11月25日は、国連が1999年に定めた『女性への暴力に反対するメモリアルデー』です。世界各国の女性たちがストリートに飛び出して、DV、レイプ、ストーキングなど、近年いよいよ増加の傾向にある『女性への暴力」に断固、NOを突きつけ、それぞれの社会における女性やLGBTの人々への、不当な待遇や不条理な性差別も含めて、We Toghetherと、共に闘う覚悟を確認する日でもある。同日、パリやイスタンブールでも大きなデモが催されたようですが、もちろんローマでも、イタリア全国各地から15万人!という人々が集まり、大がかりで賑やかなナショナルウーマンデモが繰り広げられました。
イタリア全国で、デモンストレーションされた女性たちへの共鳴
ローマで生活するようになって、わたしが何より心地よく感じたのは、どんなに気合いを入れても「物事が決して思い通りには進まない、議論ばかりでスロー」、さらに悪く言えば「けじめなく」「甘えに満ちた」「いい加減」な社会でありながら、裏を返せば、それぞれのありのままの個性をありのままに受け入れる、寛容で、懐の深いヒューマンな空気が街に漂っていることでした。また、その緩やかさのなか、何より素晴らしいと思ったのは、困難な立場に置かれ、攻撃、排斥で苦しむ、世間の荒波に溺れそうになっている人々を、なんとか助けようとする人々が必ず現れることでもあった。
難民の人々、貧困で家を失った人々、社会の大きな変動で差し迫った困難に絶望している人々にとって、そばに寄りそってくれる人々が、一緒に闘おう、状況を変えていこう、と勇気づけてくれることは、どんなに心強いことだろう、とそのようなシーンに出会うたびに思いました。また、人々の困難な問題を解決するために、どんなに強く主張しても国や地方自治体が動く様子がないのなら、自分たちでなんとか解決しなければならない、とみるみるうちに市民運動グループが結成されるという、市民たちの自主性をも驚異的に感じた。その市民グループの運動が次第に広がり、声が大きくなるとマスメディアも無視できなくなり、国や地方自治体の政治に影響するまでに発展することが、かなりの頻度で見受けられます。
今回のローマにおける『女性への暴力に反対する』大規模デモも、イタリア全国の市民有志が連帯するフェミニストグループのネットワーク、Non Una di Menoの呼びかけで開催されたデモでした。しかもフェミニストグループ主催のデモに集まった15万人の半数あまりが、運動に共感する男性たちだったことが、強い印象として残った。参加している人々の年齢もタイプも、おそらく支持政党も多岐に渡り、小学生から大学生、往年のコミュニスト、フェミニスト、トランスフェミニストや、音楽隊、ダンスグループ、コスプレの若者たちや熟女たち、障害を持つ車椅子の青年などが、それぞれにピンクの風船を手に、プラカードを掲げ、曇り空の広場は柔らかく、やさしい熱気に包まれました。
2、3万人規模の通常のデモにはちょくちょく出かけることはあっても、わたし個人の経験では、15万人という人々が集まる大規模デモに参加したのは、2002年の NATOのイラク侵攻に反対する大規模デモ (300万人を超える参加者と言われ、街じゅうが七色のPace『平和』の旗で埋め尽くされました) 以来かもしれません。また今回のように、世界の大問題である『肉体的、心理的な、女性への暴力』に、強く反対する声を上げるフェミニストたちが主催したデモに、これだけ多くの人々が集まったことは、何かが少しづつ動いている、状況は変わりつつある、と勇気づけられることでした。Non Una di Menoのグループは、去年から11月25日にデモを開催しはじめ、2年続けてイタリア全国から10万人をはるかに超える人々を集める大規模デモとなっています。
もちろん、『女性への暴力』という喫緊のテーマを扱う政治デモには違いありませんから、誰もが真剣に参加していますが、思いつめた攻撃的な雰囲気や悲壮感は微塵もなく、女性たちの力強い演説があり、男性たちの賛意を表する意見が述べられ、詩の朗読があり、経験談が語られ、音楽があり、ダンスがあり、6時間あまりの長い時間、暗くなるまで街じゅうを練り歩き、終点のサン・ジョバンニ広場へと感動的に到達した、という具合です。
