時代の正体〈559〉「差別主義者は卑怯者」 私が断じるわけ
記者の視点=デジタル編集委員・石橋 学
- 神奈川新聞|
- 公開:2017/12/09 22:32 更新:2017/12/09 23:28
人をおとしめ、痛めつける。それも社会的少数者である弱者を圧倒的多数者という強者の立場からたたく。うそまでついて、寄ってたかってたたくよう仕向ける。恐怖にさらし、反論の口を封じる。
そのような人物のことを「卑怯(ひきょう)者」とはっきり断じたいと思う。
「言論の自由を守る闘い」を掲げ、10日午後2時から川崎市教育文化会館(同市川崎区)で講演会を開こうとしている極右活動家、瀬戸弘幸氏(65)のことである。
ナチズムに傾倒、長年にわたり人種差別・排外主義を唱道してきた代表的な差別扇動者。やはりこの国の極右運動を牽引(けんいん)してきた人種差別主義者、桜井誠氏が「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の後継組織として結成した極右政治団体「日本第一党」の最高顧問を務める。
その瀬戸氏が「ヘイトスピーチを考える会」なる団体を立ち上げ、講演会名目で市の施設の使用を申し込んだと自身のブログで明かしたのは11月13日のことだった。
その4日前、川崎市は全国初となるヘイトスピーチ対策を発表していた。差別的言動が行われる恐れがある場合、公園や市民館など公的施設の利用を不許可にできるガイドラインである。ヘイトスピーチは許されないと宣言し、解消のための取り組みを国や自治体に求めるヘイトスピーチ解消法の理念を実効化する施策として、注目を集めた。
施行は来年3月。市内で14回も繰り返されたヘイトデモに痛めつけられてきた在日コリアンから「人権侵害を未然に防ぐ手だてを行政が持ったことが心強い」と安堵(あんど)の声が上がったのもつかの間、被害者の切実な思いをあざ笑うかのように間隙(かんげき)を突いてなされた申請に悪意がのぞいていた。
以降、瀬戸氏はブログで連日、告知記事を更新していく。
川崎では、民族浄化を想起させる「日本浄化」をうたい、「ゴキブリ朝鮮人をぶち殺せ」「出ていけ」と叫ぶヘイトデモに参加してきた瀬戸氏は、川崎市で進む差別をなくすための条例づくりをつぶすことが「今年の闘争の最大の目標だ」と公言してきた。
3月には講演会、7月にはヘイトデモを主催。昨年6月、日本浄化デモ第3弾が抗議の市民に取り囲まれ、中止に追い込まれた一件を「言論弾圧」だと言い募ってきた。
封じられたのはまともな言論ではない差別的言動あって、体を張ってまで人権侵害を防ごうという市民の行動を呼んだ原因は自分たちにあるにもかかわらず、自らのヘイト行為が不当な弾圧に対抗する「正義」であるかのように装ってきた。
今回も同じだった。目をつけたのが私が書いた記事だった。
会館使用許可の取り消しを求める市民団体「『ヘイトスピーチを許さない』かわさき市民ネットワーク」の動きを伝え、講演会計画を批判する記事を引用し、瀬戸氏はヘイトスピーチを交えて書いた(以下原文ママ)。
〈これぞ、言論弾圧で共産主義国家を目指しているとしか思えない〉
〈川崎市は日本です、日本の憲法で保証された言論の自由をなくすと言っているに等しい〉
〈川崎在日国を目指すかれらの狙いがこの一連の私への攻撃に現れています〉
コメント欄には「応援してます」「一般の日本国民のために頑張ってください」と賛意が示され、敵対視と排斥感情は確実に増幅されていった。
そして1枚の写真を無断転載したのだ。
2人の国会議員に挟まれ、崔(チェ)江以子(カンイヂャ)さん(44)と中学生の長男が収まっている。ヘイトスピーチ解消法の成立を前にした昨年5月、制定に尽力した有田芳生、西田昌司両参院議員に崔さんが感謝を伝える一コマだった。
在日コリアンの集住地区であるわが街、川崎市川崎区桜本を襲った「日本浄化デモ」で野放しの悪罵にさらされた崔さんは、法案審議で参考人として意見陳述し、刻みつけられた屈辱と恐怖を震える声で証言していた。言葉にすることで追体験する、さらなる個人攻撃にさらされるという二次被害、三次被害を引き受けながらの訴えが届き、成立をみた解消法はだから、被害からの回復への一歩であり、希望のよりどころであった。
「ヘイトスピーチは差別だと認めてもらえた。被害がなかったことにされなかった。法によって私たちは尊厳が守られる存在だとようやく示してもらえた」
そんな感慨で胸を熱くした尊い瞬間を刻んだ写真を瀬戸氏はしかし、正反対の文脈でさらしたのだった。
〈この方々が日本国憲法で保証された言論の自由を脅かす人達です。私が川崎で何か事をおこす度に「ヘイト」だとか「レイシスト」とか差別主義者、排外主義者のレッテル張りして言論弾圧をして来ました〉
これほどの悪意があるだろうか。
黙っていれば差別し放題、被害者が声を上げた途端、さらなる攻撃を加える。差別に抗(あらが)えば、このような目に遭うのだと見せしめにする。差別主義者は、そうしてマイノリティー全体を攻撃し、沈黙を強いてきた。
尊厳を一方的に踏みつけにする加害者であるにもかかわらず、被害者を装い、差別を正当化しようとする常套(じょうとう)手段をここでもみせた。その上で具体的な「敵」を名指しし、その姿をさらし、敵愾心(てきがいしん)をかきたて、差別を一層あおる。差別主義者の作法と差別扇動の手口の醜悪さ、卑劣さはここに極まっていた。