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伝四条金吾本尊

 投稿者:身延の町民  投稿日:2017年12月10日(日)17時14分53秒
  四条金吾が書いたといわれる本尊  不動愛染の梵字と花押は日蓮直筆とされる 身延大火で失われた 写しが現存する
 

螺髪様

 投稿者:ペロ  投稿日:2017年12月10日(日)17時00分38秒
  「以心代慧」大事ですね。

私は、

大聖人を信じ、

御本尊を信じ、

牧口先生、戸田先生、池田先生を信じ、

仏法を真剣に実践し、大きく人生を開いて来ました。


トンチンカン執行部によりこの2,3年

一番大事な私の「信」はグラグラになりました。

奴らは信心破壊の魔物以外の何ものでもありませんね。

私の中で奴らはすでに仏敵として「認定」しています。


最近は、仏敵に戦いを起こしている一人立つ勇者の皆さまに触発され、

私自身、先生直結で新たな戦いをがっちり起こし始めています。


螺髪様の投稿は何やら難解そうでいつもはパスしてるのですが、、、
(スミマセン)

今回の螺髪様の投稿を読んで、なんかもう一度

御書を真剣に研鑽させて頂こうと決意することができました。

ありがとうございました。

 

鬼子母神の愛

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年12月10日(日)12時56分35秒
  座談会があったが、相変わらず病気の人がものすごく多い。
地区だけの話ではない。支部でも本部でもそうだ。

皆さん元気に復帰してはいるが、症状そのものは命に関わるほど重い場合も多いのだ。

今のところは転重軽受と捉えてもたぶん正しいと思うが、今後自公の戦争政策のせいで死者が出る様な事態になれば、そうは行かない。
選挙で自公を支援した結果招いた事なら、当然一人一人の仏法的な責任を問われることになるだろう。上の指示に従っただけというのは通用しない。それはアイヒマンの屁理屈だ。

御本尊は「厳父の愛」。「慈母の愛」でもなければ、ましてや「鬼子母神の愛」などでは絶対にない。
自公安倍政権は「鬼子母神の愛」だ。自分の子だけを慈しみ、他人の子は取って食う。

北朝鮮情勢はますます危なくなっている。
アベもトランプも私には、「戦争というものを軽く考えている」様に見えてしょうがない。
要するによく分かっていない連中なのだ。第3次世界大戦という言葉など、能天気すぎて頭の片隅にも無いのだろう。

今後更に圧力を強め海上封鎖など始めれば、偶発戦争の危険はピークに達するだろう。
あんな軽薄そうな連中に、世界大戦など起こされてたまるか。

100万単位で人が死ぬ様な戦争を始めた奴は死刑だ。
私は死刑廃止論者だが、核兵器を使った奴とこういう場合だけは例外だ。


リニア中央新幹線工事を巡り、大林組に東京地検特捜部の強制捜査が入った。
またか!安倍政権になってからこんな事件ばっかりではないか。
モリカケスパ(もりソバかけソバだけでなく、スパゲティも加わった)をはじめ、全部黒なんだろう!

総工費9兆円超の巨大プロジェクト。当然巨大な利権が絡む。
財政投融資も活用されていて、問題は民間レベルでは留まらない。

認可した国土交通省の対応が注目される。
また国土交通省か。大忙しだな。マスコミに取り上げられる回数はダントツで多いだろう。
しかも自然災害をはじめ、悪い事件ばかりではないか。

公明党の石井大臣は「長の責任」ということと合わせて「長の福運」ということも考えた方がいい。

もう福運が切れているのだ。


 

ロード

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月10日(日)11時30分56秒
  今日の京都はどうですか? どうでもええけど大阪は晴天。横浜もらしい。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
「先の大戦ではたいへんやったんどす」「え? 京都って戦争の時、爆撃なかったんとちゃうんですか?」と訊くと、京都では「先の大戦」とは「応仁の乱」のことをいうらしい。京都の時間の感覚には恐れ入る。住友銀行京都支店が100周年を迎えた時、「まだ100年どすか?」と言われて絶句したそうです。
京都座談会、終わってからの「二次会」も楽しいですよ。ゆっくり対話して下さい。せっかく京都ですから「ぶぶ漬けでも食べていきなはれ」。

それはそうと、El mar de nocheさん、ありがとうございます。創価学会は誠実に向き合わなければならないですね。今、一般学会員(要は地涌の菩薩)たちで、2014年の教義変更を謗法と破折したうえで、金原リポート後の大御本尊問題に関する教学理論構築を進めているらしいです。いずれ宿坊に公開されたら、皆で点検しましょう。

虹の戦士さん
>自分の信心にとってプラスであるならば、組織や宗門も必要ですが、なんだか考えると、悩んだり、疑問に思ったりするばかりで、自分の信心にはマイナスのような気がしています。<

そうなんですよね。よく分かります。そう言われる方を私も多く見ています。池田先生も「組織・幹部がメンバーからの信頼を失っている」といった意味のことを言われていたと、私は理解しています。(そのスピーチではダイレクトな表現でなかったもので)

池田先生は「宗教は嫌いだった」「古臭い」「威張り」「人を不幸にする」などと言われていました。私もそうです。しかし、日蓮仏法は、いわゆる宗教とは性質が違います。その点が分かりにくい。誤解されやすく、残念な結果になることが多い。そこで私はひとつ見方を変えるようにさせています。
「大聖人・釈尊はキリストやムハンマドというよりもむしろガリレオやニュートン、アインシュタイン、フロイト・ユングらに近い」のです。

仏法はあくまで《法則》です。《法則》の集大成です。「無量義とは一法より生ず」で、この一法が即ち南無妙法蓮華経です。《法則》に則ればプラスの結果が出ます。これが功徳です。その《法則》(に逆らうなど)から外れればマイナスの結果が出ます。これが罰です。この「功徳と罰」をその辺の宗教と同じように「与えられるもの」と思い、思わされて、その本質を知らないことが今、学会で起きている不幸です。

大聖人はいわば「地球は回っている」と言われているのです。「では、その《法則》を活かして価値創造するにはどうすればいいか?」を教えて下さっているのが池田先生です。南無妙法蓮華経を「悪しく敬わ」ず、正しく信受するには、どういう一念、信心、心、信・行・学でいけばいいのか。それを最も正確に民衆に教えて下さったのが池田先生でした。

南無妙法蓮華経についての知識は一応、日蓮宗身延ら各派、日蓮正宗、原田学会も持っています。ただそれを皆に正しく教え伝え、功徳を受けさせ、価値創造させて下さったのがMr.ダイサク・イケダだけだったのです。
他宗・他派(原田学会を含む)はそれをやらなかった。全ては《法則》なのです。そして正しく伝える《人間》なのです。「人」と「法」です。

どんな善人、賢人、権力者であっても、「ニュートンはアホや~嘘つきや~」と言ってビルから飛び降りたら死ぬのです。『法華経の智慧』を信受する人はそんなことはしない。自然とその《法則》に則ってプラスの結果が実は出ている。たとえそれが地味な結果としても。「♪何でもないようなことが幸せだったと思う」ことにも気づくのです。
https://www.youtube.com/watch?v=-pGP0UJp7j4
 

太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編さんへ

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年12月10日(日)10時34分50秒
編集済
  返信ありがとうございます。

人界の境涯です。ダメな凡夫です。
日蓮大聖人様にはなれないけれど、四条金吾のようには
なれるかも・・・?

四条金吾も気が短く、ダメな凡夫だったのかなと思ってます。
そんな人が立派な凡夫になって、私の見本になってます。

”そして、大聖人が禅宗は天魔波旬の法なりと説くのを聞いて憤慨し、
松葉ヶ谷に出かけていったが、かえって大聖人の智解と道理に服し、
同じく参禅していた仲間の荏原義宗、工藤吉隆、池上宗仲・宗長の
兄弟を誘って、共々に大聖人の信者になったといわれる。”

池田先生の悪口を聞いて、悪口を言った人と喧嘩する人みたいな
短気な性格だったのかもしれませんね、四条金吾は。


>とはいえ人界の境涯は冷静ですもんね
>衆生所有楽でいいんじゃないでしょうか(^^)
>それもまた折伏の方便のひとつと思います

はい。そう思います。組織や宗教団体に所属しなくても
立派な凡夫のひとたちはきっと身近にたくさんいると思います。





 

虹の戦士さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月10日(日)10時10分41秒
  返信しないほうがいいかなとも思ったけど

http://6027.teacup.com/situation/bbs/77285
このコメントから感じたけれど人界の境涯なのかな?たぶん

組織に着いてやるのも個人でやるのも結局のところは悪を善に変えゆくことが福徳・福運になっていくみたいで、いつの間にやら境涯革命になっていってるみたいです(^^)
悪とか仏敵とか言っても、周囲の「人」の心境を変えてもらうとういうよりは、自分自身の「生命」でもって相手に感応・共鳴させる行動が化他行なんじゃないかなって

そして相手が「変わる」とは限らないから「諦めない気持ち」が大切なのかな~と
無理に相手に変わらせようとするのはかえって自分自身が他化自在天になってしまうから(笑)、あくまで相手の自由意志のもとで「変わる」のを助長するのがいいのでしょうか

学会のいろんな活動は、その目的のために表面上はいろんな方法・方便を取ってる、というのが本来でしょうか
それが現在では方便の形だけが一人歩きし本来の目的を失いつつあります
そうした事情を危惧して河合師範はあの指導をした様子を感じるんです
http://6027.teacup.com/situation/bbs/58089
河合師範の指導  平成10年6月2日寝屋川文化会館(全文)

化他行のためのおおもとが自行なんだなって
自行と化他行って自転と公転みたいな関係ですよね(昔の活動家さんはよく言ってましたね)
日蓮仏法って結局のところ「福運のつく苦労の仕方を学ぶもの」なんだなって最近は感じるんです
同じ苦労をするなら福運のつく苦労の仕方のほうがいいですもんね(^^)
苦労してるときは悪循環に陥りやすいから苦労が苦行同然だったりするから

とはいえ人界の境涯は冷静ですもんね
衆生所有楽でいいんじゃないでしょうか(^^)
それもまた折伏の方便のひとつと思います

明るい希望の持てるものを多くの人が求めてるように感じられますね
それは仏性と接したいという無意識に求める姿でしょうか
とにかく人の心があまりにも乾きすぎてる
潤いを感じる仏性の表わしかたは別に仏法話に限らずで、日常会話でもむしろ表わしやすいでしょうか

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

今週のことば 2017年12月10日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年12月10日(日)09時23分33秒
  創価の前進を支える
役員の皆さまに感謝!
「陰徳あれば陽報あり」
健康・無事故で
凱歌の総仕上げを!
 

我が道は日蓮大聖人様への道

 投稿者:虹の戦士  投稿日:2017年12月10日(日)09時16分33秒
編集済
  ---------------------------------
SaySaySayさんへ

笑顔で退場したのですが、名前が出たので
書き込みます。すみません。

”(虹の戦士さん、実はこの金原リポートが
大御本尊について書かれています。”

情報ありがとうございます。
金原明彦氏『日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実』、なかなか購入するのむずかしい本なのですね。

自分にとって大石寺とか、日顕宗とか、現在では意識することがなくなってしまいました。学会も・・・?。
怒られちゃいますね。

自分の信心にとってプラスであるならば、
組織や宗門も必要ですが、なんだか
考えると、悩んだり、疑問に思ったり
するばかりで、自分の信心にはマイナス
のような気がしています。

マイナスになるなら、自分の興味のある
ことに時間を使いたいなと思っています。

私が目指すのは四条金吾の信心、
そう考えると大石寺も日顕宗も創価学会も
心から存在が消えてしまい、ただ日蓮大聖人様を信じ、
日蓮大聖人様の仏法を信じる自分がいるのです。

その間に存在するもの、人の集まり、
つまり宗教は自分にとって必要ではないと
思うようになりました。

日蓮大聖人様と日蓮大聖人様の仏法、
あとは自分の毎日の生活を普通にして
学んだことを実践していきます。

我が道は日蓮大聖人様への道、
おのずと守るべきものは、道の途中で
ついてくるといった感じでしょうか。

みんなちがってみんないい。
ということで、よろしくお願いします。

---------------------------------
体長1.3mの巨大猫さん

ひさしぶりに登場と思ったら、すごい投稿ありがとう
ございます。

猫さんの写真、雪中行軍ってどうやって
撮ったのか不思議だなと思ってみてます。
猫をいじめずに可愛がってください。
猫が安心して暮らせる平和な世界を。
---------------------------------
エルサレム、3つの宗教の聖地なら、みんなの
聖地にすればいいのに。何で安倍さんは
トランプさんに”それはちがうだろう”と
言わないのか、友達がまちがっていたら
正すのが真のともだちなのに。

なんとかファーストという考え方は、対立を生み、
争いを生み、世界戦争へと導く邪悪な思想だと思います。
忖度も友達ファースト。だめですね。

時代はきっと”みんなファーストを必要としている。”
それが実現できるのは日蓮大聖人様の仏法です。
---------------------------------
誤字脱字があるかもしれません、すみません。
先に謝っておきます。
---------------------------------

 

「法境」とは何か

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月10日(日)08時55分13秒
  「法境」とは何か
体長1.3mの巨大猫さん、ありがとうございます。凄いですね! やっぱり深い! 後でじっくり勉強させていただきます。『八甲田山』には笑いました。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77276
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77277
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77278
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77279
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77280
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77281
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77282
 

人間は十界互具、一念三千の生命的動物!

