被害者の富岡長子さん

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「永遠に祟り続けます」

 夫婦が共謀して姉と運転手の殺害を企て、更には自害して果てた。常人には理解しがたい事件に違いない。そして、その夫は生前、「週刊新潮」の取材に応じていた――。

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 改めて事件を振り返っておく。12月7日夜、富岡八幡宮(東京都江東区)の元宮司・富岡茂永容疑者(56)は、宮司の富岡長子さん(58)が自宅前で車から降りたところを、待ち伏せして日本刀で襲撃。刺すなどして殺害した。

 更に茂永容疑者の妻・真里子容疑者(49)が男性運転手(33)を追跡。刃物で切り付けて重傷を負わせた。それから茂永容疑者が境内で真里子容疑者の心臓付近や腹を刺して殺害。次に茂永容疑者は自身の左胸を3カ所刺し、間もなく死亡した。

被害者の富岡長子さん

 言葉を失うほど凄惨な事件だが、茂永容疑者の遺書も禍々しい。ワープロ書きされた8枚の長文は、最後に「富岡長子を永久に富岡八幡宮から追放する事」など4か条の要求を列挙し、

《もし、私の要求が実行されなかった時は、私は死後に於いてもこの世(富岡八幡宮)に残り、怨霊となり、私の要求に異議を唱えた責任役員とその子孫を永遠に祟り続けます》

と記した。これほど激しい怨念が、どこから湧き上がってくるのか、疑問に感じる向きも少なくないだろう。

 茂永容疑者が、姉の長子さんとトラブルになっていたことは、既に多くのメディアが報じている。だが「週刊新潮」は2002年という早い時期に姉弟の確執を取材して報道していた。

 その記事「親も見放した『富岡八幡宮』前宮司の乱脈女性関係」(02年5月23日号)を再録する。リードをカットし、他は全文を掲載しよう。

宮司交代劇の真相

 富岡八幡宮の祭礼は、山王日枝神社、神田明神と並ぶ江戸三大祭に数えられている。

 ダイヤモンドやルビーの嵌め込まれた日本最大の神輿は、佐川急便の創始者・故佐川清氏が奉納したものである。

 江戸時代には境内で勧進相撲が行われ、富籤の発祥地としても名を馳せたこの八幡宮の宮司は、明治以降、富岡家が代々継いできた。が、第20代宮司・茂永氏(41)の素行は神職にあるまじき悪さで、父親の興永氏(73)が相続権を剥奪する廃除を東京家裁に請求しているほど。いわば勘当同然の放蕩息子なのだ。

 茂永氏は、駒大、皇学館大を卒業後、実家の富岡八幡宮で権禰宜(ごんねぎ)、禰宜、権宮司、宮司代務者として修行を積み、平成7年に興永氏の後継宮司に就任した。

「節分祭の参拝者減少に歯止めをかけようと、フランス旅行が当る富籤を企画したこともあったけれど、本領発揮は専ら私生活の方だね」

 とは氏子の1人。

「何しろ離婚歴が2回。最初の結婚は1男1女をもうけながら、フィリピンクラブに入り浸って奥さんに愛想尽かしされた。2度目の結婚直後、しばらくは浮気の虫も治まっていたが、やがて銀座や錦糸町のクラブ通いが復活。ホステスの1人を愛人にした挙句、3番目の奥さんにしてしまった。2番目の奥さんは茂永氏に財産分与を求めると同時に、今の奥さんにも500万円の損害賠償請求訴訟を東京地裁に起しています」

 茂永氏以外の富岡家は全員が2番目の妻に同情的だ。母親は、息子は女性を散々泣かせてきて恨まれても仕方のない愚かな人間と詰(なじ)っている。妹に至っては、兄は、嫁がいながら深川ゆかた美人コンテストの優勝者に言い寄った、以前から覗きの常習犯だったなどと、醜悪な趣味まで暴露に及ぶ始末だ。

 骨肉相食む泥仕合の未、束京都神社庁などに相談した興永氏は、昨年4月、茂永氏に辞表を出させ、自ら宮司に復帰した。

 相談を受けた東京都神社庁の新倉重行参事はこう語る。

「茂永宮司の女性関係を指弾する怪文書が日本全国の名のある神社に届いた。真偽はともかく、神社の名誉を傷つけた事は間違いなく責任を取らせるべきだと答えました」

 茂永氏は1億2000万円もの退職金を手中にしたばかりか、毎月30万円の年金が支給され、約十数万円の不動産収入も約束されているというから羨ましい限り。

 それでも、「金がない」とボヤく息子夫婦を母親は、生涯遊んで暮らそうとするからだ、と一刀両断している。

密告したのは私の姉

 茂永氏の反論を聞こう。

「宮司を辞めたのは一身上の都合。相続廃除の件で調停中ですが、そんなことを言い渡されるようなことはしていないと断言できます」

「2番目の妻との結婚は、当初から破綻していました。それは、彼女の母親が“外道・茂永”“(娘を)恵んでやった”などと意味不明で汚い言葉を羅列した怪文書をばら撒いたからですよ。今の妻と付き合う前に何人か愛人がいたのは認めますが、それ以前に2番目の妻とは寝室も別。何度も言うようですが最初から破綻していましたからね」

「今の妻の存在を2番目の妻に密告したのは私の姉です。何故かというと、姉は3年前の3月に神主の資格を取ったのですが、いきなり大幹部にしろ、と私に言ってきた。私は無理だと断ったのですよ」

 聞けば聞くほど宮司一家の粗末さには呆れるばかり。なまじ大金が集まるのが争いの元だ。氏子や参拝客こそいい面の皮である。(※年齢や肩書などは「週刊新潮」掲載当時のもの)

週刊新潮WEB取材班

2017年12月9日 掲載