***
「おい、ここ、誰んちよ?」
「私のお婆ちゃんち」
「誰か住んでんの?」
「ううん。結構前に亡くなってから、それっきり」
「へー。何でここ売らなかったんだよ。こんな場所でも、ちったぁ金になっただろ」
「どうしてもここは、手を付けたくなかったんだって」
「何でだよ?」
「何でかは知らない。それより、来る途中にも言ったけど、いろいろ変だなって思ってもシキタリだから気にしないでね。そういうものだから」
「でもよ、バットで傘を殴るなんてシキタリ、聞いた事ないぜ」
「知られてるはずがないよ。すっごい閉鎖的な場所だから」
「そういうもんなのか?」
「うん。そういうものなの」
「で? 何すればいいんだっけ? 手順のところはあんまし聞いてなかった」
「ちょっと、ちゃんとしてよ。これ、すっごい大事なんだから」
「分かってるよ。なんか面倒くせーけど、これ終わったら、ヤラしてくれるんだろ?」
「うん。終わったらね」
「本当だな?」
「うん」
「全部だぞ?」
「しつこいよ。昨日、覚悟見せたでしょ?」
「しかしよー、なんでこんなしきたりを作ったのかね? 好き同士なら勝手にヤリゃーいいじゃねーか。それをワザワザこんな」
「示さなきゃいけないんだって。二人の気持ちを、神様に」
「そんなの信じてんのか?」
「信じてるっていうか、もの凄く大事な儀式って、ずっと言われてきたから。今更、無視できないよ」
「でもよ、誰かとヤル度に、毎回こんな事しなきゃいけねーの?」
「一回だけだよ。初めての時だけ」
「え? 初めてって、お前、そうなの?」
「うん」
「マジで? お前いくつだっけ?」
「二十一」
「遅くねー? 何でよ? そんなに可愛かったら、チャンスあっただろ?」
「そんな状況じゃなかったの、アッくんが一番よく分かってるよね?」
「あれ? お前んちと関わるようになってから、何年よ?」
「六年。アッくんが最初にウチ来たの、私が十五の時だよ」
「六年、そんなに経つのかー。いや、俺、初めて見た時からずっと可愛いと思ってたんだよ。俺よ、何回もお前の親父に言ったんだぜ、悪いようにはさせないから預けろって。でもあの親父、頑固でよー。『ユイには指一本触れさせない』ってうるせーの。で、結局あのザマだ」
「……」
「お前の親父も、お前くらい物分りがよけりゃー、あんな事にならなかったのになー」
「ねぇ。その人の名前は出さないでって言ったでしょ。それに、私は現実主義なの。一緒にしないで」
「あぁ、分かった分かった」
「あのさ、本当に、大丈夫なんだよね。アッくんの女になったら悪いようにはしないって、本当だよね?」
「おぉ、問題ねーよ。仕事も斡旋してやるし、モノが欲しけりゃ市場の半額で売ってやる。金は返せる上に、お前は逃げ続ける必要ねーし、俺も探す手間が省ける。まさに一石二鳥だな! 三鳥か?」
「そうだね」
「ところで、お前よ、何でこっちに顔見せる気になったんだよ? あんなに嫌がってたじゃねーか? 何でだ?」
「電話でも話したでしょ。お母さんがいなくなったの。あんなに守ってきたのに。もう、疲れたんだ。逃げ回るのも、誰かの世話するのも。だから、アッくんに連絡した」
「ふーん。どーしよーもねーな、お前のかーちゃん。まぁ、それでも、いるからマシじゃね? 俺のは顔も見た事ねーからよ。まったくよー、世の中クソだな」
「そうだね」
「あー、何かブッ壊したくなってきた。まぁ、いいや。早く何するか言えよ」
「うん。あのね、まずこの儀式は、朝七時に始めなきゃいけないの」
「朝の七時? ふざけんなよ! そんなに早く起きた事ねーよ」
「お願いだから、聞いて。私としたくないの?」
「してーよ。マジでしてー」
「じゃあ、ちゃんと手順を守って」
「分かったよ」
「ここの前の道の先に、畑があったでしょ? あれはキャベツ畑なんだけど、私は明日の朝七時にここから、そこに向かって歩くの」
「赤い傘を持ってだろ?」
「そう。大きい白い服を着て、右手に赤い傘を持って歩くの。アッくんは七時五分になるのを待って、バットを持ってここを出て」
「何でバットなんだよ。やっぱり、何か変じゃねーか?」
「言ったでしょ? シキタリだから気にしないでって。昔はね、木の棒とかを使ってたみたい。傘も和傘で、竹で作ったやつだったんだって」
「ふーん。でも何でその赤い傘をブン殴るんだよ」
