昨日の続きです。

「不二阿祖山太神宮」に行く前に、「月刊ムー」などの記事を色々と調べていましたら、やはりこの神社を今年中にもっと大きく広めていかなければという思いがフツフツと湧いて来たのです。

それを私の使命としても感じる所があり、この神宮は、私が生まれ育った富士宮の「富士山本宮浅間大社」とも関わりがあり、また、私の前世の夫・源頼朝とも深く関係していたというのも理由の一つでした。

昨日もお伝えしたように、「不二阿祖山太神宮」でばったり飛鳥昭雄さんたちにお会いしたのは「富士王朝」の存在を、「ムー」の力をお借りして一刻も早く記事にまとめなさいという上からのメッセージとも取れたのでした。

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「不二阿祖山太神宮」についてまとめるのは、そう簡単には出来そうもない為、まずはこの神宮の再建にご尽力されている渡邉氏のお言葉からご紹介させて頂こうと思います。

ロマンあふれる超古代の富士王朝

不二阿祖山太神宮は、日本誕生までさかのぼるほどのたいへん深い歴史を持つ神社です。

日本誕生のその中心にあったとされる重要な地、不二阿祖山太神宮ですが、長い歴史の中で消滅寸前にあったのです。

その神宮が渡邉聖主(せいす)宮司らの長年の努力によってついに再建されました。

歴史の闇に消えていた太神宮の復活

渡邉聖主氏のお話よりまとめます。

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私は20歳のころから、何者かに意味不明の言葉を言わされていました。調べてみると、それは古代の言語で、ちゃんと存在する言葉だったのです。

そのような経験から、自然に古代文明に意識が向くようになりました。

それで「宮下文書」に出合ったのです。

宮下文書によれば、現在の富士吉田市大明見村(おおあすみむら)に、富士王朝(神武天皇以前に存在していたとされる王朝)が存在し、不二阿祖山太神宮は王朝の中心だったのです。

王朝は不二阿祖山太神宮に始まり、天神、地神に分かれ、地神の第一代が天照大御神(あまてらすおおみかみ)であり、富士聖域の守護神霊が不二阿祖山太神宮に鎮まったというわけです。

代々の天皇の即位式は、この神社で行われたと書いてあります。

文献によれば、不二阿祖山太神宮は三度再建されています。

一度目は平安時代に富士山の噴火によって焼失しています。

これを再建したのが鎌倉幕府の源頼朝公

二度目が昭和初期に当時の総理大臣齋藤實氏と東京都知事がテコ入れし、その後、ある宗教団体と富士浅間神社の宮司さんが再建を試みて、どちらもうまくいかずに20年近く放置されていたのです。

それを私が少しずつ整理し、建物も寄贈していただき、7年かけて各方面の方々に同意書をいただきました。

長年放置されていたものですから、ここできっちりと整理しておかないと、後でもめ事など起こしたら神様が喜びませんからね。

宮内省にも「古文書に残されている古い歴史ある神社を再建させていただきます」とお断りを入れました。

そして、平成18年から再建が始まりました

平成19年5月5日、御本殿だけの御建立祭を挙げました。

そのときに拝殿まで造ったのですが、焼失してしまいました。

原因はわからないままです。

人気(ひとけ)のない真夜中から朝方にかけてのことで、誰にも気づかれずに突然燃えて消えていたのです。きれいになくなっていました。

拝殿の西側が東北本宮浅間神社の山宮になっています。

富士宮市にある富士山本宮浅間大社の山宮も何度再建しても焼失するのです。

それで、建てなければ焼失することもないだろうということで、ただ柵で囲っただけの青空祭事殿にしました。

古代からの日本の歴史や富士山の信仰などを調べたのですが、やっぱり山岳信仰に辿りつくのです。

山は神であり、人は神と自然と共に生きていかなければならない。それが日本人の伝統です。

ところが、日本は戦後、「神と自然と共生する」ことを忘れてしまった。

日本人の生き方の中に神道精神が消えてしまったのです。

若い人が神社仏閣の区別もつかなくなってしまった。今や全国の神社仏閣が低迷しています。

私は、日本人が本当に大切にしなければならない生き方を復活させたいのです。

自然保護と自然と共に生きる精神を養う。

このことによって自然界が守られていく。

日本の未来の子どもたちだけでなく、世界の人々にきれいな大自然を残していける。

そしてその子どもたちが永遠にその自然を守っていく。

しかも原始神道であれば宗教的なものはなにもなく、山が神であり、富士山がご神体であり、その上におわします神のご意思が伝わって、それを素直に受け取れるような子どもたちが育ってくれればいいのです。

