02 女の子っぽい、男の子
03 孤独――子どもっぽい子どもじゃない
04 レスリング推薦で入った高校
05 女装を始めて、解放されていく心
==================(後編)========================
06 父へのカミングアウト
07 懸案だった母への告白
08 性同一性障害と仕事
09 トランスジェンダーのレスラーとして
10 自分をしっかりともっていれさえいれば
01MTFの女子プロレスラー、朱崇花
「女子」として16歳でプロレスデビュー
2015年8月9日。
後楽園ホールでデビューを飾ったひとりの少女がいる。リングネームは「朱崇花」。
16歳の高校生で、なおかつ “性同一性障害” を公表した初めての女子プロレスラーとして話題となった。
小学3年生の時にメキシコ人ハーフのプロレスラー、浜田文子の姿を見て以来、その戦い方に魅了され、レスリングを始めた。
「すごく細いのに大柄な女性を倒していて。凶器のパイプ椅子で男女関係なくボッコボコにしている姿が、本当にかっこよかったんですよ」
「あー、もう、素敵って心打たれて(笑)」
憧れの浜田が所属するプロレス団体WAVEの門を叩いたのは16歳。
スポーツの名門、仙台育英高校を退学してのことだった。
WAVEには男性レスラーも所属し、ミックスドマッチという男女混合試合にも参加する。
女子レスラーだからといって戦う相手が女子だけとは限らない。
自身は男性の身体で生まれ、心は女性という性同一性障害だが、ホルモン治療や性別適合手術は行っていない。
でも、「女子」としてプロレスラーになること、それだけは譲れなかった。
団体に連絡し、面談を果たす。代表は快く受け入れてくれた。
レスリングで頭角を現した子ども時代
父が日本拳法の指導者であったことから、小学3年生で日本拳法とレスリングを始めた。
日本拳法は防具をつけた日本固有の総合格闘技で、突き、蹴り、投げ、関節技となんでもあり。
かなり実戦的な拳法だ。
姉と妹にはさまれた唯一の男の子だったから、格闘技をやらされるのは必然だったのだろう。
小学6年生の時にはすでに体重85kgとかなり体格がよく、レスリングでは全国3位入賞となるなど、よい成績も残していた。
しかし、実は格闘技はまったく好きではなかった。
「勉強もダメだし、体育も球技とか全然できなくて」
「格闘技しかできないので、嫌だけど、これしか自分の生きる道はないんだろうな、って子どもながらに思ってた」
筋肉ゴリゴリで、髪型はソフトモヒカン。どこからどう見ても、「男の子」だ。
自分の姿に、違和感がないわけではなかったと思う。
「でも “一生、女の子にはなれない” っていうのが根本にあったので、もうそれが “ふつう” に思えていたんだと思います」
レスリングで結果を残すと、家族、特に母がよろこぶ。
それが嬉しかった。
いつも、 “誰かのため” だけにレスリングをやっていたのだ。
02女の子っぽい、男の子
お姫様のかっこうとお化粧
生まれは宮城県の気仙沼市。
幼い頃のことはあまりよく覚えていない。
ただ、母から聞いた話によると、小さな頃からお姫様のかっこうをするのが好きだったようだ。
外遊びはまったくせず、口紅を塗ったり化粧したがるのを見て、内心、母は心配していたという。
小学校に上がると、男女で遊び方が分かれるようになる。
自分は女の子たちとシール交換をするのが楽しかったし、それがふつうだと思っていたのだが、2、3年生にもなると、男子から「気持ち悪い」とからかわれるようになった。
仕方なく、嫌いな外遊びや、苦手なドッヂボールなど、男子の遊びを一緒にやるようになる。
当時はまだひょろひょろに痩せていて、男らしい立ち居ふるまいができない。
やっぱり、どうしても女の子っぽい仕草になってしまうため、よけいにからかわれた。
だからこそ、格闘技を始めた時、母はよろこんだのだと思う。
