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ワシントンポストが、トランプをボコってる!

 投稿者:政局  投稿日:2017年12月11日(月)00時01分29秒
  Trump’s mental meltdown

https://www.washingtonpost.com/opinions/trumps-mental-meltdown/2017/12/07/a010dbcc-d605-11e7-b62d-d9345ced896d_story.html?tid=ss_tw&utm_term=.c56497a1a2f1

精神崩壊した健康不安のマヌケでパッパラパーが

核戦争や第三次世界大戦を起こしそうで

アメリカでもみんな恐れおののいてるそうです。
 

新人間革命

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年12月10日(日)23時56分56秒
  秋月が「提婆達多」と叱責されるようになった事まで記載お願いします  

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年12月10日(日)23時50分8秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
宿坊をご覧の皆様方の友情が全世界に響き渡ります様に
おやすみなさい
 

同盟題目!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年12月10日(日)22時57分31秒
  23時に開始します。よろしくお願い致します。
池田先生と奥様のご健康をしっかり祈りましょう。
寒い日が続きます。皆さまもお身体ご自愛下さい。
 

師弟裏切りの一年。

 投稿者:世界青の日本刀  投稿日:2017年12月10日(日)22時39分5秒
  とうとう、新人間革命が、学会の正史となってしまった。
先生が70歳の誕生日から執筆された随筆 新人間革命。数年間にわたり掲載された。その数はなんと三百数十編。数日に一編くらいの勢い。その間に魂の叫び、長編詩もあった。師匠からの嵐のような励まし。戸田先生のこと、全国の地域のこと、ご自身のこと。壮年、婦人を励まし、未来部を励ます。なかでも青年部にたいする激励は凄まじかった。
創価班の全国幹部から、当時の先生の執筆活動のご様子をを聞いたことがある。先生は、寸暇を惜しんで随筆や長編詩をつくられた。あまりに多忙なために口述筆記も多かった。先生の次から次に出てくるお言葉に聖教の担当者も勢いについてゆけない。ときには、食事の時間も惜しんで。そこには、全国の世界の会員を励まそうとの先生の思いと、万が一のことを考えて真実を残そうとされた。まさに遺言のように。

先生が命を削って残された随筆とあまりに違う。いや、違いすぎる。「嵐の4.24」をはじめとする、あの頃の先生の随筆は嘘だと言うのか!ここまでして、自分達が会長を辞めさせた事実を隠蔽したいのかと思うと情けなくなる。あまりに姑息である。先生は昭和54年のことを「私を引退させておいて」と言われている。51歳の師匠を引退させた。
本当の弟子ならば「先生と共に私も辞任します」ではないのか…

今の変節の一番の元は、当時の裏切りの弟子が、今も執行部にいること。先生をおもしろく思わない輩はいる。彼等は先生の引退を虎視眈々と待っていた。先生は、特に職員幹部に厳しい。昭和54年と同じ、先生がいなくてもうまくやれると。

過日、先生は「一度裏切ったものは、また裏切る。」と言われた。男子部時代にある先輩から聞いた。先生は、54年を許していない。「私は、54年の裏切り者を、絶対に信用しない。信用できるのは青年部だけだ。」と言われたと。

新人間革命の大命題は、はじめににあるように
勝者も、敗者もあきらかにすること。「師匠を守らなかった弟子がいた。だから、二度と私を裏切るな!」との先生の叫びだと思う。ありのままの「4.24」を残さなかった。大きな裏切りである。しかし、真実は必ず明らかになる。大聖人の仏法は厳しい。

昭和54年と共に、平成29年は師匠を裏切った年になってしまった。

先生にどれだけ激励をいただき、励まして頂いたか。それなのに、師匠の真実が捻じ曲げられていても声もあげない。そんな弟子にはなりたくない。


あの時、声をあげれば…

その時では、すでに遅いだろう。

師匠との時間は限られているのだから…


 

螺髪さま

 投稿者:ペロ  投稿日:2017年12月10日(日)22時33分12秒
  レスありがとうございます!

がんばって読みますので撤退しないでくださーい。

よろしくお願いしまーす!
 

「珍・人間革命」力走の章、検証を終えて、

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年12月10日(日)22時19分10秒
  「珍・人間革命」力走の章の検証が終わりました。
結論から述べれば、省略・書き換え箇所は56ヵ所と常楽に比べ、少ないものとなりました。
大幅な省略と思える箇所も、常楽が7ヵ所に対し、1ヵ所しかありませんでした。

他の省略・書き換え箇所に関しては、いずれも山本伸一を伸一、幹部の姓名が姓だけ、あるいは文脈を損なわぬような書き換えといったものでした。


教学的な面から見ても、常楽においては、「法華経の肝心の南無妙法蓮華経」といった宮田教学を引きづった表現がありましたが、
力走においては、そのような表現は無く、むしろ、以前の健全な学会であった頃の表現に留まっていました。
幹部の心構えやリーダーとしての資質も同様でした。

素朴な思いとしては、いまだ2章を検証しただけですが、どうしてこんなに顕著に差があるのか? ということです。
少なくとも、常楽においては、現罰を強調する内容に書き換えられていたり、新たな「七つの鐘」の打ち出しが省略されていたり、
何者かの意図が感じられる部分がありましたが、力走においてはそのように感じられる箇所はありませんでした。

書き手の力量の差なのか? 編集する方が違ったのか? 最終許可の印鑑を押される方が違ったのか? まったくわかりません。

今後も検証をしてみないと結論はでないかもしれません。
清新・源流とあと2章残っておりますので、引き続き検証してみたいと思います。

 

太ちゃん様へ

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2017年12月10日(日)22時05分32秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77264

お調べいただきまして、ありがとうございます。
 

さあ~て、財務だよね。三桁四桁の数字でお願いします(爆)

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年12月10日(日)20時09分48秒
  奴隷学会職員ならびに毎日、毎日、頭禿げるまで酒浸りの散財生活を満喫する大患部、手下の皆さんのために三桁、四桁の数字の財務をしませう!
南無自民創価公明党佛~南無自民創価公明党佛~南無自民創価公明党佛~チ~~ン!

三桁→100円、四桁→1000円を郵便局ATMにて手続きをどうぞ!そもそも、不文律の一口1万円なんて規定はありませんからね。振り込め用紙にも書いてないでしょ。目標100円、1000円でも、あの禿げどもにはもったいないけれど、財務参加しました~と財務部員の人数減少で、ほかの会員さんに要らぬ募集迷惑をかけないために、謗施ギリギリの三桁くらいは入金してやりましょう。

足りない分は、後期高齢大患部の高額報酬から捻出して下さいよね。愛人・非嫡出子を飢え死にさせても構いません。だって、それはあなた方のせいだからね!
一緒に海外逃亡して日本に戻って来なくてもいいですよ!イスラム諸国にでも逝って下さいよね、日本に居ては迷惑ですから!宜しくね~~
南無日蓮世界宗創価学会佛~~南無日蓮世界宗創価学会佛~~南無日蓮世界宗創価学会佛~~チ~~ン!
 

ペロさんへ

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年12月10日(日)19時46分8秒
   ペロさん、ありがとうございます。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77291

 御書の研鑽、頑張って下さい。

 >螺髪様の投稿は何やら難解そうでいつもはパスしてるのですが、、、<

 大丈夫です。もうそろそろ、退散しようと思っていますから。代わりに宜しくお願いしますね。



 

あまりに違う人革と新人革、ホントは反省してない秋月くんの反省の弁 ワラ

 投稿者:通ります(コテハンの)  投稿日:2017年12月10日(日)19時13分6秒
編集済
  人間革命第2巻・車軸

『ぼくと諸君との間に、毛筋一本でもはさまって、余計な摩擦があれば、学会の車軸は金剛不壊ではなくなるのだよ。……ここのところがわかるかな。それには、一生涯、今までよりも更に純粋な、強い信心でなければなりません。』

↓↑↓↑      ↓↑↓↑

聖教新聞 新・人間革命 勝ち鬨四

十条さんが亡くなり秋月さんが会長就任。
「伸一は、冷静、沈着な秋月ならば…」

 

ミネルヴァの梟様

 投稿者:ケロンパ  投稿日:2017年12月10日(日)19時08分41秒
  いつも切れ味の鋭い勇者の投稿を楽しみに拝見しています。

「病気の人がものすごく多い。」とのこと。

敢えて私は自分の投稿では控えましたが、実のところ全くその通りなんです。

病気だけではなく、命に及びそうな大事故を起こす壮年などなど

病気と事故が現場で大流行?しているんですね。

どうやら安易に「転重軽受」と捉えてしまって良いのか、

「眼前の現証」として捉えたほうが妥当のような感じがするのですね。

余りにも病気、事故などが多すぎます。

功徳、功徳、福運、福運などと自公支援に

思考停止で猪突猛進したのも一つの要因かと。。

ま、極悪自公だけじゃないですけどね、今の学会の狂騒曲ぶりは。

とにかく何時になったらガッカイインは

「何かがおかしい(おかしすぎる)」と気付くのでしょうか。。。
 

バカどもに感謝?

 投稿者:ケロンパ  投稿日:2017年12月10日(日)19時03分8秒
  フロム関西様
レスありがとうございました。

シナノん本部の僭しょーべんたれ増上慢という
「極悪」に対する大闘争心を燃やして
戦って行こうと思ってまーす!

でも、つくづくカンチガイのパラダ374919一味に感謝ってところですかねー(笑)。
宗門の極悪一凶と激しく戦ってたあの頃のように
大きく境涯革命を進める大チャンス到来の「時」をくれたのだから。
バカどもめ!ははは。

それにしても、ほんと極悪に対する怒りの一念が、
学会総体(日本中)からどっかに消えちゃってますよねー。
だから大小の悪に対して「まあいいか」の一念で、
許容、黙認、傍観してしまっているんでしょーねー。
その結果が今の学会(日本)の体たらくです。
まさに「体曲がれば影斜めなり」ですね。
あ、今月の座談会御書そのものの世相ですか!

