あのころのビデオゲーム プラチナゲームズ神谷兄弟特別対談【前編】(1/5)

ビデオゲームが世に出始めた時にを幼少期を過ごしていた兄弟は、どのようにゲームと接してきたのか? プラチナゲームズ所属のゲームデザイナー、神谷英樹氏とその弟さん(非ゲーム業界勤務)に、幼少期の思い出、そして当時のゲームへの想いを語っていただいた。エピソード満載の内容となったため、対談は前後編にわけてお送りする。

 ビデオゲームが世に出始めた時代に幼少期を過ごしていた兄弟は、どのようにゲームと接してきたのか? プラチナゲームズ所属のゲームデザイナー、神谷英樹氏とその弟さん(非ゲーム業界勤務)に、幼少期の思い出、そして当時のゲームへの想いを語っていただいた。エピソード満載の内容となったため、対談は前後編にわけてお送りする。

神谷英樹(文中は兄)
 プラチナゲームズ所属のゲームデザイナー。1970年12月19日生まれ。1994年にカプコンに入社し、『バイオハザード2』、『デビルメイクライ』、『ビューティフルジョー』を手掛け、クローバースタジオ所属時に『大神』、プラチナゲームズ移籍後は『BAYONETTA(ベヨネッタ)』といった人気タイトルをディレクション。Twitterでは、日々クラシックゲームへの愛情を語っている。『The Wonderful 101』発売時、任天堂公式サイトの“社長が訊く”に登場しており、その中でもゲームの原体験について触れられている。

※社長が訊く のリンク
https://www.nintendo.co.jp/wiiu/interview/acmj/vol1/

神谷氏の弟さん(文中は弟)

 神谷氏の6歳離れた弟さん。会社員。ゲーム業界とは異なる職種の会社に勤められている。お兄さんの説得により、特別にご登場いただいた。写真はNGとお願いされたので、記事内では写真を掲載していない。

――このたびは神谷兄弟対談企画の了承をいただき、ありがとうございます!

 ファミ通.comさん、よく私を記事に登場させようと思いましたね。……私、素人ですよ(笑)。

 ファミ通.comさんから「神谷さんと長沢さん、高木さん(※1)の対談記事をやりたい」とお願いされたんだけど、いろいろ考えた末に、お前が出たほうがやりやすいと思ったんだよ(笑)。

※1:長沢さんと高木さん……神谷英樹氏の幼なじみ。SEGA AGES2500『ファンタジーゾーン』発売を記念した特別寄稿“俺とファンタジーゾーン”、“俺と「セガ3D復刻プロジェクト」”などの中で登場している。

■特別寄稿 俺とファンタジーゾーン
http://ages.sega.jp/vol33/ex_comment.html

■特別寄稿 俺と「セガ3D復刻プロジェクト」
http://archives.sega.jp/3d/archives2/special2/

■特別寄稿 俺と「セガ3D復刻プロジェクト」FINAL STAGE
http://archives.sega.jp/3d/archives3/special/

――アーケードゲーム、PCゲーム、家庭用ゲームが世に出始めた時代を幼少期に、しかも周囲にゲーム好きが集まっていた状況で過ごされていて、その環境がいかに恵まれていて、いかに楽しく、いかに幸せなことなのかを記事として残したいと企画しまして。神谷さんに、長沢さんと高木さんとの対談企画を打診したところ「その3人ではムリだけど、弟との対談だったら」というお返事をいただいた、というのが経緯です。

 すごく不安です。

 俺もどうなるかわからないわ(笑)。

――では、さっそく進めさせていただきます。もともと神谷さんご兄弟がゲーム好きという環境の中、ゲーム好きの幼なじみが高校時代までいらっしゃったと。

 そうですね。ただ、高校を卒業して大学に入ったときに実家を出てしまったので、それ以降、弟とはバラバラに住んでいて。大学っていろいろな人間が集まってくるじゃないですか。それで音楽とかバイクとか、陽のあたる趣味を持ってるヤツはたくさんいたんですけど、中学、高校時代にいたようなディープな、ゲーム好きってヤツがいなかったんですよ。だから、大学はゲームとは違う楽しみも覚えましたけど、自分のゲーム史的には寂しい時期を過ごしましたね。

――東京の大学だったのですね。

 長野県出身ですが、大学は東京でした。実家にいるときは、もう自宅でゲーム三昧でしたね。

――ビデオゲームに触れるきっかけは?

