「調べるおさん」。インターネット界隈に詳しい人は一度はその名を聞いたことがあるのではないでしょうか。「インターネット界隈の事を調べるお」「隠れたキーマンを調べるお」など、IT業界の情報を中心にしたブログや連載が話題を集め、2017年10月には起業家や投資家の「ストーリー」にフォーカスしたメディア、UPSTORYをリリースするなど、活躍の幅を広げています。

そんな「調べるおさん」こと大柴貴紀さんはどんな人なのでしょうか?JEEKがインタビューしてきました。

プロフィール

大柴貴紀(おおしば・たかのり)

East Venturesフェロー。忍者システムズ(現サムライファクトリー)のWebデザイナー、取締役、監査役、SEO事業をメインとする子会社社長などを歴任し、現在は非常勤取締役。また、2012年よりブログ「インターネット界隈の事を調べるお」を運営。2014年からはEast Ventures フェローを務め、BASE、CAMPFIRE、スタートアウツなどを約20社ほどを手伝っている。

母の死、そして父の会社の倒産。紆余曲折があった青春時代

――大柴さんのこれまでについてお聞かせください。ご自身で振り返ってみていかがですか?

中学生の頃は、学年1位を取るような大田区の優等生でした。事情があり、ランクをおとして入学した高校では、「きっと自分がトップだろう」と思っていたのに最初のテストで撃沈して、「大田区ってなんだったんだろう」と思いました(笑)。

高校1年生の1学期って、みんな高校生活に慣れるので精一杯ですよね。僕もそうでした。

でもそんな中で、受験期から体調を崩していた母が亡くなりました。

母の他界を受け、「人間いつ死ぬかわからない」ということをそのとき実感しましたね。

その後は、父と暮らしながら高校に通って、なんとなく一浪してなんとなく大学に入りました。それもつかの間、大学1年の夏に自営業をしていた父親の会社が倒産してしまったんです。

友人はみな就職。人生プランのサイクルから外れ、もがき続けた

ーーそれは大変でしたね。その後も大学は通い続けたのですか?

通い続けようと思ってはいました。学費を払うためにはとにかく稼ぐしかなかったので、春休みの2カ月間でアルバイトをして働きまくって、45万円くらい稼ぎました。

でも、それだけ働いても、前期分の学費にしかなりません。そのときに「頑張って働いたのにもったいない」と思ってしまって。労働の対価に釣り合わないな、と思ったんです。

それで2年生の春に大学を辞めてしまいました。

ーーとはいえ、大学を辞めるというのは、学歴重視の当時は特に思い切った決断だったのではないでしょうか。

そうですね。ただ、特に思い入れのない大学だし辞めてもいいかな、と。

そこまではまだよかったんです。大学をやめた2年生の頃、周りはまだ遊んでいましたから。でもその雰囲気のまま退学後も遊んでいたら、気づいたときにはみんな就職してしまいました。

「あ、やばいな」とは思ったのですが、「大学を出て就職する」という自分の中にあった人生プランのサイクルから一度外れてしまうと、そこからなかなか浮上できないんです。

それでも「何かやらなければまずい」と、カラオケ店でバイトをしていました。バイトをして食いつなぐ、そんな生活を過ごしていた24歳の頃、友達が事務系のバイトを紹介してくれました。

そこがターニングポイントになりましたね。『昼間にデスクワークをする』。そんな多くの人にとっての「普通」を経験できたことで、自分自身を持ち直すことができたのかもしれません。

その後、また友達の紹介をいただいて、ウェブデザイナーとして働くことになりました。

ーーそうだったのですね。もし、今同じように大学をやめて過ごすとしたら、どのようなことをしますか?

結局またダラダラしてしまう可能性は高いですね(笑)。

なってみないとわからないですが、当時はインターネットがまだ一般的ではなかったですし、「起業」とか「ベンチャー」ってかなりレアケースでした。

今はその頃よりかは一般化したと思うので、ひょっとしたらベンチャーの世界に飛び込む可能性もゼロではないかもしれません。

ただ、当時はベンチャーでインターンするなんて発想が無かったので。

IT業界を挫折し、再びアルバイト生活に

――そして、ウェブデザイナーとして働くことになって、いよいよITベンチャーの世界に入っていくのですね。ようやく「調べるおさん」に近づいてきました。コーディングなどはどこかで経験していたのですか?

デザインは全て独学ですね。デザインもコーディングも一冊も本を読まずできるようになりました。

HTMLは紙のノートに手書きで写して、それを再びエディターに打ち直すという謎の行為をして覚えました。コピペってどうやるかわからなかったので。コピペのやり方を知ったのもだいぶ後になります(笑) 

「コピペ、すげー」って思いました。

ウェブデザイナーになってからは、その会社で膨大な量のデザイン、コーディングをこなしていたのですが、しばらくたつと「インターネットというのはビジネスとしては成り立たないのではないか?」と疑問に思うようになり、その会社は辞めてしまったんです。