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年12月10日(日)06時45分26秒
   おはようございます。

 体長1.3mの巨大猫さん、「法境」の解説、ありがとうございます。先人たちの研鑽も、実に深いものがありますね。とても小さな“器”には収まりそうもありませんが(笑い)。辞書となりそうです。こうして「意味」を収斂させることは、研鑽の深化と、誤謬の歯止めとなります。

 ところで、
 「十界本有」というのは、「十界本有」の「法界」の中で「十界」すべてがそのままに「活き切る」ことと言っていいようです。人間は、“社会的動物”というより、十界互具、一念三千の“生命的動物”ということです。「一念三千」以外に「生命」の実像はありません。「十界本有」だからこそ、「帰命」が必要です。中心となる「南無妙法蓮華経」が不可欠だということです。

 「但仏界計り現じ難し 九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ」(観心本尊抄241㌻)。

 「十界本有」の「一念三千」が“生命”の実相です。だから、どの十界各別も“帰命”しないではいられない。“大宇宙”と一体になると言ってもいい、“仏”と一体になるといってもいい、とにかく「一体となる」ことを求めているのが、十界各界の実像だといえます。その一環として、僧伽や組織や社会や国家や族との一体化も求めます。いわば“生命”の癖、習性、本性なのです。

 「一体」となったその空間の中で、十界各別の“自身”を生きること事態がまた、“生命”の実相と言えるかも知れません。「個」も、「全体」も、同じなのです。「一体化」への結合は「生死」の「死」、「一体化」からの分離は「生」です。この生死、生死の、分離と結合を繰り返しているのが偽らざる“生命”の実相と言えます。しかも「十界本有」の「一念三千」です。「生」は法界への「開」、「死」は法界からの「合」。“生命”はまた、「開」と「合」の繰り返しなのです。

 「妙は死 法は生なり 此の生死の二法が十界の当体なり 又此れを当体蓮華とも云うなり」(生死一大事血脈抄1336㌻)

 その「結合」の時にも、「分離」の時にも、巨大なエネルギーの“生命流”を生じさせます。これが「法性」といえます。宇宙の「星」の誕生や死滅、核融合や核分裂を見れば、それは明らかです。不可思議な「妙法」です。どんな“生命体”も縁によって清浄の「仏」となる、どんな“生命体”も縁によって貪りの餓鬼のともなる、どんな“生命体”も縁によって瞋りの地獄、修羅ともなる、その十界各別の“集合”が「衆生」ということです。

 十界各別の異なる“境涯”があります。「因」と「果」と「果報」との、その集合が「衆生」です。「衆生」も「生命」のひとつの表現なのです。宇宙規模では“衆星”という表現もありました。「生命」はいつも、自身の発祥の母体と言える宇宙との交流を求めています。それは元々の「清浄」との交流です。「心」の次元でいえば「帰命」です。それを「以心代慧」で補うということです。

 以前にも記しましたが、人体の各器官も十界各界の集合体です。小腸には無数の突起(腸絨毛)があり、まるで“餓鬼”のように食物の糖分を吸収します。全身に酸素や糖を送る“菩薩”のような心臓もあります。体調という“法の番人”のように振る舞う抗体もあって、このリズムが狂うとアレルギーや他の器官を破壊してしまうことにもなりかねません。かと思えば、外敵が侵入するとたちまちに攻撃に向かうキラー細胞や白血球など“阿修羅”のような細胞もあります。このどのひとつが欠けても、人体の平穏は保たれません。「本有」であるべき器官、機能です。

 繰り返しになりますが、「一念三千」「十界本有」が「仏」の真実の姿です。「人間」の実像です。それ以外に「仏」も「人間」もないのです。そのあるべき姿が「人法一箇の南無妙法蓮華経」を中心に据えた「十界本有」に「生命」の実像があるという言い方もできます。それはとりもなおさず「意味」としての、御本尊の御姿といえます。



 

「法境」とは何か 7【無表色、三無為】(完)

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)05時04分57秒
編集済
  【無表色】

無表色は不可見無対色ともいう。
表すことのできない色のことである。

「倶舎論」には
「無表は色業を以て性と為すこと、有表業(思いが外に発動するもの)の如しと雖も、
而(しか)も表示して、他をして了知せしむるに非ず、故に、無表と名く」とある。

すなわち、身口意の三業のうち身業・口業は意業が外に表れたもので有表業である。
これによく似てはいるが、身口の二業が表示されるのに対して、
それが不可能なものを無表色という。

「倶舎論」にはつづいて
「略して説かば、表業と定とにて生ぜらるる善不善の色を名けて無表と為す」と説いている。
善や不善は色にあたらないという考え方もできるが、
善不善は存在することはたしかだから表示することはできないにしても、
実有であると考えることもできる。これを無表色としたのである。

倶舎論等は説一切有部であり、自らを取り巻くものを実体的に捉えていたから、
このような考え方が強く出てきたのである。


--------------------------------------------


【三無為】

生滅変化を超えた常住絶対なるもの(無為)に三種をたてたもの。
創られたものではない原理。変化することのない原理。

1.虚空無為:場所一般。もろもろのダルマが現われるためには、
       それらに妨げを与えない場所の存在が前提される。

2.択滅無為:正智の明確に知る力による消滅。
       われわれが正智に達すると、その明確に知る力(簡択力)によって、
       ひとつひとつのダルマの本性を知ると、その「知る」働きの不思議な力により、
       個々のダルマが起らなくなる。そうしてすべてのダルマが消滅すると、
       やがてニルヴァーナに達する。

3.非択滅無為:明確に知る力によるのではない消滅。
        あらゆるものごとは因縁によって生ずるのであるが、生ぜしめる縁が欠けると、
        もろもろのダルマも生じないで滅びてしまう。
        この消滅そのものを実体視して、こう呼んでいるのである。
        それは明確に知る力によって消滅するのではないから、「非択滅」とよぶ。
        簡単にいえば、ものや現象がひとりでになくなることである。




 

「法境」とは何か 6【十四不相応行】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)04時45分26秒
編集済
  【十四不相応行】

1.「得」:「得」と次の「非得」はペアであり表裏の関係にある。
     「得」は平易に言えば、結合関係、つなぎとめる働きのことを実体視したもの。
      この「得」「非得」は有情法に限って言われるもので、
     「得」は有情の心身を構成する諸法、および三無為中の「択滅無為」、「非択滅無為」を
      その有情の上につなぎとめる働きを言う。

2.「非得」:「非得」は「得」の反対で、諸法のつながりの関係を切り離す働きのこと。
      「凡夫」が「善心」を起こす場合は、「凡夫」と「善心」の間に「得」、
      「凡夫」が「善心」を失えば「非得」という関係になる。

3.「同分」(衆同分とも):有情についての共通な相似性を実体視したもの。
            有情全体について有情の共通性があることを「無差別同分」といい、
            有情の中で牛なら牛、犬なら犬が類同であることを、「有差別同分」という。

4.「無想果」:無想果は、「無想定」(下記5)を修することにより、
       無想有情天に生まれることができた有情についてのみにみられる心・心所の滅のこと。

5.「無想定」:「無心定」(心・心所の生起がすべて断滅した三昧)の一つで、
       上記4「無想果」に関連のある無想天に生まれることが真の解脱であると誤解して、
       これを求めての修行方法で、心・心所の生起を滅止するための実在物を指している。

6.「滅尽定」(5と6合わせて倶舎論では「二定」):これも「無心定」の一つで、
         聖者が寂静の境地を楽しもうと意図して修するものといわれる。

7.「命根」:平易に言えば「生命力」ということになる。
     「寿」(寿命)ということであり、体温と心識を維持する。

8.「生」(8~11で倶舎論では「相」または四相):生・住・異・滅の有為の四相の一つ。
     「生」は諸法を起こすことを言う。
     また、生・住・異・滅そのものも有為法であるから、
     これらを生じしめたり、滅したりするものもなければならないとして、
     それらを生生・住住・異異・滅滅とし、四随相と呼んでいる。

9.「住」:諸法を安んずる、その状態にあることを言う。

10.「異」:よく衰えしめる、変異させること。

11.「滅」:壊せしめる、過去へ去らせること。

12.「名(名身)」:「名」「句」「文」は言葉に関連する法(ダルマ)で、
   これによって、ことばが機能し、認識が成立する。「名」は名辞、ものの名前。

13.「句(句身)」:章句のこと。

14.「文(文身)」:音節のこと。文章ではなく「あや」、音韻の屈曲である。


 

「法境」とは何か 5【四十六心所法】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)04時44分34秒
編集済
  【四十六心所法】

(1)大地法
善・悪・無記に関係なく、あらゆる心と常に倶生する「心所法」のこと。

1.「受」:対象を心に感受する作用。苦・楽・捨の三を受け入れるもの。五蘊のひとつ。
2.「想」:対象の姿を表象する作用。取像。これも五蘊の一つ。
3.「思」:意思的な働きの作用。意思の発動。五蘊の中の「行」と同じ。
4.「触」:内なる心と外なる対象の接触。根・境・識の三事の和合で生ずる。
5.「欲」:希求。物事をしたいという欲求。

6.「慧」:分別し判断する作用。所縁の正邪、善悪を判別するもの。
7.「念」:対象を忘失しない心の働き。
      かつて経験した事柄を記憶維持して後事の不忘失の因となるもの。
8.「作意」:対象に注意を向ける作用。驚覚の義。
9.「勝解」:対象のいかなるものかを確認し了解する作用。
      所縁の境相をこれこれと審決判定するもの。
10.「三摩地」:定(じょう)。心を浮動させず集中する働き。等持。

(2)大善地法
あらゆる善心と常に倶生する「心所法」。

11.「信」:心の清らかさ、澄み切った心。また四諦、三宝、業及び果報に対する確信、忍許。
12.「不放逸」:なげやりの心でなく精励して善をおこなうこと。
       また心を守護するもの。「放逸」の反対。
13.「軽安」:心が軽快で巧みな適応性があること。
14.「捨」:心が平静で偏りのないこと。
15.「慚」:2通りの解釈。ひとつは他社の徳に対する恭敬。
      ふたつは自らを観察することによって己の過失を恥じること。

16.「愧」:これも二通りの解釈。ひとつは自己の罪に対する畏怖。
      ふたつは他を観察することによって己の過失を恥じること。
17.「無貪」:貪りのないこと。境に対して愛染の貪りのないこと。
       欲望の対象を厭捨すること。
18.「無瞋」:憎しみのないこと。他を愛憐すること。
19.「不害」:他を害しないこと。非暴力。
20.「勤」:精進。善に対して果敢にいそしむこと。不放逸よりも積極的に善に取り組む。

(3)大煩悩地法
あらゆる染汚心(煩悩)と倶生する「心所法」。

21.「癡」:無明。愚癡。おろかさ。心の昏さ。「慧」のないもの。
22.「放逸」:なげやりで善に努めないこと。「不放逸」の反対。
23.「懈怠(けたい)」:善に対して敢為ならぬこと。怠惰。「勤」の反対。
24.「不信」:心が澄明でなく信順のないこと。「信」の反対。
25.「惛沈(こんじん)」:心の沈鬱。不軽快。「軽安」の反対。
26.「掉挙(じょうこ)」:心の軽躁。浮動して静まりのないこと。

(4)大不善地法
あらゆる不善心と倶生する「心所法」。

27.「無慚」:他者の徳に対し恭敬の心がないこと。「慚」の反対。
28.「無愧」:自己の罪に対する畏怖の念がないこと。「愧」の反対。

(5)小煩悩地法
心が第六意識として働くときのみおこり、無明とだけ倶生する「心所法」。

29.「忿」:いかり。憤発、短気。「愼」と同種類か。
30.「覆」:自己の過ちの隠蔽。
31.「慳」:ものおしみ。吝嗇、聖教や財を惜しむもの。
32.「嫉」:ねたみ。他の栄達を妬むもの。
33.「悩」:他の諌めを入れず、自ら苦悶するもの。
      玄奘の漢訳では「悩」とするが、真諦は「不捨」と漢訳している。
      自己の考えに固執して捨てない。

