goo

その一瞬は永遠に輝く僕らの思い出。――ラブライブ!サンシャイン!! 2期10話 感想

2017-12-12 17:30:00 | ラブライブ!サンシャ...
#10 シャイニーを探して


宇宙で一番最初の星が生まれたのは、130億年以上前だといわれています。あまりにも桁外れで想像もつかないような時間のスケールですよね。


しかし、この130億年余りの時間の中には、宇宙や星が誕生し、地球が生まれ、そして人が生まれてきた歴史がある。どんなものにも必ず「はじまり」はあるのです。


宇宙の歴史を1年に例えると、人の一生も、高校生活の1年という時間も、"0.1秒"にも満たない、それこそ「流れ星」のように、一瞬の出来事でしかないのかもしれません。


当たり前の毎日は、一瞬のうちに現れて、一瞬のうちに消えていく。「はじまり」があれば、そこには必ず「終わり」があって、どんなものにも「ずっと」はないのでしょう。


でも、それは決して悲しいことばかりではないのです。だって、その「輝き」は、きっと一瞬であるということにこそ意味のあるものだから。それが、一瞬のうちに流れていってしまうものだから、僕らはその「輝き」に願いを込める。


宇宙から地球へと降り注ぐその星が、たくさんの人のこころに一瞬の「輝き」を残すように、それぞれが自分たちの「一瞬」をただ一生懸命に生きていければそれでいい。それが「輝く」ことだから。



子供たちが祈ろうとした、どこまでも幼くて純粋な願いごと。時が流れ、それぞれの「未来」へ進もうとしている彼女たちは、再びその星になにを願うのでしょうか。



流れていく時間




"流れ星にお祈りできなかったら きっとダメになっちゃう"


果南とダイヤと一緒に3人で流れ星を探しに行った幼き日のことを思い出していた鞠莉。「ずっと一緒にいられますように」。人がそう願うのは、いつか離ればなれになる日が来ることを知っているからなのかもしれません。


時が経てば色々な事が変わっていく。それは、人も町も例外ではありません。とても自然なことで、だからこそ人は「奇跡」に祈るしかないのでしょう。でも、あの日の彼女たちは「流れ星」を見つけることは出来なかった。「奇跡」はやはり起きないのです。






"こうして時って 進んでいくんだね"


時間の流れとともに、あらゆるものが変わっていく。その事実はAqoursを取り巻く現状が雄弁に物語っていました。


2年前、果南とダイヤと鞠莉の3人でスタートした浦の星女学院スクールアイドル・Aqours。お互いを大切に想うがゆえにすれちがい、一度「終わり」になったそれは、奇しくも果南たちのようにスクールアイドルを志す少女たちの手によって新しい「はじまり」を迎え、やがて9人の少女たちが集うことになります。


そして、いまはどうでしょう。自分たちとは違う在り方を示してきた「Saint Snow」が自分たちのために沼津に来てまで協力してくれる。学校を存続させるためにがむしゃらに頑張ってきた自分たちが、現実をきちんと受け容れて、新しい目標に向かって進んでいる。


はじまったときにはきっと想像もできないくらい色々なことが変わっていました。嬉しかったこと、悲しかったこと、楽しかったこと、自分の中にあるそのすべての思い出が、確かに時間が進んできたことを証明している。



それは当然、「過去」を振り返ったときに限った話じゃないのです。あらゆるものが変わっていく。いえ、変わっていかなければいけない。3年生たちはもう、スクールアイドルでも高校生でもいられない。それぞれが自分たちの目指す「未来」に進んでいく時が間近にまで迫っていました。




大人になること






"もしかして イタリア行くなとか 言い出すんじゃないよね

1年前だったら言ってたかもだけどね"



彼女たちはこの1年でとても「大人」になりました。叶わない願いをただ嘆くばかりではいけないことを知り、新しい「道」にきちんと向き合うことをみんなから教えてもらった。だから、離ればなれになることを受け容れて、それぞれがそれぞれの「道」を進んでいくことを彼女たちは笑顔で語り合える。