政局さんが引用された記事の
『組織内で良かれと思って声をあげると、孤立して左遷されるのはお約束。
最悪、「自分から辞めたいという申し出があった」という体裁で、退職に追い込まれる。
日本社会ほど内部告発に厳しい社会はない。』は、
そのまま今の学会(信濃町、公明、創価大学、現場組織、他すべて)の在り様そのもの。

本来、正義の声をあげるような人こそダイヤモンドの大人材のはず。
先生が最も期待する勇気ある後継の弟子です。
しかしながら、幹部の人材を見抜けぬ境涯の低さから、こともあろうか、
そのダイヤモンドの人材群を切って切って潰しまくってきたのが昨今の学会です。
衰退するのは当たり前ですね。

小賢く組織で泳ぐ小魚を「良い人材」と安易に思い込み、
イエスマンが(悪しき)ロールモデルとして充満し切っているのが学会の現状。
会長から中間幹部までの 先生と隔絶した
「境涯の低劣さ」による的外れな人材登用。
これが今の学会衰退の主因の一つではないでしょーか。

にも拘らず、おそらく本部職員や中間幹部のほとんどは、
「自分は先生の弟子として、あ・い・か・わ・ら・ず、がんばっている」
なんて自分を納得させちゃってるんでしょうね。
戸田先生が「人間革命」の中で厳しく叱咤されたように、
この「あ・い・か・わ・ら・ず」の一念が衰退への一凶なのにです。

眼前に広がる日本と世界の窮状を目の当たりにしてさえ
保身で臆病な彼らが、リスクを背負ってダイナミックに
広宣流布を切り開いて行こうなんて気概も勝負勘もないことは一目瞭然です。
兎にも角にもミスを犯すまいと戦々恐々、右往左往だけの会運営。
その顛末が今の学会の混乱と惨状です。

彼らの保身で臆病な「頑張ってるつもり」の指揮が、
どれだけ先生の呼吸と隔絶していることか。
臆病に食われた生命の裏返しで、権威権力による虚勢を張ってるだけの負け犬ども!
信濃町執行部が何よりの「広宣流布の一凶」です。

なにやら新・人間革命も、
「(現)会長を中心に団結することが、どこまでも広宣流布の要諦」
なんてプロパガンダ的内容になりそうで、私は身の毛もよだつ嫌悪感を抱いています。
どこまで先生を利用し、会員を騙せば気が済むんだ!
この悪党どもめ!

でも、なんちゃって頑張ってるつもりの彼らに
自身極悪一凶の自覚などは、ゆめゆめ有りもしないでしょう。。
 

ネットの時代

 投稿者:モンブラン  投稿日:2017年12月10日(日)18時40分56秒
  ネットの情報を、胡散臭い、と無視する傾向が、60代以上の世代に多い、と指摘する識者がいる。新聞・テレビ等大手マスコミの流す情報を、そのまま鵜呑みにし、疑問を持つことが少ないため、情報操作されても気づきにくいという。福島原発事故は、これまでの日本の大手マスコミの抱える問題を、世界中に知らしめる契機となった。比較的正しい情報は、自由報道協会をはじめとするフリーランスのジャーナリスト達が、ネットで配信していたことを、欧州議会の欧仏会議の関係者が認めている。(東京FM Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM 2012年2月24日vol.201、Podcastで視聴可能)

福島原発事故を受けて、日本の憲政史上初めて、政府からも事業者からも独立した民間人による事故調査委員会が設けられた。約半年という時間制限が設けられるという厳しい条件で、黒川委員長のもと、600頁にも及ぶ事故調査報告書がまとめられた。福島原発事故は、3・11以前の東電や規制当局の不作為による「人災」と断定している。

黒川委員長は、政府・官僚・東電・マスコミの隠蔽体質を踏まえた上で、これからの時代は、自ら情報を取りに行くことが生きていく上で欠かせないと指摘している。(「規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす 黒川清 講談社」)

この報告書は、ネット上に公開されており、誰でも閲覧可能になっている。また、英訳版も作成されている。徳間書店から、「国会事故調 報告書」として書籍化されている。

徳間書店によると、この報告書は、参考人聴取1167人延べ900時間超、資料請求2000件以上、避難者アンケート1万人超、タウンミーテング3回を踏まえた調査レポートであるという。黒川委員長は、この調査報告により、米科学振興協会の「科学の自由と責任賞」をアジア人初として受賞されている。

この調査報告書のことは、大手マスコミは大きく取り上げることをしないし、また、取り上げることができない。自分達の隠蔽していた非を認めることになるので、「調査が不十分」と難癖をつけることくらいしかできていないと、上杉隆氏が指摘している。(東京FM Tokyo Midtown presents The Lifestyle MUSEUM 2012年7月6日vol.220、Podcastで視聴可能)

私は、上杉隆氏の政治的主張を支持しているわけではないが、日本記者クラブ制度の問題についての批判は、正しいと思っている。

ネット上の情報は、まさに玉石混交、情報を取りに行く側のリテラシーを磨くしかないと思う。

池田先生の創価学会を1日も早く取り戻す上で、この掲示板の果たす役割は、大きいと思うし、管理人様をはじめ常連の投稿者の方々に感謝しております。
 

北朝鮮撲滅唱題会

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年12月10日(日)18時36分21秒
  今日の地区座談会で、地区婦人部長が北朝鮮撲滅唱題会を地区有志で続けて行こう!との提案がありまして、婦人部が熱狂歓喜して、壮年部もノリノリでした。北朝鮮撲滅唱題会は悪を滅する祈り、功徳倍増の唱題闘争なのです!!!年末年始は3桁4桁の財務をして福運倍増、北朝鮮撲滅で、北朝鮮撲滅戦争の早期開戦、わが創価大日本帝国も集団的自衛権で参戦して、戦時経済て大儲けのウハウハ新年なのです~。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。  

「あべ過ぎ」の学会員、多すぎ?

 投稿者:某Twitterより  投稿日:2017年12月10日(日)18時27分15秒
編集済
  某外部の人

女子高生の間で
「あべ過ぎ」
という言葉が流行っているそうです。その意味は
「馬鹿過ぎる」
「人の話を聞かない」
「聞かれた事に答えない」
「聞かれてもごまかす」
だそうです。
「あべ過ぎ」の安倍さんご存知ですか?



某内部の人

両親と政治や社会の話をしようとすると避けられてしまう。
自公が批判されちゃうから怖いのだろう。
しかし、うちの両親は恐ろしく物事を良く考えられない。
題目して学会活動してれば何事も上手くいく、福運もって、それだけ。
どれだけ悪政が行われていても興味なしである。
悲しすぎる。
 

19.沙の餅

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年12月10日(日)18時25分57秒
  沙(いさご)の餅

 私はしあわせなことに、無数の信仰上の友人をもっている。世界にも同じように、数えきれないほど多くの友人をもっている。その意味では、世界一のしあわせ者であると、常に私は思っている。
 よく、私は笑いながら、こう言うことがある。-幼な児と老人はもっとも信頼できるし、安心できる。その中間の人びとは、さまざまなこれからの人間模様の旅路であって、まことにその心がつかみにくい場合がある、と。

 私の知人に、面白いお年寄りがいる。Oさんという。まもなく七十の坂を迎えようとするお爺さんだが、矍鑠たるものだ。東京の下町に住み、車の行き来の激しい国道の脇で、ささやかなソバ屋を営んでいる。
 ところで、Oさんは無類の花好きである。苦しい生活のなかからやりくりしたお金で、もよりの駅に花壇を贈ったこともある。
 数年前のある日、Oさんは一つのプランを思いたった。街路樹の下の猫の額ほどのところに花を植えてみよう-。東京の下町といえば、灰色の工場群と密集する家々のなかで、なにせ“緑”が少ない。しかも国道沿いともなれば、ひっきりなしに往来する車の排気ガスで“緑”は死に絶えんばかり。わずかにプラタナスの街路樹だけががんばっているありさまだ。そんな灰色の風景に、なんとか“緑”の潤いを点ずることはできないものか、と。
 店先のプラタナスの木の下に、五粒のヒマワリの種をまいた。やがて芽を出したが、うち二本は、すぐしおれ、黄ばんでいった。一ヵ月ほどしてもう一本がダウン。だが、Oさんの丹精こめた世話のかいがあり、二本は小さなつぼみをつけるまでに生長した。一本の茎はまさしく花を咲かさんとしゆく直前に力尽きたが、最後の一本は、見事な花を咲かせた。これに勇気づけられたOさんは、地域の緑化運動に奔走し始めた。そして、区当局や建設省をも動かす、貴重な一石を投ずることができた。
 私は、Oさんのことを書きながら、わが子を立派に育て上げようとするお母さん方の苦労を思い浮かべている。煤煙と排気ガスに覆われた空気と同じように、現在の教育環境はあまりにひどすぎる。七月中旬に発表された、五十四年度の「警察白書」によると、少年非行は、千人中十四人にものぼり、戦後第三のピークを迎えている、とあった。昭和二十六年、三十九年が、それぞれ第一、第二のピークであったが、それらの時期に比べて今回に目立つことは、豊かな社会のなかでの「遊び型非行」の増加である。衝動的な万引、自転車やオートバイ泥棒、シンナー、覚せい剤犯罪、少女の性非行等々、しかも、年々低年齢化の傾向にある。

 角度を変えていえば、従来の非行は、家庭の貧しさで進学ができなかったり、片親が欠けていたり、比較的原因がはっきりしていた。
 しかし現在は、必ずしもそうではない。家庭環境の大切さはいうまでもないが、そのほかの学校生活、社会全体の病んだ姿が、鋭敏に子供たちの心に投影されている。いわば“複合汚染”の状態にあるといってよい。それだけに、お母さん方の気苦労も、察するにあまりあるのである。

 「雑阿含経」という仏典に、徳勝童子、無勝童子の話が出てくる。釈尊の亡くなったあと百年たったころ、インドに善政をしたアショーカ王の因縁に関するものである。

 -あるとき釈尊が、一つの村に乞食行に出かけた。すると、徳勝、無勝という名の二人の童子(一人という説もある)が、砂場で遊びたわむれていた。なにせ釈尊は、三十二相(仏が身に備えている三十二のすぐれた特質)といわれるほど、威風あたりをはらう荘厳な姿をしていたのであろう。近づくのを目にした徳勝童子は、なにか仏に供養したいと思い、そばの砂を固めて、“沙(いさご)の餅(もち)”を釈尊の手にする鉢の中へ供養した。それを見ていた無勝童子も、合掌して喜んだ。その功徳によって、のちに徳勝童子はアショーカ王に生まれた、と経文では説かれている。