34.「害」:害意。他を損せんとして打撃罵詈をなすもの。「不害」の反対。
35.「恨」:うらみ。忿に次いでおこる。
36.「諂」:心の邪曲。本心を顕さず、従順をよそおい、他を籠絡しようというもの。
37.「誑」:欺瞞。惑他で、有徳をよそおい、
      上品に擬して他をして顛倒の理解を生じさせようというもの。
38.「憍」:自己満足。自己の戒行、智慧、身分、財産などに染著自負して、他をしのごうとするもの。

(6)不定法
ある時は善心、ある時は、悪心(不善心)、ある時は無記心と伴うので、不定といわれる。

39.「尋」:推求的な粗大な心の作用。
40.「伺」:観察的な細密な心の作用。
41.「睡眠」:心の鈍重さ。明瞭に境を取らしめないもの。
42.「悪作(あくさ)」:過去においてなしたこと、なさなかったことを追想して悔やむもの。
43.「貪」:むさぼり。身体、財宝等に染著し已得を守り、未得を求めるもの。
     「無貪」の反対。

44.「瞋」:瞋恚。憎しみ。他を憎み嫌うもの。「無瞋」の反対。
45.「慢」:慢心。他に対して己の方が優れているという心の高上り。
     「憍」に似るが、「慢」は他人に対して誇りたがる心であるという。
46.「疑」:四諦、因果に対する懐疑。



 

「法境」とは何か 4【十八界】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)03時49分26秒
編集済
  【十八界】

梵語 aSTaadaza dhaatavaH の訳語であり、
十八の種族という意味である。
また十八持とも言い、
三科のうちの一つである。

一身中に能依の識、所依の根及び所縁の境の十八類の種族があることをいう。
(一)眼界(梵cakSur-dhaatu)
(二)耳界(梵zrotra-dh.)
(三)鼻界(梵gharaaNa-dh.)
(四)舌界(梵jihvaa-dh.)
(五)身界(梵kaaya-dh.)
(六)意界(梵mano-dh.)

(七)色界(梵ruupa-dh.)
(八)声界(梵zabda-dh.)
(九)香界(梵gandha-dh.)
(十)味界(梵rasa-dh.)
(十一)触界(梵spraSTavya-dh.)
(十二)法界(梵dharma-dh.)

(十三)眼識界(梵cakSur-vijJaana-dh.)
(十四)耳識界(梵zrotra-vijJaana-dh.)
(十五)鼻識界(梵gharaaNa-vijJaana-dh.)
(十六)舌識界(梵jihvaa-vijJaana-dh.)
(十七)身識界(梵kaaya-vijJaana-dh.)
(十八)意識界(梵mano-vijJaana-dh.)

「雑阿含経巻十六」に
「云何が種種界なる。
謂わゆる十八界なり。眼界・色界・眼識界、乃至、意界・法界・意識界なり。
これを種種界と名づく」と云い、

「倶舎論巻一」に
「何に縁りてか十八界を立つることを得る。
頌して曰わく、第六の依を成ずるが故に、十八界なることまさに知るべし。
論じて曰わく、五識界の如きは別に眼等の五界ありて依と為す。
第六意識は別の所依なり。この依を成ぜんが為の故に意界を説く。
かくの如く所依と能依と境界とに、まさに知るべし、各六界ありて十八を成ずることを」
と云う。

これは根・境・識の三つに各六界の別があり、総じて十八界になることを説いたものである。
即ち十二処中の眼処・耳処・鼻処・舌処・身処・意処を、
所依の根と能依の識とに分別したものである。

この中、
眼識の所依たる眼根を眼界と名づけ、
眼識の所縁たる色境を色界と名づけ、
色界を了別する眼識を眼識界と名づけ、
乃至
意識の所依たる無間滅の意根を意界と名づけ、
意識の所縁たる法境を法界と名づけ、
法界を了別する意識を意識界と名づけたのである。

法界とは十二処中の法処の如く、
四十六心所法、十四不相応行、無表色、及び三無為の六十四法を摂する。
大乗百法についてこれを言えば、
五十一心所、二十四不相応行、六無為及び法処所摂色の八十二法を摂する。


また界の意義に関して、「大毘婆沙論巻七十一」には
種族の義、段の義、分の義、片の義、異相の義、不相似の義、分斉の義、種種因の義、
馳流の義、任持の義、長養の義の十一義を説いている。

「倶舎論巻一」には
「法の種族の義はこれ界の義なり。
一の山中に多の銅鉄金銀等の族あるを説きて多界と名づくるが如く、
かくの如く一身、或は一相続に十八種の諸法の種族あるを十八界と名づく。
この中の種族はこれ生本の義なり。
かくの如き眼等は誰が生本なる、謂わく自の種類の同類因なるが故なり」とある。


 

「法境」とは何か 3【十二入】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)03時47分37秒
編集済
  【十二入】

梵語 aayatanaani の訳語であり、
十二処、十二入処ともいう。
三科のうちの一つである。

処は生長等の義である。
心心所を長養する法を十二種に分類したものである。
(一)眼処(梵cakSur-aayatana)
(二)耳処(梵zrotraayatana)
(三)鼻処(梵ghraaNaayatana)
(四)舌処(梵jihvaayatana)
(五)身処(梵kaayaayatana)
(六)意処(梵mana-aayatana)

(七)色処(梵ruupaayatana)
(八)声処(梵zabdaayatana)
(九)香処(梵gandhaayatana)
(十)味処(梵rasaayatana)
(十一)触処(梵spraSTavyaayatana)
(十二)法処(梵dharmaayatana)

「雑阿含経巻十三」に
「云何が一切と名づくる。仏、婆羅門に告げたまわく、一切とは謂わゆる十二入処なり、
眼、色、耳、声、鼻、香、舌、味、身、触、意、法、これを一切と名づく」と云い、

「大毘婆沙論巻七十一」に
「所依及び所縁の愚なる者の為に、十二処を説く、
謂わゆる分別の識に六の所依と六の所縁とあるが故なり」と云う。

眼耳鼻舌身意の六処は、心心所の所依でありこれを六内処と名づけ、
色声香味触法の六処は、心心所の所縁でありこれを六外処と名づける。

また眼耳鼻舌身及び色声香味触の十処は、
いわゆる十色処であり五蘊の中の色蘊(無表色を除く)に当たる。

意処は識蘊であり、六識及び意界の七心界を摂し、
法処は受蘊・想蘊・行蘊の三蘊(四十六心所及び十四不相応行)、無表色、及び三無為の六十四法を摂する。


総じてこの十二に有為無為の一切の法を摂し尽くす。
また大乗所立の百法について分別すれば、
十色処の外、
意処に八識を摂し、
法処に五十一心所、二十四不相応行、六無為及び法処所摂の色の八十二法を摂す。

三科の法門中、五蘊は略にして利根、十八界は広にして鈍根の為にするのに対し、
十二処は略ならず広ならず、中根で特に色に愚な者の為にこれを説く。


 

「法境」とは何か 2【五蘊】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)03時42分7秒
編集済
  【五蘊】

梵語 paJca-skandha の訳語であり、
五陰、五衆、五聚ともいう。
三科のうちの一つである。

蘊(梵skandha、塞揵陀と音訳す)とは、積聚、類別という意味でり、
一切の有為法を類聚するのに五種の別があることをいう。

『集異門足論巻十一』によれば、
(一)色蘊(梵ruupa-skandha):即ち一切の色法の類従なり。
(二)受蘊(梵vedanaa-skandha):即ち苦、楽、捨、及び眼触等所生の諸受なり。
(三)想蘊(梵saMjJaa-skandha):眼触等所生の諸想なり。
(四)行蘊(梵saMskaara-skandha):即ち色、受、想、識以外の一切の有為法にして、また即ち意志と心との作用なり。
(五)識蘊(梵vijJaana-skandha):即ち眼識等諸識の各類聚なり。
とある。

五蘊は有漏、無漏、及び善、不善、無記の三性に通じ、
緒論中にもまた各種の名称を以ってその殊別を説明している。

「倶舎」等は七十五法を立て、その中の
十一種の色法を色蘊、
心所有法の一種たる受を受蘊、
想を想蘊、
余の心所有法の四十四種、及び十四種の心不相応行法を行蘊、
一種の心法を識蘊に摂し、
総じて有為七十二法を類聚して五蘊と為す。

「唯識」等は百法を立て、その中の
十一種の色法を色蘊、
心所有法の一種たる受を受蘊、
想を想蘊、
余の心所有法の余の四十九種、及び二十四種の心不相応行法を行蘊、
識蘊に八種の心法を摂し、
合して有為九十四法を五蘊と為す。

またこの中で、色受想行識と次第する理由については、
「瑜伽師地論巻五十四」には、
①生起所作、②対治所作、③流転所作、④住所作、⑤安立所作の五種を説いている。

①生起所作とは、
眼は色を縁となして眼識を生じ、
乃至意は諸法を縁となしてよく意識を生ず。
故に初に色蘊を説き、次に識蘊を説き、次第に受等の心所を生ずるが故に、
次に受想行の次第に依りてこれを説く。

②対治所作とは、
常楽我淨の四種の顛倒を対治するに四念住を説く中、
先ず色蘊を説いて浄倒を対治し、
次に受蘊を説いて楽倒を対治し、
次に識蘊を説いて我倒を除き、
次に想行の二蘊を説いて常倒を対治する。

③流転所作とは、
凡夫はよく根及び境界を依止とし、これを受用して諸の雑染心を生じ、種種の境界を画作し、
善不善の業を造作する故に、次第に色受想行と説き、
識蘊は一切の所染なるが故に後にこれを説く。

④住所作とは、
色識住、受識住、想識住、行識住の四識住及び識の次第に依る。

⑤安立所作とは、
諸の世間は先ず色を了するが故に色蘊を立て、
次に受によって進退苦楽を知るが故に受蘊を立て、
想蘊によってかくの如きの類、かくの如きの性を分別するが故に次に想蘊を立て、
行蘊によってかくの如きの愚智を知るが故に次に行蘊を立て、
識蘊によりて内我を安立するが故に後にこれを説く。

また「大乗阿毘達磨雑集論巻一」によると、
五種の我事を顕す為にただ色等の五蘊を建立するとある。
五種の我事とは、
①身具我事、②受用我事、③言説我事、④造作一切法非法我事、⑤彼所依止我自体事

①身具とは、
身は内の五根の所依であり、色境は我の資具である。即ち内外の色蘊を摂する。

②受用とは、
我が身に依って諸の境界に於いて苦楽を受用する。即ち受蘊である。

③言説とは、
己と他とに随って言説を起こす。即ち想蘊である。

④造作一切法非法とは、
我の善不善の所行である。即ち行蘊である。

⑤彼所依止とは、
識は身具等の所依であり、有情は多くこれを計執して我の自体事と作す。即ち識蘊である。


 

「法境」とは何か 1【陰入界】

 投稿者:体長1.3mの巨大猫  投稿日:2017年12月10日(日)03時39分43秒
編集済
  以前、SaySaySayさんの投稿の中で、
「《法境》を上手く説明できなくて困っています」
とありました。

http://6027.teacup.com/situation/bbs/76748

私も気になって「望月仏教大辞典」で調べてみましたが、結構難解でした。
というかよくわかりませんでした。

予備知識として、「陰入界」「五陰」「十二入」「十八界」を
知っている方がよいと思いますので、
この順番で説明していきたいと思います。

法境(法処・法界)とは何か、については「十二入」と「十八界」のところに出てきます。
赤字で表示しました。


--------------------------------------------

【陰入界】

陰入界とは、五陰(五蘊、五衆)、十二入(十二処)、十八界(十八持)の略である。
また陰界入、蘊処界ともいい、通常これを三科と称す。
何れも諸法万有を分類した名目である。

『倶舎論巻一』の頌に「愚と根と楽との三の故に、蘊処界を説く」とあり、
①これは色心等に愚なる差別と、
②機根に利中鈍の異があるのと、
③楽欲の不同によって、
この三科を別に説くことを示している。

①愚の差別とは、
心法に愚なる者の為には、心法を委細にして五蘊を説き、
色法に愚なる者の為には、色法を委細にして十二処を説き、
色心二法に愚なる者の為には、色心二法を委細にして十八界を説く。

②機根の差別とは、
利根の者の為には五蘊、
中根の為には十二処、
鈍根の為には十八界を説く。

③楽欲の不同とは、
略説を欲する者の為には五蘊、
中説を欲する者の為には十二処、
広説を欲する者の為には十八界を説く。


 

やっぱし、高齢者集団が奴隷学会の真実ね!!よく分かりますた、・・・

 投稿者:原田奴隷学会  投稿日:2017年12月10日(日)02時59分27秒
  すぐに怒ったり、怒鳴ったり、恫喝したりして、まともに原稿も読めなくなる性状!!参考文献が聖教新聞の広告にありましたね(爆)

金原氏の本を公表することは~~
なりません!成りませんか?為りますよ!

