限りなく濃い深緑色をした南部鉄器の風鈴がチリンとひとつ音を奏でた。
ほんの少し開いていたガラス窓から流れ込む生ぬるい微風が風鈴の短冊をゆらゆらと揺らしている。
僕は、まるでそうすることが当たり前のように、ガラスのサッシに手をかけ、風のとおりを遮った。
今日は、初夏の陽気になるのだろう。
「お兄ちゃん、どうして閉めちゃうの?」
妹の紗江子が不満を顕わに口を尖らせた。
風鈴の音色をもっと聞いていたかったのかもしれない。
「冷房」
近頃、何かにつけて、いちゃもんをつけてくる妹を疎ましく感じていた。
何かを言えば、必ず何か言い返してくる、そんなやり取りは、すぐにでも遮断したい。
短い言葉で、有無を言わせず、これで会話はおしまいだと宣告するかのごとく、不機嫌に答えた。
それだけではない。
以前とは何かが変わった。何かがおかしい。何かが不自然だ。でも俺はそれが何なのかを
うすうす感じていた。だからこそ、なるべく接点は持ちたくない。ましてやこんな両親が揃っていない日に
紗江子と二人きりで、一つ屋根の下にいることが息苦しく感じていた。
反りが合うとか合わないの問題ではない。妹は、極力距離を置きたい存在なのだ。家族であるがゆえに
逃げられないのかもしれない。しかし、僕は一日24時間、どこかにチャンスがあるのであれば、この家を
逃げ出さなければならない。それは、誰にも気づかれてはいけないし、そぶりなど絶対に見せられない。
あくまで生活そのものは普通であるべきで、毎日を普通に過ごしながら計画を実行しなくてはいけない。
妹は敵なのか、または味方になるのか それはわからない。だけど、五臓六腑にひたひたと感じる
このおぞましいまでの神経の揺らめきを信じるしかない。そう・・・・僕は紗江子は、本物の鬼畜魂が宿っていると。
「そう。お兄ちゃんは暑がりだもんね。だけど、こんな狭い部屋で、冷房かけてたら身体にわるいよ?」
後ろ手に組んだ華奢な身体をゆらゆらを揺らしながら、いびつな笑顔を浮かべつつ僕を見つめる目は、
決して笑っていなかった。身体だけではなく、顔もゆらゆらと揺らし、黒い長い髪も動作に合わせて
せせらぐように揺れた。まるで、ファズ効果がかかったような髪の擦れる音が、耳に麻酔を打つかのごとく
響いた。
(早くこの場を離れなければいけない)
「ふん。知ったことかよ。それよりお前、いつから俺の部屋にいたんだ?」
「つい今よ」
「さっさと自分の部屋にいけよ」
「お兄ちゃんに頼みごとがあるの、だから来たんだよ」
首をぐりんぐりんとまわしながら、長い黒髪がまるで生き物のようにうごめいている。首の動きは、不可思議な角度で
コリコリと音をたてながら動いていた。駒がとまりかけのときのように、不規則で不気味で、見てはいけないものを
見るような居心地の悪さを感じた。
信じられない。
信じたくはない。いつもは何もあたらない俺の勘が、こうも容易く当たっていることに恨みさえも感じた。
そして、これは夢であってほしい。
黒い髪の隙間から見えたおぞましいまでの目を見た瞬間、僕の体が恐怖で震えだすのが自分でも
わかった。
(ダメだ!!早くこの場を逃げなくては!やはりこいつは紗江子なんかじゃない、鬼畜魂だ)
鬼畜魂には悟られてはいけない
鬼畜魂には背中を見せてはいけない
鬼畜魂には弱みを見せてはいけない
鬼畜魂と戦うときには・・・・・・・・・死を覚悟しなければいけない