出発地点のレプッブリカ広場は、すでに地下鉄のホームから、女の子たちのひたすら元気のいいシュプレヒコールが響き渡り、駅員さんや警備の軍隊たちも一歩退いて、プラカードを掲げた女の子たちに道を開ける、という感じでした。地下鉄から広場に出ると、14時ちょうどあたりには、すでにたくさんの人々が集まっていた。ひょっとすると70年代のイタリアのデモはこんな感じだったのかもしれない、と思わせる風情のLove & Peaceないでたちの若者が結構多いのに驚きました。イタリアにおけるフェミニストの台頭は、何と言っても『鉛の時代』と並行しているので、その時代の空気を、若者たちが意識したのかもしれません。
11月25日のこの日は、ローマのNon Una di Menoの大規模デモだけでなく、イタリア全国でさまざまなデモンストレーションが行われています。ローマのシナゴーグは『あらゆる性差別と暴力に反対』するためにライトアップ。また、シナゴーグだけではなく、イタリア海兵隊本部から、スぺッツィアの海軍工場、ターラントのアラゴン城まで、各地が同様にライトアップされ、ミラノ、ピレッリの摩天楼には『あなたたちはひとりではない」という巨大なサインが掲げられた。
同じくミラノの中心街、マゴルファ通りの『女流詩人アルダ・メリーニ館』の壁一面には人形を施したインスタレーションが設置され、トスカーナではあらゆるモニュメントが赤くライトアップされました。同市議会の建物の内部には、誰も座っていない椅子の上に赤い靴がシンボルとして置かれ、被害に遭い、犠牲となった女性たちへの、深い追悼の意が表された。そのほか、『女性への暴力』を巡る演劇、展覧会、コンサート、フラッシュモブも各地で多く開催されました。
このように、今年の11月25日のイベントは今までにないほど、全国的に大きな広がりを見せました。その背景として、レイプ、DVという『女性への暴力』が、殺人にまで及ぶFeminicidio(女性殺人)がイタリアでも頻繁に起こり、それが大きな社会問題になっているという現実があります。暴力が殺人にまで発展するケースの事件数は2013年を境に多少の減少がみられますが、男性による、女性への肉体的、心理的暴力はまだまだ減少の兆しが見えず、大きな社会問題のままです。
ミラノの『女性への暴力対策』センターのリサーチでは、2016年にミラノだけで1671件の暴力事件が起こり、その80%が配偶者、あるいはパートナー、元配偶者からの暴力、レイプ、嫌がらせだったそうです。一方、通りすがりの男による犯行は、2%にしか過ぎません。また、2017年には女性への暴力事件が2000件を超えるとも予想されている。事態を重く見たミラノ市は、『女性への暴力反対』センターに、市の予算60万ユーロを2018年、2019年と2年間融資し、その120万ユーロで緊急な対策を図ることを決定しています(ラ・レプッブリカ紙)。
なお、ローマ市内には、暴力に遭遇した女性(老人や子供たちを含め)のサポートをするセンターは、民間を含めて7つ以上あり、相談のため、政府がプロモーションする公共のTelefono Rosa1522(ピンクの電話1522)、NGOのホットラインも常に機能しています。
そもそもフェミニズムとは何なのか、を考える
フェミニズム、ジェンダー論は、ひとつの学問として洗練された研究が積み重ねられた分野で、多岐に渡る議論、論理構築がなされてもいるし、学問として『フェミニズム』を学んだことのないわたしには、その詳細を語る資格はありません。そこでひとりの女性として、肌で感じる社会システムと女性との関係を軸に、わたしが現在捉えている『フェミニズム』というものを、大まかにまとめてみたいと思います。
70年代、『鉛の時代』におけるイタリアでは、Partito Radicale(革新党)が中心となった『フェミニズム』運動が世間を席巻、『離婚』や『中絶』など、イタリアの人権運動の父とも言えるマルコ・パンネーラを核として、草の根で署名を集め、女性の主張を法律化、現実に『権利』を勝ち取っていったという歴史があります。さらにイタリアでは、女性が自らの正当な権利を主張することは、いわば当たり前のことで、むしろ主張しなければ生活できない、という社会でもある。いわゆる『忖度』が、まったく通用しない世界です。