先般の聖教新聞第一面下段左側の広告から~~
「老人の取扱説明書」
親の困った行動の原因、認知症にあらず!
◎同じ話を何度もする
◎突然、「うるさい!」と怒鳴る
◎赤信号なのに、平気で渡る
◎料理に醤油やソースをドボドボとかける
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この文言を入れ変えて、

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●先生利用して全て他人事のように生きているから↓
◎同じ話を何度もする

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◎突然、「うるさい!」と怒鳴る

●悪徳・悪行三昧で社会規範を無視した非常識な集団にいるので↓
◎赤信号なのに、平気で渡る

●元々、味覚オンチで美食ばかりしているから糖尿病合併症でなんでも濃い味大好きで↓
◎料理に醤油やソースをドボドボとかける

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編集部


 

だれよりも真っ先に励ましたい人

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年12月10日(日)02時58分16秒
  だれよりも真っ先に励ましたい人  潮より抜粋  つづき

ここ数年、ヨーロッパ諸国の創価学会のなかで、最も伸展著しいイタリア。

日蓮仏法を「杖」とし、「柱」として生き抜いてきた、池田の弟子たちの歩みをたどる。

【遙かなる伊の国】

昭和四十年代ーローマに住むイタリア人銀行マンが、ある雑誌で「ソウカガッカイ」の特集記事を
読んだ

。興味をもち、駐イタリア日本大使館に問い合わせると、東京の住所を教えてくれた。

イタリアに創価学会員はいませんか?

1東京に宛ててエアメールを送った。

ほどなく返信が来た。そこにはローマの自宅を座談会場にしているアマリア・ミリオニコの連絡先
が記されていた。

アマリアは一九二七年(昭和二年)、"地中海で最も美しい"といわれる海に恵まれた、サルデーニャ
という島で生まれた。

*

創価学会に入る前、「仏法は"生命を解き明かした哲学"である。

科学や医学とも矛盾しない」と聞かされた。

アマリアは医師として、医学の可能性も、限界もわきまえているつもりだった。

「仏法は合理的で、科学的」という説明は、創価学会の信仰を選ぶきっかけの一つだった。

来日した時の取材で、「今は信じてもらえませんが、私は本当に内気で、人前に立つこと自体が
恐怖でした」と語っている。

会合で一言話すことがあまりに苦しくて、涙がこぼれたこともあった。

しかしある日、心が変わる出来事があった。

それは信心を始めて半年ほど経ったころだった。

ー自宅で祈っていると、「とても楽しい」と感じていることに、ハッと気付いたんです。

まるで「胸の奥から喜びがこみ上げてくる」ような感じです。

今までそんな気持ちになったことは一度もありませんでした。

それまでの私は寂しがり屋で、いつも孤独感にさいなまれていただけに、これは何かあるなと思いま
した・・・

どうしても合理的には説明のつかない変化が、自分の心に起こった。

この驚きが、アマリアの仏法者としての原点になった。

「なぜ、自分の内面に変革をきたしたのだろう?私はこのことを知りたくて、日蓮大聖人の生命哲学
の探究を始めたのです。

そして、『信は理を求め、理は信を深める』の原理のとおり、学べば学ぶほど、その深さに魅かれま
した」

つづく
 

「日蓮と本尊伝承ー大石寺戒壇板本尊の真実」

 投稿者:El mar de noche  投稿日:2017年12月10日(日)00時09分11秒
  SaySaySay 様
下記スレも参考になさればと。

虚構の大石寺疑惑
「日蓮と本尊伝承ー大石寺戒壇板本尊の真実」
http://6027.teacup.com/situation/bbs/t2/17
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年12月 9日(土)23時45分56秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
池田先生、奥様、皆様のご家族が健康長寿であります様に
おやすみなさい
 

潮出版社と野村沙知代さん

 投稿者:ルパン三世  投稿日:2017年12月 9日(土)23時18分1秒
  潮賞に選ばれた野村沙知代さん著作の学歴記載が、編集者のミスだったとは…。

ミリオンセラー、ロングテールの『人間・池田大作ー私が見た素顔(木村恵子著)』がある時期を境に絶版になり、全国の書店から一斉に消えた事といい、
※木村恵子、中森明菜で要検索
ヒント 株式投資…。

潮出版社の職員は何をしとるのでしょうね。

学会本部は賢明な判断を
学会本部は定期的な点検を
 

もの言えぬ時代 戦争・アメリカ・共謀罪

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月 9日(土)23時11分8秒
  元職員のブログが更新されています。
『「9・23九州・福岡座談会」報告 ③』
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-154.html
Gさん素晴らしい!
>「私、ずっと『小説・人間革命』のワイド版とオリジナル版の“読み比べ”をしていて、全部、読み終わったんです。」<
>「『小説・人間革命』の改定は、一応表向きは宗門問題や歴史的新事実の発見等を考慮して書き直したと言っています。でも、実際はそれだけではなく、①『各方面から批判されないようにした』、②『退転者を徹底して排除した』、③『今の学会教学に沿う形にした』、という改定がなされていると感じたんです。」<
>③「今の教学に沿うものにした」というのは、例えば、オリジナル版の第2巻『幾山河』の章<
>「人間革命第2巻(『幾山河』の章)は、2012年に発刊された『池田大作全集(144巻)』に収録された内容が使われています。つまり、学会本部が2012年以前から、御本尊に関する改定を、目に見えないところで着々と、方向を付けていたものであったんだなって感じました。」<

その通りです。そして、『池田大作全集』終盤にわざわざ、この改竄版をねじ込まなければ、2006年以降スピーチを収めるだけのスペースはあったはずなのです。
『全集』は創価学会創立60周年を記念して当初、全75巻(この数字は75万世帯からか?)を予定して始めたそうです。それを倍の150巻までに拡張、予定変更しており、150で終わらせることは決まっていたのだと。
しかし執行部を完全破折したような池田先生の厳しい2006年以降スピーチは「無かったことにしたい」奴らは改竄版をねじ込むことでそのスペースを潰し、一石二鳥を狙って来たのでしょう。最近の勉強しなくなった学会員は『全集』なんか買わない、読まない。静かにコソッとやれば……を2012年にやっておいて、後でワイド版でおおっぴろげにやる。『全集』はともかくワイド版なら買うだろう、改竄版をリメイク版のようにして広めて、さらにジェニ儲け、ということでしょう。敵もなかなかやるものです。
このワイド版は買うな、原典アクセスしろと言うと、地域の人は驚いていました。アマゾンで1円で買える中古文庫本の方がいいのです。

「無かったことには出来ない!」と叫んだのはリッケンバッカーのエダノンでしたか?
どんなことであれ、たとえ批判されようと、事実有ったことを無かったことにするなんて、そんな姑息なことをするから純粋な青年たちの心が離れて行く。最悪、「少年たちの目が年を取る」。全部受け止めて正面突破するから池田先生は尊敬もされ、恐れられもした。その真逆をやる失効部がその真逆の結果となっていくのは《法則》の必然である!

金原明彦氏『日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実』(今ならアマゾンで16036円。ようやく下がって来ましたが、一時は3万円)が歴史の転換点にならざるを得ないでしょうが、それとも真っ直ぐ向き合って対話しなければならなかったのに、そこから逃げた。このツケは利子をつけて払わされることになる。その金原さんを除名とは卑怯だ!!!

(虹の戦士さん、実はこの金原リポートが大御本尊について書かれています。このリポートも『教学部レポート』『遠藤文書』と併せて読んでおきたいですが……どなたか解説してあげていただければ、と思います。宿坊には私より新しい人も増えて来ていますので。この本を大量に買い過ぎて結果的に値段を釣り上げてしまった人? <笑> ビットコインよりこっちを買っておけば良かった?)

『もの言えぬ時代 戦争・アメリカ・共謀罪』を読んでいます。この中で高村薫さんは、今また戦争へ「復古」を求める動きの原因は「日本が太平洋戦争の敗戦の“総括”の一番大きな部分、つまり、『戦争責任』に手をつけなかったことにある」と言っています。これを読んでハッとしました。同じです! 相似形です!
「昭和54年の“総括”」が出来ていない創価学会でいま起きているインケツ!!!
やはり「体まがれば影ななめ」なのです。
 

同盟題目は23時に開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年12月 9日(土)22時56分34秒
  池田先生と奥様のご健康、ご長寿を祈りましょう。
よろしくお願い致します。

最近、新しい方が掲示板に参加されているようです。
悶々としながら掲示板を閲覧されている方もいるはずです。新しい方の投稿が、そうした方への道を示すことになると良いですね。
 

ごく稀にありますよ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月 9日(土)21時55分49秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77266

数年このteacupの掲示板を見てみてるけれど
ごくごく稀だけどアクセス集中でうんぬんというのもあったかな
ハッキリ覚えてないぐらいほんとに稀だけど

その「稀」なケースに偶然なったんでしょうね
反板がそんなにアクセス集中してるとはちょっと考えにくいでしょ(笑)
反板がどうというより、teacupのサーバーにアクセスが集中してたまたまドミサイル信濃町の入居者さんがアクセスしたタイミングが処理不可になったんでしょうね

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

ドミサイルさん

 投稿者:ロマン  投稿日:2017年12月 9日(土)21時35分58秒
  ふつうに見れますよ。  

反板、アクセス不可?!

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年12月 9日(土)21時35分9秒
  アクセス殺到につき不可?!らしい。  

最新12月号

 投稿者:ロマン  投稿日:2017年12月 9日(土)21時34分45秒
  潮出版社が刊行している、月刊「パンプキン」最新12月号では、【連載エッセー】
忘れ得ぬ旅──太陽の心で
チリ―「挑戦の山」を楽しむ人生を
池田大作(創価学会インタナショナル会長)

との表記になっている。

仮に池田先生の役職が外されており、過去に遡って「実は..」と発表するならば、学会員の学会離れは更に加速するだろうね。

池田先生の権威を借りてるズル賢い執行部が、会員に不信を与えるようなことをするだろうか。先生あってこその執行部であるのに。

しかし、そうした事実がないのであれば信用するに値しないものと私は考える。
 

重複はなかったようです

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月 9日(土)20時56分45秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77254

ドン・キホーテさんいらっしゃいませ!(^^)
代理投稿ありがとうございますm(_ _)m

「ドン・キホーテ」のハンネをヤフー検索してみましたが過去ログには使われていないようです

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

武者修行さんいらっしゃいませ!(^^)

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月 9日(土)20時47分55秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77252

いいハンドルネームですね~(^^)
僕もそんな気持ちの日常なんです

組織を離れるか離れないか、というよりも、池田先生の指導がどういう価値を持つものなのか自分で実際にやってみるのがわかりやすいですね(^^)
そして池田先生の発した言葉を自分で同じ言葉を言うならばどんな「心境」で言うことになるか

その「心境」でいわゆる4人組(原田・秋谷・八尋・谷川)に対するならばどんな心境になるでしょうか
優しい方便は全てやり切った上で、掲示板で出てるノーカットの話になってると僕は見てます

・・・というのが54年問題をわかりやすくすることになるでしょうか(^^)
他化自在天がどういうものか実践的に深く知る機会にもなってるような気がしてます


組織から離れるかどうかは信仰が実感としてわかってから改めて決めるのをお勧めだけど
組織でやるのも個人でやるのもどっちも一長一短あるから
個人でやる方法だと、今度はあまりにも自由すぎてかえって何をすればいいのか漠然となってしまいやすいからf^^;
手探りの連続で自分なりに学んでいくしかないからね
そうした中で池田先生の指導の意味と価値を実感することができてるのも事実なんだけど
元職員3名のブログさんもほとんど手探りでやってきてるものね
どれだけ大変ななか頑張っておられるか
元職員3名のブログの方々には最敬礼ですm(_ _)m

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

仕事!金の事や生活しか考えていない┐(´д`)┌

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治久保田哲メール  投稿日:2017年12月 9日(土)19時31分0秒
  栃木の久保田です。m(._.)m

いつも思う┐(´д`)┌原田4号5号ニセ会長を中心に

秋谷は5口、小物の八尋、ミナヨクイク強姦魔タニガ

ワ ┐(´д`)┌

浩、┐(´д`)┌

そのほか手下としてくっついてる金魚の糞の方々

(笑)

小利口なようでバカ丸出しだヽ(^○^)ノ

SGIの組織まで箱庭みてーな自分達のちっちゃな世界が

何時までも通用するとでも思っているのか?