 僕の年代ですと、まだテレビゲームがあまりない時代だったので、親といっしょに買い物に行った際、デパートのゲームコーナーでゲームを遊ぶという感じで。それがゲームに触れ始めた最初のきっかけですね。そのころは当然、弟もいっしょで。

――アーケードゲームということですね。

 アーケードゲームです。弟とは6歳差で、僕が小学校に入る直前に生まれています。僕がゲームコーナーで遊び始めたのが小学校低学年のころだから、弟はまだ記憶に残らない歳だと思うけど……お前、覚えてる?

 覚えてないね。

 ちょっと待ってください。具体的な話をする前に、ホワイトボードに年表を書いていいですか?

――年表?

 おもだったゲームや記憶に残っているゲームの発売日と、神谷家での出来事を……。

 ~10分後~

 ざっとこんな感じですかね。

 懐かしい(笑)。

神谷氏手書きによる年表。対談はこの年表に沿って話が展開されていく。

――では、改めまして。そもそも神谷家はゲームに対しては寛大だったんですか?

 きびしかったよな?

 ACアダプターを隠されるという罰をさんざん受けてきました。

――それ、僕も親にやられていたのですごくわかります。テレビは家に1台だったのですか?

 リビングに1台、奥の部屋に1台あって、奥の部屋にあるテレビがゲーム用でしたね。

――その部屋は兄弟の部屋ではなく?

 親父が布団を敷いて寝る部屋にテレビが置いてあって。だから、ふだん……何の部屋だろう?

 寝室なのかな?

 ああ、夜は親父の寝室になる部屋か。とにかく、僕らはその部屋でゲームをやってましたね。

神谷氏提供による当時のご自宅の間取り。左下の和室がテレビのあるお父さまの部屋。

――そのあたりの詳細はのちほど聞かせていただくとして、先ほどのアーケードの話を。ゲームの原体験はデパートのゲームコーナーにあるアーケードゲームだったと。

 そうですね。テレビゲーム、アーケードゲームに僕はものすごい興味を持っていて。テレビにキャラクターが映るということと、いわゆる「ピコピコ」という8ビットサウンドにとてつもない魅力を感じて。ゲームそのものを好きになっていった時期ですね。

――自宅にはゲーム機がなく、出かけた先で遊ぶというのがゲームと触れ合う最初の機会だったわけですね。

 家にゲーム機がない時代でしたから。「いちばん最初に遊んだビデオゲームは何ですか?」とTwitterで聞かれるんですけど、ぜんぜん覚えていなくて。旅館のゲームコーナーだったり、ボウリング場のゲームコーナーだったり、ああいったところで何かしらのゲームを遊んでいたので。

――海賊版のゲームもあった時代ですからね。

 確かに。いまだに「あのゲームはなんだったんだろう?」と不思議に思うゲームがたくさんありました。調べてもメーカーさえわからないゲームもいくつかあって、コナミの『タイムパイロット』(※2)に似た見た目で、空中戦で白と黒の2機で対戦するゲームがあったんですけど、あれはなんだったのかなとか。サンアイにあったんだよ。

※2:タイムパイロット……1983年、コナミ(現コナミデジタルエンタテインメント)が手掛けたアーケードゲーム。タイムスリップが可能な自機を操作し、敵戦闘機を撃破していくシューティングゲームで、自機を中心とした360°の任意スクロールが特徴。

 サンアイというのは、近所にあった量販店の名前で、その2階にボウリング場があって、そこにゲームがいろいろ置かれていたんです。

 あと、アーケードゲームのほかに、ナムコのクレー射撃のヤツ……オレンジ色の。

――『シュータウェイ』(※3)ですね。

※3:シュータウェイ……本物の銃と同等の部品を使用するなど、クレイ射撃のリアル性を追求したナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)のガンゲーム。1977年稼働。

 あったあった。

 『シュータウェイ』がボウリング場のゲームコーナーにあった時代で。お前は覚えてるかな、レースゲームで投射するヤツ。セロハンみたいな……。筐体もレースカーの車体を模していて。

――たぶん『Formula X』(※4)かと……。

※4:Formula X……1973年、中村製作所(ナムコを経て、現バンダイナムコエンターテインメント)が手掛けたフィルム映像投影式のアーケードゲーム。F1マシンをほぼ原寸大で模した大型筐体。『Formula X』をベースに改良・小型化された『フォーミュラワン』が1976年より稼働。

 ぶつかるとドカーンってなる、派手なクラッシュの演出が子どものころ怖くて……覚えてない?

