「読むと絶対モテる記事」と拗らせ概論、さえも

※当記事はサークラアドベントカレンダーのために執筆されています

adventar.org

0.はじめに


はじめましての方ははじめまして。そうでない方はこんにちは、サークルクラッシュ同好会にすら馴染めなくてフェードアウトしてしまった社会不適合者こと小津@oz4point5)です。最近あった悲しいことは、母が年内に死ぬだろうと医者に宣告されたことですね。さて、あらゆる文章は構造的に書かれてしかるべきだと思います。その点、完全なQ体氏の文章は教科書みたいで素敵でしたね、あれを真似てみようと思います。という訳で以下が目次です、ご査収ください。


各章は独立しています。好きな時に好きなだけ読んでください。「読んだよ」って言ってもらえたりリプしてもらえるととても嬉しいです。なお、ブログの記事を書くのなんてだいぶ久しぶりでどんな文章を書いたらいいかカンを忘れています。文章がキモオタくさくなっても許してね。あと出来るだけ各種表現に気をつけて書いてますが、この部分を書いている時点でキマっているため、所々、書き間違いや政治的に正しくない表現が含まれると思います。あらかじめご容赦ください、それでは。


1. 読むと絶対モテる記事

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1-1. 奪われた非リア


  モテる、って何でしょう。有斐閣の出してる書籍みたいな出だしですね。「モテる」というのは少なくとも人々が取りうる何らかの状態を指しているように思います。しかし、それに統一的な意味があるかは微妙なところです。どうみても色々な人と性交渉をしているようなタイプの人が「はぁ、モテない」と言ってみたり、恋愛工学やってる人たちは「モテている」のかそうでないのか、意味が錯綜している言葉です。「非モテ」という言葉をアイデンティティにしている人もそれなりにいます(私もそうです)が、それもどういう意味なのでしょう。

非モテ」に限らず、多くの「自らをネガティブにとらえる言葉」、例えば「非リア」であるとか「うつ」、「ニート」、「KKO(キモくて金のないオッサン)」などは最初の意味に比べて、徐々に人口に膾炙していくにつれ、意味が拡大していくきらいがあります(私はこれを言語争奪 word captureと呼んでいます)。日本人の謙遜文化が影響しているのでしょうか。もちろん、これらの対概念も同時に意味が変化していきます。

リア充」というのは今は亡き2chの大学生活板で生まれた言葉で原義は「一人でも友達がいる奴」でした。しかし、今やそんな使い方をしてる人はいません、私の感覚では「リア充」の平均的な意味は「恋人がいる奴」ぐらいな気がします。「非リア」が指している人間なんて最初は大学生の数パーセント程度だったのでしょうが、今の定義だと半分近くはいるんじゃないかと思います(こういう恋人の有無などのデータはしばしばニュースなどで見かけますね) 非常に限定的な言葉が流行するにつれ普遍的になっていくというのは、理解できることでもあります。そういう言葉はなかなか使う機会がありませんから。でも、意味が拡大するにつれ、その言葉がもっていた文脈というのはだんだんと失われるように思います。

つまり、こういうことです。「非リア / リア充」という言葉ははじめ、「友達のいない我々(内集団)」と「大学生活を楽しんでるあいつら(外集団)」の間に線を引く役割をもっていたはずです。この線を引くことにより、同じスレの中にいる人たちはある種の連帯感デュルケームに言わせれば共通の絆でしょうか)が生まれますし、彼らはアイデンティティを得ることができます(ここでいうアイデンティティとは「自分はこういうものだ」という定義付けとでも思ってください、そしてそういうものの存在は多くの場合、精神の安寧をもたらします)。

しかし、その言葉が彼らの手を離れ、意味を拡大されたらどうなるか。最初に自分たちが行なっていた線引きはもはや機能しなくなり、連帯感も失われてしまいます。彼らはこう思うはずです。「俺たちを表すはずだった言葉が仲間以外のやつらに勝手に使われて、しかもそちらの意味の方が浸透してしまった」と。

集団と集団の間の線引きは常に脅かされるものとはいえ、これはなかなか可哀想なことのように思います。少なくとも私はできるだけそのようなことはあってはならないと考えています。言葉が変化することで悲しむひともいるのです。


1-2. モテなぶる奴ら


さて、話を戻しましょう。「モテる」「非モテ」の話です。話の流れでお気づきかと思いますが、この言葉も「非リア」と同じく、争奪の危機にあります。というか争奪されています。

「モテる」の根本的な意味って何でしたっけ。多分「誰かから好意を向けられる」ことだったはずです。しかしその定義では、人々の内心による所が大きく厳密な議論に持っていくには無理があります。ではこうしましょう、「誰かから好意を持っていると告白される」、それすなわち「モテる」ではないでしょうか。