少しはまともな奴は居ないのか?

本とに間抜けで面白いのだヽ(^○^)ノ

・・・・・・・・・・バ・カ・・・・・・・・・

 

18.貧人繋珠の譬え

 投稿者:The logic in the place  投稿日:2017年12月 9日(土)19時14分31秒
  貧人繋珠(びんにんけいじゅ)の譬え

 仏法では、人の命は三千大千世界よりも尊し、と説かれている。まさしくその通りであるし、その通りであらねばならない。そうであるはずであるのに、最近のマスコミをにぎわす報道は、暗い悲しげな人命軽視の事件があまりにも多すぎる。

 あの帝銀事件の平沢貞通に、恩赦の可能性がでてきたとの報道(昭和五十四年六月)は、私たちにあらためて生命の尊厳性を考えさせるものであった。戦後間もなく、十二人の銀行員を青酸カリで毒殺したこの事件は、私の青年期の思い出のなかに、鮮烈に刻まれている。それだけに感無量であった。
 もとより私は、平沢の有罪か無罪かについて、口をはさむつもりはない。しかし、獄中生活三十一年、死刑が確定してからでも二十四年。その間、いつくるか分からぬ刑の執行に脅かされながらの生活は、常人の想像も及ばぬ不安と絶望の連続であったにちがいない。記録によると、世界でもっとも長く拘禁されている死刑囚だという。残酷なことである。私は「人道的な配慮」から今回の措置に踏み切ろうとする古井法相(当時)の判断は、妥当であろうと思った。
 ともにこの問題は、ことが死刑という極刑だけに、さきに再審決定がなされて、大きな社会的波紋を広げた「財田川事件」と同じように、法の裁きというもののあり方を、深く問うているといってよい。

 死刑は廃止すべきである、と私はつねづね思っている。たしかに、世の中が一定の秩序を保っていくには、法による裁きは、欠かすことができない。しかし、その裁きが円滑に運用されていくには、根底に、人間への信頼感がなければならないと思うからだ。
 日蓮大聖人の御遺文集に「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり」と仰せのように、いかなる悪人でも、心の底には人を愛し、人を慈しむ心根を秘めているものである。その点への信頼なくして、どんなに法による規制を強めても、結局は、空転を免れない。ところが、死刑制度は、そうした人間の可能性を、一切閉ざしてしまう。人間不信の産物であると思わざるをえないのである。

だれもが、極悪人でさえもが持っている菩薩の心、さらには仏の心。この点について、法華経には“貧人繋珠の譬え”という譬喩が説かれている。
 -昔、あるところに一人の男がいた。彼には、役人をしている裕福な友人がいる。ある日、男は、その親友の家に遊びに行き、酒や料理のもてなしを受けた。そして、すっかり酒に酔いつぶれてしまう。
 ところが、親友は急に公用ができて、旅立たなければならなくなる。やむなく親友は、酔いつぶれた男の服の裏に、どんな願いでもかなえられる“無価(むげ)の宝珠”を縫い込んでおく。眠りこけている男への最高の贈り物をしたのであった。
 しかし、男は親友から宝珠を贈られたことも知らず、やがて諸国を放浪する身となる。永い歳月が過ぎる。すっかり貧しい身なりで、彼は親友と再会した。驚いた親友に教えられて、かれは初めて自分が、すばらしい宝珠を持っていたことを知ったのである。
 これは、仏界という尊極の生命の開発を忘れ、低い悟りに満足していた釈尊の弟子たちが、愚かさを反省しつつ語った物語である。

 この尊極無上の生命を“宝珠”もろとも消し去ってしまう権利はだれにもない。しかし死刑においては、あたかも当然の権利であるかのように、国家権力の名のもとにそれが正当化される。その傲慢さゆえに、私は、死刑は無意味である、と主張するのである。

“貧人繋珠の譬え”を、さらに広く、そして日常的に解してみたい。たとえば“きめつけ”である。子供の些細な失敗をとらえ、ただ「ダメな子ね」ときめつける。大人同士でも、ちょっとした諍いから、きのうまで談笑していた隣人が仇のように憎くなったりする。きのう親しき隣人が真実の彼(女)であるのか、それとも今日の彼(女)の姿が真実なのであろうか。そんなことはおかまいなしに、感情的なきめつけに走る。売りことばに買いことばで、相手もそれに応ずる。“宝珠”の存在などどこへやら、低次元のやりとりを繰り返し、お互いに傷つけ合う。そうした事例は想像以上に多いものだ。
 相手の“宝珠”が見えないのは、自分自身の“宝珠”に気づいていないということだ。-ゆえに、互いにこの一点を凝視すべきだと思えてならない。

 子供や隣人は、ある意味では、自分を映し出す鏡であるといってよい。相手が悪いときめつけてみても、その悪は相手の実像とは関係なく、自らの命の影の部分であることが意外に多い場合がある。
 吉川英治の『宮本武蔵』のなかで、武蔵が少年・伊織に、富士山を眺めながら、次のように語っている。
「あれになろう、これになろうと焦心(あせ)るより、富士のように、自分を動かないものに作りあげろ。世間へ媚びずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは世の人が極めてくれる」
 私はこの富士山のようにどっしりと、悠々自適の日々を送っている年配の婦人を数多く知っている。彼女たちの笑顔は、例外なくさまざまな風雪を通して磨き抜かれた“宝珠”の輝きを放っているものだ。

『主婦と暮し・昭和54年8月号』掲載

 

なるほど…

 投稿者:花の輪  投稿日:2017年12月 9日(土)18時44分56秒
編集済
  もし、このSGI規約が真実ならば
SGI会長は理事会の承認で決まるとの事は?でしかない
現在SGI会長は永遠の師匠、池田先生のハズ
先生の役職も理事会の承認が必要ということなのだろうか?

これでは、理事会は、「永遠の師匠」より権限があるということにならないか?

あらゆる権限を全て奪い、それでも何かと
「池田先生の承認を得ている」と言い、
問答無用で会員に押し付けてきた事、これは何だったのだろうか?

54年
先生は言われた
「学会は、私を裏切った
  しかし、私は、学会を裏切らない
  安心しなさい」と

以来約40年
忍耐し続けている師の心を逆手に取り
裏切り、やりたい放題の原田学会

大白の「巻頭言」が全てを物語る
先生の役職、肩書き…全て無い!

何の権限もない先生に従う人間、
そんな「漢」は、本部に党にいるのだろうか?

自分の立場、出世、生活ばかり考えている人ばかりが残っているのでは、ないだろうか?

知り合いに議員、職員がいたら、聞いて見て下さい
「◯◯は提婆達多」との先生の言葉、知っていますよね?
それなのに、何故、従っているのですか?」と
ほとんどの人は
「1人では、どうしようもない」と答えるだろう

会員は、職員、議員は、命懸けで先生の御指導を守る為に「戦っている」と思っています

しかし、実際は
誰よりも、先生が言われた通り行動することを「諦らめている人」が多い
現場と正反対です

「1人立て!」と煽っている幹部自身が
「1人では、どうしようもない」と諦めている

先生が晩年、本幹で叱責されたのは
幹部、議員、職員

そんな「身は堕ちねども、心が堕ちた」人々の屍を乗り越えて進んで行きたい
「正義の走者たる創価のメロス達が、いよいよ澎湃と踊り出ている」
との師に応える為に

最近、人気のテレビを見ました
ドクターX
主人公、大門未知子が言っていました
「致しません!」

彼女が「致す事」は何か?
それは、「患者の命を救うこと」
それ以外のおべんちゃら、付き合いゴルフは
全て「致しません!」と潔く断る

自分も師匠の精神を守ること、会員の幸福に関する事は、命懸けで「致したい」
そして、それ以外は…
「致しません!」

つまらない事に
時間、お金、エネルギーを使う程、暇人では無いから










 

因果はめぐる糸車、明日はわからぬ風車

 投稿者:雄教裕教  投稿日:2017年12月 9日(土)17時50分26秒
  平成十一年七月十八日 天鼓(十四号)①
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77257
平成十一年七月十八日 天鼓(十四号)②
http://6027.teacup.com/situation/bbs/77256

この怪文書「天鼓」を仕掛け、当時、組織本部長だった浅見を追い落としたのが、今のでぶっちょ全国青年部長の実父と、姉の義父というのが、笑えるwww

このH恩社一派の二人は、当時、豊島区の副区長や板橋区の副本部長だったのに、組織決定に逆らって、「いまの学会はおかしい」と批判して、新進党を支援しなかったんだよね。
今なら、査問されて役職解任等の処分は間違いなし!!

浅見は、この怪文書の犯人がH恩社一派と谷川だとふんで糾弾しようとしたんだけど、犯人捜しの調査を買って出たヒロシが、絶対にH恩社らではない、絶対に違うと言い張って、うやむやにしたんだよね。

この平成の創価学会の中に巣くった悪の腫瘍、元祖組織内組織、分派活動の本家本元の連中が増殖し、ついに学会を乗っ取ったんだよね。そして、
いまや、正義面して、自分たちの下した組織決定に従わない者や、ネット等で昔の「天鼓」みたいに自分たちの悪事を暴く者たちを査問し、処分しているのだから、大笑いだなwww

因果はめぐる糸車、明日はわからぬ風車、臼で粉引く水車、我が家の家計は火の車、車は急には止まれない、すべて世の中堂々巡り・・・

選挙に勝って会長になろうとした浅見を追い落とした谷川が、選挙に負けて、ネット等の力で会長の目がなくなるとは・・・(笑) 胸熱www


 

逆縁

 投稿者:新感性  投稿日:2017年12月 9日(土)16時20分2秒
編集済
  >野村沙知代さんの御冥福をお祈りいたします  投稿者:親方三色旗  投稿日:2017年12月 9日(土)14時15分53秒
>野村沙知代さんの御冥福をお祈りいたします  投稿者:親方三色旗  投稿日:2017年12月 9日(土)14時16分40秒

サッチー騒動の時は著名な芸術部員(婦人部)などもワイド賞等に出演して、たいへんな勢いで
行状・素行を批判しておられ、それまで故人は親学会と聞いていただけに芸術部員による批判へは観ていて違和感はぬぐえませんでしたが、
お書きされたような支援者へのネガティブな態度などが事実なら合点もいくように思います。

故人といえば潮出版の「『きのう雨降り今日は曇りあした晴れるか』 (潮出版社、1985年)」の
「コロンビア大学精神心理学部卒業」「元同時通訳者」と明記)ですね。
https://blogs.yahoo.co.jp/satutaba500000/33179871.html

以下引用

この学歴詐称の疑いについては先に、テレビ番組 『ザ・ワイド』(日本テレビ・読売テレビ)が取材し、同大学の同窓会による
卒業生名簿に、該当する名前がないことが判明していた。また、週刊誌の取材を受けた沙知代は、「読売(読売ジャイアンツ)の陰謀」、
「コロンビア大学ではなく、コロラド大学に留学した。間違えたのは編集部のミス」などと答えるなど[15]、曖昧で非合理な対応に終始していた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E6%B2%99%E7%9F%A5%E4%BB%A3
引用以上

再ソース引用
沙知代に賞を与えたことについて潮賞選考委員に対する批判はさほどなかったものの、以後潮賞はすっかり権威を失い、
第20回(2001年)を最後に中止に追い込まれた。
引用以上
https://blogs.yahoo.co.jp/satutaba500000/33179871.html

サッチー出馬の経緯や落選決定後の大金持ち帰り等々についての真偽は一会員に過ぎない私には確認の仕様がありませんが、
事実として世田谷という相対的に知的な有権者意識の高いといわれる選挙区で彼女を担いだということは結果的には起案者や責任者に
人や情勢、状況を見る目がなかったということになります。
また見方を変えればこの選挙でそれが判明したということは関係者の出世や発言力増大などを防ぐことができたことで後々につながらなかったという点では
よかったとも受け取れます。

過去の苦い教訓は現在や未来に活かすことができればいいですね。

 