 覚えてないなぁ。

 お前はまだ生まれてなかったかなぁ。そこから徐々に『パックマン』(※5)とか『ギャラクシアン』(※6)が出始めて……という時代ですね。あとは、『ピカデリーサーカス』(※7)とか『山のぼりゲーム』(※8)とか。

※5:パックマン……ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)より1980年に発表されたアーケードゲーム。プレイヤーは4方向レバーを使ってパックマンを操作。迷路の中には固有の行動パターンを持つモンスターが徘徊しており、モンスターたちの追跡をかわしながら配置されたドットを食べ尽くすとラウンドクリアーとなる。パックマンがパワーエサを食べると、モンスターに噛みついて撃退できる。

※6:ギャラクシアン……1979年に稼働がスタートしたアーケードゲーム。ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)初のシューティングゲームで、上空から編隊を組んで飛来するエイリアンをすべて撃ち落とすとステージクリアーとなる。

※7:ピカデリーサーカス……コナミ(現コナミアミューズメント)から発売されたメダルゲーム筐体。メダルを投入して当たる数字を予想する、ルーレット式のゲーム。

※8:山のぼりゲーム……こやまより発売されたプライズゲーム。前進ボタンと後退ボタンを使い、制限時間内にふもとから頂上を目指す。途中、落下する橋やヘビ、落石や雷といった障害があり、それぞれ固有の妨害方法や効果音を持つ。障害にぶつかるとスタートからやり直しとなる。

 オウムのルーレットのゲームとか(笑)

――『おしゃべりオーム』(※9)、懐かしいですね。

※9:おしゃべりオーム……タイミングよくボタンを押して、4箇所ある当たりにルーレットを止める、カトウ製作所のプライズゲーム。デモ中にオウムが「オハヨオハヨ」、「コンニチハコンニチハ」としゃべっていたのが印象的。

 そうそう(笑)。当時はエレメカ系も結構遊んでましたね。お前、いちばん最初にやったゲームって覚えてる?

 最初に遊んだゲーム? 何だろう……?

 いちばん最初って、やっぱり覚えてないよな?

 覚えてないね……。アーケードゲームなのは間違いないだろうけど。

 よく行ってたのが……。

 イトーヨーカドー。

 そう! イトーヨーカドーのゲームコーナー!! 『サスケvsコマンダー』(※10)や『ジャンプバグ』(※11)、『リバーパトロール』(※12)といったシブめのラインナップに加えて、さりげなく『ニュージグザグ』(※13)が置いてあったり。『モナコGP』(※14)の筐体もあったな。ほかにも、“井上”には『クラッシュローラー』(※15)やセガの『ターボ』(※16)があって。あとは、……はやしべ。

※10:サスケvsコマンダー……1980年、新日本企画(現SNK)から発売されたアーケードゲーム。2方向レバーでサスケを左右に動かし、クナイを投げて敵を撃退する。当時としては珍しい和風テイスト、そしてドラマ性を感じさせる演出が特徴。

※11:ジャンプバグ……1981年、セガ(現セガ・インタラクティブ)より発売されたアーケードゲーム。障害物や敵キャラクターをジャンプで交わしたり、撃ち落としながら、ドル袋や宝石を集めてゴールを目指す。サイケデリックな色調の横スクロールアクションシューティング。

※12:リバーパトロール……1981年に稼働が開始となったオルカのアーケードゲーム。2方向レバーとボタンで救助船を操作し、川で溺れた人を救助するの目的。レバーで救助船が左右に旋回、ボタンを押すと前方に進む。下流から上流に向かう状況のため、ボタンを放すとゆっくりと下流に戻される。

