エジプト、ルクソールのドゥラ・アブル・ナガ墓群から見つかった二つの墓が発掘され、エジプト当局がこのほど発表した。これらの墓は第18王朝時代(紀元前1550〜紀元前1292年)に、二人の役人のために作られたものだ。彼らは当時、首都テーベだったこの地(現在は世界遺産)で働いていた人物とみられる。(参考記事:「古代エジプト「金細工職人の墓」を発掘、家族か」)
これら二つの墓については、1990年代にドイツ人エジプト学者フリーデリーケ・カンプ・ザイフリート氏が調査を行い、それぞれ「カンプ161」、「カンプ150」という呼称を付けていた。当時の調査では「カンプ161」の方は一度も開かれることがなく、もう一方の「カンプ150」は入り口までしか発掘が行われなかった。ふたつの墓は最近になって再度発見され、エジプト人考古学者らによって発掘が進められていた。
墓に収められていた役人の名を記した碑文は見つかっておらず、彼らの正体はわかっていない。2017年4月には、同じ墓地群から第18王朝時代のウセルハト(Userhat)という名の裁判官の墓が発見されている。(参考記事:「【動画】古代エジプトのミイラと小像1000点を発掘」)
カンプ161は、一帯にある墓や建築との比較により、今から約3400年前のアメンホテプ2世あるいはトトメス4世の時代のものと推測される。墓の西側の壁には、宴とみられる行事の様子が詳細に描かれ、そこには墓の主とその妻に供物を捧げる人物の姿も見える。墓の内部からは、木でできた埋葬用の仮面、家具の残骸、装飾の施された棺が見つかっている。(参考記事:「5000年前の古代エジプトのペット事情が明らかに」)
カンプ150の方は、墓の内部に記されたカルトゥーシュ(王の名を彫った文字を囲む楕円形の輪郭)から、カンプ161よりもおよそ100年前のトトメス1世時代のものである可能性が高いとみられる。名を刻んだ碑文は見つかっていないが、墓の中庭からは書記官マアティ(Maati)とその妻モヒ(Mohi)の名が記された葬送用の遺物が数多く見つかっており、これが墓の主の身元解明のヒントとなるかもしれない。墓の中からはその他、鮮やかに彩色された木像、埋葬用の仮面、麻布にくるまれたミイラも発見された。(参考記事:「エジプトの猫ミイラ、新X線技術で撮影に成功」、「もはや芸術、ツタンカーメンの曾祖父母のミイラ」)
「ふたつの墓の中に人が入ったのは、今回が初めてです」。記者会見に集まった大勢の記者に向かって、エジプトのハレド・エル=イナニ考古相はそう語った。
エジプトの古代遺跡は、長年の間、外国人考古学者による発掘が行われてきたが、今回はエジプト人学者が墓の再発見と発掘を行った。これについて、ある考古省高官は、同国の科学界における専門的な知識と技術の向上によるものだと述べている。(参考記事:「ツタンカーメンの隠し部屋、日本の技術者が活躍」)
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