 日蓮大聖人はこの例を引き「仏は真に尊くして物によらず」と仰せになっている。
 これこそ利害や打算をこえた信仰の尊さを教えた説話であるといってよい。純真な信仰心さえあれば、たとえ“沙の餅”であっても、考えられないほどの福運を積むことができる。私は仏典が、純粋な信仰を童子の心になぞらえたのは、十分に理由のあることだと思っている。
 なぜなら、子供たちの心には、本来、利害や打算のはいり込む余地はないからだ。邪心のない素直な心の発露-。子らは損得では動かない。興味で動く。好奇心のかたまりである。乾いた大地が雨を吸い込むように、未知なるもの、未知の領域を貪欲に吸収しゆくといってよい。限りなくひたすら未来を夢見る生来の楽観主義者であり、まっすぐに伸びれば非行や自殺などとは、およそ縁遠いはずなのだ。その可能性の広々として豊かな沃野を、一定の受験技術の習得のために、けっして閉じ込めてしまってはならない。

 お母さん方は、どうかわが子の“沙の餅”に心を留めてもらいたい。そこに託された未来からの希望のメッセージに、心豊かに耳を傾けていただきたい。その愛情細やかな配慮があれば、どんなに社会環境が悪くても、子供たちは、必ず自分の手で道を切り開いていくにちがいない。ちょうどOさんの店先に咲いた、一本のヒマワリのように。

『主婦と暮し・昭和54年9月号』掲載


 

伝四条金吾本尊

 投稿者:身延の町民  投稿日:2017年12月10日(日)17時14分53秒
  四条金吾が書いたといわれる本尊  不動愛染の梵字と花押は日蓮直筆とされる 身延大火で失われた 写しが現存する
 

螺髪様

 投稿者:ペロ  投稿日:2017年12月10日(日)17時00分38秒
  「以心代慧」大事ですね。

私は、

大聖人を信じ、

御本尊を信じ、

牧口先生、戸田先生、池田先生を信じ、

仏法を真剣に実践し、大きく人生を開いて来ました。


トンチンカン執行部によりこの2,3年

一番大事な私の「信」はグラグラになりました。

奴らは信心破壊の魔物以外の何ものでもありませんね。

私の中で奴らはすでに仏敵として「認定」しています。


最近は、仏敵に戦いを起こしている一人立つ勇者の皆さまに触発され、

私自身、先生直結で新たな戦いをがっちり起こし始めています。


螺髪様の投稿は何やら難解そうでいつもはパスしてるのですが、、、
(スミマセン)

今回の螺髪様の投稿を読んで、なんかもう一度

御書を真剣に研鑽させて頂こうと決意することができました。

ありがとうございました。

 

鬼子母神の愛

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年12月10日(日)12時56分35秒
  座談会があったが、相変わらず病気の人がものすごく多い。
地区だけの話ではない。支部でも本部でもそうだ。

皆さん元気に復帰してはいるが、症状そのものは命に関わるほど重い場合も多いのだ。

今のところは転重軽受と捉えてもたぶん正しいと思うが、今後自公の戦争政策のせいで死者が出る様な事態になれば、そうは行かない。
選挙で自公を支援した結果招いた事なら、当然一人一人の仏法的な責任を問われることになるだろう。上の指示に従っただけというのは通用しない。それはアイヒマンの屁理屈だ。

御本尊は「厳父の愛」。「慈母の愛」でもなければ、ましてや「鬼子母神の愛」などでは絶対にない。
自公安倍政権は「鬼子母神の愛」だ。自分の子だけを慈しみ、他人の子は取って食う。

北朝鮮情勢はますます危なくなっている。
アベもトランプも私には、「戦争というものを軽く考えている」様に見えてしょうがない。
要するによく分かっていない連中なのだ。第3次世界大戦という言葉など、能天気すぎて頭の片隅にも無いのだろう。

今後更に圧力を強め海上封鎖など始めれば、偶発戦争の危険はピークに達するだろう。
あんな軽薄そうな連中に、世界大戦など起こされてたまるか。

100万単位で人が死ぬ様な戦争を始めた奴は死刑だ。
私は死刑廃止論者だが、核兵器を使った奴とこういう場合だけは例外だ。


リニア中央新幹線工事を巡り、大林組に東京地検特捜部の強制捜査が入った。
またか!安倍政権になってからこんな事件ばっかりではないか。
モリカケスパ(もりソバかけソバだけでなく、スパゲティも加わった)をはじめ、全部黒なんだろう!

総工費9兆円超の巨大プロジェクト。当然巨大な利権が絡む。
財政投融資も活用されていて、問題は民間レベルでは留まらない。

認可した国土交通省の対応が注目される。
また国土交通省か。大忙しだな。マスコミに取り上げられる回数はダントツで多いだろう。
しかも自然災害をはじめ、悪い事件ばかりではないか。

公明党の石井大臣は「長の責任」ということと合わせて「長の福運」ということも考えた方がいい。

もう福運が切れているのだ。


 

ロード

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月10日(日)11時30分56秒
  今日の京都はどうですか? どうでもええけど大阪は晴天。横浜もらしい。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
「先の大戦ではたいへんやったんどす」「え? 京都って戦争の時、爆撃なかったんとちゃうんですか?」と訊くと、京都では「先の大戦」とは「応仁の乱」のことをいうらしい。京都の時間の感覚には恐れ入る。住友銀行京都支店が100周年を迎えた時、「まだ100年どすか?」と言われて絶句したそうです。
京都座談会、終わってからの「二次会」も楽しいですよ。ゆっくり対話して下さい。せっかく京都ですから「ぶぶ漬けでも食べていきなはれ」。

それはそうと、El mar de nocheさん、ありがとうございます。創価学会は誠実に向き合わなければならないですね。今、一般学会員(要は地涌の菩薩)たちで、2014年の教義変更を謗法と破折したうえで、金原リポート後の大御本尊問題に関する教学理論構築を進めているらしいです。いずれ宿坊に公開されたら、皆で点検しましょう。

虹の戦士さん
>自分の信心にとってプラスであるならば、組織や宗門も必要ですが、なんだか考えると、悩んだり、疑問に思ったりするばかりで、自分の信心にはマイナスのような気がしています。<

そうなんですよね。よく分かります。そう言われる方を私も多く見ています。池田先生も「組織・幹部がメンバーからの信頼を失っている」といった意味のことを言われていたと、私は理解しています。(そのスピーチではダイレクトな表現でなかったもので)

池田先生は「宗教は嫌いだった」「古臭い」「威張り」「人を不幸にする」などと言われていました。私もそうです。しかし、日蓮仏法は、いわゆる宗教とは性質が違います。その点が分かりにくい。誤解されやすく、残念な結果になることが多い。そこで私はひとつ見方を変えるようにさせています。
「大聖人・釈尊はキリストやムハンマドというよりもむしろガリレオやニュートン、アインシュタイン、フロイト・ユングらに近い」のです。

仏法はあくまで《法則》です。《法則》の集大成です。「無量義とは一法より生ず」で、この一法が即ち南無妙法蓮華経です。《法則》に則ればプラスの結果が出ます。これが功徳です。その《法則》(に逆らうなど)から外れればマイナスの結果が出ます。これが罰です。この「功徳と罰」をその辺の宗教と同じように「与えられるもの」と思い、思わされて、その本質を知らないことが今、学会で起きている不幸です。

大聖人はいわば「地球は回っている」と言われているのです。「では、その《法則》を活かして価値創造するにはどうすればいいか?」を教えて下さっているのが池田先生です。南無妙法蓮華経を「悪しく敬わ」ず、正しく信受するには、どういう一念、信心、心、信・行・学でいけばいいのか。それを最も正確に民衆に教えて下さったのが池田先生でした。

南無妙法蓮華経についての知識は一応、日蓮宗身延ら各派、日蓮正宗、原田学会も持っています。ただそれを皆に正しく教え伝え、功徳を受けさせ、価値創造させて下さったのがMr.ダイサク・イケダだけだったのです。
他宗・他派(原田学会を含む)はそれをやらなかった。全ては《法則》なのです。そして正しく伝える《人間》なのです。「人」と「法」です。

どんな善人、賢人、権力者であっても、「ニュートンはアホや~嘘つきや~」と言ってビルから飛び降りたら死ぬのです。『法華経の智慧』を信受する人はそんなことはしない。自然とその《法則》に則ってプラスの結果が実は出ている。たとえそれが地味な結果としても。「♪何でもないようなことが幸せだったと思う」ことにも気づくのです。
https://www.youtube.com/watch?v=-pGP0UJp7j4
 

太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編さんへ

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年12月10日(日)10時34分50秒
編集済
  返信ありがとうございます。

人界の境涯です。ダメな凡夫です。
日蓮大聖人様にはなれないけれど、四条金吾のようには
なれるかも・・・?