「赤は未練、そして清い血を表しているの。交わる二人の女性が赤い傘を持ち、男性が何か硬い棒、この場合はバットを持ってその赤を断つ。あ、断つって、切断するって意味ね」
「何だかよく分かんねーな」
「ねぇ、アッくん。ここ重要だからちゃんと聞いて。もし失敗したら、その二人は二度と交われなくなるんだから」
「マジで? それ、ヤベーじゃん。聞く聞く」
「アッくんが家を出るのは七時五分ジャスト。それ以前には、絶対に外に出ないで。そういう決まりだから。あと、私の後を追いかける時、絶対に喋りかけたり、声を出したりしないで。それが守られなかった時点で、この儀式は失敗だから」
「何だそれ、厳しくねー?」
「それ位、私にとっては重要なの。アッくんが私の初めてになるんだから」
「その響き、たまんねーな。よし、分かった。ちゃんとやるよ」
「ありがとう」
「でも、そんなに思いっきりブッ叩いて、大丈夫なのか? 頭、近いだろ」
「大丈夫。私はこうやって、後ろに腕を伸ばしながら傘を持つから頭には当たらない。だからアッくんは何にも気にせず、赤を目掛けて思いっきりバットを振り下ろして。思いっきりだよ、じゃなきゃ意味ないから」
「あぁ。バットでブン殴るのは慣れてっから問題ねー」
「ならよかった。私は歩いている間、振り向いちゃいけない決まりになっているの。でも一応、心の準備をしたいから、私に近づいてくる時に、なるべく大きな足音を立ててくれるかな?」
「分かった。ドシドシ行くよ。でもよ、これ、人に見られたら何か勘違いされんだろ?」
「それは大丈夫。日曜の朝は殆ど人がいないし、こんな入り組んだとこに人なんか来ないよ。それに、もし人に見られたとしても、みんなシキタリの事を知ってるから気にせずに続けてね。どんな事があっても、絶対に途中でやめちゃダメだよ」
「やめねーよ。ヤリてーからな」
「うん、よろしくね。じゃあ私、行くから」
「あぁ? 行くって、どこに? ここに泊まってくんじゃねーの?」
「ダメなの。儀式の前の日に一緒に寝ちゃ。そういう決まりなの」
「はぁ? また決まりかよ? こんな何もねーとこに一人でいてどうすんだよ? ふざけんなよ」
「一日くらい、問題ないでしょ? それとも、怖いの?」
「おぃ、なめてんじゃねーぞ。怖いわけねーだろ」
「なら、よろしくね。アッくん、七時五分ジャストだから。絶対その前に出ちゃダメだよ。失敗したら、二度と出来なくなるからね」
「分かってるって。その代わり、終わったらとことんヤルからな」
「分かってるよ。じゃあ、また明日」
***
「久し振りだねー、ユイ。元気だった?」
「うん、まぁ。ケイコは?」
「元気だよー。ユイって、こっち帰ってきたの何年振り?」
「ケイコに会うのは中学卒業以来だけど、お婆ちゃんちがあったから、ちょこちょこ帰ってたよ」
「そっかー。それにしてもさー、連絡もらった時はビックリしたよ。詳しい話を聞くまで、てっきり誰かのイタズラかと思ってたしね」
「そうだよね」
「あ、ウチの親から、ユイのお父さんの話、聞いたよ」
「そうなんだ。うん、色々あってね」
「辛かったろうねー。絶対、大変だったと思う」
「あの、その話、あんまりしたくないんだ。ごめん」
「あぁ、ごめんごめん。思い出したくないもんねー」
「それよりさ、前に話したモデルの件、大丈夫なんだよね?」
「大丈夫。朝早いのがアレだけど、問題ないよ。ねー、何て言う雑誌に載る予定なの?」
「電話でも言ったんだけど、まだ決まってないの。でも、撮る人は結構有名な人だから、良いのが撮れたらちゃんと載ると思う」
「大体でいいからさ、その人、どんなのに載せてるか教えて?」
「え、例えば、ルゴモとか、エルフュートとか」
「え! 本当に!? エルフュートとかコンビニに置いてるやつだよね?」
「うん。でも、まだ決まったわけじゃないよ。良いのが撮れたら」
「オッケー、オッケー。あたし頑張るからさー。ユイ、何かありがとねー。色々あったけど、これからもよろしくね。でもさー、何で私に連絡くれたの? あんまり繋がってなかったから、何でだろーって思ってた」
「あの、私、雑誌の仕事してるって電話で言ったでしょ? それで今度そのカメラマンの人が『キャベツ畑の写真をバックに、作り込んでないモデルを撮りたい』って言い出したの。それで地元にキャベツ畑が沢山あるなぁって思い出して、そしたらケイコの顔が浮かんだの。地元で可愛い子っていったら、ケイコだなって」
「えー、そんなことないよー。ユイだって可愛いじゃん」