これがまさに、神道精神そのものなのです。

人が命を大切にし、神と自然と共生した生き方をすることは、人と神様との太古からの約束なのです。

<抜粋終わり>

文中に出てくる「富士山本宮浅間大社」の元宮である「山宮浅間神社」は、何度本殿を建てても消失してしまうため、富士山自身を御神体としています。

山宮浅間神社に行った時の記事

不思議な事に、それと同じことがこちらでも起こっていたのですね。

なので、祭事殿は建物がないのです。

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そして、ここ不二阿祖山太神宮は、まだ建設途中なのです。

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完成予想図

昨年は、階段の上に「三柱鳥居」が建てられました。

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「三柱鳥居」と言えば秦氏ですが、富士王朝には中国から渡来した徐福が関わっていたと「宮下文書」にあるからです。

「三柱鳥居」は、男性は左側から、女性は右側からくぐります。

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ちょうど中央に立つと、エネルギーが通っているのが感じられるそうです。

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我ら3人、自慢じゃないですが、な~んも。。でした(汗)

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さて、ご神殿の前では札にある通り、「二拝三拍手一拝」し、お祈りした後に「一拝四拍手一拝」するようですが、私たちみんな文字が見えていなくて、普段のやり方をしてしまいました(汗)

階段の両脇には、火と水の「スワスティカ」があり、神の力の回転を表しています。

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このシンボルは、人類の開びゃくにまでさかのぼる極めて古いもので、マンモスの牙に彫られている物も出土しています。

サンスクリット語で「スワスティカ」は、「幸あれ」という意味だそうです。

神殿向かって左手には、行場があり、ここは神宮神仙道の奥の院・金峰山の神霊界と繋がっているんだそうです。

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さらに左手に回り込むと、この地に元々あった「小室浅間神社」の「地神」と刻まれた石があります。

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これより先は、ロープが張ってあり行けないのですが、近づき過ぎるとセキュリティセンサーがあるので気をつけてくださいね。

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よく見ると、神殿の左右に5つの石があります。

これは、火と水の対になった五色石で、それぞれ五色人を表しているのだそうです。

そして、西の隣接地には、「小室浅間神社」の山宮がぽつんとありました。

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ここには、鎌倉時代のはじめ頃まで、「小室先元神社(阿祖山大神社)」が鎮座していたそうです。

これらの事を、氏子のお姉さまたちが親切に説明して下さいます。

写真も撮って下さいました。

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そして、彼女らの説明がなければ気づかなかったのですが、こちらの手水舎の龍は、五本指なんだそうです。

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龍の5本の爪は、最高の力を表しているそうです。

この地の地下50mから湧き出る聖なる水「真名井の御神水」は、国常立大御神様がご降臨され、人類繁栄の為に遣わされた水神さまのパワーが入っている有難いご神水だそうです。

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ここの看板にもありますように、神社再建のため「瓦一枚の寄付」にご協力下さると、真名井の御神水のペットボトルを1本頂けます。(一口500円です)

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蓮の花が描かれたスリムでオシャレなペットボトルですが、不眠症の方は枕のそばに置くとよく眠れるそうです。

また、「水神様写真集」という薄い冊子も一部500円で購入出来ます。

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こちらもご寄付だと思ってご協力させて頂きました。

太古の昔に、富士王朝という都のあった場所に思いを馳せ、神聖な面持ちになりました。

やっと訪れる事が出来、感無量でした。

そして、ここにもっともっと大勢の方に来て頂き、復興を遂げなければと痛感しました。

ここに至る道は細く、車で譲り合いながら進みます。

まだまだマイナーな場所なのです。

どうして、早く復興させなければと思うのかは、次回以降にまとめさせて頂きますね。

「富士王朝」って意外と知られていませんが、すごい場所だったんですよ。

続きます。。

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