四条金吾も気が短く、ダメな凡夫だったのかなと思ってます。
そんな人が立派な凡夫になって、私の見本になってます。

”そして、大聖人が禅宗は天魔波旬の法なりと説くのを聞いて憤慨し、
松葉ヶ谷に出かけていったが、かえって大聖人の智解と道理に服し、
同じく参禅していた仲間の荏原義宗、工藤吉隆、池上宗仲・宗長の
兄弟を誘って、共々に大聖人の信者になったといわれる。”

池田先生の悪口を聞いて、悪口を言った人と喧嘩する人みたいな
短気な性格だったのかもしれませんね、四条金吾は。


>とはいえ人界の境涯は冷静ですもんね
>衆生所有楽でいいんじゃないでしょうか(^^)
>それもまた折伏の方便のひとつと思います

はい。そう思います。組織や宗教団体に所属しなくても
立派な凡夫のひとたちはきっと身近にたくさんいると思います。





 

虹の戦士さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月10日(日)10時10分41秒
  返信しないほうがいいかなとも思ったけど

http://6027.teacup.com/situation/bbs/77285
このコメントから感じたけれど人界の境涯なのかな?たぶん

組織に着いてやるのも個人でやるのも結局のところは悪を善に変えゆくことが福徳・福運になっていくみたいで、いつの間にやら境涯革命になっていってるみたいです(^^)
悪とか仏敵とか言っても、周囲の「人」の心境を変えてもらうとういうよりは、自分自身の「生命」でもって相手に感応・共鳴させる行動が化他行なんじゃないかなって

そして相手が「変わる」とは限らないから「諦めない気持ち」が大切なのかな~と
無理に相手に変わらせようとするのはかえって自分自身が他化自在天になってしまうから(笑)、あくまで相手の自由意志のもとで「変わる」のを助長するのがいいのでしょうか

学会のいろんな活動は、その目的のために表面上はいろんな方法・方便を取ってる、というのが本来でしょうか
それが現在では方便の形だけが一人歩きし本来の目的を失いつつあります
そうした事情を危惧して河合師範はあの指導をした様子を感じるんです
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58089
河合師範の指導  平成10年6月2日寝屋川文化会館(全文)

化他行のためのおおもとが自行なんだなって
自行と化他行って自転と公転みたいな関係ですよね(昔の活動家さんはよく言ってましたね)
日蓮仏法って結局のところ「福運のつく苦労の仕方を学ぶもの」なんだなって最近は感じるんです
同じ苦労をするなら福運のつく苦労の仕方のほうがいいですもんね(^^)
苦労してるときは悪循環に陥りやすいから苦労が苦行同然だったりするから

とはいえ人界の境涯は冷静ですもんね
衆生所有楽でいいんじゃないでしょうか(^^)
それもまた折伏の方便のひとつと思います

明るい希望の持てるものを多くの人が求めてるように感じられますね
それは仏性と接したいという無意識に求める姿でしょうか
とにかく人の心があまりにも乾きすぎてる
潤いを感じる仏性の表わしかたは別に仏法話に限らずで、日常会話でもむしろ表わしやすいでしょうか

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

今週のことば 2017年12月10日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年12月10日(日)09時23分33秒
  創価の前進を支える
役員の皆さまに感謝!
「陰徳あれば陽報あり」
健康・無事故で
凱歌の総仕上げを!
 

我が道は日蓮大聖人様への道

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年12月10日(日)09時16分33秒
編集済
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SaySaySayさんへ

笑顔で退場したのですが、名前が出たので
書き込みます。すみません。

”(虹の戦士さん、実はこの金原リポートが
大御本尊について書かれています。”

情報ありがとうございます。
金原明彦氏『日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実』、なかなか購入するのむずかしい本なのですね。

自分にとって大石寺とか、日顕宗とか、現在では意識することがなくなってしまいました。学会も・・・?。
怒られちゃいますね。

自分の信心にとってプラスであるならば、
組織や宗門も必要ですが、なんだか
考えると、悩んだり、疑問に思ったり
するばかりで、自分の信心にはマイナス
のような気がしています。

マイナスになるなら、自分の興味のある
ことに時間を使いたいなと思っています。

私が目指すのは四条金吾の信心、
そう考えると大石寺も日顕宗も創価学会も
心から存在が消えてしまい、ただ日蓮大聖人様を信じ、
日蓮大聖人様の仏法を信じる自分がいるのです。

その間に存在するもの、人の集まり、
つまり宗教は自分にとって必要ではないと
思うようになりました。

日蓮大聖人様と日蓮大聖人様の仏法、
あとは自分の毎日の生活を普通にして
学んだことを実践していきます。

我が道は日蓮大聖人様への道、
おのずと守るべきものは、道の途中で
ついてくるといった感じでしょうか。

みんなちがってみんないい。
ということで、よろしくお願いします。

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体長1.3mの巨大猫さん

ひさしぶりに登場と思ったら、すごい投稿ありがとう
ございます。

猫さんの写真、雪中行軍ってどうやって
撮ったのか不思議だなと思ってみてます。
猫をいじめずに可愛がってください。
猫が安心して暮らせる平和な世界を。
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エルサレム、3つの宗教の聖地なら、みんなの
聖地にすればいいのに。何で安倍さんは
トランプさんに”それはちがうだろう”と
言わないのか、友達がまちがっていたら
正すのが真のともだちなのに。

なんとかファーストという考え方は、対立を生み、
争いを生み、世界戦争へと導く邪悪な思想だと思います。
忖度も友達ファースト。だめですね。

時代はきっと”みんなファーストを必要としている。”
それが実現できるのは日蓮大聖人様の仏法です。
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誤字脱字があるかもしれません、すみません。
先に謝っておきます。
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「法境」とは何か

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月10日(日)08時55分13秒
  「法境」とは何か
体長1.3mの巨大猫さん、ありがとうございます。凄いですね! やっぱり深い! 後でじっくり勉強させていただきます。『八甲田山』には笑いました。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77276
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77277
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77278
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77279
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77280
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77281
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77282
 

人間は十界互具、一念三千の生命的動物!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年12月10日(日)06時45分26秒
   おはようございます。

 体長1.3mの巨大猫さん、「法境」の解説、ありがとうございます。先人たちの研鑽も、実に深いものがありますね。とても小さな“器”には収まりそうもありませんが(笑い)。辞書となりそうです。こうして「意味」を収斂させることは、研鑽の深化と、誤謬の歯止めとなります。

 ところで、
 「十界本有」というのは、「十界本有」の「法界」の中で「十界」すべてがそのままに「活き切る」ことと言っていいようです。人間は、“社会的動物”というより、十界互具、一念三千の“生命的動物”ということです。「一念三千」以外に「生命」の実像はありません。「十界本有」だからこそ、「帰命」が必要です。中心となる「南無妙法蓮華経」が不可欠だということです。

 「但仏界計り現じ難し 九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ」(観心本尊抄241㌻)。

 「十界本有」の「一念三千」が“生命”の実相です。だから、どの十界各別も“帰命”しないではいられない。“大宇宙”と一体になると言ってもいい、“仏”と一体になるといってもいい、とにかく「一体となる」ことを求めているのが、十界各界の実像だといえます。その一環として、僧伽や組織や社会や国家や族との一体化も求めます。いわば“生命”の癖、習性、本性なのです。

 「一体」となったその空間の中で、十界各別の“自身”を生きること事態がまた、“生命”の実相と言えるかも知れません。「個」も、「全体」も、同じなのです。「一体化」への結合は「生死」の「死」、「一体化」からの分離は「生」です。この生死、生死の、分離と結合を繰り返しているのが偽らざる“生命”の実相と言えます。しかも「十界本有」の「一念三千」です。「生」は法界への「開」、「死」は法界からの「合」。“生命”はまた、「開」と「合」の繰り返しなのです。

 「妙は死 法は生なり 此の生死の二法が十界の当体なり 又此れを当体蓮華とも云うなり」(生死一大事血脈抄1336㌻)

 その「結合」の時にも、「分離」の時にも、巨大なエネルギーの“生命流”を生じさせます。これが「法性」といえます。宇宙の「星」の誕生や死滅、核融合や核分裂を見れば、それは明らかです。不可思議な「妙法」です。どんな“生命体”も縁によって清浄の「仏」となる、どんな“生命体”も縁によって貪りの餓鬼のともなる、どんな“生命体”も縁によって瞋りの地獄、修羅ともなる、その十界各別の“集合”が「衆生」ということです。

 十界各別の異なる“境涯”があります。「因」と「果」と「果報」との、その集合が「衆生」です。「衆生」も「生命」のひとつの表現なのです。宇宙規模では“衆星”という表現もありました。「生命」はいつも、自身の発祥の母体と言える宇宙との交流を求めています。それは元々の「清浄」との交流です。「心」の次元でいえば「帰命」です。それを「以心代慧」で補うということです。

 以前にも記しましたが、人体の各器官も十界各界の集合体です。小腸には無数の突起(腸絨毛)があり、まるで“餓鬼”のように食物の糖分を吸収します。全身に酸素や糖を送る“菩薩”のような心臓もあります。体調という“法の番人”のように振る舞う抗体もあって、このリズムが狂うとアレルギーや他の器官を破壊してしまうことにもなりかねません。かと思えば、外敵が侵入するとたちまちに攻撃に向かうキラー細胞や白血球など“阿修羅”のような細胞もあります。このどのひとつが欠けても、人体の平穏は保たれません。「本有」であるべき器官、機能です。

 繰り返しになりますが、「一念三千」「十界本有」が「仏」の真実の姿です。「人間」の実像です。それ以外に「仏」も「人間」もないのです。そのあるべき姿が「人法一箇の南無妙法蓮華経」を中心に据えた「十界本有」に「生命」の実像があるという言い方もできます。それはとりもなおさず「意味」としての、御本尊の御姿といえます。



 

「法境」とは何か 7【無表色、三無為】(完)

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)05時04分57秒
編集済
  【無表色】

無表色は不可見無対色ともいう。
表すことのできない色のことである。

「倶舎論」には
「無表は色業を以て性と為すこと、有表業(思いが外に発動するもの)の如しと雖も、
而(しか)も表示して、他をして了知せしむるに非ず、故に、無表と名く」とある。

すなわち、身口意の三業のうち身業・口業は意業が外に表れたもので有表業である。
これによく似てはいるが、身口の二業が表示されるのに対して、
それが不可能なものを無表色という。

「倶舎論」にはつづいて
「略して説かば、表業と定とにて生ぜらるる善不善の色を名けて無表と為す」と説いている。
善や不善は色にあたらないという考え方もできるが、
善不善は存在することはたしかだから表示することはできないにしても、
実有であると考えることもできる。これを無表色としたのである。

