この2年ほど仕事の処理能力が徐々に落ちてきて、この数ヶ月は不眠や不安感をはじめとするうつ症状が続いているので、8年ぶり二回目の精神科通院をしている。
日頃感じている生きづらさの原因がわかるかもしれないよ、と医師の勧めで大人向けの知能テストのWAIS-iiiを受験した。
この検査は単語の意味を答えたり、積み木で模様を作るパズルや、口頭試問での算数問題、記号を素早く書き写す事など14種類のテストがあり、
それぞれの数値から、言語能力や物事を分析する力、ワーキングメモリと処理速度などを数値化する事ができる。
それらを4カテゴリーに分け、各カテゴリーの数値に15以上差があると低い能力が他の能力を引っ張ってしまうので、困難を感じやすいらしい。
特にアスペルガーやADHDを発見するのに有効で、カテゴリーごとのIQの差を見る事で得意な事や苦手な事を知る事ができるので、自分の特性を知る手がかりとして受験をした。
告げられた結果はIQ130で、これは非常に優秀と区分とされるらしい。130以上の人間は全人口の2~3%を占めており、クラスに1人居る程度なのでこの数値はそこまで特別ではない。私のカテゴリー毎の差は最大で(言語理解>処理速度)が30程度あったが、全ての数値が平均より上なので問題ないでしょう、という事で発達障害の診断はされなかった。担当医を信頼しているのでこの判断に不服はない。
けれど、この検査の結果には正直裏切られた様に思う。
問題は、自分は大抵の人よりも能力が低いと普段から感じて居る事だからだ。
職場や普段から接する人々、小学校時代の同級生に至るまで、周りの人は何故こんなに物分りが良く、ワンフレーズで会話を進める事ができて、一度受けた説明通りに動く事ができ、人の顔や名前を簡単に覚え、暗黙のルールを知っているんだろう。とずっと悩んでいる。
教師が全体に指示を出した時にクラスメイトはすぐに行動を始め、何をしたら良いのか分からない私はいつも周りの人がしている行動を真似て、ワンテンポ遅れてついていくのがやっとだった。
電話や窓口で、自分の要望や要求を伝えたい場面ではとっさに一言が出てこないので、いつも頭の中で予行演習を行ってから人に話しかけている。
目の前で起きている事を見聞きしていると、頭の中で今後起きる事の可能性を考え始めたり、選択肢の分岐が勝手に枝分かれを始め、頭の中のレイヤーが多層になってしまい、目の前の出来事に覆い被さっていってしまう自覚がある。
いつも心が散歩気味なので、車の運転が出来ないし、よく物を壊したり、見落としたりする。
IQはただの指標の一つで、パソコンのスペックの様な物だと思う。これは私のアイデンティティや人格、創造性を証明するものではない。
道具は使い方次第で活かし方が変わってくるので、扱う人が成し遂げたい事の目標をしっかり持って、心を折れずに取り組む粘着性が何よりも大事だと思っている。
私の場合は、目の前の情報が多すぎるといつも感じているので、持続性を持って取り組むのが困難だ。
勉強を始めると瑣末な事に注目したり疑問が湧いてきて、横道に逸れて考え始めてしまうので取り組む速度は遅い。
ひとつの事を終わらせるのに体力も時間も消耗して疲れてしまうため、投げ出し癖が強く、学業や仕事において特別な業績を残せていない。
けれど周りから優秀な人だと言われる事が多く、何か一つの事や分野に集中すれば結果を残せるだけの能力がある。と言われる続けると、普段の生活を送るために、周りの人の"普通"に合わせる事にいっぱいいっぱいな私はどうしたら良いのか分からない。
例えば解像度の低い写真があっても、赤色の丸い形の物という情報が分かればリンゴだと判断できるだろう。
より高精細に見る事ができたとしても、表面のテクスチャーがどうとか、そういう判断や処理に重要でない微細な部分に注目してしまって頭が疲れてしまうだけなんじゃないかと思う。
目盛りが細かすぎる定規は物を測る時に見づらいし、刻みのスケールが大きい方が見やすいと思っている。
自分にとっての生きやすさとは、微細な差異を見極める事ではなくて、大雑把に物事を大きく捉えられる見方なんじゃないかなと思っています。
どうしたら細かな事や重要でない事を無視して物事を捉え、一つの事に取り組む粘着性を手に入れられるのかな、と自問自答している。
この投稿は検査の結果を誇りたいために書いたのではなく、道筋を考えるための情報を手に入れようとしたのに、その結果に自分はまた悩み続けてしまうのだなぁ、という気持ちを残したくて書きました。
これだけごちゃごちゃした長文なのに、すっと読めてしまうあたり、IQは高いのだろう。