ドキドキおませな男の子
自分のセクシュアリティに関するできごとで、思い返せるとしたら小学1年生に遡る。
男女が分かれて着替えをするプールや体育の授業。男子と一緒に着替えるのがとにかく嬉しかったのだ。
「見ちゃってましたね。プール入ってても、泳ぐふりしてタッチしたり(笑)」
そういうところで、ませた子だったと思う。
「とんでもないですよね(笑)」
「でも、自分が見られるのは嫌なんですよ。プールも、胸を出すのが嫌だったので、風邪ひいたふりして見学ばっかりしてました」
ただ、小学校の頃はまだ女の子を好きになれるかもしれないとも思っていた。
3年生の頃、席替えで隣の席になった子をちょっと好きになった時期もある。
「でもやっぱり男の子が好きだなって思って」
「5年生の時、初めて好きな男の子ができました」
小学5年生の時に両親が離婚。母と姉妹と4人で仙台に引っ越した。
新しい環境に、新しい出会い。
初恋の相手は、転校先の小学校のクラスメイト。
「クールなイケメンでしたね(笑)」
友だちとして好き、なのとは違う、恋愛の “好き”。
「一緒に帰りたいと伝えたんですけど、断られて。こっそり家までついて行ったりしました(笑)」
自分のことを分かってほしい、認めてほしいとは思わない。
ただ、言わずとも、気づいているなら察してほしい。
「おそらく気づいてるだろうな、と分かった上で、どういう反応をしてくるのかを見るのが楽しかったんです」
「駆け引きみたいなこと、してましたね」
03孤独――子どもっぽい子どもじゃない
どうせ自分は理解してもらえない
小学生の頃から、ずいぶんとませていたと自分でも思う。
ませていた、というのは男女関係に関することだけでなく、あまり子どもらしい子どもではなかった、という意味でもだ。
周囲の気持ちや考えに割と敏感で、気を使うことも多かったと思う。
「どうせ自分のことは理解してもらえないだろうって思っていたから、開き直るというか、どうすれば丸く収まるかということを、常に考えてましたね」
からかわれ続け、学校に行きたくないと思ったことも何度もある。
でもその度に家族が悲しむだろうと考えて、なんとか学校には行っていた。
友だちと呼べる子もいなかった。
最初はからかう子に対して「やめなよ」と言ってくれていた女子たちも、次第にからかわれている子と一緒にいるのが嫌だ、巻き込まれたくないといった感じで離れていった。
周囲からは浮いていたと思う。
「でもひとりで体育座りで、教室のすみっこにいる感じって嫌だったので、なんとなく、周りには『ひとりじゃないよ』風を装っていましたね」
みんなにどう思われているかを意識して、素直になれない。
周囲にアンテナを張りまくる、そんな自分、楽しいわけがなかった。
スポーツの強豪校に入学
小学6年生の時、東日本大震災があった。
ちょうど体育館で卒業式の練習をしていた時だ。
今まで経験したことのない大きな揺れ。
「もう、終わった、って思った。怖かったです」
「でも、あの時は2年生の妹も同じ学校にいたので、妹を守らなきゃっていうことに集中しすぎて、自分のことはどうでもよくなっちゃった感じでした(笑)」
中学1年生の終わりに、母と妹と3人で神奈川県の藤沢に引っ越した。
姉が通う大学が神奈川だったこともあるが、当時、鎌倉を舞台にしたテレビドラマを見ていて、母がこのエリアに憧れたのが大きい。
「母は男勝りな人で、今は現場で肉体労働してます。30代後半で、見ず知らずの土地に子どもたちを連れて行って生活しようっていうんだから、やっぱり強いなって思います」
転校した先の中学では柔道部に入るなど、格闘技は続けていた。
しかし、高校進学を機にひとりで仙台に戻ることになった。
実は、レスリングの全国大会で成績を残していた小学生の頃から、スポーツの名門校、仙台育英高校から声をかけられていたのだ。