野村沙知代さんの御冥福をお祈りいたします

 投稿者:親方三色旗  投稿日:2017年12月 9日(土)14時16分40秒
  平成十一年七月十八日 天鼓(十四号)①

副会長・浅見が平成八年十月の総選挙において、

「先生は大阪の選挙で勝って会長になったが、自分はこの東京の選挙に勝って会長になる」

と増上慢きわまりない発言をしていたことは「天鼓三号」で触れたが、
この新進党を擁しての戦いで浅見は世田谷のある女性候補者の担ぎ出しを行った。

その女性候補とは今マスコミで騒がれている野村監督の沙知代夫人その人である。

浅見としては野村夫人を担ぎ出すことにより、
一名でも多く当選させ自らの野心の達成をなそうとしたのであろうが、
あにはからんや野村夫人は落選してしまった。選挙結果は次のようなものであった。

「小杉 隆    八四七三一  当選
 手塚 仁雄   五一四一八  落選
 野村 沙知代  四三三四七  落選」

一位の小杉氏の半分しか得票できなかった。
野村夫人が支払いを踏み倒すなどの悪評を知っていた地元学会員の反対意見を無視し、
浅見が強引に候補を推しつけた結果の惨敗であった。

しかも選挙の支援活動中は、
野村夫人のわがままで創価学会員の支援者たちは散々嫌な思いをし、そのためゴタゴタまで起きた。
まさに創価学会員の手弁当での支援活動は徒労に終わり、おまけに事後、組織にしこりまで残った。

「天鼓三号」でも指摘したように浅見の野心を新進党の小沢一郎党首が見抜き、
創価学会の戦力を全都に分散させてしまった。

そのため沢たまき、黒柳明、山口那津男、高木陽介といった公明党系候補は惜敗してしまった。

新進党の小沢一郎の意を受けてた東祥三に乗せられおだてあげられ、
京王プラザホテルスイートルームで選挙の指揮をとっていった浅見の判断の間違いは、この野村夫人の例でもよくわかる。

浅見はこの東京五区のような全く勝ち目のないようなところで幻惑され、
候補を立て、創価学会の組織力を分散させてしまった。

野心の故に現実が見えず、候補を乱立し敗北させたのである。

さて野村夫人の落選が決まった時、同夫人は、
「金庫を開けなさい!私の出演料はもらっていくわよ」と選挙対策事務所で強請した。
 

野村沙知代さんの御冥福をお祈りいたします

 投稿者:親方三色旗  投稿日:2017年12月 9日(土)14時15分53秒
  平成十一年七月十八日 天鼓(十四号)②

金庫には主に創価学会の陣中見舞が入っていた。

思わぬ要求にあわてた地元の幹部は野村夫人を担ぎ出した浅見に連絡したところ、

「後でなんとかするから渡しとけ」と述べた。

金庫にあった約一千万円を野村夫人は「出演料」として持って行ってしまった。

世田谷の地元幹部としては、副会長であり東京長であり選挙の総指揮をとっている浅見が
承諾したのだから当然のことながら金銭的なフォローはのちにしてもらえるものと思っていた。
ところが浅見は全く責任を回避。
当然のことながら区幹部から浅見に抗議がなされたが、逃げの一手。
非常識な女を浅見が担ぎ出したばかりに、世田谷の組織は紛糾した。

だが結局のところ種々の支払いは、泣く泣く地元幹部たちで身銭を切り、処理することになった。

ここにも浅見の無慈悲な体質があからさまに出ている。
現場で戦う人々に対するおもいやりなどさらさらないのである。

栄誉栄達のみを考え、馬鹿げた判断をし、創価学会員に迷惑をかけ、
指示を出せば人が動くと錯覚し、金を出させ、平気でいる。

このような男が創価学会の中枢にいることは、決して許されていいことではない。
ますます増長することは目に見えている。今、叩かなければ手におえなくなる。

筆者はこの男を守り、筆者を「魔」と名指しする一部の本部職員の在り様が
あまりに現場で戦っている創価学会員の心情とかけ離れているとしか思いようがないのである。

自己保身の故に魔が魔として見抜けない、「事勿れ主義」の故に魔と詐親し魔の所為を隠蔽する。
よって魔が広宣流布の本陣に根をはやしはじめた。

「事勿れ主義」が先生を勇退に追いやったことは、これまで何度も指摘してきた通りである。

その「事勿れ主義」がいまや一部の本部職員の常識と化し、
小役人のように前例のないことはことごとく否定し、
創価学会員を管理するのが自分達の仕事であると錯覚し、
「これもダメ、あれもダメ」と創価学会員の戦いの芽をつんでばかりしている者までいる。

責任の問われることは一切関わらず、部下や他人の手柄を横取りし、上に報告することばかり考えている者がいる。

浅ましい限りであるが、「事勿れ主義」の故に、それらの者が調子よく組織の中枢に派閥を作り始めたのである。

「事勿れ主義」は日蓮大聖人の仏法に背反するものである。

断じてその根を断ち切るべきだ。

いまやその「事勿れ主義」の凶元が誰人にあるか考える時に来ている。
先生が勇退された時、傍観していた者が自己批判もせず平然として本部の中枢に座っている。

「無難」「無難」で、師が守れるものか。

昭和五十四年にはそれ故に先生のそばにいる者が魔に刺し込まれ、魔の片棒を担ぎ、先生を勇退に追いやったのである。

師を裏切り広宣流布を退歩させたのである。

日蓮大聖人曰く、「難来るを以って安楽と意得可なり」
「事勿れ主義」こそ、創価学会の敵であり、獅子身中の虫の温床である。
 

ドン・キホーテ様

 投稿者:あの時と同じ  投稿日:2017年12月 9日(土)13時55分5秒
  ドン・キホーテ様
 貴重な資料、ありがとうございます。
お話の文脈からそれますが、文中に、「受動」そして「能動」という言葉に、思わず、「おお!懐かしい!」と、叫んでしまいました。松島潔氏の「受動の力と能動の力」を思い出したのです。学生時代に、信仰と組織について悩んでいた時に出会った書籍です。今でも時々読み返して
います。
 「物質=紙」としての御本尊と、法本尊としての御本尊、そして人本尊としての日蓮大聖人の
存在等をどうとらえるのか、また、個人の信仰と組織活動について悩み、本気で教学の研鑽に向き合い始めたきっかけの書籍です。「受動の力」と「能動の力」・・・現在にも通じるものがあるような気がします。
 琴線に触れた言葉に出会い、本題からそれた投稿をしてしまいました。失礼をお許しください。
 

ごあいさつと確認

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2017年12月 9日(土)13時51分46秒
  あいさつが遅れました。

本日、先ほど、2回投稿しました。ドン・キホーテです。

本日が初めての投稿となります。

もし、ハンドルネームが過去の投稿者と重複するようなことがございましたら、その方とは別人です。
ご指摘いただけましたら幸いです。
何卒よろしくお願いいたします。
 

日本には大新聞(おおしんぶん)が無い

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年12月 9日(土)13時37分44秒
  特別国会が閉幕した。

野党の力不足とかなんとか言う論調も多いが、それより大手メディアの報道姿勢の方がよほど問題だ。

まるで、その日を狙ったのかと思うほどのグッドタイミングで始まった相撲報道。

延々と続く相撲報道の裏で国会審議は続いていたが、その扱いは最小限に留まった。

もしも相撲報道に費やした時間をそのまま国会報道に使っていれば、今頃安倍内閣は倒れていたのではなかろうかと思う。
少なくとも、再起不能の致命的ダメージは与えられていたはずだ。

今回はっきり見えて来たのは、大手メディアは政府を追い詰めはするけれど、倒れる事までは望んでいないと言う事だ。結局経営優先なのだ。
会計検査院報告が出た時、あと一発か二発パンチが当たれば政府は倒れていたはずだが、そこで撃ち方やめ、の指示が上層部から出たのだろうか。

結局巧妙なヤラセでしかない。少なくとも私にはそうとしか思えない。

学生時代、社会学の権威である教授が、日本には大新聞(おおしんぶん)が存在していないと語っていたが、まさにその通りだ。これでは社会は変えられない。

一方アメリカでは、ニューヨーク・タイムズ紙が、徹底的にトランプ政権と闘うことにより、劇的に購読者を増やしているらしい。

日本でもそういう骨のある大新聞(おおしんぶん)を育てなければならないが、急には無理だ。
当面は、東京新聞や地方紙に乗り換えてしのぐ事になりそうだ。

昨日の報ステ。サーロー節子さんを取り上げるのは良いのだが、コメンテーターの人選がおかしいだろう。

元朝日新聞の編集委員らしいが、原爆に関しては素人と変わらない。
原爆資料館を訪れたのも最近だと言っていた。

核兵器禁止条約と核の傘論の狭間で、心が揺れ動くなどと言っていたが、そんな素人っぽい意見など聞いてもしょうがない。

政府に忖度しつつ核反対の視聴者も離したくないという、局の姿勢が丸見えで、非常に中途半端な内容だった。

3K、ゴミ売り、犬HKなんかよりは遥かに良いのだが、こんな調子ではやはり、全然ダメと言わざるを得ない。
 

初めての投稿!

 投稿者:武者修行メール  投稿日:2017年12月 9日(土)13時22分39秒
編集済
  ありがとうございます!

何時も皆様の投稿には励まされ勇気を頂いております!感謝。

久し振りに今朝の唱題には心踊り歓喜に湧き勇気凛々!!

それは宿坊の掲示板に投稿する勇気いただいたからです。

2016年 師匠 池田先生が命を削り築かれた創価学会・公明党の現状は権力・財力の

魔性に取り憑かれ政権与党にしがみ付き?安保法案強行採決?する

公明党!それを許す創価学会現執行部には疑問感じ!?

ふ~と思い出した新人間革命 新世界の章


五月下旬のある日、山本伸一は、男子部の代表と懇談した。その折、一人の青年が尋ねた。?

「新安保条約は、今、大きな問題となっておりますが、この際、学会としても統一見解を出すべきでは

ないかと思いますが?」?青年会長・山本伸一は、笑みをたたえて言った。?

「それで、君は安保に対して、反対なの、それとも賛成なのか?」?「私は断固反対です。安保は廃棄し、

中立の立場に立つべきだと思います」?すると、別の青年が発言した。?「私は、全面的に賛成とはいいかねますが、

今のところ、やむを得ないと思います。日本は、アメリカの協力なくしては、軍事的にも、経済的にも、

独り立ちはできない状況です。?今、安保を廃棄したりすれば、日本はアメリカを敵に回すことになります。

したがって、安保を今の段階で廃棄せよというのは、現実を無視した意見です」?ほかの青年たちも意見を述べたが、

主張は二つにわかれた。?伸一は、彼らを包むように見回すと、にこやかに語り始めた。?

「青年部の君たちの間でも、これだけ意見が食い違う。一口に学会員といっても、安保に対する考え方は

さまざまだよ。反対も賛成もいる。

そして、どちらの選択にも一長一短がある。?それを、学会としてこうすべきだとは言えません。

私はできる限り、みんなの意見を尊重したいのです。大聖人の御書に、安保について説かれているわけではないから、

学会にも、いろいろな考えがあってよいのではないだろうか。?政治と宗教は次元が違います。宗教の第一の使命は、

いっさいの基盤となる、人間の生命の開拓にある。

宗教団体である学会が、政治上の一つ一つの問題について見解を出すのではなく、学会推薦の参議院議員がいるのだから、

その同志を信頼し、どうするかは任せたいと思う。


?ただし、政治上の問題であっても、これを許せば、間違いなく民衆が不幸になる、

人類の平和が破壊されてしまうといった根源の問題であれば、

私も発言します。

いや、先頭に立って戦います!!?青年たちの目が光った。


読み直してみれば間違いなく師匠池田先生の意に反していると会合で疑問程すればそんな話し辞めてくれと・・・

参議院選挙の真っ只中!F活動に専念してくれれば良いと。

過去の選挙では法戦だと宿命転換の戦いだと自分に言い聞かせ3~4時間かけ真剣勝負で学会を公明党を偏見の目で

みるなと自分の眼で自分の耳で公明党を学会を見てくれと、いかに安倍政権の防波堤になっているかを判断し投票して

くれとお願いし100人全員が投票に行ったよ!公明党入れたよ~と電話くれたことか。感謝!



冗談じゃない・・信心の団体だ!如何に法戦といえど日蓮大聖人の御書根本!人間主義!平和主義!が根幹の、

師匠 池田先生の指導根本!から逸脱するなら組織から離れると・・・



今のメンバーには打ち出された上からの号令に従うだけで自分の頭で考えることもできないのかと・・・

大概の方々の心なき世界を感じました。

マルクスが言った宗教はアヘン ではないか!

これでは1995年日本中を世界をも震撼させたオウムの地下鉄サリン事件をもやれと号令されれば実行するのでは!?



