石狩場所請負人の村山家を筆頭に、江戸時代から明治時代まで、鮭漁で栄えた石狩には、羽振りのよい商家がいくつかありました。その一つが「長野商店」です。
石狩市内最古の木骨石造建築物「旧長野商店」
長野商店は、越後(新潟県)出身の長野徳太郎が、明治7年に創業した商店で、呉服、反物、米、塩などを扱う、今でいう百貨店のような商店でした。また、酒造業(酒蔵)も営んでいました。長さ約81cm×高さ約30cm×厚さ約17cmの札幌軟石が、店、石蔵合わせて920個あまり使用されています。明治初期、まだ道路も整備されていなかったろう時代に、札幌から920個もの軟石を運べるということは、それだけの労働力を賄える財力があったということでしょう。
店の前には、長野商店で扱っていた商品の看板が掲げられています。実はこの看板は、当時のものが残っていて復元したのではなく、当時の「写真」からつくり起こしたもの。
工藤さんによると、看板の大きさや書体など、細部に至るまで細かく復元したそうですが、それでも写真から読み取れない部分は「この時代であれば、おそらくこうであろう」という史実に基づく推測でつくり込んだそうです。
旧長野商店も見応えあるが、隣の蔵も見逃せない
長野商店は、1955(昭和30)年に閉店した後、1988(昭和63)年に当時の石狩町に建物が寄贈され、1994(平成6)年に石狩町の文化財の指定を受けました。元は親船町7番地にありましたが、道道拡幅のため、2007(平成19)年に現在地に移築復原されました。復原の際、老朽化で使えなくなった柱や梁などを新しくしましたが、古さを醸し出す加工をあえてせずに、新品の材木のまま使っています。そうすることで、どの部材が当時のものかが一目でわかり、さらに新しい部材の経年劣化も味があるからだということでした。
店内から隣の石蔵へ行くことができます。石蔵には、長野商店の歴史や長野家の人たちが使っていたタンスや生活用具などが展示されています。
ここでおもしろいものを見つけました。「石狩実業家案内」というもので、2段目の真ん中あたりに長野商店があります。その右斜め上が、当時日本屈指の豪商と言われた「場所請負人」の村山家。そしてまわりを見ると「漁業」の文字がちらほらと。鮭漁が最盛期の頃で、石狩には力のある網元がいたことがわかります。
そしてもう一つがこれ。長野商店の包装紙です。長野商店で醸造していた酒「日の出正宗」、呉服、米穀、小間物、洋物、そして石油特約店など、取扱品目が明記され、さらに「3279」と電話番号も。包装紙が、広告チラシにもなっていました。
鮭漁が盛んだった明治の頃、この包装紙に包まれたものを贈って、贈られて…というのが、もしかしたら石狩の人たちのステイタスだったのかもしれませんね。
「旧長野商店」は、「いしかり砂丘の風資料館」に隣接しており、「いしかり砂丘の風資料館」の入館券で、旧長野商店が見学できます。
関連リンク
・いしかり砂丘の風資料館北海道Likersライター チバタカコ
写真撮影:諏訪智也
http://www.swatt.jp
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