フェミニズムを笑う 前編

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 戦後、日本が米国の属国となる過程でフェミニズム、女性解放運動(ウーマンリブ)が輸入された。フェミニズムの建前は「男女平等」、もしくは「女性の権利を守る」である。フェミニズム、もしくは西洋の価値観(キリスト教道徳)の輸入と関係がある戦後の社会現象としては、婚前性交渉の忌避(バブル以前にはそんな時代があったのです)、売春の禁止、性のタブー化、同世代間恋愛の一般化(戦前は男が年上が一般的)、お見合いの現象(恋愛結婚が一般化した)、バブル以降はセクハラ禁止、ストーカー禁止、青少年健全育成条例(実質的な18歳未満女性と18歳以上男性の性交の禁止。19歳男と17歳女が性交したとして19歳男が逮捕された事件があるが、それを知ったオーストラリア人が「クレイジーだよ」と言ってました。)等がある。

 私は政治的・経済的・社会的な「男女平等」には大賛成である。事実、日本社会は経済的な「男尊女卑」であり、これは性急に是正すべき問題である。だが、現実にはフェミニズム運動は社会的な「男女間性差の消滅」もしくは社会的な「女尊男卑」を引き起こしている。

 これは現実を見れば明らかである。若い男は草食化し、ニューハーフやホモが増え、女は子供を産まなくなっている。

 タイや台湾のように女性優位の母系社会では女らしいホモやニューハーフが多い。この2国では女性の社会的地位が高く、男性が女性を射止めるには厳しい条件(特に収入)があるからだ。日本でもセクハラだのストーカーだので女性を口説くのが難しくなっている状況が、草食男子化や女らしいホモ・ニューハーフの急増に現れている。ちなみに、極端な男性優位社会の好例が中東社会で、レイプされたら女が有罪(男をその気にさせたのが悪いという理由!!)という国もあるほどである。中東の男性は男らしい人が多い。ただし、イスラム教の戒律で婚前性交渉が禁止されているので、男らしいホモ(両刀遣い)が盛んである。

 日本のフェミニスト達は日本が社会的な男性優位社会であると言うが、日本の男たちが女らしくなっている(男の化粧品!すらある)現実は、日本が社会的な女性優位社会に転化してしまったことを良く示しているのである。そして、女性優位社会では男性が不幸になり、男性優位社会では女性が不幸になってしまうのである。だから、私は社会的な「男女平等」を支持しているのである。

欧米社会でもフェミニズムのせいで多かれ少なかれ男性の女性化が見られる。非欧米系のフェミニズム研究者(例えば東京大学のエジプト人女性の大学院生)には現在のフェミニズムが行き過ぎであること、女性が家庭の中で子育て(教育)することの重要性を過小評価していること、女性が仕事をしないことを否定的に見ることへの疑問等が台頭している。

男性とは本来、能動的でアグレッシブな存在である。自然界においては多くの場合、オスがメスに求愛し、メスはオスを選択する立場になる。逆に女性とは本来、受動的でディフェンシブ(守り育てる)存在なのだ。そして両性のバランスで人間社会はうまく機能してきたのだ。だが、フェミニズムは男性を否定することで社会のバランスを崩している。

セクハラとは本来、社会的立場を利用して異性に性的アプローチをすることを非難する言葉であった。しかし、いつの間にか女性が気に入らない男性からのアプローチを一緒くたに「セクハラ」と糾弾し、それを蔑視する文化が生まれてしまった。これは性的な潔癖症であり、女性のわがままである。

男性の性的な本質そのものを否定するかのような風潮に男性諸氏は萎縮、女性にアプローチすることそのものを避け始める。これが若者の草食男子化の端緒である。男性は生来デリケートな存在なのだ。

また、「児童ポルノ禁止」等、性的な文化をどんどん禁止していく風潮が、より性のタブー化を進めている。ちなみに、児童ポルノを禁止すれば児童ポルノそのもの及び児童への性的犯罪が減るわけではない。成人男性が女性の児童を志向するのは、上記のような男性の成人女性への性的な衝動の抑制や、教育課程における男性の未成年時の恋愛やセックスの抑制、より全般的な社会的ストレス等の存在により欲望が歪んでしまっているためであり、むしろ児童ポルノはその歪んだ欲望の抑制に役立っていると見るべきである。悪いのはロリコン男性ではなく社会構造の歪みである。また、禁止しても地下化するだけで実効性は無いだろう。

人間の心身の健康にとって異性との性的な交流は不可欠であるのに、性のタブー化が進むことは数々の矛盾を生み出している。

人間の欲望は基本的にそうすることが合理的だから欲するのである。その自然な精神現象を「男の身勝手」「汚らわしい」と批判するフェミニストは人間として歪んでいる。性は汚いことではなく自然なことなのだ。飯を食うことと同じレベルの問題だ。日本の古代社会では性は神聖なものであり、近世社会では性は喜びであった。

フェミニストは女性の不幸を何でもかんでも男性のせいにする傾向がある。例え表面的にそうだとしても、男性がそうなっているのは歪んだ社会構造のせいだ。単純に女性の権利を拡大すれば良いというものでは全く無い。これは刑事事件において、厳罰化すれば刑事事件が減るという幼稚な論法と同根のものだ。刑事事件の犯人も生まれたときには無垢だったのだ。その人間を取り巻く環境がその人間を変えてしまうのであり、そのような歪んだ環境をなるべく生まないような社会構造に作り変えねば犯罪は減らないのだ。総論的に言えば貧困を解決しなくてはならないのだ。

私はフェミニストの精神構造が形成される過程の本質を以下のように考える。

経済的な男女間不平等→女一人で生きていくことが難しい→男に頼らざるを得ない→晩婚化や未婚率の増加、少恋化社会を背景に、容姿や性格、はたまた偶然に売れ残る女性がいる→男に対して憎悪を抱く→社会的に男を虐げて喜ぶ、もしくは結婚しない無理な生き方を賛美する

というものだ。熱心なフェミニストほどこの傾向が強い。ある意味では、彼女たちも歪んだ社会構造の犠牲者なのだ。

 経済的な不平等に対して戦うなら応援したくなるが、現実には男を虐げる制度を作って悦に入っているのだから始末に負えない。

 もう少し気軽なフェミニズムシンパの中には、何でもかんでも自分の思い通りにしたい馬鹿な女性が、うまく行かないことを何でも男のせいにしているというケースも多いだろう。うまく行かないのは男性のせいではない。男も女も日本社会の構成員がみんな愚民だからうまく行かないだけのことだ。

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