視点・論点「日本型クリスマスの歴史」[字] 2017.12.12
12月も半ばになりクリスマスが近づいてきました。
日本人にとってクリスマスは年中行事の一つとなっています。
もともとキリスト教の行事であったクリスマスがいつから信者でない日本人にも祝われるようになったのでしょうか。
今日はその歴史を簡単にたどってみたいと思います。
16世紀に日本に伝来したキリスト教は徳川幕府により厳しく禁止されその間日本にクリスマスというものはありませんでした。
明治になって開国したあともキリスト教は禁止されていたので一般庶民がクリスマスを祝うという習慣はありませんでした。
そのころは一部の日本人信者が集まってクリスマスを祝っていたようですが大体インテリ層が西洋のイベントを体験してみるというレベルのものでした。
明治の半ば頃から少しずつクリスマスのお祝いが始まりました。
新聞記事を追ってクリスマスの様子を紹介したいと思います。
明治の半ば頃は横浜や築地の外国人居留地でのクリスマス風景が新聞で紹介されています。
年末の風景の一つとして外国人たちの珍しいお祭りとして報道されていました。
20世紀に入り日露戦争に勝った頃から変わってきます。
信者でない日本人たちがクリスマスを祝い始めるのです。
新聞の広告ですと1906年明治39年からサンタクロースが登場してきます。
どうやらこのころから普通の家庭でもクリスマスにプレゼントを贈るのが一般的になってきたようです。
新聞でも街のクリスマスの様子をリポートする記事が増えてきます。
クリスマスを楽しく過ごそうという流れは新聞を見る限りでは日露戦争が終わった辺りから急に盛んになってきます。
例えば明治43年1910年には帝国ホテルのクリスマスのもようが紹介されています。
出し物には「太神楽」や「カッポレ」また心中物のお芝居である「お半長」などが演じられていました。
キリスト降誕とは関係のない出し物ばかりで既に日本化したクリスマスが明治末年にはしっかり根づいていた事が分かります。
キリスト教徒でもないのにクリスマスを騒ぐという風習は日本が国際社会の一角を担った頃に定着したようです。
大正時代にはますます盛んになり子どもたちのお楽しみの日として新聞で紹介されています。
昭和に入るとまた少し風景が変わってきました。
クリスマスに大人も騒ぐようになってきたのです。
大正天皇が崩御されたのは大正15年の12月25日でした。
この時代は先の陛下が亡くなられた日は先帝祭として祭日になりました。
つまり昭和2年からは12月25日は休みの日となったのです。
クリスマスイブは休みの前日クリスマスが休日になりました。
これが大人もクリスマスに騒ぐきっかけとなったようです。
またちょうど社会生活が変わっていった時期でもありました。
昭和初年には若々しい文化が始まりモダンがはやりました。
洋風の生活が喜ばれるようになります。
それにつれてクリスマスも変わっていきました。
カフェーやダンスホールで過ごすのが流行となりました。
昭和5年1930年ごろからクリスマスを騒いで過ごす大人たちの姿が大きく報道され始めます。
昭和6年1931年のクリスマス記事は「Xマス・イヴを踊り抜く」という見出しで帝国ホテルで大勢の人たちが三角帽子などをかぶってダンスしている写真が載っています。
この日ばかりははめを外していいという空気が感じられます。
ちなみに昭和6年は満州事変が起こった年です。
しかし昭和12年1937年に日中戦争が勃発しこれによって社会の空気は変わりました。
非常時となりクリスマスに騒ぐ事は禁じられます。
毎年派手なクリスマス宴会を催していた帝国ホテルもそれを永久に取りやめると宣言しました。
昭和5年ころから始まった大人も大騒ぎするクリスマスが続いたのは昭和11年まででした。
日中戦争以降は禁止されこれは太平洋戦争が終わるまで続きます。
戦争が終わって2年ほどたつとにぎやかなクリスマスが復活してきます。
昭和23年1948年のクリスマス前には既に朝日新聞のコラム「天声人語」にクリスマスに浮かれ騒ぐ姿を批判した文章が載っています。
敗戦後のクリスマスはそれまでにない異様な大騒ぎとなります。
それが大体昭和32年1957年くらいまでおよそ10年にわたって続きます。
風俗店やダンスホールで大人たちが騒ぐクリスマスですが酔っ払った集団が歓楽街で大騒ぎをして一種の無法地帯が生まれてました。
都市空間を祝祭化していたともいえます。
これは高度成長期に入ると静まります。
1960年代にはケーキとプレゼントを買って郊外のマイホームへと向かうサラリーマンのパパが多くなりました。
1960年代から1970年代にかけてつまり昭和30年代半ばから昭和50年代までは子どものためのお楽しみの日という昔風のクリスマスに戻りました。
それが1980年代に入り再び大人のクリスマスが出現します。
男と女が一緒に過ごす日となっていきます。
ちょうど昭和最後の好景気に突入する時代でその風潮と相まって若者カップルが分不相応な店で高額な支払いをするという風景が出現しました。
クリスマスイブがカップルのものだという認識は1983年昭和58年から始まり1987年昭和62年には定着致しました。
ちょうど今から30年前になります。
バブル景気が終わってからは高額な散財はなくなりましたがクリスマスはカップルで過ごすという不思議な習慣は定着したままです。
これもまた日本独自の風習だといえます。
簡単にその歴史を見てきましたがクリスマスはそれぞれの時代の気分を反映しています。
なぜクリスマスを騒ぐのかというのは恐らく日本における海外文化の取り入れ方と関係があるのでしょう。
クリスマスはもともと西洋のお祭りであり何だか楽しそうなお祭りだと日本人は思っていました。
西洋の文化を取り入れなければ世界から遅れてしまうという風潮があり庶民レベルでそれに反応したのが日本型クリスマスだといえるでしょう。
また日本古来のお祭りではありませんし宗教的儀式としても捉えていないので型がありません。
とても自由なお祭りです。
常に新しい祭りとなる可能性があります。
日本風に祝いだして既に100年を超えているのですが誰もそこに伝統を感じてはいません。
それが日本クリスマスの特徴です。
時に欧米でのクリスマスの過ごし方や本来の意味を考えて日本のクリスマススタイルを批判的に捉える人もいます。
クリスマスの根源を考えるのはいい事だと思いますが日本風の取り入れ方を否定してもあまり意味がないと思います。
冬至の季節の洋風のお楽しみの日としてそれぞれ自由に過ごすのが日本のクリスマスです。
大きく言えば西洋近代文明と対じした日本スタイルが出ているのだと思います。
これからも日本人らしいやり方でクリスマスを過ごすのがいいのではないかと私は考えています。
2017/12/12(火) 04:20〜04:30
NHK総合1・神戸
視点・論点「日本型クリスマスの歴史」[字]
コラムニスト…堀井憲一郎
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【出演】コラムニスト…堀井憲一郎
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ニュース/報道 – 解説
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
情報/ワイドショー – その他
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