メロスは激怒した。
先日、ライトノベル作家である れーじ/午後12時の男(これがペンネームです) @le_ji氏による、こんなツイートが話題になりました。
タイムシフト 君と見た海、君がいた空 (ダッシュエックス文庫DIGITAL)
- 作者: 午後12時の男,植田亮
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/11/25
- メディア: Kindle版
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https://twitter.com/le_ji/status/938977100454694914
https://twitter.com/le_ji/status/938978033070833665
最近の「ネット小説界隈」では情景描写や心理描写が極端に軽視、というより忌避されており、「ウザい」と言う人間すらいる、これはたいへん嘆かわしく「行き着く先は闇だよ」という主張のようです。
これに、アマチュア小説執筆者を含めた多くの人々が同調した結果、現在のRT数は既に1万(!)を越えています。
同調者の多くは、「『情景描写とか感情描写書きすぎるとウザい。「俺は深く悲しんだ」とかでいい』みたいなこと言うやつ」をネット小説の読者であり、またしばしば、作家にそのような要求を直接突きつけているものとして捉えているようです。恐らく想定されているのは、ツイッターでの作者へのリプライや、「小説家になろう」の作品個別の感想ページなのでしょう。
そのようなイメージを元に、世代論的ネット小説論的な「考察」も多くなされています。
たいへんな騒ぎですね。
自分としてはこれについて、「俺は深く悲しんだ」のような簡素な描写が有効な場合も普通にあるのでは?とか、「“書きすぎると”ウザい」と言っているのなら別に「情景描写とか感情描写」自体を否定しているわけではないのでは?といった、主張の内容面での疑問もありましたが、まずそもそも「言うやつがいるらしくて」という伝聞とおぼしきこの情報の具体的な出どころが気になりました。
そこで、 れーじ/午後12時の男@le_ji氏にリプライで質問してみたところ、以下のような回答が得られました。
https://twitter.com/le_ji/status/939857220132421632
https://twitter.com/le_ji/status/939857524462837761
https://twitter.com/le_ji/status/939858430419877888
やはり「知り合いの新人賞1次落ちの原稿」や「某小説サイトの掲示板」の実物を見ないことにはたしかなことは言えませんが、少なくともれーじ/午後12時の男@le_ji氏自身が体験したのは、もっと書き込めという自分のアドバイスが、掲示板の書き込みの一つを根拠にして*1文字書きの知人に拒絶された、という個人的な話だったようです。
恐らく、同調者の多くがイメージしていた状況とは、かなり印象が異なるのではないでしょうか。「愚痴」(れーじ/午後12時の男@le_ji氏による表現)の対象を「最近のネット小説界隈」のような大雑把な範囲ではなく、自分のアドバイスを受け入れなかった「知人」や「某小説サイトの掲示板」の書き込みに予め適切に限定していれば、ここまで広く拡散されることもなかったかもしれません。
もちろん作家といえども人間ですから、つい大げさなことを言ってしまうこともあるでしょう。しかし、更に問題なのは、れーじ/午後12時の男@le_ji氏は多数のリプライや引用RT(受信側の設定にもよりますが基本的にはリプライ同様に内容がそのまま通知で届きます)などで自分のツイートがどのように読まれて(「誤読」されて)いるのかを知りながら、それを修正するための補足説明を、直接質問を受けるまではせずに放置したことです。あまつさえ氏は、ツイートの爆発的な拡散を利用する形で自作の宣伝まで行っています。
https://twitter.com/le_ji/status/939493026526765056
https://twitter.com/Tanaka86Masami/status/939505818415669248
https://twitter.com/le_ji/status/939510920337768448
https://twitter.com/le_ji/status/939514741814202368
話は変わりますが、少し前に、これもまたラノベ作家の如月真弘@「山本五十子の決断」1巻発売中 @mahirokisaragi氏のこんなツイートが大きな話題になりました。
- 作者: 如月真弘
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- 発売日: 2017/11/20
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https://twitter.com/mahirokisaragi/status/936584170200907776
https://twitter.com/mahirokisaragi/status/936584837615403008
この、「「気が狂った」という言葉も今は小説などで使ってはいけないそうです」というツイートも、やはり1万以上(!)RTされています。その反応の多くは、行き過ぎた自主規制の広がりを危惧する声でした。
実際のところはどうだったのかというと、まとめ内でも指摘されているように、電子書籍ストアで「気が狂う」などの表現を横断検索(という便利な機能があるのです)にかけてみると、最近出版された作品でも使用例が多数存在することが確認できます。
そのため、まとめ内にある他の作家の証言を加味したとしても、現状は「使いにくくなってきている」「使えない場合(出版社)もある」という段階にあるものと思われます。それだけでも重大な問題だとは言えますが、「今は小説などで使ってはいけないそうです」というのは出版業界全体にまたがる一律の規制が現に存在すると錯覚させかねないもので、現状に対しては明らかに過大な表現である、ということになりそうです。
れーじ/午後12時の男 @le_jiと同様に、如月真弘@「山本五十子の決断」1巻発売中 @mahirokisaragi氏も、この「誤解」を解くような動きをすることは特になく、リプライに対してはむしろ積極的に不安に同調するような対応の方が多く見られました。
こういった作家たちの態度は、本人の最初の意図がどういうものだったのであれそれとは無関係に、「悪質」であると考えています。SNSという気軽に情報を発信できる場であっても、むしろだからこそ「(プロ)作家」という肩書きの元に発せられる言葉が持つ重み、限定的な範囲であれ共通認識を生み出してしまう可能性というものに自覚がないように見える。作家が原因のケースではありませんが、一度広く定着してしまった認識を修正するのがどれほど困難なのかは、このあたりの例を見ても明らかです。
もちろん発言自体をやめさせることは技術的にも倫理的にもできませんが、こういった、大げさ・紛らわしい情報を(無自覚に?)振りまきがちな体質の人々の影響力を押さえ込む方法は、何らかの形でどうにか上手いこと実現してほしいなあ、と願っています(他力)
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*1:これも実際はどこまで真に受けていたのか分からないし、もしかしたら軽い参考程度だったのかもしれないが。