選挙の応援だけお願いし公明党を政治を監視もしていないのかとショック!


戸田先生は権力の恐ろしさを知り抜いておられた故に
      心して政治を監視せよと。

池田先生の指導から逸脱していると思わないのかと・・・



大好きな学会から離れ悶々とする中、創価学会元職員3名のブログに行き着き

立場違えど同じ考えの方々おられると・・・

一ヶ月ほど前、信頼できるある幹部の方から宿坊の掲示板教えて頂き、開いてみれば教学の場、本音で語る座談会の場、

であり驚きです!

一通り目を通すのに一月近く・・・今までの不信もあと少し肝心要の54年問題のみ。

世界中に現状の創価学会執行部に公明党に不信感抱き改革をと戦っておられる師弟不二の池田門下生に感服です!

 

宮川さんFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2017年12月 9日(土)11時58分57秒
  宮川さんに許可を得ましたので、宮川さんのFacebookの文章を代理投稿します。

これは本日のものです。



続ーー(   速     報   )ーー

ー緊急拡散希望ーー。

アッと驚く、タメゴロ~~!

本当に御苦労様でした。

有難うございました。

昨日の投稿を読んで下さり、

実に、多くの方々が、

先生を思う正義の心で、

信濃教本部に電話をして下さったようだ。

そして、又しても、対策本部なるものが、作られたようだ。

昨日、午後8時過ぎに信濃町に関係する友からメールが入った。

会憲やSGI改正規約について、名誉会長職やSGI会長職についての質問が、

全国的にかなり電話があった、との事。

それに対する本部の対応が伝達されたらしい、との事。

大要次の如くである。

1)
「 SGI会長、名誉会長、共に従来のままで、変更はありません 」

と言う事で、突っぱねる様に。

2).
しつこく会憲、会則、規約を盾に聞いてくる人間には、

「 後程、御連絡を致します 」と答え、

3).
住所、連絡先、組織名を詳しく聞いて、地元組織を通じて対応、

との指示が出されたようですとの事。

愚かな、幹部を相手にしても仕方ないので、しばし、休戦が賢明と、アドバイスして下さった。

これで、我らが師匠が、
「 なし崩し的 」に、

SGI会長を解任され、

ちゃっかり、原田がその席に着いたり、

これ又、

「 なし崩し的 」に、
あの五口で有名な秋谷が

永年の宿願である名誉会長就任は無いと考えます。

深く、皆さまに御礼申し上げます。

本当に御苦労様でした。

有難うございました。

昨日は、
信濃町の世界本部(学会本部)を始め、

各方面の主要会館へも、問い合わせの電話をして下さったようで、私の手元にも沢山の音声録音が送信されて来た。

かなりの時間を使って、会話録音を拝聴させていただいた。

原田学会信濃教は、突然の問い合わせ電話に、準備不足であり、

お笑いM 1 グランプリ顔負けの無様な本部職員の対応に笑い転げていた。

美しい仏子の方々の、澄み切った声と、

対照的な、誰が聴いても、
何処のチンピラかと思う程、

ど汚くて、暗~い、

生命力ゼロのシドロモドロの親父の声。

正義の走者の方々が質問している意味が理解出来ず、

的外れの返答をして、

最後は、訳もなく怒り出したり、

滑稽な程、気取ったり、

「規約を読んで貰えば解ります」

との一点張りだったり、

答えに窮して、突然
幹部口調で、明後日的な説明に終始したり、

第一、SGI改正規約など
公開されてないから、答えようがない。

若い女子部の可愛く、礼儀正しい質問に、いい歳こいた親父が、

「 SGIの、規約が、あなたに不都合が、ありますか?」

との繰り返し。

個人的都合、不都合で、聞いてんじゃねーよ!

大切な、我が師の事だから聞いてんだ!と、怒鳴り散らしたい程の、

頭の悪い対応ばかり。

「分かりません」

「そうだと思います」

などなど、

そして、一様に、
バカを相手にしても仕方ないと思い、
「分かりました 」と、正義の走者が答えると、

ホッとした様子で、

「 有難うございます 」
「 有難うございます」
を、繰り返す。

余程の拷問だったのだろう。

私の手元に届いただけでも十数件の生テープが届いた。

全国規模では、相当数に登ると考えられる。

海外に於いても、
除名含む、処分ばかりが目立つSG I改正規約に危機感を感じ、対策に動き出している地域もあるようだ。
 

宮川さんFacebookの代理投稿

 投稿者:ドン・キホーテ  投稿日:2017年12月 9日(土)11時55分42秒
編集済
  宮川さんに許可を得ましたので、宮川さんのFacebookの文章を代理投稿します。
これは昨日のものです。本日のものは、後ほど投稿します。

ーー(   速     報   )ーー

ー緊急拡散希望ーー。

Reply from Tommy Lawyers.

I was surprised at the response of SGI this time.

( トミー弁護士からの返信  。

私は今回のSGIの対応に

驚いた。)


以下は、拙い私の翻訳でご辛抱願いたい。

( アメリカの裁判でお世話になっている弁護士のトミーが、

日本語が堪能な事務員を、通して確認した内容を、私はあなたに伝えます。

私は、貴方達が持っている疑いに付いて、S G I世界本部に聞きました。

池田SGI会長と、世界本部の名誉会長は誰ですかと聞きました。

彼女はプレジデント池田と答えた。

私は、会憲と改正済みのSGI規約を朗読した。

そのP池田会長は再任された理事会はいつ始まったか?
名誉会長を選出する総務会は、いつ開催しましたか?


記録(理事会議事録)、
(総務会選出届)
を閲覧することが、許される事を、

聞いた時に、彼女は言いました。

貴方は何故それを知っていますか?

私たちは、非公開している内容に、私たちは答えません。
と怒りながら電話がオフされました。

条約や協定、規約などが改正されたり、新しく作られたならば、役員を存続されるという明文が無い時は、

役員は無くなります。

それらのもの(会憲やSGI改正規約)は、持っていない。

理事会や議事録が、答え無ければ、それは、明確に言えないし、彼らは隠すだろう。

私(通称トミー弁護士)は、今は、SGI世界本部会長も、創価学会の名誉会長も、不在であるか、

又は、新しく人が任命されて発表していないかのどちらかであると判断する。

プレジデント池田が、そのまま就任することは、会憲やSGI改正規約では、明文が無いのであり得ない。

理事会の日時や、議事録の閲覧を拒否する事は、プレジデント大作・池田が、選任されたと考えることは出来ない。

私はこれ以上、調査する事はできない。

以上ーー。)

思った通り、原田ら執行部は、先生の役職を能動的に奪う事をしないで、

会憲の制定や、SGI規約を改正する事によって、自然に役職が受動的に、喪失するように仕組んだのである。

詐欺弁護士、山崎正友の弟子である四人組が考えそうな事である。

従って、普通に学会本部に問い合わせても、シラを切られるのがオチである。

どうか、今後は、
「  会憲が制定された、
その第8条の名誉会長の指名

SGI改正規約の第13条2項に制定のSGI会長の選任理事会はいつ行われたのでしょうか?

私は創価学会の会員として知る権利がありますので、教えて下さい 」
と聞いて下さい。

東京都認可の
新興宗教団体創価学会ですから、議事録開示の手続きを

海外メディア及びlawerグループから申請するそうですが、

どうか、除名になられていない目覚めた会員の方々に置かれては、会員としての知る権利を主張して、

信濃町32番地の、世界本部に
問い合わせて、頂ければ、
真実が明らかになると思います。

宜しくお願い致します。

これまでの不服従運動、

1.出さない( 財務 )
2.入れない( 公明党 )

から、一歩発展させた
プチ抵抗、

3.聞いてみるぅ~(会憲、改正規約を通して師匠の役職を)

を、追加承認願いたいと思います。

出来ましたら、会話を録音頂いて、その結果をご報告頂ければ、海外メディア及び、Bar Association(弁護士会).
に送りますので、宜しくご協力をお願い致します。


参考資料。

☆創価学会 会憲☆
第2章 創価学会総本部

(創価学会総本部)

第6条 この会は、第4条の目的を達成するため、「創価学会総本部」を日本国東京都新宿区信濃町に置く。

2. 創価学会総本部に、世界広宣流布を推進するため、「世界本部」を置く。


☆(名誉会長)
第8条 この会に、創価学会会則の定めるところにより、名誉会長を置くことができる。

☆*会則☆
第2章 名誉会長および会長

(名誉会長)
第8条 この会は、総務会の議決に基づき、名誉会長を置くことができる。

☆S GI改正規約☆

第2章

第13条    S G Iに会長を置く。

2.  (SGI)会長は、理事会の議決により選出する。

3.(SGI)会長は、構成団体および会員の信心の指導を行なう。

第14条   S G Iに会長代行を置くことができる。

2.  会長代行は、理事会の議決により選出する。
 

僕も同じ思いです

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2017年12月 9日(土)11時01分7秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/77248

>文証と言えば、非公開SGI規約のために200万円をはたいて下さった人がいるとか。<
>非公開SGI規約は他化自在天を宣言したようなものだ。闇金よりも酷い。その公開に、2万ドルを「ご供養」して下さった方にお礼を言いたい。ありがとうございました。<

僕も同じ思いです
決して少なくない金額です

僕もお礼を言いたい
いや池田先生は言えない状態だから代わりにお礼が言いたい

みんなのための行動をありがとう!!(^^)/

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

仏の顔もIt’s alright

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年12月 9日(土)10時43分17秒
  明日の関西は少し暖かくなるらしい。とはいえ、京都は盆地。京都座談会に参加される方、寒さ対策、油断されませんように。
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-153.html
江坂座談会の時、ある賢人に、京都の時計屋さんで買った腕時計を自慢げに見せて頂いた。斬新なアイデア、デザインで正直、悔しかった。私は普段、腕時計なんかしないのに。
新年勤行会の時が近づいて、また呼んで貰えないこともあるかも知れないが、そんなことは小さい。あのアイデアを実現させることが出来るなんて! これぞ勝利!

小さいと言えばたかが誤字くらい……私もケロンパさんに同意の逸票を投じます!
「♪ちっちゃいことちっちゃいこと気にしない~仏の顔もIt’s alright」
https://www.youtube.com/watch?v=CGOxvlHBZPo
https://www.youtube.com/watch?v=QKMeLFrrUIA

そう、カンピースさん、ちっちゃいことちっちゃいこと気にしない。『勝ち鬨』はいよいよクライマックスを迎えました! 提婆達多の発迹顕本! CRY!MAX!
十条は年上だったと前振りしておいて、若干年下の秋月から弟子の勝利が描かれる??? そしてその精神は田原に受け継がれる???
五老僧のごとく文証を汚す覚悟? 仏法を信受する者には無理なことだ!
(ちなみに『勝ち鬨』を最終章とは言われていません。第30巻は5章でも終わらない? 6章以降も続く? 31巻にした方がいい。それにしてもどこで終わるのか? 六段円筒だけではクライマックスとしては弱い。それを民衆仏法の確立とこじつけるのはカッコ悪い。では、総講頭カムバックか? しかし学会は会長には戻さなかったのはなぜか?)

文証と言えば、非公開SGI規約のために200万円をはたいて下さった人がいるとか。
私が折伏を受けた時、根拠となる書かれたものを示さないものはニセモノ、インチキだと教わりました。規約なるものを非公開とぬけぬけと言うあたりはいかにも他化自在天!!! 文証というものは書き示すことで「固定」することに意味がある。ハード(仮諦=如是相)の力で揺らぎやすい思想、ソフト(空諦=如是性)を確かなものにする。そこには色心不二の《法則》(中諦=如是体)が働くのを利用するのです。
その書き示す「固定」をしないのなら、いつでも勝手に権力者が変えることが出来る。「昨日までと違って今日からこんな人たちは除名」と。まさしく他化自在天。

池田先生があれほどまでに権力と闘えといわれたことが最近ようやく分かった。権力は即ち他化自在天を現代語訳したものと言っていいのでしょう。他人の命を好き勝手に扱う。それを合法的にさせるというのだから恐ろしい。
池田先生は「権力の魔性は怖くて(自公連立で天下を取るといきがっているが)公明党は2分の1の確率で落っこちる」と言われたこと。
https://www.youtube.com/watch?v=kVJal3Wq3QI
非公開SGI規約は他化自在天を宣言したようなものだ。闇金よりも酷い。その公開に、2万ドルを「ご供養」して下さった方にお礼を言いたい。ありがとうございました。
 

世界では釈尊が仏・・について

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年12月 9日(土)10時02分13秒
編集済
  鈴之助様の挑戦?に螺髪様が応戦され・・・(苦笑)

見事に人(仏)と法、日蓮大聖人様の位置を説明されました。

私には御書を紐解いてなどは・・窮屈ですし、また、私にはできませんので・・

”海外では「釈迦」が仏と思われているのではないか”との問いに、少々、私の意見を・・

申しあげたいと思います。

まず、日本を見てみましょう。

一体、どのくらいの日本人が大聖人を末法の御本仏と知っている、

聞いたことがあるか、または崇めているか・・

戦後、戸田先生が一人立たれるまでは・・・富士の小さな日蓮教団(日蓮正宗)信徒

並びに、ほんの一握りの人数である創価学会員のみ。

他の日蓮宗では昔から、今でも「釈迦」が本仏です。

日本国内で大聖人が「本仏」そう信じている人々の数はどの位か・・

おそらく、一千万人チョットではないでしょうか・・

ということは10%たらずが大聖人を末法の御本仏と知っている、崇め。

他の人々はそう信じていないし、聞いたこともない・・と

それでは世界・・

まず、仏教国であるタイ、ラオス、ミャンマー、カンポジア、スリランカ等のアジア諸国では

今でも仏は釈迦です。もしくは他の仏。メンバーの数は少ないですから・・

それらの国々の民衆も大聖人が本仏など知る由もありません。

では、欧米・南米・アフリカではどうでしょう?

