2017年12月13日

失敗を恐れない精神を作るために、ゲームオーバー有りのゲームを遊ぶのは有効なのではないか

こんな記事を読みました。

で、その後もその生き方が変わらず社会人になるとね…

「本当に本当に全く自分では動かないマン」になったりするのよ!!!
正解が分からない限りは僕たちは停止していますマンになるのよ!!!
ケース的にはかなり極端なケースのようにも思いますし、実際こういう子がどれくらいいるのかって話はよく分からないんですが。

基本、仕事にせよ趣味にせよ、「成功体験」から学べるものというのはたかが知れておりまして、「失敗体験から何を学ぶか」というのが極めて重要になってきます。失敗から学べる経験値って本来物凄い多いんですよね。

そういう意味では、ガンガン「失敗」の場数を踏めた方が成長は遥かに速くなりますし、「平然と失敗出来る」という精神性は物凄い強みになります。まとめではプログラミングの話も出ていますが、プログラミングに限らず、スクラップ&ビルドって物事の基本だと思うんですよね。

で、私自身は、基本的に失敗上等失敗ウェルカムというか、まず色々失敗してから物事進めよう、怒るヤツがいても知るかバーカって程度には失敗に馴染んでいるわけで、「平然と失敗出来る」スキルについてはそこそこのものを持っていると自負している訳ではあるのですが。

これがどこで育ったものかということを考えると、いや勿論「成功しか許さない」みたいな教育を受けていなかったということもあるんですが、一つには「ゲームで死にまくった」体験が結構根深いところにあるような気がしてきました。


いや、昔たくさんあったじゃないですか、死にゲー。いわゆる「死んで覚えろ」っていうゲーム。ゲームオーバー上等、みたいなヤツ。

スペランカーを真面目にプレイしていた人たちの中で、主人公の死体を積み上げていないものはいない訳です。コンボイの謎だってそうだし、ロックマンだって魔界村だってストライカーズ1945だってプリンスオブペルシャだってそうなわけです。

ああいうゲームは、何度も何度も何度も死んで、その度にそこから何かを学び取って、死屍累々の主人公の屍の上で達成感を掴みとることがゲームの本義なわけですよね。大体のゲーマーは、そういう意味で「失敗体験を繰り返す経験」ってものにはなじんでいると思うんですよ。

割と真面目に、「失敗体験から何かを学ぶ」体験を積み重ねられる機会って重要だし、失敗がちゃんとデザインされたゲームって、それをノーリスクで体験できる場面としては結構よく出来てるんじゃねーか?と思ったりするわけなんです。

少なくとも私自身についていえば、チャンピオンシップロードランナーで死にまくり、カラテカで死にまくり、ロックマン2で死にまくり、ガンバードで死にまくり、バトルガレッガで死にまくり、あと少しで目標達成出来そうなところで血の涙を流す、という体験をさんっっっざん繰り返してきましたし、それでなにがしかの精神的タフネスを手に入れることはできたんじゃないかなー、と。


で、今のゲームにそういう要素がないかというと、別にそういうことはないんですよね。最近で言うと例えばゼルダだって、あれある意味超死にゲーじゃないですか。何度死んでもすぐ直近に戻れる、っていう意味では、ある意味理想的な部類の失敗体験累積ゲームですよね。うちの長男も、今ちょうどゼルダで英傑たちの詩にハマってるんですけど、順調にリンクの死体を積み上げては「きーーーー!!!」って悔しがってるんで、大変いい経験をさせてあげられていると思うわけです。


「失敗するのは悪いことでもなんでもなく、むしろ有益なサイクルの一部なんだ」


ということを、実質的にはノーダメージで学ぶことが出来る。ゲームってええやん!!って話ですよね。

そういう意味で、みなさんにはガンガン死にゲーを遊ぶことを推奨していきたいと思いますし、ドラゴンズレアとか今からでもいかがですか?タフネスが鍛えられることについては保証します。


ただしロマンシアだけは許さない、絶対にだ。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 17:50 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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