Dec.10.2017
岡本太郎氏は小生にとって
3歳の頃から不可分一体の存在です
御本人は迷惑かも知れませんが
少なくとも自分の中では確実にそうです
大阪市内で,生まれてから小学校卒業まで
住んでおりましたマンションが
五階の一室だったのですが,
南のバルコニーからは5キロほど先に大阪城が,
北の玄関を開けると
淀川越しに10キロほど先に
太陽の塔がみえる見晴らしの良い場所でした
本日はやんごとなき御方とのシンクロニシティもあり,
俄然無意識がうごめいて書く気になりましたもので,
太郎氏の想ひでと共に名言をお伝えしようと思います
大阪人の常套句=ミームですが,
太閤さん(秀吉)みたいになりや
と,祖母や母から,大阪城を指差しながら
耳タコレベルで聞き飽きるほど言われました
一方,それにあらがうかのように,
小生は繰り返し太陽の塔を指差して,
「あれ, 何?」と聞きました
ですが,毎回,呆れて笑いつつ,
あれはKICHIGAIが作ったもんや
と父に一蹴され続け,
逆説的に非常に気になり,
一人何時間も廊下の柵を握りつつ塔を見つめながら,
「KICHIGAIって何やろ?」
と黄昏たものでした
中央奥の緑地に小さく大阪城公園が,
そのさらに奥の山あい手前に万博記念公園が...
今思いますと,この原体験が
芸術は狂気の発動である
という小生の信念の核となったのだと思います
ピカソの作品と出会い,
乗り越えようとして描かれた作品です
それでは太郎氏の最も有名な名言から…
芸術は、爆発だ。
全生命が瞬間に開ききること。
それが爆発だ。
音もしない,においもしない,
自分の内に続けられる生命のほとばしり,
それを太郎氏は,爆発と呼ばれます
非暴力です
次に,小生の座右の銘です
信念のためには、
たとえ敗れると分かっていても、
おのれを貫くそういう精神の高貴さがなくて、
何が人間ぞと僕は言いたいんだ。
真の「勇気」とはこのことでしょう
アドラーがどう言うかは存じませぬ…
『傷ましき腕』
そして,内向的な方には…
人間は精神が拡がるときと、
とじこもるときが必ずある。
強烈にとじこもりがちな人ほど
逆にひろがるときがくる。
絶えざるアンチテーゼの提出,
それこそが前衛芸術家の使命であり
生きざまだったのでしょう
茶目っ気もおありでした
年とともに若くなっていくのが
自分でわかるね。
80歳を過ぎてテレビ出演された際,
司会の片岡鶴太郎さんに
先生,おいくつになられるんですか?
と尋ねられ,
はたち
とお答えでした
その若返りの秘訣は,
私は、人生の岐路に立った時、
いつも困難なほうの道を選んできた。
からとのことです
そして,人生について
人生の目的は悟ることではありません。
生きるんです。
人間は動物ですから。
パラドクスに思われるかも知れませんが,
誤解を恐れず申し上げますと,
もはや, このおことばは
私は人間だ
と仰った,ブッダの域でしょう
ブッダは最期,豚肉の揚げものに当たられ
食中毒でお亡くなりになられたとされています
Taro's grave
それでは,このへんで
『重工業』