また、イタリアにおいては若い女性が管理職として組織の采配を振るう、あるいは司法機関の重要なポストを担う、内閣で重用される。という風景は、少しも珍しいことではありません(残念ながら、カトリック教会で、女性の枢機卿、あるいは教区司祭が選出される、ということはありませんが)。たとえばわたしが利用している銀行の支店長は、30才台半ばの若く、頼もしい女性です。
そういうわけで日本の状況に比べると、女性やLGBTの人々の、昨今のめざましい社会進出に、「女なのに」「ゲイなのに」という偏見は比較的少なく、まず、イタリアの女性たちもLGBTの人々も、臆することなく、自らをパワフルに主張しますから、男性たちがそのパワーにひるむ、という傾向がなくもない。しかしながら、それでは女性の社会的地位、妊娠、出産、子育ても含めて、福祉が行き届き、職場での条件が完全に男性と同等であるか、と問われると、残念ながらまだまだ女性に多くの負担がかかるシステムとなっています。また、父権社会の名残りを引きずった世代が権力サイドに居座って、顰蹙を買う男性優位の発言と行動を繰り返す、家父長制的ステレオタイプはいまだ崩壊していない、とがっかりする場面に多く遭遇することもある。
たとえばベルルスコーニ元首相の、原始的でハーレムなライフスタイルなどは、マスメディアのプロパガンダに形成された、まさに現代イタリア的な家父長制の理想の体現イメージのひとつ、と言えるかもしれません。そして、そんなライフスタイルに憧れるマッチョ志向の青年たちも存在し、その青年たちもまた、女性の立ち位置が拡大することを好ましく思っていない様子です。中央からひたすら右へ、進化なき古き良き原始時代へ、とトリップする人々がけっこういることも否めません。
長い時間をかけて構築されてきた『フェミニズム』運動の原点を見つめるならば、過去数千年に渡って西洋社会に脈々と受け継がれた、戦争に出かける強い男たちを中心とした家父長制、父権社会の余韻を、いまだに引きずったままの現代の社会構造のあらゆる問題点が、全て浮き彫りになってくる。支配者の権力と被支配者の従属。人種差別にしても、LGBT差別にしても、経済差別にしても、あらゆる差別の基本心理、原点は、原始的な家父長制、家族間の『女性支配』にはじまる、とわたしはほぼ、確信もしています。
人類の進化史上、まず最初に男たちに差別され、支配されたのは女たちに他ならない。だからこそ、『フェミニズム』の運動が、あらゆる差別に反対する運動の最前線にあるべきだ、とわたしは常日頃から思っているわけです。わたしたちなら、差別をされる側の強い痛みが理解できるはずです。
そしてなにより、『フェミニズム』とは、決して女性たちがひたすら攻撃的に、自らの権利を主張する運動ではなく、あらゆる全ての人々が正当な権利を得て、権力に不当に支配されることなく、誰もが居心地よく、やさしく寛容で民主的な社会を構築してゆこうとする運動である、とも解釈している。性暴力をはじめとする女性への暴力の根幹にある社会システムを見つめるなら、社会に顕著な右傾化が現れるほどに、女性の人権が蔑ろにされる、と同時に、あらゆる全ての人権が蔑ろにされる傾向にある、という事実を把握しておきたい、と今回のデモに参加しながら再確認した次第です。
11月25日の由来、ミラヴァル3姉妹の果たされなかった願い。
ところで国連が、11月25日を『女性への暴力に反対するメモリアルデー』と定めたのは、どのような由来なのか、今年11月25日を迎えるにあたり、イタリアでは新聞、テレビをはじめ、さまざまなメディアでその詳細が報道されました。ミモザの花を女性に贈る習慣がある3月8日の『女性の日』については、誰もが馴染み深くとも、11月25日に関して、今までのイタリアでは、これほど多くの人々が関心を持つことはなかったように思います。
そもそもこのメモリアルデーは1981年、南米のフェミニストグループにより国連に提案されたものです。1960年にドミニカ共和国で起こった残虐非道な女性殺害を、歴史の記憶から消さないため、また、『女性に対する暴力』に世界がもっと繊細な注意を払い、目を向けるように、との思いを込めて制定されました。
