僕は貧乏な家に育った。
両親も一人の兄も中卒で、自分の将来に相談にのってもらえるようなタイプではなかった。
僕は中学生までは何もしないでも勉強ができた。なぜ周りがこんな簡単なことができないか不思議だった。
高校に入って落ちこぼれた。こんなはずではないと思いながらも、両親も兄も勉強したことが無い人であり、どうしたら抜け出せるか相談ができる人ではなかった。
浪人した。父親は自営業でアル中で、家にいることが多い浪人の俺をゲスで少ないボキャブラリでなじった。酒臭い毎度のそんな小言に耐え、昼間はアルバイトし、夜は勉強の仕方もわからないので、写経のように中指が折れ曲がるほど参考書を書き写して(今も曲がってる)。そして誰でも知ってる名のある大学に受かった。
大学に入って、バイトして稼ぎつつ軽音楽のサークルに入った。少し才能が開花した。結果も残し大手事務所から誘いがあった。野球で言えば在京球団のドラフト2位くらいの実力があった。しかし自分の人生の岐路を、少ない日銭を酒で浪費するような両親には相談しても意味が無かった(両親からは「自分と違う人種」としてすでに見られていたと思う)。せっかく苦労して入った大学でもあり、親から自立することだけが自由になる道と考え、当時は給料が高く安定職種のゼネコンに入った。
就職して発狂するほど働いた。その後不況が本格化・長期化して、周りはプレッシャーに耐えかねて不幸なことになる人(...)がたくさんいた。自分も過労その他で入退院を繰り返す時期もあった。しかし、自立することだけが目標だった自分にとって耐えて生き残らなければいけない場所だった。
ただただ仕事だけをして結婚もせず、40歳で心身ともに疲れて会社を辞めた。その後3年間、貯金を食いつぶし、ただ突っ伏して寝ていた。ほとんど誰とも口をきかなかった。親にも会わなかった。
3年で貯金残額に不安が出た。まだ不況の最中だったけど、なぜかとある国の機関に期限付き職員で拾われた。たまたま拾われた理由は音楽系の経験を面接で聞かれたからで、面接官もその手合いの人であった。
入ってしまえば、働いて結果を残すことだけは教えられなくてもできた。期限が切れるときに特例で正職員になった。今は海外と行ったり来たりで一人の職員として責任ある仕事をしている。でもやっぱり忙しく追いつめられる日々だ。数年あとに同じ場所にいるかはわからない。
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50歳になるが、人生にすごい後悔をしていて両親を恨んでいる。
高校の時に相談にのってくれる両親であれば、もっと違う道があったかもしれない。
大学の時に夢に後押ししてくれる両親であれば、もっと違う道があったかもしれない。
就職して命がけで働いているときに止めてくれれば、もっと違う道があったかもしれない。
退職して3年の空白期間で手を差し伸べてもらえれば、他の違う道があったかもしれない。(←いやそれは言い過ぎだけど)
今年は両親が立て続けに他界した。
そういえば、俺が大学に受かったときに、親父が今までに見せたことの無い笑顔でとびあがって喜んでたなぁ。今もその時を思い出して泣いてる。自分がした唯一の親孝行だったかもしれない。