それが今や嘆かわしいことに、「モテる」という意味を勝手に狭い言葉にして、自分を「非モテ」と名乗る人物の多いこと。あなたは誰かから告白されたことがありますか? じゃあ、あなたはモテたことがあるんです。決して非モテではありません。たまに「自分が恋愛対象と思う人物から好意を向けられたことがない」のを「非モテ」と勝手に解釈してSNSかなんかで自虐している人がいます。恥を知れ。我々から言語を奪っておきながら弱者ぶるとは何事か。挙げ句の果てに一部の人間を「いないもの」扱いしている。他者を欲望を持つ個人として尊重しないと道徳が滅びるってウェーバーも言ってたぞ!

というわけでですね、この記事をお読みの皆さんの中で「誰かに告白されたことがある」人は自分のことを「モテない」というのは出来るだけ控えていただけると嬉しいです。女性の皆様におかれましては、別に非モテ自称しなくても適当にツイッターで性別さらして悲しがっていれば男どもが寄ってくると思いますので。男性もそうですよ。弱者、本当に非モテだった人たちを保護する、差別に反対する理知的な観点からも是非お願いします。それは僕たちのアイデンティティなんです、奪わないでください。


1-3. 読むと絶対モテる部分


というわけで、本題です。1-1と1-2はお読みいただけましたでしょうか。オチがもう読めたという方は素晴らしいというか、ちゃんと考えながら読んでもらってありがたいというか。では、以下の通りです、ご査収ください。

この文章を読んでいる皆さん、好きです。僕と付き合ってください!

  • 【募集対象】この記事をお読みの方
  • 【応募条件】年齢性別外見居住地等一切問いません
  • 【採用職種】パートナーとして
  • 【採用基準】熱意のみ
  • 【募集者】小津 省吾(21歳バイセクシュアル♂)
  • 【連絡先】原則としてtwitter@oz4point5にリプライあるいはDM
  • 【締切り】twitter上で告知。終了したらこの記事に横線ひくかも
  • 【その他】

こっちはまじめに言ってます。もう既にパートナーがいらっしゃる方は、その方と別れてからご応募ください(無用なトラブルを避けるためです)。また、小津についてよく知ってから判断をしたいという方は、お友達からでも可です。詳細な私に関する情報は、私のtwitterをフォローいただくか、またお題箱などでも受け付けております。ご活用ください。


1-4. 諸注意ほか


同じネタを先に他の人にされてしまわないか不安だったのですが、確認した限りそんな奴はいないっぽいので一安心です。僕の後に同じことをやろうとしている方がいたら申し訳ありませんでした。割と真面目に言っているので、もしこれで彼氏なり彼女なりができたら嬉しいなと思っています。

さて、性別も問わない、と書いたため、これでこの記事を読んだ方は晴れて「誰かに告白されたことのある」人になりまして、もはや「非モテ」とは言えなくなりました。つまり「モテる」状態になりました、ということで(もし締め切られた後にこの記事を読んだ人はすみません、そのうち再募集する羽目になると思います)。本当に「好意を向けている」かですが、実際に向けてると思います、少なくとも、私は私の文章読んでくれてるだけで相当嬉しいですし。

というわけで以上がこの記事のメインとなります。後の章は余談です。皆さん、誰かから告白されたことのある「モテる」人間として自尊心をもってですね、ご自愛いただければ幸いです。余裕があったら「非モテ」な私にも優しくしてやってくださればと思います。


2. 拗らせ概論

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2-1. 「拗らせ」とは


拗らせに関するアドベンドカレンダーとして文章を書く機会を頂いたのに、それを書かないのも如何なものかと思うので、いまから書きます。もし、私が大学の教員で、これが大学の授業なら「拗らせ論入門」とか名前をつけて2単位の一般教養科目としてあげたいところですが、実際はそうではなく、読んでも別にお得なことはないので、適当に読んでやってください。

私の前に記事を書いた人も「拗らせ」という言葉の定義に苦戦していましたので、私が考えた拗らせモデルをここで書いておきたいと思います。皆さん是非このモデルを「ここが違うよ」とかご指摘くださると嬉しいです。ちなみに、こういう言葉の意味に関する文章の最初に出てきがちな三省堂大辞林の定義をひっぱってみると「①物事をもつれさせる。解決を難しくさせる。②(病気などを)なおりにくくさせる。悪くして長引かせる」だそうです、わかったようなわからないような。


2-2. 靴紐を結ぶ


拗らせとは、要するに靴紐を間違って結んでいる状態です。スニーカーを想像してください、靴紐をまだ通していないならば、スニーカーにはたくさんの穴が空いているはずです。その片方を「行為」、もう片方を「感情」とします。それらを結ぶのが靴紐なわけですが、それが正しく順序通り結ばれていない状態、それが「拗らせ」です