その後は、引越しのアルバイトをしたりして、またカラオケで働いていた時と同じような生活に逆戻りです。

ーーIT業界を一度諦めたことがあったのですね。

そうなんです。

アルバイトでは沢山稼いでいたわけではないですが、しばらくすると低レベルなところで生活が安定してくるんですよね。決して豊かな訳ではないけど、生きていけるな、みたい感じです。

でもその時点でもう26.7歳だったので、今後の自分の人生を考えなければいけないなと思い始めていました。そんな矢先、友達にまた別の仕事に誘われたんです。

その会社はインターネット関連の会社でした。先ほど、自分はもうインターネット関連の会社では働かないと決めた、と言ったのですが、その会社の人が、話しを聞いてくれない人で(笑)、僕の分のパソコンを既に準備してくれていたのです。

僕にはウェブデザインくらいしかスキルがなかったので、それを仕事にするしかなかったんですよね。「普通」になる方法はこれしかないな、と思いました。

いざ入ってみると、その会社の給料はそれまで稼いでいたお金の約2倍。ようやく生活も安定しました。その後すぐに株式会社にすることになって、取締役になるオファーをもらい、今に至ります。

ーーその会社が、当時忍者システムズだった現・サムライファクトリーですね。それにしても、知人からの紹介・お誘いなど、運も大柴様に味方したのではないかと思うのですが、それを引き寄せた要因は、ご自身では何だと思われますか?

逆にいうと全て運だと思っていて、「自分は運が良いな」と思っています。要因は自分ではよくわかりませんが、悪口などをあまり言わなかったのが良かったのかもしれません…。

「人は変わることができる」 調べるおさんが今の若手を見て思うこと

――その後、10年勤めたサムライファクトリーを退職し、初めて正社員になったのはEastVenturesですよね。EastVenturesに入ってからはどうですか?

参画してから約3年半経ったのですが、当時、21,2歳だった子が25,6歳になって、「人って変わることが出来るのだな」と日々思っています。

それと同時に、この業界では“変化率の高い人”が生き残っていくのだなとも思いました。

 最初は「とにかく、がんばります!」みたいな感じの子だったのに、コアメンバーとして独り立ちしたり。

kurashiruを運営しているdelyの堀江くん(=dely株式会社代表取締役 堀江裕介氏)やアラン・プロダクツの花房くん(=株式会社アラン・プロダクツ代表取締役CEO 花房弘也氏)はそれが顕著に現れた良い例ですね。

――当時よりもスタートアップ業界で「若手を応援しよう」という文化ができていると感じます。

そうですね。それは非常に感じます。

その期待に応えて、なのかはわかりませんが、代表をしている人の成長率は本当に高いです。他の人と比べても、成長の角度が違いますね。

もちろん、単純に「若い」ということもあります。30歳から33歳までの3年間と、20歳から23歳までの3年間は全然違いますから。

なので、僕は若い人を応援したほうが大きな価値が生れると考えています。

木下さん(=SkylandVentures代表 木下慶彦氏)とかは、「25歳以下にしか投資しない」といっていますが、それもあながち間違いではないと思います。

僕の場合は、今の事業を27歳で始めたのですが、それが自分にとっての“伸びる最後のチャンス”だったのかな、と。

――先ほどdelyの堀江さんやアランの花房さんの名が上がりましたが、当時の学生起業家で今成功している方達と同じように、現在の学生起業家も成長していくとお考えですか?

まあ、成長しないと勝つことが出来ないですからね。市場規模などは考慮せず、個人にフォーカスして考えるとしたら、成長できない人が成功することは厳しいと思います。

質で勝負できないのなら、量で勝負するなど自分で考えてやっていかないと。

上手くいっている会社のコアメンバーはずっと働いていますよね。やはり、働くしか方法はないというのが一つの結論です。

当時もみんな、がむしゃらに働いていました。僕も、終電には間に合わないのが当たり前だったので会社の近くに引っ越したり。

「仕事をしに行く」というよりは、「とりあえずその場に行く」という感覚でした。

会社自体が“集う場所”であり、『知的なホットスポット』になっていたのではないでしょうか。

“輝ける場所”は必ずある

――最後に、若者に向けてメッセージをお願いいたします。

 伸びる人に必要な条件として、やはり若さは大事です。ほとんどの人が30歳をすぎると、常識が出来上がってしまってだめになることが多いです。素直だった人も、どうしても素直さがなくなってきます。

その点、若い人は当たって砕けても、また当たりにいきますよね。そこの「失うもののなさ」が重要です。

かといって、素直なだけでもだめで、軸がないと厳しいですね。

でも自分の軸を持っている人の方が少ないのではないかと思います。僕自身、自分が進むべき方向などは特にないです。そういう人がどのように「自分のできること」を増やしていくかというと、「方向を指し示してくれる人についていく」ということです。

言い換えると、「ついていきたいと思う人を正確に選択する」ということですね。

僕自身も、「いいな」と感じられる方向を指し示す人がいたらそこに乗っかってやってきました。そういう人は比較的No.2に向いているのかなと思っていて。No.2は、「賛同できるところ」で初めて力を生かすことが出来ると考えています。

自分がどのようなタイプの人間でも輝ける場所は必ずあるので、若いうちに色々なことにチャレンジして欲しいと思いますね。

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