かあさん ちょいちょい がん患者 闘病と家族のイラスト日記

食道がんと咽頭がんと肺がんのお母さんと、家族と育児の闘病生活をイラスト日記にしました

死に逝く父へ 親子の確執を超えられない話をマンガにしてみた

 「30過ぎても親を許せないやつはバカだ」

上記は、北野武さんの言葉だと覚えがあります。

私は現在52歳です。20年前には親を許して、親孝行に励んでいる歳でしょうか?今なら介護に励むというのでしょうか?

とにかく、儒教の教え「孝(親孝行が大事)」を認識して十分の年齢であります。

 

日曜日の出来事

先週土曜日に「最後の言葉」というマンガを記しました。

息子への私の最後の言葉(肉声)についての実話です。

 

その同じ日に「父が重篤」と連絡がありました。

命の継続が、難しいかも知れない。

父は長くアルツハイマーで、一カ月前に脳梗塞を起こしました。

次の日、両親と兄夫婦、私達夫婦の6人が、父へお別れに集まりました。

集合は実に5年ぶりです。

その時の事が 私の頭から離れません。

 

行き場のない気持ちを、私なりに表現してみました。

おっと~に「このマンガをブログに載せても良いだろうか?」と読んでもらいました。私の正直な感情が描かれていると認めてくれました。その後押しもあり、予定にないブログの更新です。

 

詳細はいつもの様に、マンガの後に記します。

5ページあります。

 

決して明るい話ではありません。

未来もありません。

混沌とした感情を描いてあります。

 

 

もし初めて訪問して下さった方がいたらと思って記します。

プロフィールにもありますが、私は4年前に咽頭がんによる「喉頭摘出」にて、失音障がい者(声が出せない)になりました。(つんく♂さんと同じ障がい)

その為、日常の会話は「人工喉頭器」という「文明の利器」を使用しています。

お陰さまで使用のコツをつかみ、日常会話に苦労する事はなくなりました。

 

この人工喉頭器は、音に抑揚が無い「機械音」です。

声の代りですから、携帯用の手のひらサイズにするには、音の限界がある様です。ですから初めて聞いた方やご存じない方は、いったい何の音かと驚かれます。

しかし一度認識して頂けましたら、殆どの方は受け入れて下さり、私の上手な喋り方を褒めて下さいます。私もそれを誇りに思っています。

 

それを踏まえて読んでみてください。

 

死に逝く父へ

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 ※イラストは本人に似ていません。

 

事実について

私の両親への感情は、もう長い長い間に起きた出来事によるものなので、ブログに書き始めたらキリがありません。

 

マンガは、たった30分程度の親子の面会時にあった事実です。

 

このマンガ以外にもあったエピソードですが、お見舞いに行ったおっと~(我が夫)について、母は意識の無い父の耳元で

「〇〇大学のおっと~さんが 来てくれたよ~」と大声で叫びました。

おっと~は確かに、日本中が知っている芸術系の大学を卒業しています。しかし結婚して25年になろうという娘の夫を表現する言葉が上記です。

「娘(私)を献身的に看病して、常に心の支えとなってくれる優しい旦那様」でも、「息子や娘の父親」でもありません。彼らの価値観が伝わります。

 

また母は、死に逝く父の目を、無理やり手でこじ開けました。

みんなが仰天し、兄が苦笑いで母の手を止めました。しかし母は

「看護婦さんなんか痰を取る時に、もっと乱暴に口を開ける」と言いました。

看護婦さんがやっている事と、母がやっている事の、根本が違う。死に逝く父までコントロールしようとしている 母の狂気でしょうか?

母はそれに気が付きません。

 

その直後に「カッ」と目を見開いた父。腰を抜かすほど恐ろしかった。

 

親子の確執 

Twitter島田紳助さんが「行列が出来る法律‥」て話されている画像を見ました。

ここに言及はしませんが、その言葉を借りて、私なりに親子の確執について考えます。

 

きっと私の両親は95%良い人間です。

法律を守り、子どもを育て、自分の親を送り、人に迷惑を掛ける様な事はありません。

小綺麗に社交的で、父は社会的にも認められていたと思います。

 

しかし残りの5%が、私には許せませんでした。

たった5%と人は言います。その位何とかなるだろうと。

いい歳こいて5%にこだわっているの?と言うでしょう。

 

だから私はその5%を一生懸命見ない様にして、立派に大人にさせてもらいました。

5%のうち4・8%は私が悪いと思っていました。

でもおっと~と結婚し、温かいおっと~の実家に恵まれて、どうやら私の問題ではないと気が付き始めました。

 

私は危うく、その5%を受け継ぐところでした。

息子に5%を向けていた時期が、確実にありました。

運が良い事に、息子は立派に「反抗」「抵抗」「拒否」をしてくれました。それで私は随分苦しみましたが、考えてみれば私が5%を使っていたのだと分かりました。

 

癌が見つかり、私の将来と自分の死が身近に感じられて、自分らしく生きる事を考えました。これまでの生き方を反省し、私の家族を愛し、心から謝罪をしました。家族も受け入れてくれていると思います。

 

しかし私の両親は、どうしても5%に気がつかない。気がつかないのか?気がつかない様にしているのか?もう私には判断できない程、年月が長すぎました。

 

今後

昔から言われる「両親の死に目」にあうのは、子どもの義務でしょうか?

以前、母がいない時のお見舞いで、「父が私を見て笑った気がした」事がありました。それでもう十分だと思っています。

 

それから人工喉頭器をもう親の前では使いません。お葬式は、娘にどうしてもの時にだけ、口読で通訳をお願いしました。娘は十分理解してくれました。

 

今でも死に逝く父に、贈る言葉が見つかりません。

 

 

 

長い私の愚痴にお付き合いくださって、心から感謝します。文章を書くことで、少し心がまとまってきたように思います。

私の親への態度に失望されたと思いますが、正直な気持ちです。

もし私にご意見を頂けるなら、喜んで読みますので、どうぞコメントを残してくださいね。気持ちが変わるかも知れません。

親孝行・・・難しいです。

 

では、またマンガを描きますね(@^^)/~~~