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社会科見学

給水塔めぐり

 いつのころからだろう…僕の日常生活とはまったく無縁な、古い水道タンクに魅せられるようになったのは…。なんだかよくわからないけど、妙に心に残る塔たち。歴史的な背景や建物の価値などについては、まったくの素人ですが、付近を訪れたときの写真やコメントをまとめてみました。一般的には、給水塔と呼ばれることが多いですが、正式には配水塔と呼ぶようです。

野方配水塔



 所在地 東京都中野区江古田
 竣工 1930年(昭和5年)
 設計 中島鋭治
 高さ 33.6m
 外径 18m

 関東大震災後、水不足解消のために設立された水道組合によって建設された。世田谷区喜多見で多摩川から引水し、60万人の2時間分の貯水が可能で、1966年(昭和41年)まで使われていた。取り壊しの話も合ったらしいが、あまりに頑丈にできていたこともあり、費用の面からも解体を免れたらしい。さすが、関東大震災直後に作られただけのことはある。おかけで現在も地域のシンボルであり続け、非常用水道タンクとして利用されている。
 配水塔の正面には、その名もみずのとう幼稚園の建物があって、上記の写真の通り配水塔全体を正面から見ることができない。全体を見ようとしたら、塔の背後に回らなければならず、右の写真のような感じになる。 塔の背後は、塔を取り囲むような形で、公園になっている。公園から見上げた塔の姿は、巨大な壁のよう。補修してあるところが見られるが、第二次大戦中に生じた傷とも言われている。
  幼稚園の近くの児童館も、「みずの塔ふれあいの家」と呼ばれているし、配水塔の前のバス停は、その名も「水道タンク前」。配水塔が地域のランドマークなんだと実感させられる。

 そんなんだったら、塔の前に建物を建てないで欲しかったな。
 


大谷口配水塔



 所在地 東京都板橋区大谷口
 竣工 1931年(昭和6年)
 設計 中島鋭治
 高さ 33m
 外径 15m

 野方配水塔とともに、東京府荒玉水道町村組合によって建てられた。鉄筋コンクリート製、内部は2,845tの水槽になっている。多摩川からの水を王子方面に送水するために作られたとのこと。こちらも、老朽化のため1972年(昭和47年)に使命を終えている。

 周囲には高い建物がほとんどなく、配水塔の存在感が一層強く感じられる。ただ、野方とは違って、その威容とは裏腹に、すべての窓が塞がれていて、完全に役割を終えた雰囲気を漂わせている。


 こちらも配水塔の前は公園になっていて、近所のバス停には、「水道タンク前」というのがあり、やはり地域のランドマークとして機能している。
 しかし野方とは大きく違うのは、今後の動向のようだ。ある記事によると、老朽化のために立て替えられる計画があるらしい。保存を求める声があがったために全面的な解体そのものは免れたものの、ドームの一部を利用するという形になる模様だ。
 この独特な姿を見ることができるのは、あとわずか。



都営戸山住宅給水塔



 所在地 東京都新宿区百人町
 竣工 不明(戦後?)
 設計 不明


 たまたま通りがかったときに見かけた給水塔。どこかで見たことがあるなと思ったら、戦前の浅草にあった「十二階」に似ているような気がした。最上階は火の見やぐらになっているようだ。

 周囲の都営住宅は、みんな建て替えられて、すっかりきれいになっているのに、この給水塔だけが取り残されてしまっている感じだった。
 裏に回ると、緑の蔦のようなもので覆われていて、まさにコンクリートの塊なのに、どこか自然の一部になっているような、自然に溶け込んでいるようなそんな雰囲気を醸し出していたのが印象的だった。

 周囲にはこの給水塔に関する情報は、一切なく、どのような経緯で建てられ、いつごろまで使われていた(現在も使用中?)のか、まったくわからず。

2003.10.26