鞠莉がイタリアの大学に進学することを決めていたように、ダイヤも東京の大学への進学を、果南はダイビングのインストラクターの資格を取るために海外に行くことを決めていました。


それは、彼女たちが自分の未来のために決めた「道」です。誰かのために送り出すわけでも、なにかを諦めて送り出されるわけでもない。


他でもない自分の意志で歩いていくと決めた「道」だから、彼女たちはたとえ相談をしなくてもそれぞれが決めた「未来」を尊重し合える。相談せずに決めるところは相変わらずと「変わらない」ことを笑いながら言い合える。それこそが、彼女たちが「大人」になったことの証なのでしょう。






一方で、鞠莉の卒業後の進路を知った2年生たちは、いまのAqoursというグループの名前が決まった「はじまり」の場所を訪れていました。


3年生たちが卒業していくことはもちろん、学校も制服も教室も、春になったらその全てが変わってしまう。すぐ近くまで来ているその「終わり」の時を、2年生たちが強く意識するのも無理はありません。


"ラブライブ!が終わるまでは 決勝で結果が出るまでは

そこから先のことは考えちゃいけない気がするんだ"


しかし、千歌はあえて「これから」のことは考えないようにしようと言います。それは現実から目を背けるためではありません。「終わり」が来ることをきちんとわかっているから、「いま」しかできないことに全力を注ぎたいと思っているのです。


どんな「未来」を選ぶかはわからなくとも、千歌たちは来年も高校生でいられる以上、スクールアイドルを続けるという「選択肢」を持つ者たちです。でも、浦の星女学院にも、3年生たちにも「次」なんてない。だから、自分たちも大会が終わるまで「次」のことは決めない。それが、応援してくれるみんなや3年生たちに対しての千歌なりの礼儀なのでしょう。






お年玉を巡る一連のシーンも千歌の想いを補強するものとして描かれます。「学生ではいられない3年生」とは対照的な立場にいることを示す存在として、「学生の間はいただける」とお年玉をねだっていた千歌。これは等身大の「高校生」であれば当然でしょう。だからこそ、3年生たちと彼女が置かれている状況の差が際立つのです。


でも、彼女は「ラブライブ!全面協力!」と書かれたお年玉にありがとうと言葉をもらす。受け取ったのは、「いま」を全力で駆け抜けようという想い。9人で歌う「最後」の大会に「次」なんてないのです。だから、そこに学年は関係ない。みんな想いは同じなのです。



明日を求めて






"わたしは果南とダイヤに逢って いろんなことを教わったよ

世界が広いこと 友達といると時間が経つのも忘れるほど楽しいこと"



自分たちの「思い出」の場所で、鞠莉は果南とダイヤへの「これまで」の感謝を語ります。


「はじまり」があれば、「終わり」がある。いえ、彼女たちはその「終わり」を自分たちで選んだ。彼女たちは自分たちの意志で沼津から旅立つことを決めました。


鞠莉も果南もダイヤも沼津に残る選択肢だってあったはずです。実際、鞠莉は統合先の理事の誘いを受けているし、ダイヤや果南だって沼津に留まる選択肢がなかったわけではないでしょう。家業を持つ家に生まれた彼女たちならなおのことです。


いままでのように高校生ではいられなくても、大好きな土地で大好きな仲間たちと過ごす未来を選ぶことだって出来た。きっと、それはいままでのようにとても幸せな日々。「ずっと一緒にいられますように」、その願いももしかしたら叶うのかもしれません。


でも、彼女たちはその「道」を選ばない。変わっていく自分たちがそれを許さなかった。だって、世界が広いことを教えてもらったから。2人が外に連れ出してくれたから、外の世界にはたくさん知らないことがあって、たくさんの楽しいことがあると知った。


ずっと、自分の箱庭で変わらない明日を待つだけの日々に果南とダイヤが手を差し伸べてくれたから、毎日が新しいことに溢れていったのだと鞠莉は語ります。


鞠莉と一緒に過ごしてきたダイヤと果南も想いは同じはずです。だから、彼女たちは「変わっていく明日」を選べる。沼津という自分たちの箱庭を離れ、新しい世界に飛び込んでいける。


自分たちの「やりたいこと」に向かっていくことの大切さを、高海千歌から、いえAqoursから教わったから。「やりたいこと」が外の世界にあるのなら、それぞれがその「未来」へ進んでいこう。それが彼女たちの決めたことです。






"これで終わりでいいの...?"