私の私見・我見・推測によれば仏教自体、

殆ど名前だけは知っていても、幾らかでも中身を知っている人の数は極少数ですね。

ダライ・ラマがマスコミに頻繁に出るようになった20~25年前からは

それらの国々では仏教はダライ・ラマと・・世界に知られてきました。

それではこのダライ・ラマの教義が広まったかというと、そうではなく

名前・仏教の感じ・着ているもの・修行風景などは映像で紹介されましたが、そこに、

エキゾチックな雰囲気と神秘的な何かが人々の胸を打ち広まってきました。

しかし、なぜ、ダライ・ラマが欧米で特に喧伝され、紹介されたのか・・

その理由の一つには、大中国に迫害されているチベット少数民族として描かれています・・

つまり、欧米はダライ・ラマをテレビジョンに映し出し、

中国のチベット弾圧を対中国カードとして用いていたように思います。

今では、中国様様になっていますので・・大々的にあからさまに報道されることもありません。

従前、繰り広げられていた意図的に報道、紹介で仏教はダライ・ラマというものが浸透していった、

どうして、世界で「釈迦が仏」と言われているのかは、

ただ単に、未だ日蓮大聖人が知られていないからにすぎません。

それは、日本では鎌倉時代から~戦前、戦後と同じです。

あくまで我らの仏界現出、涌現は仏・・ご本尊様「南無妙法蓮華経・日蓮」でなければならない。

世界では日蓮大聖人は知られていない・・これは、当たり前のことでもあるのです。

ですから、そこに私たちの踊りでてきた意味があり。

広宣流布、妙法流布の戦いの意義があると思います。

私たち一人一人が「教主釈尊」の生命を我が生命に涌現し。

師匠が教えてくださった、様々なことを胸に秘め社会に、世界に躍り出て

社会を安穏に世界平和に貢献していく菩薩仏でなけれなならないと思っています。

単に宗教組織内にとどまり、優越感に浸り、内弁慶でいることは全くもって滑稽であり。

師匠の意図とするところではありません。

多くの弟子が「教主釈尊」の巨大な生命力をもとにそれぞれの社会、世界を変えていく・・

ここに、遠い将来「創価学会仏」と言われるであろうという・・その意味があるのではと思います。
 

赤胴鈴之助さんへ

 投稿者:螺髪  投稿日:2017年12月 9日(土)09時56分26秒
   年賀状のお手伝いですか。面倒見がいいんですね。

>釈迦、天台、伝教、日蓮、SG三代会長は即身成仏でしょうか?
世界の一般衆生と・・・先生と対談されている人は・・・? 即身成仏ですか???(投稿者:赤胴鈴之助   投稿日:2017年12月 9日(土)09時19分1秒 )<

 わたしは、【「凡夫」の「即身成仏」はそもそも日蓮大聖人の仏法です】と言っています。少なくとも、「釈迦、天台、伝教」は入っていません。

 「生命」は、“情報”や“事実”の「点」と「点」を結べば“物語”の「線」となり、“線”を拡げれば面の「屋敷(阿頼耶識?)」となり、その面の屋敷を幾重にも重なれば立体的な「生命」となる、というような構造でしょうか。

 もはや赤胴さんの物語が進んでいます(笑い)。それを紐解くには五陰の「識陰」の擦り合わせから始めなければなりません。面談の対話なら可能でしょうが、こうしたネット通信では無理があります……。悪しからず。


 

「凡夫」の「即身成仏」

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2017年12月 9日(土)09時19分1秒
  螺髪 さま、おはようございます、そして、早速のご返事ありがとうございます。

これから、約束がありまして、夕方まで妹の所で、パソコンで年賀状つくりのネタをダウンロードの
仕方を教えてくれとのことで、行ってきます、分かりにくい所をもうすこし、教えてくださいますか・・・・?

>「人間」を外して「妙法」という「法」はないと言えます。
草木成仏の法門との関係を述べてもらえないでしょうか?

>「凡夫」の「即身成仏」はそもそも日蓮大聖人の仏法です。

釈迦、天台、伝教、日蓮、SG三代会長は即身成仏でしょうか?

世界の一般衆生と・・・先生と対談されている人は・・・?
即身成仏ですか???

現在の深い教学を教わっていない男女青年部に向けて説いてもらえないでしょうか。

うだうだいってごめんなさいね。

これも、慳貪の罪を逃れるための、修行です。

鈴之助
 

本日の政教珍聞で~す、原田怪鳥様、千葉・木更津県の中島地区への御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

 投稿者:カンピース  投稿日:2017年12月 9日(土)08時58分25秒
  おはようございます。原田怪鳥様、励ましは「万の力」とのコトで、千葉・木更津県の中島地区への座談会御出席、誠にご苦労様で~す(笑)

ど~でもいいコトデスが、「木更津県」って「木更津圏」のコトデスかねぇ~(笑)

どなたか御存知の方いらっしゃれば教えてくださぁ~い(笑)

ところで、原田怪鳥様、またまた御写真を拝見いたしマスと、ナニやらお手にお持ちなのは「原稿」デスかぁ~(笑)

珍聞広げて、原稿持って、師匠を語るんデスかぁ~? そもそも、「じ・き・で・し」なんデスからぁ~、原稿ナシで語りましょ~う(笑)


また、埼玉が拡大の黄金の歴史を、とのコトで、誓願の区圏長会、誠にご苦労様で~す(笑)

第一埼玉総県から第七埼玉総県まで、ズラリと新リーダー様が誕生されたとのコトですが、衆院選の粛清人事でないコトを祈るのみでぇ~す(爆)


さて、「珍・人間革命」勝ち鬨の章も、三・四とわずか二つで、十条クンのハナシが終わり、秋月クンの出番デスかぁ~(笑)

執筆チームの皆さ~ん、いまだ御存命の方デスからねぇ~、うかつなコトを書くと、粛清されマスよぉ~(笑)

ナニやら、政教珍聞の編集に携わり、学会の中枢を担い、冷静・沈着な、と、褒めちぎってマスが、これは「忖度」デスかぁ~(爆)

実際は、師匠の辞任に際して、「魔に負けた情けない姿」と珍聞誌上で告白し、多部数・財務の強要と、「カネまみれ」ではなかったんデスかぁ~(笑)

そして、会員に財務を勧めるワリには、御自身は、「秋谷は五口」デスよぉ~(超爆)


執筆チームの皆さ~ん、「忖度」するよりも、秋谷元怪鳥サマ御自身が、珍聞誌上で告白された、「魔に負けた情けない姿」を描きましょうねぇ~(笑)

原田怪鳥様、「珍・人間革命」29巻力走の章にも、幹部の在り方・心構えが記してありマスけども、

どうか、執筆チームの皆さんが、真実の秋月英介の姿をお書きになっても、温かく激励していただきマスように、期待しないで待ってまぁ~す(大爆)



 

二十一世紀への対話 179

 投稿者:まなこ  投稿日:2017年12月 9日(土)08時44分23秒
  5 愛と良心

【池田】 博士は「生物の進化は、愛と良心の発現の過程である」といわれています。しかし、私は、愛と良心というものは価値的な内容をもつものであり、生物の進化という現象は、本来、そうした価値的要素とは無関係なものであろうと思っています。
生物の進化という考え方を裏づけるものは、その肉体的特質の比較によって得られますが、とくに精神的機能を支える脳(神経中枢)の構造にその根拠が求められます。大脳生理学が明らかにしているところでは、人間の優れた知能の働きを司っているのは前頭葉であり、これが発達していることが、他の動物にはみられない人間の著しい特徴であるといわれます。
しかし、この前頭葉が司る人間の知能は、一方では“創造性”としてあらわれるとともに、それが反面では“殺し屋”ともいわれるような残忍性をあらわす源にもなっているといわれます。そうしますと、生物の進化の結果は、一方では愛と良心の発現であるとともに、他方では、それと正反対の憎悪と狡猾さでもあることになります。
博士があえて「愛と良心の発現の過程である」といわれたのは、生物進化の客観的定義ではなく、主観的な願望の気持ちを託して、このように定義づけられたと解釈してよろしいでしょうか。

【トインビー】 たしかに、大脳生理学者たちは、人間の頭脳のある部分が、ある種の感情や衝動と関係があると説明しているようです。しかし、「関係がある」という曖昧な言葉を使っているのは、二つの異なる実在の関係の本質が理解できないことを示すものです。大脳の有機体は物理的なものであり、精神的なものではありません。そして、精神活動は、あくまで物理的活動ではないわけです。もっとも、曖昧な意味では、精神活動も物理的現象――たとえば電気現象など――に「関係がある」かもしれません。また、精神活動がこうした物理的現象をともなわずになされるということは、ありえないでしょう。
この大脳の場合のように、一つの有機媒体における精神活動と物理的現象の「関係性」が神秘のヴェールに包まれているのは、たぶん人間の思考力に限界があるための結果でしょう。人間の意識、生命、肉体は、現実には一体不可分のものであると考えられます。ところが、そのような不可分のままでは、われわれには理解できないのです。われわれは、それを知性で分析することによって、初めて部分的ながらも理解することができるわけです。ただし、こうした知的分析による理解も、完全なものではありません。なぜなら、人間の本質を、このように知性によって各要素に分けてしまうと、今度はそれぞれの間の関係性というものが、知的に理解できなくなってしまうからです。生物学的進化が善悪をともに生み出すということ、むしろ、善よりも悪を生むほうが多いということについては、私も同感です。

【池田】 私も、精神と肉体の関係について、人間生命とは全的・統一的な存在であり、観念的には精神と肉体という二種の異なる要素に分析して考えることはできても、本質的には両者は一体不可分である、という見方をしています。
そこで、生物学的進化と、愛と良心の問題についてさらに論を進めるにあたって、もう少し基本的な問題について確認しておきたいと思います。博士は「生命がなければ愛は現われえなかったであろうし、人間の生命がなければ良心も現われえなかったであろう」と述べられていますが、私も、愛や良心は人間生命の特質であると思います。ただ、そこからさらに進んで、そうした愛とか良心とかを発現しうる人間生命はどうして形成されたか、ということを考えてみたいのです。
この点について、博士は、そのような人間生命を創造した神のような存在を考えてはおられませんね。では、進化とは、愛や良心が究極的実在を志向する目的論的変化であるというふうに考えておられるのでしょうか。

【トインビー】 私は、愛や善の精神が、諸々の計画をもち、その遂行を試みる人間の姿をした人格神といった意味での神だとは考えていません。私が自分の直接的経験から知るかぎり、愛や善は、人間の感情や行動のなかに現われるものです。またある種の哺乳動物や鳥類などの感情、行動にも現われます。
善をなすことは、ある人々にとって、その目的、ないしは少なくとも目的の一部となっています。また、私の信ずるところでは、人間はすべて自己の良心によって、善をなすよう命じられているものです。これは、たとえ故意に良心に逆らっている人の場合でも同じです。人間の行動は、善悪を問わず、常に目的論的なものです。とはいっても、私は、生物学的進化が目的論的であると考えるわけではありません。つまり、生物学的進化は、内在的な何らかの力や、外からの超絶的な力によって、何らかの倫理的目標ないしその他の目標に導かれるものではない、という意味です。ただ、生命の維持ということは、ここでは除外して考えなければならないでしょう。
 

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