「私は全然、そんな事ないから」
「とかなんとか言っちゃって、絶対に自分では可愛いって思ってるでしょ? ユイって中学の頃からそうだったよねー。そこは変わってないねー」
「……」
「あ、そうだ。腕の傷って消えた? ユイ引っ越しちゃったから聞けなくて。あたし心配したんだよー。事故とはいえ、あたしらが原因で起こったことだからさー。事故とはいえ、ね」
「うん。大丈夫」
「ねー、ちょっと気になるから見せてよ。何か悪いからさー」
「え、いいよ。大丈夫だから」
「何でよ、心配なんだって!」
「ねぇ、もうやめにしない? 明日の説明していいかな?」
「ちょっと怒んないでよー。悪かったって反省してるんだからさー」
「カメラマンのリクエストは自然体。電話でも伝えた通り、朝方に撮りたいみたいなの。で、この人、ちょっと変わってて、色々注文があるんだけど、いい?」
「え? どんなの?」
「まず、カメラを意識して欲しくないから望遠で撮るって。だから、目の前に何もなくても、とにかく自然体で歩いて」
「遠くからだったら、顔とか写んなくない?」
「それは大丈夫。その人のカメラ、随分近くまでよれるから。とにかくカメラを意識して欲しくないみたい」
「オッケー。あと服なんだけど、こっちで用意したのじゃダメなの? 白のワンピースで赤い傘を持つって言ってたよね? あたしそれより可愛いの持ってるんだけど」
「ごめん。服は指定が入ってるの。それが撮りたい絵らしいから」
「えー、残念」
「うん、ごめんね。あと、歩く速度はゆっくりでお願い。電話でも言ったけど、場所は元ウチの前の道からスタートして、先にあるキャベツ畑の終わりくらいまで。そこまであんまり距離はないけど、十五分くらいかけて歩いてくれないかな? 言ってる場所、分かるよね?」
「分かるよ。ユイの家って、あの竹藪の裏でしょ?」
「そうそう」
「あそこの前の道って事は、カメラはきっと、竹藪か奥の林に隠れてるんだね」
「意識しちゃダメだよ」
「分かってるって」
「あと、向こうから言われているのは、傘の持ち方。細かく指示が出てるから、注意して聞いて」
「いいよ。何かワクワクするね」
「歩き始めは、体から少し離して持って欲しいんだ。こう、後頭部の上辺りに置くように。それで、キャベツ畑が左に見えてきたら、徐々に傘を近づけて欲しいの。今、ちょっと見せるね。えっと、こんな感じ。ゆっくり頭に近づけるの。ちょっとやってみてくれない?」
「こう? こんな感じ?」
「そうそう。もっとゆっくりでもいいよ。それで、ケイコがキャベツ畑の半分くらいまで来たら、そのカメラマンが出てきて、ケイコを後ろから追う形になるの」
「え? 近くで撮るの?」
「そう。それで、人の足音が聞こえたら、持っている傘を完全に後頭部に当てて欲しいんだ。当ててって言っても、頭の形が出るまで押し付けちゃダメだよ。優しく触れる感じ」
「すっごい細かいねー。でも、近くで撮るなら、顔のアップも撮ってくれるよね?」
「うん、後ろ姿の後にね。ケイコ、この時、絶対に守って欲しい事があるの。これ守れなかったら雑誌には載せられないほど重要な約束」
「えー、なに?」
「後ろから足音がしても、絶対に振り返らないで。その人は自分の流れで撮りたい人なの。思い通りにいかなかったら、現場を投げちゃう人だから絶対に守って。至近距離で後ろ姿を撮った後、前のアップも絶対に撮るから、どんなに足音が近づいても、決して後ろを振り返らないで。何が起きても、そのまま歩き続けて。出来る?」
「うん、分かった。普通に歩くよ」
「それと、誰にも会わないと思うけど、例え会っても、何事もないように続けて。撮られてる以上は、ケイコもプロなんだから」
「プロかー。何か緊張するねー。でも、了解。任せて」
「ありがとう。じゃあこれ、明日の衣装と、赤い傘。七時キッカリに歩き始めて欲しいから、それまでには家の前に来ててね」
「分かった。絶対、遅れないようにする」
「撮影が終わったら、今回の謝礼とカメラマンの名刺を渡すから。ケイコ、誰もいなくても、七時に歩き始めるんだよ。ちゃんと遠くから撮ってるから」
「分かったってー。しつこいー。大丈夫、チャンスだから頑張る」
「よろしくね。
……ねぇ、ケイコ。全部終わったら、腕の傷、見せてあげる。その時は、過去を水に流して握手しようね」
***
タタ
タタタ
タタタタッ
タタタタタタッ!!!
***
〈文〉高岡ヨシ
〈絵〉ミチコオノ