はじめに

私がはじめて作ったプラモデル戦車は、日本ホビーKK製・1/36スケールのJS3スターリン戦車でした。日本ホビーKKは昭和35年ごろその他多くのプラモデルメーカと共に登場し、短期間にプラモデルの歴史に残る製品を送り出しましたが、昭和40年代前半に、転業してしまったため、今では知っている人も数少なくなりつつあります。しかし、日本のプラモデルを語るとき、けして日本ホビーKKを忘れることは出来ません。ここでは、なぜ私がそこまで日本ホビーKKにこだわるのかを、私のコレクションやいろいろなエピソードを交えてご紹介したいと思います。私と同世代の方々は、きっと幼い頃を懐かしく思い出していただけるでしょうし、若い世代の方々にも、過去にこのようなメーカーがあったのかと、感心していただけるものと信じます。

 


 
1.会社の所在地 

2.プラモデルメーカーの立地条件

3.ロゴマーク
4.新ロゴマーク 
5.ボックスアート
6.製品戦略(1)実物に忠実であること
(2)他社との差別化
7.模倣からの脱皮

7.模倣からの脱皮

 

日本模型工業会の歴史を振り返る本によると

『最初に英国で作られ、昭和20年代のアメリカで育ち、発展してきたプラスチックモデルが、訪米した人たちの見聞や持ち帰りサンプルなどで徐々に日本でも見られるようになったのは、昭和30年前後である。プラスチック製ソリッドモデルとして紹介されていた。 日本におけるプラスチックモデルの元祖を自負し国産品を最初に市場に出し、昭和34年3月には「プラモデル」という名称を商標登録したのは、石田実氏(株式会社マルサン商店、社長(故人です))だった。

昭和35年になると、多くのメーカーがプラスチックモデルの分野に参入してきた。

日模、マルサン、三和、山田、ブルーバード、相原、寺島、にしきや、YMC、緑商会、今井科学、大滝、ユニオン、NBK(ブンカ)、渥美、三共製作所 (う~ん、知らないメーカーがたくさんありますね

さらに、昭和36年の12月時点では、

とみやま、エルエス、オリエンタル、田宮、静教、青島、日本ホビー、フジミ、長谷川、大模などが加わる。

(こうやって並べられると、最初のグループでプラスチックモデル販売を継続しているのは、日模だけですね。ユニオンは今でもラジコンモータープレーンをやっているあのユニオンと同じなんだろうか?)』

日本ホビー工業株式会社は、上の情報によれば、昭和36年12月ごろにはすでに市場に登場していたことがわかります。そのころ見本市(今の模型ホビーショー)では、すでに戦車模型を展示していた様です。ところで、平成14年暮れにある方から貴重な情報をいただきました。私にとってこの情報は、たいへんな驚きでした。それは、このホームページに載っている戦車模型の一つに関連する情報です。一つは私の知らなかった「1/20スケール日本ホビーKKの別バージョンM41」です。さらに、「ATCのM41」です。

(1)マンモス戦車シリーズ以前のM41

(2)初期の日本ホビーKKのM41

 

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