エビチリが美味しかったのだけれども、隣のテーブルでは見てくれのいい大学生らしきカップルが話していた。
肌も綺麗だし、顔も小さかった。
彼らの話が聞こえてくるのだけど、自分も通うレベルに低い大学の学生っぽかった。
ただ、自分の容姿の特徴とは正反対の白人のガキの顔が褒められていることに嫌気がさしたのだろう。
すごく気分がわるくなる。
隣には、普段大学で歩くと目につくような見てくれのいい人間がいて、色々と精神的に追い込まれる。
母親が察したのか、「みんな、お金がないから大丈夫」と息子を宥め始めた。
最近感じることであるが、経済格差がなくなっても容姿格差は無くならないのではないか。
例えば、我が家の小金がなくなったらカップルが有利になるだろう。
経済格差についての本を読んでいるが、比較的金があるとされる年寄りが金を分配したがらない理由には容姿があると思っている。
年寄りは自分の性的な価値の無さを知っているから、金を溜め込んで何とか立ち位置を維持しようとしているのではないか。
「お金があるから、容姿が悪くても大丈夫」という気持ちになりたいのではないか。
若い女や子供を大切にする価値観というのは現状のところ、年寄りを大切にするのと対になっているイメージがある。
これは、若い女や子供に見出す価値が年寄りにはないということだ。
深いニキビ跡だらけの肌や、大きな顔やらが嫌だし、やっぱり嫌われるのだ。
こう、生の充実というのか、承認というのだろうか。
しかし、現状持病のために免疫抑制剤を飲んでいて、美容整形も門前払いだ。
もしかしたら、免疫抑制剤を切れるかもしれないし、色々な治療に期待できるかもしれない。
そんなこんなを考えると、経済的な格差というのは性的魅力の格差や差別から始まっているのではないかとは思う。