を、たまに観るようになった。これはいい!
自由に操れたら凄いんじゃないか?

今朝は夢の中で宇野さんと議論していた。その中で、
「人間には批評脳とクリエティブ脳があるんです!『フラクタル』は言わば、批評脳で作ってしまった!」
と自分が言ってて、起きて、これだ!と思った。

作品の中に批評精神があるのは悪くはない。風刺とでも言うべきか。
しかしそればかりだと作品が硬くなる。
結論ありきでキャラを動かすのは、幾分か不自由なのだ。


もちろん『フラクタル』でもキャラの心の動きには細心の注意を払った。だから女性にも受けるのだろう。
しかし立ち上げがまずかった。あの評論家先生を加えてしまったのは、創作という意味では良くなかったのだろう。


あくまでバランスだと思うんだけどね。批評脳とクリエイティブ脳。