イフを考える歴史教育
初めて訪れる土地は、そこに足を踏み入れた瞬問、より正確には一時問以内にもっとも大事なものを見せてくれるものです。それは単にこちらが初めてなので感受性が高いというだけでなく、こちらがまったくの白紙なのを見て、新鮮な気持ちを呼びさまされた相手が、慣れてしまった旅行者やいっしょに暮らす人には決して見せることのない心の中を見せることがあるからです。私は一九九五年に沖縄で、そんな経験をしました。
那覇空港に降り立って初めて乗ったタクシーの運転手Yさんの話がそれです。那覇から沖縄市まで約一時間の車の中の話です。そのころ、一米兵の少女暴行事件が政治問題化していましたから、沖縄の人たちが米兵に対しどんな気持ちを抱いているのか知りたくて質問したのが始まりです。 「沖縄の人間は、政治家たちが言うほどの反米感情はもっていません。とくに私たちのように戦争中、日本の軍隊からひどい扱いを受けた人問は、アメリカ軍から初めて人間らしい扱いを受けたからです。アメリカ人から初めて習った大事なことは多いですよ」という答えです。「たとえば、どんなことですか?」という私の問いに対して「トイレです」と答えて次のような話をしてくれました。
◎人間として大事なこと
沖縄戦の時は、一〇万の日本軍が民家に分宿しましたから、Yさんの小さな家にも二〇人の兵隊が泊まっていたそうです。家族の寝る場所もないありさまでしたが、当時小学校四年生だったYさんにとっていちばん嫌だったのは、夜、暗がりの中を家に帰ってくる時、 家に入るまでに裸足で大便を踏みつけてしまうことだったそうです。二〇人の兵隊が、家のまわりに所かまわず用便するから当然の結果です。
これに対し、沖縄中部のYさんの村に敵前上陸を敢行した米軍が、殺されると覚悟していたYさんたちに、食糧を与えて安心させたあと、目の前でやったことは、まず飛行場建設で、次が簡易トイレの建設だったのです。「人間として大事なこと」を一度に教えられた気がしたと言います。
子どものYさんが日本の軍隊について反感を覚えたことがもう一つあります。食事の差別です。兵隊たちはYさんの家の庭で、芋などを煮てつくった食事を食べていましたが、将校の食事は別でした。毎食、当番兵が大きな岡持に入れた弁当を肩に担いで運んで来ました。中身は沖縄の人間が食べたことのないような御馳走でした。この差別は、子ども心にもおかしいと思うのに、兵隊たちがなんとも思っていないのが不思議でした。将校と兵隊は同じ人間ではなかったのです。ところがアメリカの軍隊では、将校と兵隊が普通に笑って話していました。
そのあとYさんら子どもは、アメリカ軍の作戦について行きました。日本軍がトーチカ(コンクリートで造った堅固な防御陣地)を作って立てこもったのは、沖縄本島最南部の海岸地帯ですから、中部に上陸したアメリカ軍はジャングルを切り開きニカ月かけて攻め 下ったのです。最後に、アメリカ軍は地上を全部制圧しましたが、日本軍は無数のトーチカに潜んだままで出て来ません。アメリカ軍は何回も投降を呼び掛けましたが、まったく応じる者がないので、最後は各トーチカにダイナマイトを仕掛け、投降しなければ爆破すると通告しました。それでも一人も応じなかったので、トーチカは爆破され、生き残った人たちがすべて死んでいきました。この作業を手伝いながら、Yさんはとても情けなかったそうです。
これはヨーロッパと様子がちがいます。沖縄戦と同じことがフランスのノルマンディーでおこりました。ちょうどその一年前、ドイツ軍が堅固な陣地を築いて守っているノルマンディー海岸に、アメリカ軍は上陸作戦を敢行しました。ドイツ軍は海岸の小高い砲台から、近づいてくる上陸用舟艇を狙い撃って撃沈し、多数のアメリカ兵が犠牲になります。しかし、ついに上陸作戦は成功します。制圧のあと、アメリカ軍は砲台内のドイツ兵に対し投降を呼びかけました。ほとんどのドイツ兵が武器を捨てて出て来ました。彼らは、靴を脱がされ、裸足にされました。こうなると捕虜として扱われ保護されます。つい先刻まで、撃ちまくって戦友を殺したドイツ兵も、なんの報復も受けなかったのです。 ◎歴史をイフで問う教育を
沖縄戦でも戦闘決着の時点で司令官が投降の指示を出したなら、何万人かがむだに死なないで済んだはずです。Yさんの話によると、この司令官は女性を連れて司令部のあるトーチカの地下五階にいましたが、投降勧告を聞かないため、ダイナマイトで爆破され、死 んだそうです。彼は「最後の一兵まで戦え」という天皇の命令を受けていたのですが、白分の判断で、投降命令とまではいかないまでも、少なくとも住民や学生を、直接の戦闘には巻き込まないよう指令できたはずです。現に軍隊の中にはそういう人がいたことをYさんから聞きました。
当時、日本兵は無数のトーチカに分かれて立てこもり、戦っていましたが、たがいの間の連絡法は、弾丸の雨の中を人間が走って行くという原始的方法でした。じつはこの伝令役に中学生が使われていたのです。出ればほとんど間違いなく死んだそうです。Yさんの親戚の中学生がやはりこの伝令を命令された時、班長だった上等兵が「この仕事は本来兵隊の仕事だ。君たちにやらせる訳にはいかない。オレが行く」と言って飛び出して行き、目の前で砲弾に吹き飛ばされたそうです。
もし司令官にこの上等兵のような人間的分別があったなら、少なくとも住民、学生の「自決」だけは絶対に禁じたでしょう。そしたら、「ひめゆりの塔」の悲劇は避けられたのです。当時、自決は玉砕とよばれ、天皇陛下の命令とされていましたから、最高の地位にあるものしか、これを覆すことはできなかったのです。
歴史にイフはないと言いますが、歴史はイフを問うことによって初めて、現代への教訓として学べることがあるのだと思います。 |