事件発生当時、ドミニカ共和国の独裁者として君臨していたのは、悪名高いラファエル・レオニダス・トゥルヒーヨ・モリナ。その専制下、反政府政治グループ『6月14日運動』に参加するパートナーたちを持ち、本人たちも活動家だった、パトリア、ミネルヴァ、マリアテレーサ (Patria Mercedes, María Argentina Minerva, Antonia María Teresa Mirabal )の『ミラヴァル3姉妹』が車に乗って、刑務所に拘留されていた彼らのパートナーたちを訪ねようとしていたところを、突然当局 (軍情報局)に停められ、車から引きずり出された。連れ去られた極秘の場所で、棍棒で拷問を受けたのち、首を絞められ殺害され、崖から捨てられる、という凄惨な事件が起こっています。
近年、イタリアでも女性へのレイプ、パートナーを死に致しめるドメスティック・バイオレンス、別れを切り出されて逆恨みした元恋人が、待ち伏せして、女性に青酸を浴びせ顔に酷い火傷を負わせる、あるいは女性を車ごと燃やしてしまう、という、あまりに残忍な事件が毎週のように報道されていました。前述したように、このような『女性への極限の暴力』が、逼迫した社会問題となっていることが、ミラヴァル3姉妹の記憶をもう一度呼び起こし、人びとの団結を促したことは疑いようがありません。
また、件の米国の映画プロデューサー、Weinsteinの自らの地位を利用した、女優たちへの性暴力、セクシャルハラスメントの告白も盛んに報道されていましたし、Sky news 24は、元テレビ局ディレクターによるレイプ事件の告発者、ジャーナリスト、伊藤詩織さんのインタビューも報道しました。外国人記者クラブでの記者会見で、イタリアSky news 24の特派員、ピオ・デミリアが「このような事件が起こった場合、イタリアには事件の解決のために共に闘う団体が多くあるが、日本では誰も助けてくれなかったのか」という質問をして、非常に複雑な、やりきれない気持ちになったことを告白したいと思います。
さらに今年のエポックメーキングな出来事、といえば、政府、下院議会で史上初めて、11月25日のメモリアルデーに寄せて、『女性への暴力に反対する』大きなイベントが開かれたことでしょう。下院のあるパラッツォ・モンテチトーリオには、ストーキング被害やドメスティック・バイオレンスの被害にあった女性、ボーイフレンドに殺された娘を持つ母親らを含む1300人の女性が招かれて議会が開かれました。
イタリア政府が市民とともに、こうして女性たちへの共感、そして応援の姿勢を全面的に示したことは、現状を変化させるために重要な意義を持つ出来事となった。この日の下院議会では、それぞれの女性が自らの体験を語り、皆がひとつになり、勇気を持って状況を打破、『女性への暴力』と闘っていく、という連帯を確認する、貴重な機会となりました。その日出席した女性たちはひとりひとり、イタリア大統領セルジォ・マッタレッラから迎えられたのだそうです。
「性暴力は女性だけの問題ではなく、私たち皆の問題だ。ひとつひとつのエピソードが非常に深刻な人権侵害であり、すべての人々を同等に巻き込む問題である」
大統領はそう語っています。また、下院議長のラウラ・ボルドゥリーニの力強い言葉には、強く共感しました。
「Istat(イタリア統計イスティチュート)によると、イタリアでは2日半にひとりの女性が殺害されていることになります。これは身の毛がよだつ恐ろしいデータです。その女性を愛するべき男性に殺害されなければならないなんて」「これは女性たちだけで解決する問題ではない。国やわれわれ皆が、力を合わせて解決する問題です。女性への暴力は、明らかに国の問題、コミュニティ全ての問題と考えます。個人の問題ではなく、人権の問題です」
「女性を愛する男性がたくさんいるのに、彼らは女性の窮地を眺めているだけなのでしょうか」「暴力は決して受け入れられない、と主張する男性たちが大勢いるのに、なぜ、彼らは何の行動も起こさないのか。男性たちも私たちとともに行動すべきではないのか」「何千年もの間に培ってきた、女性は所有されるもの、という文化から抜け出さなければならない。少年や少女たちに、彼らは平等だということを教育しなければならない」「女性は、もうたくさんだ、と明確に言わなければならない」