社会や日々の生活を定義する方法はたくさんあると思いますが、ここでは感情と行為の再帰的な繰り返しと考えます。私たちは色々なことを考えます、ご飯を食べようとか、ゲームをしよう、とか。そういう「感情」に基づいて私たちはなんらかの「行為」を行います、ラーメン屋にいく、ゲームをプレイする。その結果、何らかの変化が世界に起こります、注文したラーメンがでてきたり、ゲームをクリアしたり。それを今度は私たちが情報として受け取り、それに対して「感情」を持ちます、美味しかった、他のゲームもしよう、とか。

この「行為」と「感情」が靴の穴だとすると、靴紐というのは「行為→感情」か「感情→行為」の回路で、それは感受性とか性格という言葉で普段表されるでしょうか、ぴったりと当てはまる言葉はないような気がしますね。

まあとにかく、この靴紐の結び方にはある程度正しい順序があるわけです。一段目の穴が結ばれた次は二段目の穴に靴紐が通っているはず、普通はそう考えます。普通は「一回一緒にご飯を食べた」穴のそのすぐ次に「告白する」の穴があるとは考えないわけです。でも、そう繋いでしまっている人がいて、それが「拗らせている人」なわけです。

 

2-3. 短絡と混線

そのように拗らせを捉えると、拗らせ方には二種類のタイプがあると考えることが出来ます。すなわち「短絡 short」と「混線 crossed」です。

短絡とは、本来入るべき穴をすっ飛ばしてしまっている状態。いきなり告白してしまったり、異性全体に対してレッテルを貼ってしまう状態がここに入ります。一方、混線とは、本来別の穴に入るべき靴紐が、違う所に入ってしまっている状態をさします。ただ「人間として敵意を持ってない事を示す行動」を受け取って、それを「好かれている」と感じてしまったり、「相手に気に入られよう」と思って意味の分からないLINEを送りまくってみたり。

どちらもいわゆる「拗らせている人」にはあるあるな状態かと思います。先程から恋愛に関する例をあげていますが、これは学歴だとか対人関係とかで「拗らせている人」もこれに当てはめて考える事ができると思っています。

 

2-4. 靴紐をほどく

それでは、この状態はどのようにして解消することができるでしょうか。靴紐のようなものである、という性質から幾つかの条件が必要であるということがわかります。

  1. どこをどう結び間違えているのかを自覚する
  2. その場所より後に結んだ場所を一旦ほどく
  3. 立ち止まる

まず1つ目です、問題を明らかにしなければ、どう結びなおすべきか分かりません。靴紐の結び間違いはなかなか自分では見えにくいので他人にみてもらうなり、あるいは自分で見るにしても、自分ではそれが正しいと思って結んだわけで、他の人のものと見比べる、あるいはそういう本を見て自分が違うなと思う所を発見しなければなりません。

そして、2つ目。これは拗らせが靴紐たる所以です。大抵の人間は何らかの考えを持っていたとしたら、その考えの上に積み上げるようにして他の考えを積んでいきます。それは、最初が間違っているがゆえに、無理矢理世間に合わせるために軌道修正しようとしたものが含まれていたりします。「○○大学に入れなかった→自分はダメだ」という靴紐を結んだがゆえに後から「自分はダメだ→もっと勉強に勤しんで周りに勝たねば」という靴紐の結び方があり、「周りに勝たねばならない→頭脳的な職を目指す」などを積み上げているパターンはちょくちょく見かけます。ただし、拗らせを治そうと思ったとき、一旦それらの考えを捨ててしまう必要があります。そうしなければ、最初の間違った靴紐を結び直すことができません。これには覚悟が必要です。

3つ目、立ち止まる。非常に忘れがちな点です。靴紐は歩いている時、つまり自分が何かを考えて周りの世界に働きかけるというプロセスを忙しなく行っている間は絶対に結び直すことが出来ません。一度、落ち着くことの出来る場所を見つけて座るなりする必要があります。焦って忙しい時に靴紐を結ぼうとしても余計にこじれるだけです。案外、これが見えなくなってしまうことも多いです。

以上が必要条件かと思われます、つまりこれを満たさなければ靴紐を結び直せない、ということ。逆に言えば、これを満たしても靴紐を結び直せるとは限りません。とくに2番目の条件が厄介で、もうはるか昔に結んだところまで解くというのは現実的に不可能な場合が結構あります。拗らせたら早めに。周りの人も「拗らせてるな」と思ったら、その人のために教えてあげるのが、本当の優しさかと思います。

 

2-5. 拗らせの社会学

 

