音源紹介

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※本文中に【国立国会図書館/歴史的音源配信参加館内公開】と記載されている音源は、
国立国会図書館および歴史的音源配信提供参加館で聴くことができます。



日本のオーケストラ録音史

音楽評論家・毛利眞人

 日本では平安期から雅楽によって管絃に親しんだ。明治期に西洋音楽が儀礼音楽として必要になると雅楽師が西洋楽器を演奏し、やがて軍楽隊や民間からもオーケストラ運動が起こった。戦前期にはプロ、アマチュア含めて現代まで続いているオーケストラがいくつも設立されて定期演奏会を行なっていた。また交響楽団に限らず、さまざまな形態のオーケストラが整備されたのである。

(レーベル等の画像は毛利氏の提供による)

 戦前戦後を通じて日本の音楽界をリードしたのは新交響楽団(現NHK交響楽団。略称は新響)であった。ここで新響が誕生するまでの歴史を振り返ろう。1915(大正4)年、岩崎弥太郎が設立した東京フィルハーモニー会を山田耕作(耕筰 1886-1965)が指揮し、同楽団が短期間で潰えたのち山田と近衛秀麿(1898-1973)が協力して1925(大正14)年に日本交響楽協会を設立した。この日本交響楽協会はハルビンからロシア人楽員を招聘して「日露交驩管弦楽演奏会」を開催したり定期演奏会を行なったりと好調な滑り出しだった。しかし1926(大正15)年9月に近衛秀麿が大半の楽員を引き連れて脱退し、新交響楽団が設立されたのであった。新響は近衛の指導でオーケストラとして着実に成長したが、1935年の改組事件で近衞もまた楽団を逐われ、その後はジョセフ・ローゼンストックが常任指揮者を務めた。1942(昭和17)年に日本交響楽団と改称し、戦後の1951(昭和26)年にNHK交響楽団となった。

1.Johann Strauss Ⅱ作曲 「美しく青きドナウ An der schönen, blauen Donau」 山田耕作(指揮) 日本交響楽協会 ニッポノホン 16030 / 1926年2月新譜

山田耕筰と日本交響管絃団

山田耕筰と日本交響管絃団
(『ニットータイムス』1924年7月号)

 山田耕筰が指揮した日本交響楽協会の録音はニットー(日本交響管絃団名義)とニッポノホンにある。ヨハン・シュトラウス二世の「美しく青きドナウ」は山田耕筰が日本初演を行なったといわれる。

2.Gabriel Pierné作曲 「小牧神の入場 Marche des petits faunes」/ Maurice Ravel作曲「ボレロ Bolero」(編曲はいずれも近衛秀麿) 近衛秀麿(指揮) 新交響楽団 コロムビア 28694  / 1936年2月新譜

「小牧神の登場/ボレロ(A)」

 近衛秀麿は新交響楽団の創設者で、楽器や楽譜の整備、オーケストラの育成に私財を投じた。近衛の指揮は丁寧でロマン主義風であるが、現代音楽への理解も示し、ピエルネやラヴェル、クルト・ヴァイルなどを日本に紹介した。また楽曲解釈にもしばしば新即物主義の影響がみられた。1935年2月27日録音。

山田耕筰

山田耕筰
(『會舘藝術』1935年6月号)

近衞秀麿

近衞秀麿
(『音楽世界』1931年4月号)

3.山田耕筰 (作曲) 交響曲「かちどきと平和」 山田耕筰 (指揮) 日本放送交響楽団 コロムビア商品見本 196〜200 / 1940年9月10日録音

 山田耕筰の「かちどきと平和」は、日本人が作曲した最初の交響曲といわれる。1940年9月10日午後9時に内幸町の放送会館第一スタジオから放送された演奏を、同じ内幸町のコロムビアが有線中継によって録音した貴重な音源で、全四楽章のうち第一、第二、第四楽章が収録されている。日本放送交響楽団は新交響楽団がラジオに出演する時の名称である。一部の文献では指揮者として山田和男(=一雄 1912-91)の名が記されているが、実際には山田耕筰が指揮をした自作自演である。

 戦前、新交響楽団と並んで活躍したのは中央交響楽団(1941年に東京交響楽団と改称)であった。同楽団は現・東京フィルハーモニー交響楽団で、日本最古の交響楽団である。1911(明治44)年、名古屋の呉服店が組織する「いとう屋少年音楽隊」として発足した。その後、松坂屋管弦楽団、名古屋交響楽団、中央交響楽団と変遷を重ねて東京に進出した。楽団は早川弥左衛門の指導によって成長し、東京進出後は橋本国彦、マンフレッド・グルリット、斎藤秀雄らがバトンを揮った。レコードは松坂屋管弦楽団による「名古屋市歌」 (1929年)をはじめ数多く残したが、東京交響楽団時代に重要な録音を行なっている。

4.伊福部昭 (作曲) 「交響譚詩」 山田和男 (指揮) 東京交響楽団 ビクター VH-4084, 4085 / 1943年12月新譜

「交響譚詩」ラベル

 「ゴジラ」などの映画音楽で有名な伊福部昭(1914-2006)が戦時下に発表した管弦楽曲である。1943(昭和18)年8月に日本ビクターが行なった「第二回管弦楽懸賞募集」で第一位に選ばれた。譚詩曲はバラードを意味し、楽曲は第一譚詩と第二譚詩から成る。山田和男(=一雄)は情熱的なリズムと叙情性豊かな指揮で躍動感あふれる生命力を楽曲に与えており、東京交響楽団の演奏技量も1940年代の水準を今に伝えている。


