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「日本型クリスマスの歴史」(視点・論点)

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コラムニスト 堀井 憲一郎

12月も半ばになり、クリスマスが近づいて来ました。
日本人にとってクリスマスは年中行事のひとつとなっています。
もともとキリスト教の行事であったクリスマスが、いつから信者でない日本人に祝われるようになったのでしょうか。
今日は、その歴史を簡単にたどってみたいとおもいます。

16世紀に日本に伝来したキリスト教は、徳川幕府により厳しく禁止され、そのあいだ日本にクリスマスというものはありませんでした。
明治になって、開国したあともキリスト教は禁止されていたので、一般庶民がクリスマスを祝うという習慣はありませんでした。その頃は一部の日本人信者が集まってクリスマスを祝っていたようですが、だいたいインテリ層が西洋のイベントを体験してみる、というレベルのものでした。

明治半ばころから、少しずつクリスマスのお祝いが始まりました。
新聞記事を追って、クリスマスの様子を紹介したいとおもいます。

明治の半ばころ、横浜や築地の外国人居留地でのクリスマス風景が新聞で紹介されています。年末の風景のひとつとして、外国人たちの珍しいお祭りとして報道されていました。

20世紀に入り、日露戦争に勝ったころから、変わってきます。
信者でない日本人たちがクリスマスを祝い始めるのです。

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新聞の広告ですと1906年、明治39年から、サンタクロースが登場してきます。どうやら、このころから、ふつうの家庭でもクリスマスにプレゼントを贈るのが一般的になってきたようです。

新聞でも、街のクリスマスのようすをレポートする記事が増えてきます。クリスマスを楽しく過ごそうという流れは、新聞をみるかぎりでは、日露戦争が終わったあとから急に盛んになってきます。

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たとえば、明治43年、1910年には帝国ホテルのクリスマスの模様が紹介されています。演し物は「太神楽」や「カッポレ」、また心中もののお芝居「お半長」などが演じられていました。キリスト降誕とは関係のない出し物ばかりで、すでに「日本化したクリスマス」が明治末年にはしっかり根付いていたことがわかります。

「キリスト教徒でもないのにクリスマスを騒ぐ」という風習は、明治時代の終わり、日本が国際社会の一角を担った頃から定着したようです。

大正時代にはますます盛んになり、子供たちのお楽しみの日として新聞で紹介されています。

昭和に入ると、また少し風景が変わってきました。
クリスマスに大人も騒ぐようになってきたのです。

大正天皇が崩御されたのは、大正15年の12月25日でした。
この時代は、先の陛下が亡くなられた日は「先帝祭」として祭日になりました。つまり昭和2年からは、12月25日は休みの日となったのです。クリスマスイブは休みの前日、クリスマスが休日になりました。

これがおそらく大人もクリスマスに騒ぐきっかけとなったようです。
また、ちょうど社会生活が変わっていった時期でもありました。
昭和初期には、若々しい文化が始まり「モダン」が流行りました。
洋風の生活が喜ばれるようになります。それにつれて、クリスマスも変わっていきました。カフェーやダンスホールで過ごすのが流行となりました。

昭和5年1930年頃から、クリスマスを騒いで過ごす大人たちの姿が大きく報道され始めます。

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昭和6年1931年のクリスマス記事は「クリスマスイブを踊り抜く」という見出しで、帝国ホテルで大勢の人たちが、三角帽子などをかぶり、ダンスをしている写真も載っています。この日ばかりは、はめをはずしていい、という空気が感じられます。ちなみに昭和6年は満州事変がおこった年です。

しかし、昭和12年1937年に日中戦争が勃発し、当時は事変と呼んでいましたが、これによって社会の空気が変わりました。非常時となり、クリスマスに騒ぐことは禁じられます。毎年、派手なクリスマス宴会を催していた帝国ホテルも、それを永久に取りやめる、と宣言しました。

昭和5年ころから始まった「大人も大騒ぎするクリスマス」が続いたのは昭和11年まででした。日中戦争以降は禁止され、これは太平洋戦争が終わるまで続きます。
戦争が終わって、2年ほど経つと、賑やかなクリスマスが復活してきます。

昭和23年1948年のクリスマス前にはすでに、朝日新聞のコラム天声人語に、クリスマスに浮かれ騒ぐ姿を批判した文章が載っています。

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敗戦後のクリスマスは、それまでにない異様な大騒ぎとなります。それがだいたいだいたい昭和32年1957年くらいまで、およそ10年にわたって続きます。

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風俗店やダンスホールで大人たちが騒ぐクリスマスですが、酔っ払った集団が歓楽街で大騒ぎをして、一種の無法地帯が生まれていました。都市空間を祝祭化していたとも言えます。

これは高度成長期に入ると、静まります。

1960年代には、ケーキとプレゼントを買って、郊外のマイホームへと向かうサラリーマンのパパが多くなりました。

1960年代から1970年代にかけて、昭和30年代半ばから、昭和50年代までは、子供のためのお楽しみの日という昔ふうのクリスマスに戻りました。

それが1980年代に入り、再び大人のクリスマスが出現します。
「男と女が一緒に過ごす日」となっていきます。
ちょうど、昭和最後の好景気に突入する時代で、その風潮とあいまって、若者カップルが、分不相応な店で高額な支払いをする、という風景が出現しました。

クリスマスイブはカップルのものだという認識は
1983年昭和58年から始まり、1987年昭和62年には定着しました。ちょうといまから30年前です。

バブル景気が終わってからは、高額な散財はなくなりましたが、クリスマスはカップルで過ごすという不思議な習慣は定着したままです。これもまた、日本独自の風習だといえます。

簡単にその歴史を見てきましたが、クリスマスは、それぞれの時代の気分を反映しています。

なぜ、クリスマスを騒ぐのか、というのは、おそらく日本における海外文化の取り入れかたと関係があるのでしょう。

クリスマスはもともと西洋のお祭りであり、何だか楽しそうなお祭りだ、と日本人は思っていました。西洋の文化を取り入れなければ世界から遅れてしまう、という風潮があり、それに庶民レベルで反応したのが日本型クリスマスだといえるでしょう。

また、日本古来のお祭りではありませんし、宗教的儀式としても捉えていないので、型がありません。とても自由なお祭りです。常に新しい祭りとなる可能性があります。

日本風に祝いだして、すでに100年を超えているのですが、だれもそこに伝統を感じてはいません。それが日本クリスマスの特徴です。

ときに、欧米でのクリスマスの過ごし方や、本来の意味を考えて、日本のクリスマススタイルを批判的に捉える人もいます。

クリスマスの根源を考えるのはいいことだとおもいますが、日本ふうの取り入れ方を否定してもあまり意味がないとおもいます。

冬至の季節の洋風のお楽しみの日として、それぞれ自由に過ごすのが日本のクリスマスです。大きくいえば、西洋近代文明と対峙した日本スタイルが出ていると思います。

これからも、日本人らしい祝い方でクリスマスを過ごすのがいいのではないか、と私は考えています。

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