一面ブラザー創業地 分かった 空襲で関係書類焼失
◆女性社員、古地図から割り出し家庭用ミシンやプリンターのブラザー工業(名古屋市)は戦後長い間、正確な創業地が分からなかった。戦時中の空襲で関係書類の多くが焼失し、戦後の混乱で記憶もあいまいになっていた。ところが今年になって、社内資料の保管を担当する一人の女性社員が一枚の古い地図を手掛かりに、現在の同市熱田区伝馬の国道1号の上と割り出した。来年の創立百十周年に合わせ、ようやく見つけた「生誕の地」をホームページなどで発信する。 調べたのは、CSR&コミュニケーション部の岩尾文香さん(52)。十冊以上の社史を読んでも創業地は「現在の熱田区伝馬町付近」としか記載がなく、はっきり分かっていないことが長年気掛かりだった。二年前に今の担当に就き「うやむやのままではいけない」との思いを強くした。 仕事に余裕が出てきた今年の夏、調査で訪れた名古屋市市政資料館で一九二九(昭和四)年の住宅地図を見つけたことが、解明に向けて大きく前進するきっかけになった。 ブラザー工業は、陸軍の兵器を造る工場の技術者だった安井兼吉が〇八(明治四十一)年に始めた外国製ミシン修理業「安井ミシン商会」が前身。後を継いだ長男正義が四男実一らと家庭用ミシンを国産化し、今の社名につながった。 岩尾さんは会社に戻り、戦火を免れた資料を引っ張り出した。昭和前半の株主名簿で正義の住所を再確認。終戦から約四十年後に実一が記憶をたどって描いた創業地周辺の地図など複数の資料と突き合わせた。こうして古い地図上で創業地を特定し、現在の地図と照合して割り出した。 創業地は熱田神宮近くの兼吉の自宅だったが、周辺は軍事関係の工場が林立していき、終戦前の空襲で一帯は焼け野原になった。戦後しばらくは衣料品不足を補うため、会社はミシンを大量生産しフル稼働に追われた。年月の流れとともに関係者の記憶も薄れ、創業地の正確な位置が分からなくなっていた。 その場所は今、車がひっきりなしに行き交う国道1号の伝馬町交差点になっている。道路脇には創業以来の社有地があり、偶然にもドライバーに「brother」のロゴで会社をPRする大看板を長年立ててきた場所でもあった。交差点を訪れた岩尾さんは「創業地は会社のよりどころ。正確に分かっていることに意味がある」と感慨を込める。 (酒井博章) 今、あなたにオススメ
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