でも、靴紐が多少結び間違っていても、全体的にバランスが保てていれば、まっすぐ歩けます。これも拗らせが靴紐であることの重要な前提です。「拗らせ」も全体としてバランスさえ取れていれば歩行に問題ありません。多少他の人から不格好だと思われることがあっても。

その時に、自分が自分の靴紐の結び方に自信を持っていて、そして説明できることは重要なことです。他人に指摘されて慌てて結び直すようなことをしてしまっては、先程言ったように余計にこんがらがってしまいます。

リオタールの言うグランドナラティブ(大きな物語)の凋落、とゲンロン的用語を出すまでもなく、近代社会では自我の役割が肥大化してきています。途中まであらかじめ結ばれていた靴紐も、今では最初から自分で結ばなければなりません。都市型の生活では、群衆はより孤独 solitudeになっていきます。ゴッフマンのいう儀礼的無関心 civil inattentionは、無論、電車内だけでなく日常生活や大学生活にまで及んでおり、他人の靴紐をどうこういうことは基本的にしません。

私たちは、そのような生活で生き残るために、常に自分の靴紐の状態を把握しておくことが望ましいでしょう。自分が「拗れている」ことに気づいてさえいれば、「拗らせている」こと自体はさしたる問題ではなくなります(無論、バランスが取れていればですが)。そのためにも、自分の周囲の人たちが「拗れている」と気づいた時に、そっと教えてあげること、そういうパーソナルな関係 personal relationが、今の時代では重要なのではないでしょうか。

この記事を読んだ皆さんも、せっかくですから、ちょっと立ち止まって自分の靴紐 shoelaceを確認して見てくださいね。

……衒学的な記事だなあ

 

3. さえも

 

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3-1. 幽鬱(スプリーン)

 

ここから自分ガタリ=ドゥルーズに入ります。さびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしいさびしい。

最近は精神科からのお薬とジヒドロコデインリン酸塩のお陰でなんとか大学に行けてまして、まあ1回留年ぐらいで卒業できたらなと思っております。大学で友達を作ったり、自分のことについて考えたりすると、「うっ死にたい」「醜形恐怖だ」「アイデンティティが拡散する」となってしまうので、意図的にさけています。皆が真面目に生きていて羨ましい限りです。

みんなアドベントカレンダーの記事では一生懸命自分語りしてましたが、僕はあんまりそれすると鬱になりそうなので控えます。大学合格を目標にしてたらそれが終わって、今度はキメセク目標にしてたらそれも終わって、最後には人間不信が残って、エリクソンのいうライフステージの青年期に見事に全ての徳がゆらいでアイデンティティが拡散したパターンです、僕の個人的な考えとかはOOKR先生の本に出てくるタイプのダメ大学生とほぼ同じです、ご参考に。

 

拡散diffusion―アイデンティティをめぐり、僕たちは今
 

 ああ、死にたくなってきたな。この前、さびしいってツイッターで呟いてたら女の人からDMきて「添い寝しませんか」ってんで半日つぶして髪も切って天王寺のラブホまでいったんですが、ラブホ入ってベッドに寝そべったところで相手が「やっぱ無理無理無理」つって解散になったのも、全部僕の容姿と挙動が悪いせいですね。

 

3-2. 言い訳、あるいは謝辞

この記事はキメながら一人で適当に書いたものなので、あまり謝辞というあれはないのですが、普段言いづらい事をここで文章にして。

まず、アドベントカレンダーに誘ってくださった桐生あんずさん、ありがとうございました。最近、いろいろ頑張ってるのみて凄いなあと思ってます、というか尊敬してます。いや、ほんとに。あまり人に本を借りっぱしてる僕が言うのもなんですが、たしか「げんしけん」まだ貸したままでしたよね、それを口実にご飯でも行きましょう。

次、サークルクラッシュ同好会全体に対して。幽霊部員と化してしまった(そのくせ外野でたまにうるさい)の、本当に申し訳ありませんでした。ご迷惑かけました。今後は精神が安定したらたまに例会に顔出して一助になれたらと思います。

次、かしぱんくん。色々ご迷惑かけてごめんなさい。かしぱん君的には多分、僕のことはどうとも思ってないか、それとも嫌いな部類に入ると思うんですけど、僕は今一度仲良くなりたいです。よければ御飯食べれたらいいな。サークラ会長ご就任おめでとうございます。

次、ホリィ・センさん。尊敬してます、YSD先生に愛されていていいなあと思います。ご迷惑おかけしました。

他にも多数いますが、これぐらいで。次回のアドベントカレンダーは、線が細いメンヘラ美少年として有名なかぷりす くんです。個人的にすきな人なので、この記事読んだ人はみんなで次も読みましょう。

じゃーね、ばいばい。良き倫理を!

 

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

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