「すでに女性への暴力への反対は、イスタンブール(国連議会)協定から、Feminicidio-女性殺害の法律の制定、孤児の対策まで、はっきり答えが出ている。ストーカーというテーマに関しては、まだ明確に制定されていないが、やがてこの問題も答えが出るだろうと考えている。しかし法律を制定するだけじゃ足りないんです。問題は文化にあるんです。女性たちは告発しなければならなりません。沈黙は孤立を生み、死を招くだけです。言葉が助けてくれます。沈黙を破って、言葉を発した人々に、わたしは、わたしたち51%のイタリアの人口を占める女性は、弱々しいマイノリティじゃない、という言葉を贈りたいと思います。わたしたちは話すことを知っているし、また話さなければならないのです。国はもはやわたしたちを無視することはできない」
「これはドメスティック・バイオレンスだけに関わる問題ではない。人生のすべての局面における女性への暴力について、わたしたちは沈黙を破らなければならない。Weinsteinのケースのように、仕事上での性暴力の現実を暴かなければならない。イタリアでは、『このようなケースは、信じてもらえないのではないか、仕事を失うのではないか』と恐れて告発する女性が少ない。それは強い偏見を持たれることを恐れているからだ。しかし、これ以上こんなことは起こるべきではない」(ラ・レプッブリカ紙、そのほかTV、ネット上の映像を参考にした以上の抄訳には割愛した部分もあります)
下院議長がきっぱりと、これほど強く主張するなんて、頼もしいことでした。
※イタリア下院議長、ラウラ・ボルドゥリーニの演説の一部。
女性への肉体的、心理的暴力の根源にある文化
大学のリサーチャーであるシモーナ・フェチ、ラウラ・スケッティーニというふたりの若い女性が編集、女性への暴力の実態をリサーチ、その背景を多方向に分析したLa violenza contro le donne nella storia『歴史における女性への暴力』という本が、今年出版されました ( 2017/Arti Grafiche CDC s.r.l) 。歴史における女性の立ち位置、その困難と不条理の歴史が緻密にリサーチされた論文を集めた力作、読み応えのある良書です。その本のプロローグをも参考にして、女性差別と、性暴力の社会背景、下院議長が演説で使った『文化の問題』という言葉の意味を考えてみたいと思います。
「女性への暴力は、歴史的な男女不平等の背景にもとずく力関係の顕示である。その暴力が、男性側の女性支配、差別へと結びついたのだ。女性の発展を拒む女性への暴力は、残酷な社会システムのひとつであり、その暴力によって、女性は男性の命令に従わなくてはなくてはならない、というポジションに置かれた」
これは1993年の国連議会で確認された声明文です。
2011年、イスタンブールで行われた、ドメスティック・バイオレンスに関する会議でも、「女性への暴力は、歴史的な男女間の不平等を顕示するためのもの」という同様の文脈で、議論が行われています。もちろん、先進国と言われる国々においては、長い時間をかけて、女性たちは自分たちの社会における男女平等の権利を求めて闘い続け、少しづつ、現在の立ち位置を獲得してきたわけですが、それにも関わらず『女性への暴力、侮辱』は、決してなくなることなく、むしろここ数年、経済状況の悪化や社会環境の大きな変化と呼応するように、より悪質な事件が、世界各国で多く起こっている。男性の『女性への暴力』には国境なく、地政学的違いがなく、文化の違いもなく、宗教にも関係がありません。
多くの女性たちが自立して、広い分野で目覚ましい活躍しているにも関わらず、女性への暴力に終わりがないのは、リビドーの暴走に加え、長い歴史を持つ父権社会システムにおいて『女性』は『所有物』で『支配』されるべきものだ、という深層心理に起因することは明白です。その欲動に、本来ブレーキをかけるべき理性を欠落させるトリガーとなるシチュエーションを推測するなら、世界の経済構造が大きく変化を遂げ、経済的に抑圧されるストレスや人間関係によるフラストレーション、社会からの排斥で歯止めが効かなくなった抑制不能の心理が浮き上がってくる。さらにストレスによるアルコール、ドラッグの摂取が原因になることも考えられます。つまり、最も近くにいる女性が、肉体的にも、心理的にも男性のフラストレーションによる暴力の犠牲にならなければならない、という不条理なリアリティが浮き上がる。
