江戸勧進相撲の発祥地として知られる富岡八幡宮(東京都江東区)で起きた4人死傷事件で、殺害された女性宮司富岡長子(ながこ)さん(58)と元宮司で弟の富岡茂永容疑者(56)が宮司の地位を巡り、16年以上も確執を深めていたことが分かった。茂永容疑者は金銭問題などで01年5月、宮司を退任。以来、長子さんに「地獄へ送る」と書いたはがきを送って脅迫容疑で逮捕されるなど恨みを募らせていた。

 茂永容疑者と小、中学時代の同級生が8日、取材に応じた。小学生時代はともに集団登校し、放課後は富岡さんも含め、富岡八幡宮の境内などで缶蹴りをして遊んだ。誕生日会も行き合う間柄だった。

 中学以降はあまり遊ばなくなり「(茂永容疑者は)一言で言うと暴走族にでも入っているかのように、やんちゃだった」という。

 茂永容疑者は01年5月、金銭トラブルで宮司を退任。神社の金を横領し、米ラスベガスのカジノなどで豪遊したという。その際、神社本庁を通じて問題を表面化させると、富岡家そのものが神社にいられなくなることから、茂永容疑者を辞めさせることで、穏便に済ませたという。その後、先代の父が再び宮司に戻った後、10年に富岡さんが跡を継いだ。しかし、富岡さんも親族間トラブルを理由に、神社本庁から宮司として任命されなかった。

 同神社は江戸勧進相撲の発祥地として有名で、横綱の名前が刻まれた「横綱力士碑」があるが、同級生は「以前は何のイベントもなく、力士も来なかった」。その新横綱刻名式を再興したのが、宮司時代の茂永容疑者だった。「茂永くんが流れをつくった。横綱を呼び、取材も来るようになった」と振り返った。

 「派手なことが好きだった。富岡八幡宮をふんだんにアピールしていた。先代の宮司に比べたら収入は劇的に増えたと思う」。茂永容疑者が宮司になり3年後の98年、若乃花が横綱昇進時に刻名式を復活させ、同時に土俵入りを披露する「刻名奉告祭」を行うようになり、参拝客は大いに増えた。しかし、氏子には派手なことを嫌う者もいた。10年ほど前には近所に怪文書が出回った。茂永容疑者と富岡さんに向けられたもので、金もうけ主義に対する批判だった。【三須一紀】