そのままレスリング推薦をもらい、仙台育英高校に進学。
寮で暮らすことになった。
04レスリング推薦で入った高校
先輩が全員退学したレスリング部
入ったレスリング部では、なんと先輩がタバコや飲酒で学校を退学に。
1年生でキャプテンを任されることになってしまった。
「競技人口も少なかったので、あまり大会参加のチャンスも多くはなかったんですけど、当時は東北の大会で2位にはなってました」
先輩もいない、監督も責任を取って辞めたレスリング部で、学校の名声を背負い、チームをまとめる責任も背負った。
「もう、いろんなものを背負ってやってました(笑)」
キャプテンに抜擢されたことで、特に家族のよろこびや期待もあり、なおさら、絶対に自分が裏切るわけにはいかないと思った。
「家族がよろこんでくれるからレスリングを続ける。もうそれしかなかったです」
同じ高校1年生の中には、自分がキャプテンとなることに疑問を持つ者もいたと思う。
「でも、やかましいと思ったらレスリングでやっつけてました(笑)」
心に抱えたモヤモヤは、実はレスリングで解消していたのだと思う。
油性マジックとクレヨンで化粧
高校1年で親元を離れ、下宿生活を開始。
寮は一人部屋で、他はサッカー部の男子がほとんどだった。
この頃から、女装をし始める。
「とりあえず化粧をしようと思って、100円ショップに行って油性マジックとクレヨン、それにラメと液状のりを買ってきました」
マジックでアイラインを引き、のりでラメをつける。クレヨンのピンクはチーク、赤は口紅として塗った。
「これを坊主頭の少年がやるんですよ(笑)」
そのメイクをしたまま、かつらを買いに仙台の町へ出た。
かつらを手に入れてからは、帽子をかぶって、女性ものの服を買いに。
「レディースのサイズがなかったので、リサイクルショップに行って、女性に見えそうなメンズものだけどちょっとひらひらした感じの服を買いました」
05女装を始めて、解放されていく心
女の子としての自分を誰かに見てほしい
夜、みんなが寝静まった後に、女装姿で近所を散歩する。
化粧をして、ひらひらした服を着て、スカートをはき、ヒールの靴で歩く。
すごく、楽しかった。
寮で出される食事が合わなかったこともあり、毎晩、コンビニまで夜食を買いに行くのが日課になった。
夜な夜な、近所を徘徊する日々。
「その時、自分のことを世界一かわいいと思ってたんですよ。マジックとのりのメイクだけど(笑)」
「だから見られることに対して、嫌だとかそういう思いはなくて。逆に『見て!』みたいな」
化粧をした姿を、誰かに見てほしい。
そんな思いでいたからだろうか。
初めて女装して歩いていた時、スナックなどが並ぶまちかどで、通りがかった男性から声をかけられた。
「おじさんだったんですけどね。それで、あ、やっぱり私は美しいんだ、みたいな自信になっちゃって(笑)」
暗がりで男性に声をかけられるのは少し怖かったけれど、何かあったらコンビニに逃げ込めるし、万が一からまれてもおそらく勝てるだろうと思った。
一生このままでは嫌だ
ハイヒールの、コツコツいう音が好き。
これは、夜中でないと響かないのだ。
コツコツ。
コツコツ。
夜道はまるで、ランウェイのようだった。
コツコツ。
コツコツ。
憧れたのは、安室奈美恵、JUJU、土屋アンナ、冨永愛などの、「カッコイイ大人の女性」。
しょせん文房具での化粧だ。いま見たらきっとすごいことになっていたと思う。
でもそうやって女装して歩くのは楽しく、気持ちはどんどん高まっていった。
「一生このままでは嫌だな」
そう、思った。
<<<後編 2017/12/15/Fri>>>
INDEX
06 父へのカミングアウト
07 懸案だった母への告白
08 性同一性障害と仕事
09 トランスジェンダーのレスラーとして
10 自分をしっかりともっていれさえいれば