--大学では経営を学ばれていたそうですね。その当時は、家業を継ぐお考えだったのでしょうか?
「(継ぐ気は)ありませんでした。当時は職人が住み込みで働いていたような時代で、仕事はとにかくキツそう。だからスーツを着たサラリーマンになりたかった。しかも、とにかく親父が昔気質の職人で、一緒に暮らしていてもまともに話したこともありませんでしたから。でも、親父は私を職人にするつもりで、『大学なんて行かなくていい』と言ってました。ただ、大学の推薦が決まったときに、祖母が『行かせないのは親が悪い』と味方になってくれたんです。そしたら親父は『その代わり卒業したら家を継げ』と(笑)。とりあえず大学に行って、卒業したらどっかに逃げちゃえばいいかと、その時は思っていましたね」(篠崎英明さん、以下同)
--でも、卒業後、すぐに工房に入られていますよね。4年間で気持ちが変わったのでしょうか?
「いいえ。納得したわけではなく、説得されてイヤイヤ入ったんです。だから、友達がスーツ着て会社で働いているのが、それはもうカッコよく見えたんですよね。ボーナスが出たとか、車を買ったとか聞くと、うらやましくてね。20代の頃は、どうにかして逃げ出そうと、そればかり考えていました。観念したのは、30歳になる前に結婚して、子供が生まれたあたりから。逃げるのは諦めました(笑)。ところが、そう腹をくくってからが大変だったんです」
--何があったのでしょう?
「バブルがはじけて仕事がぱったりこなくなったんです。3分の1くらいに減ってしまって。当時、商品をおさめていた企業から、『不足分は自分たちでなんとかしてほしい』なんて言われてしまってね。バブルの頃は、江戸切子が売れに売れて、企業パーティーのお土産の注文がひっきりなしでしたから落差が激しかった。その頃は親父が社長でしたので、私はあまりよく分かっていませんでしたが、相当大変だったみたいです」