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「雑草と日本文化」(視点・論点)

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静岡大学大学院 教授 稲垣栄洋

私は「雑草学」を専門にしています。
そう言うと、「雑草学なんてあるんですか?」「ずいぶんと変わった研究をされているんですね」などと、言われる事があります。
私にとっては、残念なことでもありますが、よくよく考えてみると、このような反応には、日本人の自然観のすばらしさが関係しているように思えます。

農業生産や緑地管理を行う上で、雑草を防除することは重要な命題です。そのため、世界中で多くの研究者が雑草の研究に取り組んでいます。しかし、日本では、雑草という言葉を聞くと、多くの人たちが道ばたで頑張っている雑草の姿を思い描いてしまうのでしょう。害虫や風邪のウイルスなどを研究していれば、役に立つ研究をしていますね」と言われるのに、どういうわけか雑草の研究だけは、「変わった研究ですね」と言われてしまうのです。
海外での反応は違います。海外では、雑草は邪魔者です。そのため、「雑草学の研究をしています」と言えば、「雑草を退治する良い研究ですね」と評価されます。

もちろん、日本でも雑草は邪魔者です。ところが、日本には雑草魂と言う言葉があります。また、無名の努力家や、苦労人たちは「雑草軍団」や「雑草のような人だ」と評されます。面白いことに日本では、邪魔者であるはずの雑草に対して、良いイメージもあるのです。雑草を褒め言葉に使うのは、私が知る限りでは日本人だけです。

「あなたは、雑草のような人ですね」と言われると、どこか褒められたような気がします。もちろん、嫌な思いをする人もいるでしょうが、「あなたは、温室育ちの人ですね」と言われることと比べるとどうでしょう。温室育ちの作物は、とても良い環境で大切に育てられたエリートの植物です。しかし、日本人はエリートであるよりも、雑草であることを好むのです。

そんな話を聞くと、海外の雑草は日本のものよりも生育が旺盛なのではないかと思う人がいるかも知れません。しかし、実際は逆です。
日本では、草取りをサボればあっという間に、雑草だらけになってしまいます。日本の雑草は、世界に比べてもずっと厄介なのです。
高温多湿な日本の気候は植物の生育に適しています。そのため、作物はよく育ちますし、森の木々もよく成長します。その代り雑草も生い茂ってしまうのです。
日本は自然が豊かです。しかし、豊かな自然は人間にとって大きな脅威にもなるのです。
雑草だけではありません。
たとえば、日本は雨の多い国です。しかし、恵みの雨も時には脅威となります。雨も降りすぎれば豪雨となり、水害や土砂災害を引き起こすのです。日本は豊かな自然の恵みと、自然の脅威を併せ持つ国なのです。
雑草も単なる邪魔者ではありません。昔の人たちは雑草を刈っては、田畑の肥料にしていました。雑草があるのも困りますが、雑草がないのも困ることだったのです。
物事には良い部分と悪い部分がある、それが日本の自然観です。
欧米の人たちは、善悪を明確にする傾向にありますが、日本人はあいまいであると言われます。しかし、日本人のあいまいさは、日本の自然の豊かさが関係しているのかも知れません。
そして、世界の国々と比べてもやっかいな雑草の中に「雑草魂」を見出したのです。

日本の自然はとても大きな力を持っています。この自然に逆らい征服することは簡単ではありません。そこで、この強い力に逆らわずに、受け流し、それを利用する。これが、自然と向き合う中で日本人が培ってきた考え方ではないでしょうか。
そういえば、柔道や相撲などでも「相手の力を利用する」という戦い方を好みます。
相手の力を利用するというのは、雑草の戦略と同じです。私は日本人の強さは、雑草の強さに似ているように思います。
雑草の強さとは何なのでしょうか。
じつは、雑草は競争に弱い植物です。そのため、たくさんの植物が競争を繰り広げている深い森の中などには生えることができないのです。
その代わり、雑草は競争の起こりにくい場所に生えています。それがよく踏まれる道ばただったり、耕される畑だったりするのです。
しかし、そのような場所では、競争とは別の強さが必要となります。それが、「逆境を力にする」という強さと、「変化に対応する」という強さです。

雑草は逆境を利用して成功します。
たとえば、よく踏まれる場所に生える雑草は、踏まれた靴の裏に種子をつけて種子を広げていきます。また、耕される場所に生える雑草は、耕されることによって土の中の種子が眠りを覚まして、芽を出してきます。あるいは、耕されて根がちぎれることによって、増えてしまう雑草もあります。
このようにして、雑草は、人間の力を巧みに利用して繁栄しています。
そして、日本人は、絶え間なく生え続ける雑草と戦い続けてきたのです。そんな戦いの中で、日本人は雑草の強さを見出してきたのかも知れません。

また、雑草は予測不能に変化する環境を好みます。目まぐるしく変化する環境では、競争に強い植物が強さを発揮することができないからです。
変化する環境に生える雑草にとって、大切なことは何でしょうか。
「変えられないものは受け入れる」
これが雑草の生き方です。変えられないものというのは、環境です。環境は変えることができません。ですから、「受け入れるしかない」のです。
そして雑草は、変えられないものは受け入れ、変えられるものを変えます。
変えられるものとは、雑草自身です。そのため、雑草は環境に合わせて自在に変化をします。このしなやかな対応力が雑草の強さなのです。

「大きな力に逆らわず、しなやかに受け流す。そして、その逆境を力に変える。」
これが雑草の戦略です。

歴史を振り返れば、日本人もまた、大きな災害や時代の変化を何度となく乗り越えてきました。変えられないものは受け入れる。しかし、けっしてあきらめることなく、自らが変化することで、それを乗り越えてきたのです。
変化を乗り越える雑草の強さは、まさに日本人の姿を私に連想させます。

「雑草魂」という言葉を聞いたとき、私たちは、踏まれても、踏まれても立ち上がる姿を思い浮かべます。しかし、じつはこれは誤りです。雑草は何度も踏まれると立ち上がってくることはないのです。
情けないと思うかも知れません。しかし、そうでしょうか。
雑草にとって大切なことは、花を咲かせて種子を残すことです。そうであるとすれば、踏まれても立ち上がるという無駄なことにエネルギーを使うよりも、踏まれながら花を咲かせる方が良いし、踏まれながら種子を残す方が合理的です。
そのため、雑草は踏まれたら立ち上がりません。
しかし、踏まれても、踏まれても必ず花を咲かせ、種子を残すのです。
大切なことがブレないからこそ、雑草は自在にその形や伸び方を変化させることができます。大切なことを見失わない生き方。それが本当の雑草魂です。

それではいま今、私たち日本人にとって「変えてはいけない大切なもの」とは何なのでしょうか。
雑草の生き方を眺めていると、日本人の真価が問われているような気がしてなりません。

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