なのです。すごみがあるのです。
「正しい」を、確実に100%の状態で完璧に言い切らないといけない。
矛盾が、どんなに小さいモノでも、一つあったら完全アウト。
すっごく厳しいんです。
「何となく」は、全て拒否されます。
「こういうケースが多い」とか「こういう考えがある」とか、そういうのは全部ダメで、「全世界の人類が、時代を越えて、正しいと言い切れる」という状態を目指していくのが数学です。
そんなこと、日常生活でありえないですよね。
私たちは、主観や感情を持ち、時には矛盾したことを言ったり行ったりします。
それが、「人間が生きること」であり、「自然なこと」です。
でも、数学では許されません。
高度に抽象化した世界で、完璧な正しさを求め、正しさと戦います。
論理と理性の力を、どこまでも信じぬくように。
そして、その戦いの軌跡が「証明」です。
6.論文の「査読」のこと
誰かが「証明」を書いたら、何人かの有識者で、その証明が「本当に正しいか?」をチェックしなくてはなりません。
それが、査読です。
一切の矛盾も、論理の穴もないことを、確認していきます。
今回のABC予想で、話題になったのは、
「査読に5年以上かかっていること」
です。
2012年夏に論文を出して、今が2017年冬。
こんなに時間が掛かるのは異例です。
なんで、5年以上も掛かったかというと、
当初、誰も理解できなかった
からなんです。
望月先生が一人で創始した「宇宙際タイヒミュラー理論」という新しい理論を使った証明。誰も知らない、超難解な理論。
それを理解するために、査読者たちは勉強会を開く等して、この5年間、たゆまぬ努力をしてきたようです。
8.ABC予想の難しさについて
私は凡人なので、望月先生という、16才でプリンストン大学に入ってしまうようなスーパー天才数学者の書いた論文を、きっと一生理解できません。
だから、ABC予想の難しさの本質には、一生触れられないはずです。
でも、折角なので、ABC予想の難しさについて、あるエピソードを記しておこうと思います。
1年くらい前に、ある先生から、こんなことを言われました。
「『ABC予想を証明します』なんて言うのはね、かつての『フェルマー予想を証明します』って言うのと同じようなこと。そんなことを言い出したら、『ああ、ついに、あの人は、おかしくなったな』と思われる」
こんな発言をした先生は、実は、とても著名で、「日本の頭脳」って言っていいくらいの方なんです。
何を言いたいかと言うと、
そんな先生が、こんな発言をしてしまうくらいに、
「絶対に証明できない」って、誰もが思ってるような予想だったんですね。
さらに、こう続けました。
「望月くんは、大変なことをしてしまったようだね」
10.ABC予想の影響
恐らく、今回の件は、フェルマーの最終定理と比較されることが多いだろうなあ、と思います。
どちらも、整数論の超難問で、
証明されたのは、それはそれは、もう、すっごいことなんですが、
特筆すべき違いは、
「予想の主張が持つ影響力」
だと思います。
wikipediaの引用ですが、
abc予想を真だと仮定すると多数の系が得られる。その中には既に知られている結果もあれば(予想の提出後に予想とは独立に証明されたものもある)、部分的証明となるものもある。abc予想がもし早期に証明されていたなら、得られる系という意味での影響はもっと大きかったが、abc予想が成立した場合に解決される予想はまだ残っており、また数論の深い問題と数多くの結び付きがあるので、abc予想は依然として重要な問題であり続けている。
- トゥエ=ジーゲル=ロスの定理
- 代数的数のディオファントス近似に関する定理。
- フェルマーの最終定理
- 指数が 6 以上の場合 (Granville & Tucker 2002)[注 1]。定理自体は(abc予想とは独立に)ワイルズが証明した。
- モーデル予想 (ファルティングスの定理)
- (Elkies 1991)
- エルデシュ=ウッズ予想
- 但し有限個の反例を除く (Langevin 1993)。
- 非ヴィーフェリッヒ素数が無限個存在すること
