海外からのトンデモ荷物
11月のブラックフライデーセールで、ドイツAmazonに注文しておいた商品が届きました。
受け取ってびっくり。段ボール箱の一辺がパックリ破れて、中身が丸見え状態です。
ちょっと傾けると、中身が飛び出してきます。
すぐに内容を確認。案の定、中身は固定もされず梱包材も入っていない状態です。でも幸いなことに、注文したものは全部入っていてダメージもなさそうです。
こんなんでよく届いたな、と思います。
これが日本だと、段ボールが破れているなんてありえないし、仮に破れていたとしても、中で動くものはビニールなどで固定されていて箱から飛び出ないようになっています。
海外通販を利用すると、梱包品質の違いに驚きます。何千キロを旅する海外便こそ、梱包をしっかりしてほしいのにと思いますが、文化の違いですね。
佐川のお兄さんの気遣い
さて、今回届いた荷物。配送会社は海外通販でよく使われるUPS系列のi−percelという会社。日本に着くと国内の運送会社に引き渡されるわけですが、佐川急便と提携しているようで、家には佐川急便のお兄さんが配達に来ました。
「お荷物をこんな状態でお届けして、申し訳ありませんです。」
配達員のお兄さんからお詫びをされ、深々と頭を下げられました。
海外からの段ボールの破損、佐川のお兄さんがやっていないことは百も承知です。恐縮してしまいました。
お兄さん個人の性格なのか、社員教育が行き届いた結果なのか、顧客の不幸に対し、言葉がすぐにでてくるのは素晴らしいなと感じました。
非がないんだから、本来は謝る必要なんてない。
でも、逆に
「いや〜、段ボールが破れちゃってますね。ご愁傷様です。でも僕じゃないですよ。引き受けた時には破れてましたから。」
「荷物に何かあったら、送り主に言ってくださいね。私たちはちゃんと運びましたんで。」
なんて言われたらどうでしょう。
事実としてはこっちの方が正しい。でも、なんだか責任逃れをしているようでいい気持ちはしないんですよね。こう感じるところは、日本人気質が染み付いてしまっているのかもしれませんが。
日本の「和をもって尊し」とする文化
日本人はすぐに謝罪をする国民だと言われ、安易な謝罪をしない外国人とのコミュニケーションギャップがよく取り上げられます。
特に欧米では謝るイコール責任を認めること。訴訟や賠償へつながっていくので、安易な謝罪はしないのが鉄則。
対して日本では、謝罪と責任は別問題。とりあええず謝罪して、不幸を共有したうえで、その後の解決策を話すという、コミュニケーションの潤滑油として謝罪が位置付けられています。
不幸なことが起きている相手に寄り添って「和」を大切にする、円滑なコミュニケーション手段ですね。
「すみません」という言葉が、呼びかけや感謝など、色々な用途に使われているのことにも表れているかもしれません。
まぁ、これがエスカレートして「謝罪はないのか、謝罪!」と謝罪の要求や、「このたびの騒ぎで、みなさまにご迷惑をおかけしてすみませんでした。」と、勝手に騒いだ相手に謝る謝罪会見はどうなのかな、とは思いますが…。
日本の気遣いを大事にしたい
配送してくれた配達員さんには、「ご苦労様です」が、かかせません。
先日からのAmazonのサイバーマンデーで忙しい中、荷物も配達してくれた、ヤマトの配達員さんには「こんなときに注文してすみません」と、申し訳なくなく思うところも。
「配達で『ありがとう』レストランで『ごちそうさま』を言うのはおかしい。ちゃんと対価を払ってその責務を果たしただけ。」という話をいう人もいますが、私はそうは思いません。
契約や対価などの利害関係があるかないかにかかわらず、感謝の意を示すのが、日本人のコミュニケーションだと思うんですよね。古い考え方かもしれませんが・・・。
インターネットの普及をはじめ、輸送や通信の手段が発達し、人とのつながりの数は昔に比べて飛躍的に多くなりました。その一方で、ひとつひとつのつながりは希薄になっています。
相手に対する気遣いは、相手との関係が弱くなると、どうしても弱くなってしまいますね。
ある時代の流れで意味仕方ないかもしれません。でも、日本の文化が損なわれていくのは、もったいないなと思います。
世の中の流れには逆らえませんが、少なくとも自分の子供には、利害なしに相手を気遣える言葉が出るよう育ってほしいなと思っています。