倶舎論等は説一切有部であり、自らを取り巻くものを実体的に捉えていたから、
このような考え方が強く出てきたのである。


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【三無為】

生滅変化を超えた常住絶対なるもの(無為)に三種をたてたもの。
創られたものではない原理。変化することのない原理。

1.虚空無為:場所一般。もろもろのダルマが現われるためには、
       それらに妨げを与えない場所の存在が前提される。

2.択滅無為:正智の明確に知る力による消滅。
       われわれが正智に達すると、その明確に知る力(簡択力)によって、
       ひとつひとつのダルマの本性を知ると、その「知る」働きの不思議な力により、
       個々のダルマが起らなくなる。そうしてすべてのダルマが消滅すると、
       やがてニルヴァーナに達する。

3.非択滅無為:明確に知る力によるのではない消滅。
        あらゆるものごとは因縁によって生ずるのであるが、生ぜしめる縁が欠けると、
        もろもろのダルマも生じないで滅びてしまう。
        この消滅そのものを実体視して、こう呼んでいるのである。
        それは明確に知る力によって消滅するのではないから、「非択滅」とよぶ。
        簡単にいえば、ものや現象がひとりでになくなることである。




 

「法境」とは何か 6【十四不相応行】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)04時45分26秒
編集済
  【十四不相応行】

1.「得」:「得」と次の「非得」はペアであり表裏の関係にある。
     「得」は平易に言えば、結合関係、つなぎとめる働きのことを実体視したもの。
      この「得」「非得」は有情法に限って言われるもので、
     「得」は有情の心身を構成する諸法、および三無為中の「択滅無為」、「非択滅無為」を
      その有情の上につなぎとめる働きを言う。

2.「非得」:「非得」は「得」の反対で、諸法のつながりの関係を切り離す働きのこと。
      「凡夫」が「善心」を起こす場合は、「凡夫」と「善心」の間に「得」、
      「凡夫」が「善心」を失えば「非得」という関係になる。

3.「同分」(衆同分とも):有情についての共通な相似性を実体視したもの。
            有情全体について有情の共通性があることを「無差別同分」といい、
            有情の中で牛なら牛、犬なら犬が類同であることを、「有差別同分」という。

4.「無想果」:無想果は、「無想定」(下記5)を修することにより、
       無想有情天に生まれることができた有情についてのみにみられる心・心所の滅のこと。

5.「無想定」:「無心定」(心・心所の生起がすべて断滅した三昧)の一つで、
       上記4「無想果」に関連のある無想天に生まれることが真の解脱であると誤解して、
       これを求めての修行方法で、心・心所の生起を滅止するための実在物を指している。

6.「滅尽定」(5と6合わせて倶舎論では「二定」):これも「無心定」の一つで、
         聖者が寂静の境地を楽しもうと意図して修するものといわれる。

7.「命根」:平易に言えば「生命力」ということになる。
     「寿」(寿命)ということであり、体温と心識を維持する。

8.「生」(8~11で倶舎論では「相」または四相):生・住・異・滅の有為の四相の一つ。
     「生」は諸法を起こすことを言う。
     また、生・住・異・滅そのものも有為法であるから、
     これらを生じしめたり、滅したりするものもなければならないとして、
     それらを生生・住住・異異・滅滅とし、四随相と呼んでいる。

9.「住」:諸法を安んずる、その状態にあることを言う。

10.「異」:よく衰えしめる、変異させること。

11.「滅」:壊せしめる、過去へ去らせること。

12.「名(名身)」:「名」「句」「文」は言葉に関連する法(ダルマ)で、
   これによって、ことばが機能し、認識が成立する。「名」は名辞、ものの名前。

13.「句(句身)」:章句のこと。

14.「文(文身)」:音節のこと。文章ではなく「あや」、音韻の屈曲である。


 

「法境」とは何か 5【四十六心所法】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)04時44分34秒
編集済
  【四十六心所法】

(1)大地法
善・悪・無記に関係なく、あらゆる心と常に倶生する「心所法」のこと。

1.「受」:対象を心に感受する作用。苦・楽・捨の三を受け入れるもの。五蘊のひとつ。
2.「想」:対象の姿を表象する作用。取像。これも五蘊の一つ。
3.「思」:意思的な働きの作用。意思の発動。五蘊の中の「行」と同じ。
4.「触」:内なる心と外なる対象の接触。根・境・識の三事の和合で生ずる。
5.「欲」:希求。物事をしたいという欲求。

6.「慧」:分別し判断する作用。所縁の正邪、善悪を判別するもの。
7.「念」:対象を忘失しない心の働き。
      かつて経験した事柄を記憶維持して後事の不忘失の因となるもの。
8.「作意」:対象に注意を向ける作用。驚覚の義。
9.「勝解」:対象のいかなるものかを確認し了解する作用。
      所縁の境相をこれこれと審決判定するもの。
10.「三摩地」:定(じょう)。心を浮動させず集中する働き。等持。

(2)大善地法
あらゆる善心と常に倶生する「心所法」。

11.「信」:心の清らかさ、澄み切った心。また四諦、三宝、業及び果報に対する確信、忍許。
12.「不放逸」:なげやりの心でなく精励して善をおこなうこと。
       また心を守護するもの。「放逸」の反対。
13.「軽安」:心が軽快で巧みな適応性があること。
14.「捨」:心が平静で偏りのないこと。
15.「慚」:2通りの解釈。ひとつは他社の徳に対する恭敬。
      ふたつは自らを観察することによって己の過失を恥じること。

16.「愧」:これも二通りの解釈。ひとつは自己の罪に対する畏怖。
      ふたつは他を観察することによって己の過失を恥じること。
17.「無貪」:貪りのないこと。境に対して愛染の貪りのないこと。
       欲望の対象を厭捨すること。
18.「無瞋」:憎しみのないこと。他を愛憐すること。
19.「不害」:他を害しないこと。非暴力。
20.「勤」:精進。善に対して果敢にいそしむこと。不放逸よりも積極的に善に取り組む。

(3)大煩悩地法
あらゆる染汚心(煩悩)と倶生する「心所法」。

21.「癡」:無明。愚癡。おろかさ。心の昏さ。「慧」のないもの。
22.「放逸」:なげやりで善に努めないこと。「不放逸」の反対。
23.「懈怠(けたい)」:善に対して敢為ならぬこと。怠惰。「勤」の反対。
24.「不信」:心が澄明でなく信順のないこと。「信」の反対。
25.「惛沈(こんじん)」:心の沈鬱。不軽快。「軽安」の反対。
26.「掉挙(じょうこ)」:心の軽躁。浮動して静まりのないこと。

(4)大不善地法
あらゆる不善心と倶生する「心所法」。

27.「無慚」:他者の徳に対し恭敬の心がないこと。「慚」の反対。
28.「無愧」:自己の罪に対する畏怖の念がないこと。「愧」の反対。

(5)小煩悩地法
心が第六意識として働くときのみおこり、無明とだけ倶生する「心所法」。

29.「忿」:いかり。憤発、短気。「愼」と同種類か。
30.「覆」:自己の過ちの隠蔽。
31.「慳」:ものおしみ。吝嗇、聖教や財を惜しむもの。
32.「嫉」:ねたみ。他の栄達を妬むもの。
33.「悩」:他の諌めを入れず、自ら苦悶するもの。
      玄奘の漢訳では「悩」とするが、真諦は「不捨」と漢訳している。
      自己の考えに固執して捨てない。

34.「害」:害意。他を損せんとして打撃罵詈をなすもの。「不害」の反対。
35.「恨」:うらみ。忿に次いでおこる。
36.「諂」:心の邪曲。本心を顕さず、従順をよそおい、他を籠絡しようというもの。
37.「誑」:欺瞞。惑他で、有徳をよそおい、
      上品に擬して他をして顛倒の理解を生じさせようというもの。
38.「憍」:自己満足。自己の戒行、智慧、身分、財産などに染著自負して、他をしのごうとするもの。

(6)不定法
ある時は善心、ある時は、悪心(不善心)、ある時は無記心と伴うので、不定といわれる。

39.「尋」:推求的な粗大な心の作用。
40.「伺」:観察的な細密な心の作用。
41.「睡眠」:心の鈍重さ。明瞭に境を取らしめないもの。
42.「悪作(あくさ)」:過去においてなしたこと、なさなかったことを追想して悔やむもの。
43.「貪」:むさぼり。身体、財宝等に染著し已得を守り、未得を求めるもの。
     「無貪」の反対。

44.「瞋」:瞋恚。憎しみ。他を憎み嫌うもの。「無瞋」の反対。
45.「慢」:慢心。他に対して己の方が優れているという心の高上り。
     「憍」に似るが、「慢」は他人に対して誇りたがる心であるという。
46.「疑」:四諦、因果に対する懐疑。



 

「法境」とは何か 4【十八界】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)03時49分26秒
編集済
  【十八界】

梵語 aSTaadaza dhaatavaH の訳語であり、
十八の種族という意味である。
また十八持とも言い、
三科のうちの一つである。

一身中に能依の識、所依の根及び所縁の境の十八類の種族があることをいう。
(一)眼界(梵cakSur-dhaatu)
(二)耳界(梵zrotra-dh.)
(三)鼻界(梵gharaaNa-dh.)
(四)舌界(梵jihvaa-dh.)
(五)身界(梵kaaya-dh.)
(六)意界(梵mano-dh.)

(七)色界(梵ruupa-dh.)
(八)声界(梵zabda-dh.)
(九)香界(梵gandha-dh.)
(十)味界(梵rasa-dh.)
(十一)触界(梵spraSTavya-dh.)
(十二)法界(梵dharma-dh.)

(十三)眼識界(梵cakSur-vijJaana-dh.)
(十四)耳識界(梵zrotra-vijJaana-dh.)
(十五)鼻識界(梵gharaaNa-vijJaana-dh.)
(十六)舌識界(梵jihvaa-vijJaana-dh.)
(十七)身識界(梵kaaya-vijJaana-dh.)
(十八)意識界(梵mano-vijJaana-dh.)

