テストステ論

高テス協会会長が, テストステロンに関する情報をお届けします.

FPSはeスポーツになるべきではない

日本でeスポーツプロゲーマーのライセンスが発行されることになった. しかしeスポーツにはFPSは一切含まれなかった. 私は, これは当然だと思っている.

理由は, コミュニティが腐っているからだ. おれはこんな文化を内包するコミュニティが外に出るべきではないと思うし, eスポーツにFPSが含まれないのは適切な判断だと思っている. もちろん今後も含まれるべきではない.

国レベルでFPSをeスポーツと認めてしまうということは, 以下のような体質を一般層にまで少なからず広めてしまうことだと認識されたい.

他人を障害児呼ばわりして侮辱する

私がゴッドエイムあきらとして活動していく中で, 何度も「ガイジ」という言葉で侮辱されてきた. このガイジというのは障害児という意味である. FPSコミュニティには, 他人をバカにする時にその人を障害持ちとして扱う体質がある. 実際に「障害」という言葉を使って侮辱されたこともあった.

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こんなことが許されるだろうか?本当に障害を持っている中の人には悩み苦しんでいる人も多いという理解である. 私には, まともな人間は, そういう人たちのことを考えた時に, 他人を侮辱する言葉として「ガイジ」という言葉は使えないものと考える.

初心者を歓迎せず冷笑する

私がFPSをやっている理由は自分に多少なりとも才能があると考えているからである. 私は人生の中で麻布中学という難関私立中学にも合格したし, 京都大学にも合格した. 勉強の才能が少しはあったからと考えられる. またスポーツではベンチプレスで130kgを挙げたこともある. これも骨格や筋組成など多少の才能に恵まれたからだと考えられる. プログラミングでも電気学科出身なのでほぼ独学で勉強し, その結果有名なソフトウェアを開発し, OSS奨励賞という賞をもらったこともある. プログラミングに対しても多少の才能があったからだと考えられる.

私は常に, 自分に才能がないと思うものを見極め, 才能があるものに全投資してきた. その結果いくらか成し遂げることが出来てるわけである. 私の中では, FPSに関しては, 特にエイム(狙ったところに標的を合わせる操作のこと)に関しては, それらに比しても劣らないだけの才能があるという確信があり, プライベートのすべてをFPSに注いでいる. このように, 自分が才能があると思うことに打ち込めるのは幸せなことだとは思っているが, 決してまぐれではなく, 信念を持って決断してきた. 特に, 京都大学の電気学科において自分にプログラミングの思考が馴染むことを見つけ, 一気に舵を切ったことは今でも思い切った決断だったと思っている.

しかしFPSコミュニティにとっては私のように自分の才能を信じて頑張ってる人間が滑稽に見えるらしく, 上に挙げたガイジの他, 「イキっている」(おおよそ調子に乗ってるという意味)など心ない言葉がTwitterのみならず私のYoutubeチャンネルを通じても散々心なくぶつけられてきた. 以下に例を示す.

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そもそも, 「みんなお前のこと嫌ってるよ」「みんなお前のことバカにしてるよ」というのは誰かを仲間外れにするいじめにおける常套文句であり, その体質自体にも言及したいが, FPSをeスポーツとして認めるに当たってより重要なことは, 「頑張ってる入門者を歓迎出来ない」という体質の方である.

Smurfingというが, 初心者狩りというものも頻繁に行われる. 上級者がわざわざアカウントを2つ買うなどして初心者と同じ試合に入り, 初心者を一方的に痛めつけて楽しむという行為のことである.

この体質が根付くコミュニティは裾野を広くしていくことが出来ない. 逆に, 一生懸命頑張ろうとしているのになぜかバカにされるなどという体験は, 特に青少年の心には深い傷となって残ってしまうのではないかと危惧もする. みんながみんな私のように, 精神の図太い人間ばかりではないはずである.

以上より繰り返しになるが, FPSがeスポーツに含まれないことは正しいことであり, コミュニティの体質が短期的に浄化されることはあり得ないので, 今後も正しくあり続ける.