また、『戦争』を考えると、女性支配の構造がよく見えてくるのですが、歴史的に見て、侵略した敵地の、(もちろん無辜の市民である)女性たちを兵士たちがレイプすることは、侵略者の優位を見せつける政治的意味合いをも持っていた。現在でも、敵地の女性たちへの性暴力は、紛争地では必ず起こる野蛮きわまりない現象ですが、これは『レイプ』という手段で、敵地の女性を支配すると同時に政治利用する。つまり敵地の女性を辱めることは、敵であるその女性の支配者である男たちを辱めること、というロジックです。
まったく受け入れがたい、前時代的なこのロジックは、女性を社会を形成する男たちの『所有物』とみなし、その女性たちを陵辱することで、武力と同様、敵の社会を跪かせる政治的『道具』に使うという、『人権』どころの話ではない非人道的なもの。しかし『戦争』そのものが、このような非人道的ロジックに支えられ、人権も多様性をも認めない非常事態であることは、紛れもない事実です。女性が兵士として戦争に赴くようになった現代でも、その女性兵士が男性兵士のレイプ被害 に遭うという事件もあとを絶たない。イタリアでも、カラビニエリ内の女性隊員への暴行が問題になっています。このように、女性は男性に支配されるべき、という『マチズモ(マッチョ思想)』なステレオタイプが、いまもなお、社会のあらゆる場面に蔓延し、残念ながら人々の心理に根深く残っている。
女性に暴行を加えることで優位性を誇示、支配しようとするマチズモの心理は、ホモセクシャルやトランスジェンダー、移民の人々にも同様に向けられ、自らの優位性を顕示する『差別』ともなります。したがって下院議長が言った『女性への暴力は、女性個人の問題ではなく、国、社会全体の人権侵害の問題だ』という意図の言葉は、まさに男女間の健全な権利の平等が保証されてはじめて、民主主義の基盤である、社会全体の平等と多様性、自由が得られる、ということだ、と解釈しました。
主張し、新しい文化を提案する女たちのメガデモンストレーション
さて、ここで再びローマのデモに戻ります。
NON UNA DI MENOのメガデモの、14時のレプッブリカ広場の開始から、20時近くまでかかって歩いた終点のサン・ジョバンニ広場まで、今年はデモの全行程に、わたしも実際に参加してみました。「短期間の告知で、よくこれだけの人々が集まったなあ」と思わず感慨深く思う人波のなか、15万の人々がピンクの風船を手に、ローマの中心街を練り歩くという光景は、希望に満ち、心が浮き立つような経験でした。しかも、たまたま通りかかった人々も、「女性への暴力に反対するデモなら、参加しなくちゃいけないね」と途中から加わり、時間が経つにつれ、どんどん人が増えていき、人波は膨張した。
デモにおいても下院議会と同様に、実際にレイプ被害を受けた女性や、恋人に殺害されたお嬢さんのお母さまも参加されていましたが、その方々をWe Toghetherのスローガンがしっかりと守り、ひとりでは耐えることができないだろう、ぶつけどころのない激しい痛みを皆で分かち合い、共に支え合おう、という姿勢は心強いことでした。また、この団結で社会を根底から変えていこう、との強いエネルギーをも感じ、イタリアの潮目が変わりつつあるのでは、という大きな期待を抱いた。
父から守られる幸せな家族、甘く切ないドラマに満ちた、しかし必ずヘテロな恋物語、強くて頼りになる、決して負けないマッチョなヒーロー、セクシーな、あるいは可愛いアイドルガールたち、愉快で陽気、あるいはあまり難しく考える必要のない、浅い感情の次元で構成されるドラマ、社会より、世界より、個人の感情生活、幸福感を最優先、というステレオタイプのイメージがメディアを通じ、特に広告の分野から、とめどなく流れてくることには辟易します。わかりやすいステレオタイプばかりを、社会の脳裏に「あるべきイメージ」として刷り込んでいくマスメディアは、もっと注意深く、繊細であるべきではないかとも思います。