- (Silverman 1988)。
- 弱い形のマーシャル・ホール予想
- 平方数と立方数の間隔に関する予想 (Nitaj 1996)。
- フェルマー=カタラン予想
- フェルマーの最終定理の拡張であり、冪の和である冪を扱う (Pomerance 2008)。
- ルジャンドル記号を用いて記述したディリクレのL関数 L(s, (-d/.)) がジーゲル零点を持たないこと
- (正確には、このためには上で紹介している有理整数を扱うabc予想に加えて、代数体上の一様な abc予想を用いる。)(Granville & Stark 2000)。
- Schinzel–Tijdeman theorem
- P を少なくとも3つ以上の単根を持つ多項式とすると、P(1),P(2),P(3), ... の中には高々有限個しか累乗数が存在しない、という定理 (1976)[4]。
- ティーデマンの定理の一般化
- ym = xn + k が持つ解の個数について。ティーデマンの定理は k = 1 の場合を述べている。また、Aym = Bxn + k が持つ解の個数に関するピライ予想 (1931)。
- グランヴィル=ランジュバン予想と同値。
- 修正したスピロ予想。
- これは境界として を与える (Oesterlé 1988)。
- 任意の整数A について、 が有限個の解しか持たないこと(一般化されたブロカールの問題)(Dąbrowski 1996)。
※「系」というのは、端的に言えば、「応用例」のことです。
このように、ABC予想は、多くの数学の仕事へ大きな(大きすぎる)影響を与えてしまいます。
以前、ある先生の講演の後の飲み会で、こんな会話がありました。
「今回の発表内容、ABC予想が正しいと仮定したら、どうなるの?」
「自明になってしまいます」
9.私の思うこと
主婦が偉そうな話をするのも、どうかと思いますが、書かないでいられないので、書いておきます。
正直、私は凡人なので、今回の予想について、何にも言えません。
でも、「ABC予想が証明された」と、周りのたくさんの人たちに知らせていこうって思っています。
ちょっと、話がズレますけど、
多くの人が、アインシュタインのことが好きですよね。
「アインシュタインの名言」とか、SNSでも、よく取り上げられています。
でも、相対論を深く理解してる人って、たぶん、ほとんどいません。
それでも、みんな、大好きです。
そんな様子を見ていると、
「物理や数学、大嫌い!」って言う人が多いのが、嘘みたいだなあって思います。
だって、相対論って、物理の理論だし、ゴリゴリに数学も使いますから。
これは、あくまで私の「予想」ですけれど、
「未知のことを探求してみたい」
っていう、わくわくした気持ちは、みんなが持ってるんじゃないかなあって思うんです。
だから、「未知のことへチャレンジして、新しい・ありえない世界を切り開いた人」に憧れを感じるんだと思います。
アインシュタインの存在って、「物理も数学も、よくわかんない」って思う人に、「それでも、何かすごそう。面白そう」って視点を与えているなあ、と感じます。
そして、今回の望月先生の「ABC予想」のことも、きっと同じです。
「わかんない。でも、すごそう」っていう視点を、多くの人へ与えてくれる。絶対に。
たくさんの若者や子どもたちが、
「数学の授業、わかんない」「赤点取らないようにしなきゃ」「受験受かんなきゃ」っていう視野から、一気に脱出できてしまう、大きな大きな出来事だと思います。
今回のことを知った誰かにとっての数学が、
「ステータスと学歴のための道具」である勉強から、「学問を味わえる」学びに変わっていくかもしれない。
アインシュタインや望月先生のようになれる人は、ほとんどいないけれど。
でも、「数学を学ぶ時間」が「強制的にやらされてる時間」から「自分の大事な時間」に変えられる人は、たくさんたくさんいるはず。
私は、天才でも何でもないけれど、少しずつ少しずつ、数学のすごさを伝えていきたいなあって、思っています。数学に恋した一人として。
(つづきます)