「雑阿含経巻十六」に
「云何が種種界なる。
謂わゆる十八界なり。眼界・色界・眼識界、乃至、意界・法界・意識界なり。
これを種種界と名づく」と云い、

「倶舎論巻一」に
「何に縁りてか十八界を立つることを得る。
頌して曰わく、第六の依を成ずるが故に、十八界なることまさに知るべし。
論じて曰わく、五識界の如きは別に眼等の五界ありて依と為す。
第六意識は別の所依なり。この依を成ぜんが為の故に意界を説く。
かくの如く所依と能依と境界とに、まさに知るべし、各六界ありて十八を成ずることを」
と云う。

これは根・境・識の三つに各六界の別があり、総じて十八界になることを説いたものである。
即ち十二処中の眼処・耳処・鼻処・舌処・身処・意処を、
所依の根と能依の識とに分別したものである。

この中、
眼識の所依たる眼根を眼界と名づけ、
眼識の所縁たる色境を色界と名づけ、
色界を了別する眼識を眼識界と名づけ、
乃至
意識の所依たる無間滅の意根を意界と名づけ、
意識の所縁たる法境を法界と名づけ、
法界を了別する意識を意識界と名づけたのである。

法界とは十二処中の法処の如く、
四十六心所法、十四不相応行、無表色、及び三無為の六十四法を摂する。
大乗百法についてこれを言えば、
五十一心所、二十四不相応行、六無為及び法処所摂色の八十二法を摂する。


また界の意義に関して、「大毘婆沙論巻七十一」には
種族の義、段の義、分の義、片の義、異相の義、不相似の義、分斉の義、種種因の義、
馳流の義、任持の義、長養の義の十一義を説いている。

「倶舎論巻一」には
「法の種族の義はこれ界の義なり。
一の山中に多の銅鉄金銀等の族あるを説きて多界と名づくるが如く、
かくの如く一身、或は一相続に十八種の諸法の種族あるを十八界と名づく。
この中の種族はこれ生本の義なり。
かくの如き眼等は誰が生本なる、謂わく自の種類の同類因なるが故なり」とある。


 

「法境」とは何か 3【十二入】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)03時47分37秒
編集済
  【十二入】

梵語 aayatanaani の訳語であり、
十二処、十二入処ともいう。
三科のうちの一つである。

処は生長等の義である。
心心所を長養する法を十二種に分類したものである。
(一)眼処(梵cakSur-aayatana)
(二)耳処(梵zrotraayatana)
(三)鼻処(梵ghraaNaayatana)
(四)舌処(梵jihvaayatana)
(五)身処(梵kaayaayatana)
(六)意処(梵mana-aayatana)

(七)色処(梵ruupaayatana)
(八)声処(梵zabdaayatana)
(九)香処(梵gandhaayatana)
(十)味処(梵rasaayatana)
(十一)触処(梵spraSTavyaayatana)
(十二)法処(梵dharmaayatana)

「雑阿含経巻十三」に
「云何が一切と名づくる。仏、婆羅門に告げたまわく、一切とは謂わゆる十二入処なり、
眼、色、耳、声、鼻、香、舌、味、身、触、意、法、これを一切と名づく」と云い、

「大毘婆沙論巻七十一」に
「所依及び所縁の愚なる者の為に、十二処を説く、
謂わゆる分別の識に六の所依と六の所縁とあるが故なり」と云う。

眼耳鼻舌身意の六処は、心心所の所依でありこれを六内処と名づけ、
色声香味触法の六処は、心心所の所縁でありこれを六外処と名づける。

また眼耳鼻舌身及び色声香味触の十処は、
いわゆる十色処であり五蘊の中の色蘊(無表色を除く)に当たる。

意処は識蘊であり、六識及び意界の七心界を摂し、
法処は受蘊・想蘊・行蘊の三蘊(四十六心所及び十四不相応行)、無表色、及び三無為の六十四法を摂する。


総じてこの十二に有為無為の一切の法を摂し尽くす。
また大乗所立の百法について分別すれば、
十色処の外、
意処に八識を摂し、
法処に五十一心所、二十四不相応行、六無為及び法処所摂の色の八十二法を摂す。

三科の法門中、五蘊は略にして利根、十八界は広にして鈍根の為にするのに対し、
十二処は略ならず広ならず、中根で特に色に愚な者の為にこれを説く。


 

「法境」とは何か 2【五蘊】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)03時42分7秒
編集済
  【五蘊】

梵語 paJca-skandha の訳語であり、
五陰、五衆、五聚ともいう。
三科のうちの一つである。

蘊(梵skandha、塞揵陀と音訳す)とは、積聚、類別という意味でり、
一切の有為法を類聚するのに五種の別があることをいう。

『集異門足論巻十一』によれば、
(一)色蘊(梵ruupa-skandha):即ち一切の色法の類従なり。
(二)受蘊(梵vedanaa-skandha):即ち苦、楽、捨、及び眼触等所生の諸受なり。
(三)想蘊(梵saMjJaa-skandha):眼触等所生の諸想なり。
(四)行蘊(梵saMskaara-skandha):即ち色、受、想、識以外の一切の有為法にして、また即ち意志と心との作用なり。
(五)識蘊(梵vijJaana-skandha):即ち眼識等諸識の各類聚なり。
とある。

五蘊は有漏、無漏、及び善、不善、無記の三性に通じ、
緒論中にもまた各種の名称を以ってその殊別を説明している。

「倶舎」等は七十五法を立て、その中の
十一種の色法を色蘊、
心所有法の一種たる受を受蘊、
想を想蘊、
余の心所有法の四十四種、及び十四種の心不相応行法を行蘊、
一種の心法を識蘊に摂し、
総じて有為七十二法を類聚して五蘊と為す。

「唯識」等は百法を立て、その中の
十一種の色法を色蘊、
心所有法の一種たる受を受蘊、
想を想蘊、
余の心所有法の余の四十九種、及び二十四種の心不相応行法を行蘊、
識蘊に八種の心法を摂し、
合して有為九十四法を五蘊と為す。

またこの中で、色受想行識と次第する理由については、
「瑜伽師地論巻五十四」には、
①生起所作、②対治所作、③流転所作、④住所作、⑤安立所作の五種を説いている。

①生起所作とは、
眼は色を縁となして眼識を生じ、
乃至意は諸法を縁となしてよく意識を生ず。
故に初に色蘊を説き、次に識蘊を説き、次第に受等の心所を生ずるが故に、
次に受想行の次第に依りてこれを説く。

②対治所作とは、
常楽我淨の四種の顛倒を対治するに四念住を説く中、
先ず色蘊を説いて浄倒を対治し、
次に受蘊を説いて楽倒を対治し、
次に識蘊を説いて我倒を除き、
次に想行の二蘊を説いて常倒を対治する。

③流転所作とは、
凡夫はよく根及び境界を依止とし、これを受用して諸の雑染心を生じ、種種の境界を画作し、
善不善の業を造作する故に、次第に色受想行と説き、
識蘊は一切の所染なるが故に後にこれを説く。

④住所作とは、
色識住、受識住、想識住、行識住の四識住及び識の次第に依る。

⑤安立所作とは、
諸の世間は先ず色を了するが故に色蘊を立て、
次に受によって進退苦楽を知るが故に受蘊を立て、
想蘊によってかくの如きの類、かくの如きの性を分別するが故に次に想蘊を立て、
行蘊によってかくの如きの愚智を知るが故に次に行蘊を立て、
識蘊によりて内我を安立するが故に後にこれを説く。

また「大乗阿毘達磨雑集論巻一」によると、
五種の我事を顕す為にただ色等の五蘊を建立するとある。
五種の我事とは、
①身具我事、②受用我事、③言説我事、④造作一切法非法我事、⑤彼所依止我自体事

①身具とは、
身は内の五根の所依であり、色境は我の資具である。即ち内外の色蘊を摂する。

②受用とは、
我が身に依って諸の境界に於いて苦楽を受用する。即ち受蘊である。

③言説とは、
己と他とに随って言説を起こす。即ち想蘊である。

④造作一切法非法とは、
我の善不善の所行である。即ち行蘊である。

⑤彼所依止とは、
識は身具等の所依であり、有情は多くこれを計執して我の自体事と作す。即ち識蘊である。


 

「法境」とは何か 1【陰入界】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)03時39分43秒
編集済
  以前、SaySaySayさんの投稿の中で、
「《法境》を上手く説明できなくて困っています」
とありました。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/76748

私も気になって「望月仏教大辞典」で調べてみましたが、結構難解でした。
というかよくわかりませんでした。

予備知識として、「陰入界」「五陰」「十二入」「十八界」を
知っている方がよいと思いますので、
この順番で説明していきたいと思います。

法境(法処・法界)とは何か、については「十二入」と「十八界」のところに出てきます。
赤字で表示しました。


--------------------------------------------

【陰入界】

陰入界とは、五陰(五蘊、五衆)、十二入(十二処)、十八界(十八持)の略である。
また陰界入、蘊処界ともいい、通常これを三科と称す。
何れも諸法万有を分類した名目である。

『倶舎論巻一』の頌に「愚と根と楽との三の故に、蘊処界を説く」とあり、
①これは色心等に愚なる差別と、
②機根に利中鈍の異があるのと、
③楽欲の不同によって、
この三科を別に説くことを示している。

①愚の差別とは、
心法に愚なる者の為には、心法を委細にして五蘊を説き、
色法に愚なる者の為には、色法を委細にして十二処を説き、
色心二法に愚なる者の為には、色心二法を委細にして十八界を説く。

②機根の差別とは、
利根の者の為には五蘊、
中根の為には十二処、
鈍根の為には十八界を説く。

③楽欲の不同とは、
略説を欲する者の為には五蘊、
中説を欲する者の為には十二処、
広説を欲する者の為には十八界を説く。


 

やっぱし、高齢者集団が奴隷学会の真実ね!!よく分かりますた、・・・

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年12月10日(日)02時59分27秒
  すぐに怒ったり、怒鳴ったり、恫喝したりして、まともに原稿も読めなくなる性状!!参考文献が聖教新聞の広告にありましたね(爆)

金原氏の本を公表することは~~
なりません!成りませんか?為りますよ!

先般の聖教新聞第一面下段左側の広告から~~
「老人の取扱説明書」
親の困った行動の原因、認知症にあらず!
◎同じ話を何度もする
◎突然、「うるさい!」と怒鳴る
◎赤信号なのに、平気で渡る
◎料理に醤油やソースをドボドボとかける
◎お金がないという割に無駄遣いが激しい
すぐに実践できる対処法を解説!!
SBクリエイティブ株式会社
平松類著

この文言を入れ変えて、

???????