そして、果南は言います。このまま、自分たちの星を見つけられないままに「終わり」を迎えて良いのかと。


ずっと一緒にいられますように。「過去」に願ったその想いは「いま」も同じです。でも、「未来」へと旅立つことを決めた彼女たちにとって、それは叶うことのない願い。叶わないから雨が降る。雲がその星を隠す。


じゃあ、もう叶わないと諦めるしかないのか。それも違うでしょう。彼女たちがこれまでに学んできたことは、叶わない願いをただ受け容れることだけじゃなかったはずだ。受け容れて、そのうえで新しい「道」を探す。その強さを彼女たちは持っている。


ゆえに、あの日「やり残したこと」、3人では見つけることの出来なかった星を、今度は「9人」で探しに行くのです。



流れ星の行方





"探しに行こうよ わたしたちだけの星を"


鞠莉の運転する車は途中、レールのない道を行き、空を目指します。そこは雨も雲もない、満天の星空たちが輝く場所。ずっと、彼女たちが探していた「輝き」。「奇跡」を起こす流れ星がとてもよく見える場所です。







無論、「現実」は違います。鞠莉はきちんと自分の手で舵を取り、地上にある道のうえでその車を走らせるし、彼女たちは依然、雨を降らす雲の下にいる。


だから、きっと彼女たちが空へと走らせたのは「願い」。ずっと一緒にいられますように。その「願い」と、彼女たちが進んでいく未来、すなわち「現実」が向かっていく先はやはり違うのです。だから、彼女たちがそれぞれの道を行き、離ればなれになるように、彼女たちの「願い」と「現実」はそれぞれの道を行くのでしょう。






"この雨だって 全部流れおちたら 必ず星が見えるよ

だから 晴れるまで もっともっと 遊ぼう"


そして、依然と降り続ける雨を前に、高海千歌はそれでも前を向きます。彼女たちには、やはり雨を止ませることは出来ない。「現実」を歩いていく彼女たちは神様じゃないから。だから、願う、信じる、晴れるまでもっともっと遊ぶ。星座盤に描きこまれたその星たちは、いつか「輝く」日を信じて、その一瞬を、泥臭くも懸命に生きていくのです。



彼女たちはきちんと受け容れた。終わることを。ずっと一緒にはいられない。幼き日の、そしていまの大切な想いは9人だけの星空に置いてきた。再び、9人でこの場所を訪れたとき、たとえどれだけの時が流れていても、その想いは変わることなくずっとあのころのまま、そこにあり続けると信じて。








ゆえに、彼女たちは再び願います。「いつか必ず また一緒になれるように」と。それが「未来」へ進んでいく彼女たちの新しい「願い」。


神様は叶えられない願いは叶えてくれない。願うことさえさせてくれなかった。でも、その新しい願いは必ず叶えられる。叶うと信じてる。だから、雨が止む。雲が晴れるのです。



3年生にとって「はじまり」を象徴するハグも、Aqoursの「はじまり」を象徴する砂浜の文字もきっと同じなのです。「終わり」が来るなら、また「はじまり」のハグをしよう。波に消されてしまうなら、何度だってその文字を書こう。


「はじまり」の数だけ「終わり」があるなら、再び「はじまり」を迎えることができる日を信じる。離ればなれになっても、あのころのように何度だってはじめられる。「いつか必ずまた一緒になれるように」。それを信じるキモチさえあれば、彼女たちの「はじまり」はきっと永遠だから。



あの日、9人で見た「流れ星」。一瞬の輝きを放つ9つの星たちは、永遠に消えることのない「願い」をその胸に刻んだのです。


goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。