潜入取材のために離婚までした 横田増生さんのユニクロ体験ルポ
カジュアル衣料品店「ユニクロ」などを展開するファーストリテイリング(柳井正会長兼社長)は10月の決算会見(8月期決算)で、過去最高の売上収益(1兆8619億円)を達成したと発表。日本経済が低迷する中での成長は頼もしいが、働くスタッフたちの現場はどうなのだろうか。ジャーナリストの横田増生さん(52)の新刊「ユニクロ潜入一年」(文芸春秋、1620円)はアルバイト店員として働いてみた体験ルポ。そこまでやるかという潜入取材で見えてきたものとは。(甲斐 毅彦)
横田さんに潜入取材を決意させたきっかけは「ユニクロ」の取材拒否だった。2015年4月、ファーストリテイリング社の決算会見に向かう途中、同社広報部長から電話があり、出席を拒まれたという。直近の「週刊文春」に寄せた記事が問題視されたとのことだったが、いくら理由を聞いても明確な答えは返ってこなかった。同社の労働環境などを批判した横田さんの著書の出版元である文芸春秋が、名誉毀損(きそん)で訴えられた経緯もあったが、前年12月に最高裁は「ユニクロ」側の上告を退け、判決が確定していた。
怒りと同時に「その1か月ぐらい前の雑誌にブラック企業批判に対する柳井さんの反論が載っていたのを思い出したんです。これは僕への“招待状”じゃないか、と」
「悪口を言っているのは僕(柳井氏)と会ったことがない人がほとんど。会社見学をしてもらって、あるいは社員やアルバイトとしてうちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかを是非体験してもらいたいですね」(「プレジデント」15年3月2日号)
ならばユニクロで働こうじゃないか。横田さんは、それまでにもアマゾン・ドット・コムやヤマト運輸などで“潜入労働”してきたが、裁判で争った会社で本名のまま働けば、すぐに発覚してしまう。かといって偽名を使えば犯罪だ。そこで思いついたのは、妻といったん離婚した上で再婚し、姓を合法的に妻の旧姓「田中」に変更する裏技だった。
後に裁判になる場合も想定して、履歴書は弁護士に入念にチェックしてもらった。「すべてを書いていないが、ウソは一つもない」という履歴書で、15年10月にイオンモール幕張新都心店のアルバイトとして採用された。
「妻は(姓を変える作戦を)『面白い』と言って役所に離婚届を取りに行ってくれたんです。楽しんで協力してくれましたが、ほころびが出ないように僕は自分の銀行口座やクレジットカードも『田中』名義に作り換えたので、潜入するのには期間(約半年)が空きました」
店頭で働き始めた横田さんは職場に溶け込み、「マスオさん」と呼ばれるようになった。商品の「袋むき」などの単純作業にも真面目に取り組んだ。接客して商品が売れる面白さも感じながらも、職場で飛び交う言葉にひそかに神経を注ぎ、隠れてメモを取りながら取材を進めた。
業務中、何度か発覚の危機が訪れることもあった。店頭で重宝される英語対応は十分可能だが、「目立たないバイト」を装うため、できないふりをしていたのに、外国人客に英語で対応しているところを目撃されてしまう。また、業務の伝票の担当者欄に「横田増生」と書いてしまうミスを犯すことも。読者は「いつ正体がばれるのか」というヒヤヒヤ感を追体験することになる。
約1年間で店舗を2度異動。16年12月に最後の勤務地となったビックロ新宿東口店での勤務中に呼び出されるまでの間、成長企業の職場実態を実体験で取材できた。
「10人に話を聞いて取材するよりも、自分でやってみたほうがよく分かるし、読む人にとっても分かりやすく書けます」。潜入という手法には「フェアではない」というイメージを持つ人も多いかもしれない。ただ、欧米メディアでは珍しくなく、英国BBC(英国放送協会)も最近、アマゾンの潜入ドキュメントを放映している。「日本だとNHKがやるようなものですが、絶対にやらない(笑い)。日本人にはどうしても卑怯なイメージが付きまとうんでしょうね」
安倍政権は「最大のチャレンジ」として長時間労働是正など「働き方改革」を掲げているが、必ずしも成果が出ているとは言い難い。横田さんは職場で実際に働いている人々にこそ企業の実像が現れると、これまで物流業界を中心に追ってきた。その延長線上にあったのが「ユニクロ」だった。急成長を遂げた会社の実情を探ることは、日本の新たなビジネスの行く末を占うことにもつながる。潜入取材は終わった横田さんだが、今後もユニクロを見守り続けていく。
◆横田 増生(よこた・ますお)1965年、福岡県生まれ。52歳。大学卒業後、予備校講師を経て、米国アイオワ大学ジャーナリズムスクールで修士号。93年に帰国後、物流業界紙「輸送経済」の記者、編集長を務め、99年フリーランスに。著書に「潜入ルポ アマゾン・ドット・コム」「評伝 ナンシー関『心に一人のナンシーを』」「中学受験」「ユニクロ帝国の光と影」「仁義なき宅配 ヤマトVS佐川VS日本郵便VSアマゾン」など。