今回のデモに、男性の参加が多かったことは前述しましたが、風船を手に走り回る子供たちをはじめ、中学生から高校生ぐらいの若い世代の参加が目立っていたことも嬉しいことでした。移民の第2世代と思われる、母国語としてイタリア語を喋る高校生ぐらいの南米系の男の子が、デモでばったりお母さんと出くわしたようで、「あら、あんたも来てたの?」と腕を掴まれ、決まり悪そうに「そう。でも僕は友達と一緒だから、チャオチャオ」と、足早に立ち去って行った。立ち去りながら、一緒に来ていたガールフレンドらしい女の子に「お母さん?」と聞かれると、頷きながら「そう、来るの知らなかったから。あんなところでいきなり腕を掴むなんて参るよ」などとぼやいている様子が微笑ましくもありました。ヒジャブを被ったイスラム圏の女の子やアフリカのかっこいい女の子たちも多く参加したデモでした。
このメガデモを企画した、イタリア全国にネットワークを持つ複数のフェミニスト・グループNon Una di Menoは、11月25日以前には何度もローマ大学サピエンツァの教室で会議を開き、デモの翌日、26日には7時間あまり、デモの総括と今後の活動計画を話し合う会議が開かれ、それらはFacebookで公開されています。
フェミニズム、トランスフェミニズムを謳う彼らの主張は、同時にアンチファシズム、アンチレイシズム、アンチネオリベラリズムであり、今回のデモの開催にあたり、極右グループから度々妨害を受けたことも、会議で告発された。最近イタリアでは、他の欧州各国と同様、極右グループの台頭が際立ち、移民関係のNGOに押しかけて抗議したり、ラ・レプッブリカ紙本部の玄関先で騒がしく抗議したり、なんと、ナポリのカラビニエリ宿舎内にナチスの旗が飾ってあったことまで発覚、ただちに報道され、ゆゆしき政治問題へと発展しそうな空気も、どんより漂っています。12月10日には、北部のコモで、民主党の議員が多く参加して、大々的なアンチファシスト集会も開かれました。
さらに、今回のデモでは、では実際に、『どのような方法で社会を根底から変えていくか』。その大まかなプランをまとめたものが小冊子として1ユーロで配布されていた。彼らの活動は、今のところ、どこからも助成金が出ていないため、すべて自分たちで費用を賄っています。
そのプランの中で最も興味深く思ったのが、『教育』の分野でした。それは子供たち、学生、大学生たちに、全ての人々の権利の平等を伝えていくと同時に、教育の根幹となる教員たちのフェミニズム教育をも手がけていくというもの。たとえば大学内で教員たちが議論する機関を設ける。あるいは外部にそのような場を作っていこうという考えです。このプランのために、今後、国や地方自治体に協力を呼びかけ、助成金をリクエストする予定だそうです。
2018年の3月8日の『女性の日』には、今年同様、女性のための大規模ストライキを敢行。確かに今回のメガデモは、新聞、TVでも大きく取りあげられ、強いインパクトとなりました。と同時に、下院議会や各地方自治体が市民と共に、『女性への肉体的、心理的暴力』と闘う姿勢を明確に見せたことで、マスメディアも、今よりいっそう、注意深くなるはずです。どこか時代がかったイメージが漂うイタリアですが、ヒューマンな分野では、意外と時代の先端を追いかけています。
そういえば、今年も11月25日には、もうひとつ気になったニュースがありました。スウェーデンの教会が、『神』を男性として、彼、あるいは男性形の『主人』と表現することを廃止した、というのです。全国規模のメンバーで長い議論を経て、『神』に性別はない、『神』は人間ではない、という結論に達したからだそうですが、『父と子と聖霊』という三位一体で西洋に父権社会を作り上げたキリスト教世界にとっては、これは大きな出来事かもしれません。もちろん、今のところこの動きは、スウェーデンのキリスト教教会 (Evangelico Luterana) だけに限りますが、このようなラディカルな動きが各地で起こると、世界は歴史が作った男性優位文化の呪縛から、少しづつ解き放たれ、進化していくように思います。