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「内閣情報調査室」という、総理官邸に直結した組織の情報マンだった水谷俊夫(仮名)氏。
彼は、中国情勢の研究セミナーで知り合ったロシア大使館員に誘われ、会食するようになる。無論、情報獲得のための接触だというつもりだった。
だが、大使館員は会食のたびに土産を渡すようになってきた。ハンカチセットにはじまり、高速道路のプリペイドカード、デパートの商品券……。徐々に警戒心を解きほぐされた水谷は、ついに現金を受け取ってしまう。
「私は金には困っていませんでした。妻も仕事を持っているし、親との二世帯住宅に暮らしており、家賃もローンもありませんでした。
でも、小遣いの枠が少し増える。それに、渡されるモノの金銭的価値が徐々に高くなっていく。それがいつしか心地よくなっていたのです。
当初は、もらった金はいったん預金して、いざとなったら突き返してやろうと考えていたのですが、結局は競馬や酒、海外旅行に使っていました」(水谷氏)
筆者が接触した時点での水谷は、冷静に自己分析して、坦々と語ってくれた。
「土産」はランクアップを続け、ついには現金5万円になった。最初は土産の袋の下に現金入りの封筒が入っていたのだが、その渡し方にも変化があらわれた。
「次に会うのはこの店です。●月●日■時です」
グリベンコ一等書記官が、次に会う店のパンフレットを渡す。水谷は中を確認せずに、そのまま背広の内ポケットにしまう。
自宅でパンフレットを取り出して開いてみると、封筒が挟まっている。中には現金5万円が入っているのだ。
この秘密めいた受け渡しが、ルールになった。
次の会食の店を指定する方法としても、奇妙なやり方だった。1ヵ月以上も先の約束をするのだから、普通なら電話などで連絡を取り合って、店や時間を決めるというのが相場だろう。
だが、水谷と接触していたロシア大使館員たちは、電話での連絡を極度に嫌った。
グリベンゴの前任者で、水谷が最初に会食をするようになったリモノフ一等書記官時代のことだ。
水谷は一度、大使館に連絡して約束の確認をしたことがある。この行為に、リモノフは怒った。
「個人的な関係なのだから、職場への電話は絶対にやめて欲しい」
水谷は不思議に思いながらも、このルールを受け入れた。
ロシアの諜報員たちが、日本の公安当局の盗聴を警戒して電話を拒否していることも知らずに……。