「サイコ大患部・大患部・患部・手下の取扱説明書」(爆)

大患部~手下の困った行動の原因は、認知症・痴呆症・糖尿病合併症です!

●先生利用して全て他人事のように生きているから↓
◎同じ話を何度もする

●対話なんか大嫌い、居丈高に命令ばかりしているから↓
◎突然、「うるさい!」と怒鳴る

●悪徳・悪行三昧で社会規範を無視した非常識な集団にいるので↓
◎赤信号なのに、平気で渡る

●元々、味覚オンチで美食ばかりしているから糖尿病合併症でなんでも濃い味大好きで↓
◎料理に醤油やソースをドボドボとかける

●自分のことには財務散財し放題、会員や配達員へはびた一文金を使わない喰法餓鬼だから↓
◎お金がないという割に無駄遣いが激しい

すぐに実践できる対処法を解説!!

ではなく、すぐに撃退実践できる対処法を宿坊の掲示板にて学んで下さい。

宿板クリエイティブ株式会社
編集部


 

だれよりも真っ先に励ましたい人

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年12月10日(日)02時58分16秒
  だれよりも真っ先に励ましたい人  潮より抜粋  つづき

ここ数年、ヨーロッパ諸国の創価学会のなかで、最も伸展著しいイタリア。

日蓮仏法を「杖」とし、「柱」として生き抜いてきた、池田の弟子たちの歩みをたどる。

【遙かなる伊の国】

昭和四十年代ーローマに住むイタリア人銀行マンが、ある雑誌で「ソウカガッカイ」の特集記事を
読んだ

。興味をもち、駐イタリア日本大使館に問い合わせると、東京の住所を教えてくれた。

イタリアに創価学会員はいませんか?

1東京に宛ててエアメールを送った。

ほどなく返信が来た。そこにはローマの自宅を座談会場にしているアマリア・ミリオニコの連絡先
が記されていた。

アマリアは一九二七年(昭和二年)、"地中海で最も美しい"といわれる海に恵まれた、サルデーニャ
という島で生まれた。

*

創価学会に入る前、「仏法は"生命を解き明かした哲学"である。

科学や医学とも矛盾しない」と聞かされた。

アマリアは医師として、医学の可能性も、限界もわきまえているつもりだった。

「仏法は合理的で、科学的」という説明は、創価学会の信仰を選ぶきっかけの一つだった。

来日した時の取材で、「今は信じてもらえませんが、私は本当に内気で、人前に立つこと自体が
恐怖でした」と語っている。

会合で一言話すことがあまりに苦しくて、涙がこぼれたこともあった。

しかしある日、心が変わる出来事があった。

それは信心を始めて半年ほど経ったころだった。

ー自宅で祈っていると、「とても楽しい」と感じていることに、ハッと気付いたんです。

まるで「胸の奥から喜びがこみ上げてくる」ような感じです。

今までそんな気持ちになったことは一度もありませんでした。

それまでの私は寂しがり屋で、いつも孤独感にさいなまれていただけに、これは何かあるなと思いま
した・・・

どうしても合理的には説明のつかない変化が、自分の心に起こった。

この驚きが、アマリアの仏法者としての原点になった。

「なぜ、自分の内面に変革をきたしたのだろう?私はこのことを知りたくて、日蓮大聖人の生命哲学
の探究を始めたのです。

そして、『信は理を求め、理は信を深める』の原理のとおり、学べば学ぶほど、その深さに魅かれま
した」

つづく
 

「日蓮と本尊伝承ー大石寺戒壇板本尊の真実」

 投稿者:El mar de noche  投稿日:2017年12月10日(日)00時09分11秒
  SaySaySay 様
下記スレも参考になさればと。

虚構の大石寺疑惑
「日蓮と本尊伝承ー大石寺戒壇板本尊の真実」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t2/17
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年12月 9日(土)23時45分56秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい
 

潮出版社と野村沙知代さん

 投稿者:ルパン三世  投稿日:2017年12月 9日(土)23時18分1秒
  潮賞に選ばれた野村沙知代さん著作の学歴記載が、編集者のミスだったとは…。

ミリオンセラー、ロングテールの『人間・池田大作ー私が見た素顔(木村恵子著)』がある時期を境に絶版になり、全国の書店から一斉に消えた事といい、
※木村恵子、中森明菜で要検索
ヒント 株式投資…。

潮出版社の職員は何をしとるのでしょうね。

学会本部は賢明な判断を
学会本部は定期的な点検を
 

もの言えぬ時代 戦争・アメリカ・共謀罪

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月 9日(土)23時11分8秒
  元職員のブログが更新されています。
『「9・23九州・福岡座談会」報告 ③』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
Gさん素晴らしい!
>「私、ずっと『小説・人間革命』のワイド版とオリジナル版の“読み比べ”をしていて、全部、読み終わったんです。」<
>「『小説・人間革命』の改定は、一応表向きは宗門問題や歴史的新事実の発見等を考慮して書き直したと言っています。でも、実際はそれだけではなく、①『各方面から批判されないようにした』、②『退転者を徹底して排除した』、③『今の学会教学に沿う形にした』、という改定がなされていると感じたんです。」<
>③「今の教学に沿うものにした」というのは、例えば、オリジナル版の第2巻『幾山河』の章<
>「人間革命第2巻(『幾山河』の章)は、2012年に発刊された『池田大作全集(144巻)』に収録された内容が使われています。つまり、学会本部が2012年以前から、御本尊に関する改定を、目に見えないところで着々と、方向を付けていたものであったんだなって感じました。」<

その通りです。そして、『池田大作全集』終盤にわざわざ、この改竄版をねじ込まなければ、2006年以降スピーチを収めるだけのスペースはあったはずなのです。
『全集』は創価学会創立60周年を記念して当初、全75巻(この数字は75万世帯からか?)を予定して始めたそうです。それを倍の150巻までに拡張、予定変更しており、150で終わらせることは決まっていたのだと。
しかし執行部を完全破折したような池田先生の厳しい2006年以降スピーチは「無かったことにしたい」奴らは改竄版をねじ込むことでそのスペースを潰し、一石二鳥を狙って来たのでしょう。最近の勉強しなくなった学会員は『全集』なんか買わない、読まない。静かにコソッとやれば……を2012年にやっておいて、後でワイド版でおおっぴろげにやる。『全集』はともかくワイド版なら買うだろう、改竄版をリメイク版のようにして広めて、さらにジェニ儲け、ということでしょう。敵もなかなかやるものです。
このワイド版は買うな、原典アクセスしろと言うと、地域の人は驚いていました。アマゾンで1円で買える中古文庫本の方がいいのです。

「無かったことには出来ない!」と叫んだのはリッケンバッカーのエダノンでしたか?
どんなことであれ、たとえ批判されようと、事実有ったことを無かったことにするなんて、そんな姑息なことをするから純粋な青年たちの心が離れて行く。最悪、「少年たちの目が年を取る」。全部受け止めて正面突破するから池田先生は尊敬もされ、恐れられもした。その真逆をやる失効部がその真逆の結果となっていくのは《法則》の必然である!

金原明彦氏『日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実』(今ならアマゾンで16036円。ようやく下がって来ましたが、一時は3万円)が歴史の転換点にならざるを得ないでしょうが、それとも真っ直ぐ向き合って対話しなければならなかったのに、そこから逃げた。このツケは利子をつけて払わされることになる。その金原さんを除名とは卑怯だ!!!

(虹の戦士さん、実はこの金原リポートが大御本尊について書かれています。このリポートも『教学部レポート』『遠藤文書』と併せて読んでおきたいですが……どなたか解説してあげていただければ、と思います。宿坊には私より新しい人も増えて来ていますので。この本を大量に買い過ぎて結果的に値段を釣り上げてしまった人? <笑> ビットコインよりこっちを買っておけば良かった?)

『もの言えぬ時代 戦争・アメリカ・共謀罪』を読んでいます。この中で高村薫さんは、今また戦争へ「復古」を求める動きの原因は「日本が太平洋戦争の敗戦の“総括”の一番大きな部分、つまり、『戦争責任』に手をつけなかったことにある」と言っています。これを読んでハッとしました。同じです! 相似形です!
「昭和54年の“総括”」が出来ていない創価学会でいま起きているインケツ!!!
やはり「体まがれば影ななめ」なのです。
 

同盟題目は23時に開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年12月 9日(土)22時56分34秒
  池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈りましょう。
よろしくお願い致します。

最近、新しい方が掲示板に参加されているようです。
悶々としながら掲示板を閲覧されている方もいるはずです。新しい方の投稿が、そうした方への道を示すことになると良いですね。
 

ごく稀にありますよ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月 9日(土)21時55分49秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77266

数年このteacupの掲示板を見てみてるけれど
ごくごく稀だけどアクセス集中でうんぬんというのもあったかな
ハッキリ覚えてないぐらいほんとに稀だけど

その「稀」なケースに偶然なったんでしょうね
反板がそんなにアクセス集中してるとはちょっと考えにくいでしょ(笑)
反板がどうというより、teacupのサーバーにアクセスが集中してたまたまドミサイル信濃町の入居者さんがアクセスしたタイミングが処理不可になったんでしょうね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

ドミサイルさん

 投稿者:ロマン  投稿日:2017年12月 9日(土)21時35分58秒
  ふつうに見れますよ。  

反板、アクセス不可?!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年12月 9日(土)21時35分9秒
  アクセス殺到につき不可?!らしい。  

最新12月号

 投稿者:ロマン  投稿日:2017年12月 9日(土)21時34分45秒
  潮出版社が刊行している、月刊「パンプキン」最新12月号では、【連載エッセー】
忘れ得ぬ旅──太陽の心で
チリ―「挑戦の山」を楽しむ人生を
池田大作(創価学会インタナショナル会長)

との表記になっている。

仮に池田先生の役職が外されており、過去に遡って「実は..」と発表するならば、学会員の学会離れは更に加速するだろうね。

池田先生の権威を借りてるズル賢い執行部が、会員に不信を与えるようなことをするだろうか。先生あってこその執行部であるのに。

しかし、そうした事実がないのであれば信用するに値しないものと私は考える。
 

重複はなかったようです

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月 9日(土)20時56分45秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77254