 関西の主要なオーケストラであるヨセフ・ラスカ(指揮)宝塚交響楽団、エマヌエル・メッテル(指揮)大阪フィルハーモニック・オーケストラなどは残念ながら録音を一切残していない。学生オーケストラでは東京音楽学校管弦楽部がシャルル・ラウトルップやクラウス・プリングスハイムら教師の指揮でハイドンのオラトリオ、ワグナーの楽劇や信時潔のカンタータ「海道東征」など、大規模な作品の録音を行なった。そのほかプロの楽団では作曲家の小松平五郎(1896-1953)が主宰した国民交響楽団が若干の録音をしているが、次の「五つのお話」は1930年代の邦人現代作曲家の軌跡を伝える珍しいレコードである。

5.大木正夫 (作曲) 交響組曲「五つのお話」 大木正夫(指揮) コンセルオーブ交響楽団 テイチク 80000  / 1935年7月新譜

「五つのお話」ラベル

 大木正夫(1901-71)は交響曲を六曲残したほか、交響詩、映画音楽など主として管弦楽作品に特色を発揮した。「五つのお話」は1934年10月に大木が主宰する現代作曲家グループ・黎明作曲家同盟の作品発表会で初演され、1937年に来日した世界的指揮者フェリックス・ワインガルトナーを記念して設置された「ワインガルトナー賞」で特賞を獲得した。「夜のお話」「可愛いお話」「不思議なお話」「おかしなお話」「もう一つのお話」から成る。この作品を気に入ったテイチクの重役兼作曲家の古賀政男の尽力でレコード化が実現した。コンセルオーブ交響楽団は黎明作曲家同盟に因む名称(オーブ=aubeはフランス語で黎明のこと)。

 1940年、「紀元二千六百年奉祝交響楽団」が組織され、R.シュトラウス(ドイツ)、イベール(フランス)、ピツェッティ(イタリア)、S.ヴェレシュ(ハンガリー)から寄せられた記念楽曲を東京・大阪で大々的に披露した。その後ラジオ放送とレコード化もされた。このオーケストラは宮内省楽部、東京音楽学校管弦楽部に民間の新交響楽団、中央交響楽団、東京放送管弦楽団、星櫻吹奏楽団からの選抜を加えた163〜164名の大編成となり、その演奏も1940年当時の日本の管弦楽の最高水準を示している。

 明治期から昭和初期にかけて、サイレント映画の音楽伴奏は映画館直属の楽団が行なった。洋画伴奏はオーケストラであったが、時代劇などの邦画には三味線や太鼓、横笛など邦楽器を加えた20名ほどの和洋合奏編成が採られた。映画館の楽団は伴奏をつとめるほか幕間に奏楽を行ない、観客に好評であった。映画館の奏楽は、庶民にとって最も身近な洋楽であり娯楽だったのである。

6.田中豊明 (編曲) 和洋合奏「神田情調」 田中豊明(指揮) 日活和洋管絃樂團 ビクター 50285-A/B  / 1928年4月新譜

「神田情調」ラベル

 田中豊明(1880-1934)は海軍軍楽隊出身の指揮者。大正期から昭和初期まで神田日活富士館で伴奏指揮をとったのち、新宿帝都座に移った。明治大学校歌、越後獅子、ニコライ堂の鐘、磯節、デカンショ節、富士館での剣戟(千鳥合方)、洋画(アルルの女〜ファランドール)などをメドレー形式で綴って、シンフォニックに神田情緒を表現している。

 明治期後半から大正期にかけて、プレクトラム音楽(ギター、マンドリン属楽器)のブームが到来した。特に活躍したのが宮内省楽部長の武井守成男爵(1890-1949)で、私財を投じてオルケスタ・シンフォニカ・タケヰを組織して定期演奏会を開催したほか、コンクールの開催、雑誌「マンドリンとギター」を発行するなど啓蒙と普及に尽力した。地方でもギター・マンドリンの愛好会が盛んに作られた。学生間でもその流行に沿って慶応大学マンドリンクラブ(1912〜)、明治大学マンドリン倶楽部(1923〜)などのマンドリン演奏団体が設立され、現在まで活動を続けている。

7.武井守成 (作曲) 夏の組曲〜「宵雨の街」「風鈴屋」「海に歌ふ」「花火見る子ら」 武井守成(指揮) オルケスタ・シンフォニカ・タケヰ ビクター 50732/50733 / 1929年6月新譜

「夏の組曲」ラベル

 武井守成はプレクトラム音楽の楽しさを普及するため、作曲も自ら行なって多くのギター・マンドリン独奏曲とマンドリンオーケストラ用の曲を作った。「夏の組曲」は1928年に作曲された四曲から成る組曲で、単なる描写楽に留まらず心象的な夏の情緒を描いている。

〔参考文献〕

  • 東京フィルハーモニー交響楽団八十年史. 東京フィルハーモニー交響楽団, 1991, 271p.
  • 増井敬二・三善清達・後藤和彦. 洋楽放送五十年(月刊「音楽の友」連載 1974年1月〜1975年12月)
  • 座談会 日本吹込レコードとその将来. レコード音楽. 1941年4月

(音楽評論家・毛利 眞人・もうり まさと)

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