※13:ニュージグザグ……アーケードゲーム『ディグダグ』のコピー品。ツルハシというアイテムが追加されている。

※14:モナコGP……1979年に稼働がスタートした、セガ(現セガ・インタラクティブ)のアーケードゲーム。ステアリング操作による自機の移動に加え、シフトレバーとアクセルペダルを用いて加速と減速が行えるなど、本格的な操作が楽しめるレーシングゲーム。

※15:クラッシュローラー……1981年に稼働となったアーケードゲーム。4方向レバーで自機を操作しながら画面上の迷路をすべて塗るとステージクリアーとなる。

※16:ターボ……セガ(現セガ・インタラクティブ)が手掛けたアーケードゲーム。1981年稼働。ステアリング、2速シフトレバー、アクセルペダルを用いた操作が楽しめるレースゲームで、奥行を持たせた俯瞰視点が特徴。

 はやしべね。

――はやしべ?

 はやしやという大きなデパートがあって。

――はやしべ? はやしや?

 説明しないとわからないですよね。はやしやは、おもちゃ売り場もゲームコーナーもあるちゃんとしたデパートです。そのはやしやの道を挟んだ向かい側に、はやしべという、もうちょっと小さい3階建てくらいの店があって。婦人服しか売ってないような店なんですけど、あるときそこに、弟が小学校に入るか入らないかくらいの年に、忽然とゲームコーナーができまして。しかも、品揃えがめちゃくちゃよかったんです。はやしやのゲームコーナーは、アーケードゲームよりもエレメカ系がメインという感じだったんですけど、はやしべの中に突如現れたゲームコーナーは、テーブル筐体が30台くらいズラッと並んでいて! 見たことのないビデオゲームが並んでいたんですよ。お前、これは覚えてるよな?

旧はやしや。中央奥の白い建物(パルコ)の場所に建っていて、道路を挟んだその向かい側に“はやしべ”がありました(写真提供、解説:神谷氏)。

 いや、そんなに覚えてない……。

 覚えてない!? なんでだよ! はやしやに母ちゃんが買い物に行くときは必ず僕らもついていって、僕たちは「おもちゃを見てるから」と言いながらはやしやを出て、はやしべに行ってゲームを遊びまくるという。……ふたりで行ってたのに覚えてないのかよ!

――テーブル筐体ということは、古めのものも?

 そうですね。メジャーなものからマイナーなものまでいろいろありましたね。『ラリーX』(※17)とか『QIX』(※18)とか『ニューヨークニューヨーク』(※19)などが置いてあったのが印象に残ってます。

※17:ラリーX……ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)が手掛け、1980年に稼働がスタートしたアーケードゲーム。青いクルマを操作し、追ってくる赤いクルマや配置された岩を避けながら、迷路状のステージ内にある旗(フラッグ)で示された10箇所のチェックポイントを通過するのが目的。

※18:QIX……1981年に稼働となった、タイトーが手掛けたアーケードゲーム。フィールド内にあるマーカーを動かし、QIXと呼ばれる線状の物体に触れないように、フィールドの領域内にラインを引いてエリアを作る陣取りゲーム。エリアの総面積がステージごとに設定された占有率に達するとステージクリアーとなる。

※19:ニューヨークニューヨーク……シグマにより1980年に稼働がスタートしたアーケードゲーム。自由の女神のグラフィックが印象に残るシューティングで、同じゲーム内容で背景グラフィックやBGMを変更した『我が青春のアルカディア』バージョンもある。

――『ニューヨークニューヨーク』は音声合成が印象的なシューティングゲームですね。

 マイナーなものはとことんマイナーで、モグラたたきのゲームとか、見たことのない、どこのメーカーのゲームかもわからないようなものも並んでいて、ちょっとディープな空間でした。そのうえ、そもそも子どもが来るような店じゃないので、いつも閑散としていて、本当に穴場でしたね。はやしやのゲームコーナーはガキどもが群がっているんですけど、はやしべは静まり返っているから思う存分やりたいゲームが遊べました。母ちゃんも自分の買い物に専念したいから「ちょっと遊んでこい」って多めに小遣いをはずんでくれて。それを大事に握りしめて、ゲームを厳選して遊んでましたね。