ドン・キホーテさんいらっしゃいませ!(^^)
代理投稿ありがとうございますm(_ _)m

「ドン・キホーテ」のハンネをヤフー検索してみましたが過去ログには使われていないようです

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

武者修行さんいらっしゃいませ!(^^)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月 9日(土)20時47分55秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77252

いいハンドルネームですね~(^^)
僕もそんな気持ちの日常なんです

組織を離れるか離れないか、というよりも、池田先生の指導がどういう価値を持つものなのか自分で実際にやってみるのがわかりやすいですね(^^)
そして池田先生の発した言葉を自分で同じ言葉を言うならばどんな「心境」で言うことになるか

その「心境」でいわゆる4人組(原田・秋谷・八尋・谷川)に対するならばどんな心境になるでしょうか
優しい方便は全てやり切った上で、掲示板で出てるノーカットの話になってると僕は見てます

・・・というのが54年問題をわかりやすくすることになるでしょうか(^^)
他化自在天がどういうものか実践的に深く知る機会にもなってるような気がしてます


組織から離れるかどうかは信仰が実感としてわかってから改めて決めるのをお勧めだけど
組織でやるのも個人でやるのもどっちも一長一短あるから
個人でやる方法だと、今度はあまりにも自由すぎてかえって何をすればいいのか漠然となってしまいやすいからf^^;
手探りの連続で自分なりに学んでいくしかないからね
そうした中で池田先生の指導の意味と価値を実感することができてるのも事実なんだけど
元職員3名のブログさんもほとんど手探りでやってきてるものね
どれだけ大変ななか頑張っておられるか
元職員3名のブログの方々には最敬礼ですm(_ _)m

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

仕事!金の事や生活しか考えていない┐(´д`)┌

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年12月 9日(土)19時31分0秒
  栃木の久保田です。m(._.)m

いつも思う┐(´д`)┌原田4号5号ニセ会長を中心に

秋谷は5口、小物の八尋、ミナヨクイク強姦魔タニガ

ワ ┐(´д`)┌

浩、┐(´д`)┌

そのほか手下としてくっついてる金魚の糞の方々

(笑)

小利口なようでバカ丸出しだヽ(^○^)ノ

SGIの組織まで箱庭みてーな自分達のちっちゃな世界が

何時までも通用するとでも思っているのか?

少しはまともな奴は居ないのか?

本とに間抜けで面白いのだヽ(^○^)ノ

・・・・・・・・・・バ・カ・・・・・・・・・

 

18.貧人繋珠の譬え

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年12月 9日(土)19時14分31秒
  貧人繋珠(びんにんけいじゅ)の譬え

 仏法では、人の命は三千大千世界よりも尊し、と説かれている。まさしくその通りであるし、その通りであらねばならない。そうであるはずであるのに、最近のマスコミをにぎわす報道は、暗い悲しげな人命軽視の事件があまりにも多すぎる。

 あの帝銀事件の平沢貞通に、恩赦の可能性がでてきたとの報道(昭和五十四年六月)は、私たちにあらためて生命の尊厳性を考えさせるものであった。戦後間もなく、十二人の銀行員を青酸カリで毒殺したこの事件は、私の青年期の思い出のなかに、鮮烈に刻まれている。それだけに感無量であった。
 もとより私は、平沢の有罪か無罪かについて、口をはさむつもりはない。しかし、獄中生活三十一年、死刑が確定してからでも二十四年。その間、いつくるか分からぬ刑の執行に脅かされながらの生活は、常人の想像も及ばぬ不安と絶望の連続であったにちがいない。記録によると、世界でもっとも長く拘禁されている死刑囚だという。残酷なことである。私は「人道的な配慮」から今回の措置に踏み切ろうとする古井法相(当時)の判断は、妥当であろうと思った。
 ともにこの問題は、ことが死刑という極刑だけに、さきに再審決定がなされて、大きな社会的波紋を広げた「財田川事件」と同じように、法の裁きというもののあり方を、深く問うているといってよい。

 死刑は廃止すべきである、と私はつねづね思っている。たしかに、世の中が一定の秩序を保っていくには、法による裁きは、欠かすことができない。しかし、その裁きが円滑に運用されていくには、根底に、人間への信頼感がなければならないと思うからだ。
 日蓮大聖人の御遺文集に「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり」と仰せのように、いかなる悪人でも、心の底には人を愛し、人を慈しむ心根を秘めているものである。その点への信頼なくして、どんなに法による規制を強めても、結局は、空転を免れない。ところが、死刑制度は、そうした人間の可能性を、一切閉ざしてしまう。人間不信の産物であると思わざるをえないのである。

だれもが、極悪人でさえもが持っている菩薩の心、さらには仏の心。この点について、法華経には“貧人繋珠の譬え”という譬喩が説かれている。
 -昔、あるところに一人の男がいた。彼には、役人をしている裕福な友人がいる。ある日、男は、その親友の家に遊びに行き、酒や料理のもてなしを受けた。そして、すっかり酒に酔いつぶれてしまう。
 ところが、親友は急に公用ができて、旅立たなければならなくなる。やむなく親友は、酔いつぶれた男の服の裏に、どんな願いでもかなえられる“無価(むげ)の宝珠”を縫い込んでおく。眠りこけている男への最高の贈り物をしたのであった。
 しかし、男は親友から宝珠を贈られたことも知らず、やがて諸国を放浪する身となる。永い歳月が過ぎる。すっかり貧しい身なりで、彼は親友と再会した。驚いた親友に教えられて、かれは初めて自分が、すばらしい宝珠を持っていたことを知ったのである。
 これは、仏界という尊極の生命の開発を忘れ、低い悟りに満足していた釈尊の弟子たちが、愚かさを反省しつつ語った物語である。

 この尊極無上の生命を“宝珠”もろとも消し去ってしまう権利はだれにもない。しかし死刑においては、あたかも当然の権利であるかのように、国家権力の名のもとにそれが正当化される。その傲慢さゆえに、私は、死刑は無意味である、と主張するのである。

“貧人繋珠の譬え”を、さらに広く、そして日常的に解してみたい。たとえば“きめつけ”である。子供の些細な失敗をとらえ、ただ「ダメな子ね」ときめつける。大人同士でも、ちょっとした諍いから、きのうまで談笑していた隣人が仇のように憎くなったりする。きのう親しき隣人が真実の彼(女)であるのか、それとも今日の彼(女)の姿が真実なのであろうか。そんなことはおかまいなしに、感情的なきめつけに走る。売りことばに買いことばで、相手もそれに応ずる。“宝珠”の存在などどこへやら、低次元のやりとりを繰り返し、お互いに傷つけ合う。そうした事例は想像以上に多いものだ。
 相手の“宝珠”が見えないのは、自分自身の“宝珠”に気づいていないということだ。-ゆえに、互いにこの一点を凝視すべきだと思えてならない。

 子供や隣人は、ある意味では、自分を映し出す鏡であるといってよい。相手が悪いときめつけてみても、その悪は相手の実像とは関係なく、自らの命の影の部分であることが意外に多い場合がある。
 吉川英治の『宮本武蔵』のなかで、武蔵が少年・伊織に、富士山を眺めながら、次のように語っている。
「あれになろう、これになろうと焦心(あせ)るより、富士のように、自分を動かないものに作りあげろ。世間へ媚びずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは世の人が極めてくれる」
 私はこの富士山のようにどっしりと、悠々自適の日々を送っている年配の婦人を数多く知っている。彼女たちの笑顔は、例外なくさまざまな風雪を通して磨き抜かれた“宝珠”の輝きを放っているものだ。

『主婦と暮し・昭和54年8月号』掲載

 

なるほど…

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年12月 9日(土)18時44分56秒
編集済
  もし、このSGI規約が真実ならば
SGI会長は理事会の承認で決まるとの事は?でしかない
現在SGI会長は永遠の師匠、池田先生のハズ
先生の役職も理事会の承認が必要ということなのだろうか?

これでは、理事会は、「永遠の師匠」より権限があるということにならないか?

あらゆる権限を全て奪い、それでも何かと
「池田先生の承認を得ている」と言い、
問答無用で会員に押し付けてきた事、これは何だったのだろうか?

54年
先生は言われた
「学会は、私を裏切った
  しかし、私は、学会を裏切らない
  安心しなさい」と

以来約40年
忍耐し続けている師の心を逆手に取り
裏切り、やりたい放題の原田学会

大白の「巻頭言」が全てを物語る
先生の役職、肩書き…全て無い!

何の権限もない先生に従う人間、
そんな「漢」は、本部に党にいるのだろうか?

自分の立場、出世、生活ばかり考えている人ばかりが残っているのでは、ないだろうか?

知り合いに議員、職員がいたら、聞いて見て下さい
「◯◯は提婆達多」との先生の言葉、知っていますよね?
それなのに、何故、従っているのですか?」と
ほとんどの人は
「1人では、どうしようもない」と答えるだろう

会員は、職員、議員は、命懸けで先生の御指導を守る為に「戦っている」と思っています

しかし、実際は
誰よりも、先生が言われた通り行動することを「諦らめている人」が多い
現場と正反対です

「1人立て!」と煽っている幹部自身が
「1人では、どうしようもない」と諦めている

先生が晩年、本幹で叱責されたのは
幹部、議員、職員

そんな「身は堕ちねども、心が堕ちた」人々の屍を乗り越えて進んで行きたい
「正義の走者たる創価のメロス達が、いよいよ澎湃と踊り出ている」
との師に応える為に

最近、人気のテレビを見ました
ドクターX
主人公、大門未知子が言っていました
「致しません!」

彼女が「致す事」は何か?
それは、「患者の命を救うこと」
それ以外のおべんちゃら、付き合いゴルフは
全て「致しません!」と潔く断る

自分も師匠の精神を守ること、会員の幸福に関する事は、命懸けで「致したい」
そして、それ以外は…
「致しません!」

つまらない事に
時間、お金、エネルギーを使う程、暇人では無いから










 

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