先日も会社で皆で考えたある新しいアイデアの特許を取ろうという話が出てきて、
上の人に「頼むね」とか言われて、それが嫌で嫌でもう逃げ出したい。
何で自分がそういうことをしなきゃならないんだ。
皆でアイデアを出すのもいつのまにか取りまとめ役をさせられていて、
内心、嫌だ面倒だ何で自分が、と思ったけど断れない。
無趣味。やりたいこともない。夢もない。
就職活動とかしんどかった。
やりがいとか生きがいとか、自分に持ち合わせてないものを探しまわって無理やりでっち上げて、
まあまあ覚えはいいので仕事はそれなりにできるようになったけど
日々降りかかる仕事をこなすことだけで精一杯で、
たまに旅行に行くけどそれは現在から逃げ出したいからだってよく分かっている。
でも現状を変えることは何もしない。
昔からこんなことばっかりだった。
どうも周りからはしっかりしてると見えるらしく、
もう、足がすくんでいた。
結局サークルに別の揉め事が発生してその責任を取る形でやめたけど、心底ほっとし た。
「僕はやりたくありません」と言い切り、
担任に「出て行け!」と怒鳴られて泣きそうになりながら教室を出たこともよく覚え ている。
小さい頃から本当にそう。何かをするのが怖い。
どうしてかはなんとなくわかる。
ちょっと悪さをすると怒られた。
火をつけた線香をお尻にピッとあてるお仕置き。
されている場面を一回だけ鮮明に覚えているけど、かなりされたと思う。
それ以外にも大人になっていろいろ気がつくことがある。
自分は中学生ぐらいまで、戸棚や冷蔵庫にあるお菓子を食べるときに
必ず母ちゃんに「これ食べるよ」と言ってた。
この行為を大きくなってずっと不思議に思ってたんだけど、30の時に気がついた。
たぶん覚えてもいない頃に、勝手に食べてこっぴどく怒られたから。
それから食べる前に必ず母ちゃんに許可をもらうようになったんだ。
これも変な話だけど、幼心に大きくなったら自分は家を出ると決めてて、
小学校の2年生の時に父親に頼んで日本の地図帳と電話番号のメモ帳を買ってもらっ た。
家を出て全国を旅して生きようと思ってたから。
地図を見ながら電車で旅をし、行く先々で知り合った人たちの連絡先も書き留めない と。
今思うとけなげで微笑ましいけど、将来スマホができるとはわからなかったね。
結局18歳で家を出て、それから今までずっと一人で暮らしている。
一般に親が厳しい環境で育った子供は自発性が乏しくなると言われてて、
自分を振り返ってもまあその通りだと思う。
今でも実家に寄るのは少し気がひける。
帰るとは返したけどやっぱり気が乗らない。
どんな理由や要因があるにせよ、
親や他人のせいだというのは自分のせいじゃない風にできるから楽だけど、
それでも親や他人が自分の人生に責任を持ってくれるわけじゃない。
どんな方向だとしても、それは自分が選んだ結果だ。
そう思っている。
でもさっき、ふっと気がついた。
物心がつくぐらい、なにが良いのか悪いのかも分からないような子供が
天もひっくり返るような恐ろしい災厄なのかもしれない。
自分が興味のままにちょっと手を出した食べた走った言った、で災厄が降ってくる。
けれどなぜ災厄が降ってくるのか、その大人の道理が子どもには理解できないとした ら、
子どもなりの災厄を避けるベストな方法は「何もしない」ことかもしれない。
「何もしない」という生き方を、今も守っているのかもしれない。
その生き方で曲がりなりにもここまで生きてきた。
いいとか悪いとかとは別に、よく今までここまでやってきた。
と日曜日の昼下がりに布団の中で思った。