もし白雪姫がガチ理系だったら
作者:ぬこ
ある国に白雪姫という美しく聡明な少女がいました。彼女は科学が大好きで自分を産んだ母親が亡くなった後、国中の本を読みました。彼女が1歳のときに新しい后を迎えた国王でしたがその国王もほどなく亡くなり、彼女は両親の記憶がないまま本を読み続け自分の研究をするまでになりました。そんな世界の白雪姫のお話です。
「OKグーグル、世界で一番美しいのは誰?」
「世界で一番美しい人は、白雪姫です。」
女王は今日も満足げに微笑むと今日の執務に就いた。
この国を治めるのは愚かな先王でもなければ王女を産むと死んだその妃でもない。二人とも愚かだから伝統に則って産婦人科にもにも行かす城の中だけで産もうとするからああいうことになるのだ。とは言っても連中が暗愚だったからこそ、この美しく優れた私がこの国を治めることになったのだが。
口さがない者たちは私が二人を殺したなどと噂をする。何の証拠もないことを騒ぎ立てる、相関関係と因果関係の区別も知らぬ者たちよ。確かに先王は私を連れ立った酒の席で死んだ。しかし私が止めろというのにフグの肝など食べるからではないか。口がしびれるくらいがよいのだと隣国の国王にそそのかされ食す愚かさは私の責ではない。測定もせず個別の肝臓にテトロドトキシンがどれくらい含まれているか、どこまで摂取したら中毒になるかなど分かる訳もないのに。
今日の会議は国家予算の審議最大の懸案の今年の貨幣の発行についてであった。先王が亡くなるまでこの国は西方の鉱山からの産出に頼る宝石本位制であった。それは鉱石の産出量はこの半世紀漸減していたことで将来の値上がりを期待し宝石を使わずしまい込む領民の増加を意味していた。だが、六年前先王が突然亡くなりその職を引き継いだ女王が最初に行ったことがこの宝石本位制からの脱却であった。国王崩御の混乱の中どさくさ紛れに行われた改革は、当初は大混乱となったが疲弊していた王国の経済を着実に改善していった。その功績があればこそ、国王殺害の噂が絶えなず王族の血筋でもない、傲慢で人を見下した性格が顕わでも女王は臣民から底堅い支持があったのである。そしてその美しさも貢献していたことは否めない。その美しさに女は憧れ、男は恋をした。
「王国債を増発し来年の貨幣発行量を更に積みますことを求めます。」
「女王様、それでは財政が傷み物価の値上がりで庶民が苦しみます。」
「愚かなことを言うでない。収入がそれより増えればよいではないか。」
「しかし女王様、」
「何だ大臣、先日も私にチェスで負けた事を根に持っているのか?このような場で楯突いても何の復讐にもならぬぞ。」
「い、いえそのようなことは…」
全てがこの調子で誰も女王に口答えすることはできなかった。
今日も思うように意思を通した女王は意気軒昂に会議と謁見を済ませ、自室に戻った。そして毎日の始めと終わりの習慣として鏡に問いかける。
「OKグーグル、世界で一番美しいのは誰?」
「はい、それは白雪姫です。」
一瞬聞き逃した女王であったが、その言葉は脳を経ずに耳から女王の心臓に届き、激しい鼓動を引き起こした。
「今何と言った?」
「世界で一番美しいのは白雪姫です。」
「白雪姫とはこの国の王女、先王と最初の妻の子か?」
「・・・」
「あ、いや、OKグーグル、白雪姫とは誰だ?」
「白雪姫は七歳になるこの国の王女、その聡明さと雪のような白い肌、血のような赤い頬と唇を持つことで知られた美少女です。」
「何と言うこと、あの様な幼女に私が負ける訳がない。学問の才を認めてあらゆる書物を与えた私に対する恩はないのか。それも早くから私の道を荒らさぬための策の一つではあったが、美への何の努力もなくSEO対策の一つもなく私より美しいとされるとは、我慢ならぬ。」
女王の胸にはかつてない怒りが湧き上がった。女王はその美しさこそが民からの支持の要であることをよく理解していた。もし自分より正統な存在である王女、しかも年齢を考えれば自分より知能が高いかもしれないその女が美しさでも勝ると民が考えれば、盤石と思われたこの地位も水泡に帰すかもしれない。そのようなことはあってはならない、災いの種は芽吹く前に刈り取らなければならないのだ。
女王は狩人を呼び寄せた。この狩人、王女専用の図書館と称した王城から離れた幽閉先近くを狩場としていることになっているが、その正体は女王の間者であった。
「狩人よ、白雪姫の次のフィールドワークはいつだ。」
「女王様、1週間後の水曜の午前とのことです。」
「白雪姫のことだ、帰りの時間が少々遅れてもどうせいつものこと、観察に夢中になったのだろうと誰も不審に思わぬだろう。」
「その通りでございます。先日も日が暮れるまで一日中河原の石をひっくり返しては何やら書きとめていましたが、私には何が面白いのか見当も。」
「そこでだ。次に出かけた時、お前が白雪姫を亡き者にして来るのだ。」
「えっ、じょ、じょ、女王様、何を仰るのですか。今、白雪姫を・・・」
「二度とは言わぬぞ。白雪姫を殺し、その体を切り刻んで持って参れ。」
そう命じると女王は踵を返し、狩人の前から去っていった。
狩人は帰る道すがら、どうしたら良いかわからなくなっていた。あの意地の悪い女王のこと、こうなることは分かっていたのかもしれない。城から追いやっただけで飽きたらず、命まで狙うとは何と酷薄な。だがしかし、女王の命令に背いて生きていくことはできない。王国の狩場は全て国王による許しの下、いやそれ従わなければ自分の命が次に狙われかねない。
狩人は一睡もできずに朝を迎えた。女王への怒りと畏れ、白雪姫への同情と哀れみ。気持ちのよい晴れた朝のはずなのに、一面の灰色に見える。女王に比べ私の何と小さいことよ。あのような小さな少女の命を狙うとは、ああ、神よ。これが罪だと知りながら逆らうことのできない私を許し給え。
眠れぬまま昨日かけた罠に獲物がかかっていないか支度をして出かける道すがら、狩人は氷のように動きを止めた。白雪姫が牧草地にいるではないか。
「白雪姫様、なぜこんなところにいらっしゃるのですか。お聞きしたところではお出かけは来週と。」
「あら狩人さん。おはよう。文献を調べていたら来週までフィールドワークを待っていられなくなったの。見て、ここ。」
「あ、あの、花一つ無いただの牧草地にしか見えませんが。」
「あら、今日見ているのは花ではなくてよ。ほら、四つ葉のクローバー。」
「さすが女の子らしいですね。四つ葉のクローバーは幸運をもたらすと言いますので、きっと白雪姫様にもよいことが・・・」
狩人は自分が命じられたことを思いながら心にもないことをいう自分を責めていた。なんと不憫な白雪姫様。涙声になっていたかもしれない。
「幸運かどうかは知りませんが、見てくださいな。これだけ三つ葉のクローバーがある中で四つ葉は一つだけ。あちらからずっと数えていたんですけれど、今まで見つけたのは2つ。概算すると三つ葉千に対して四つ葉1ね。四つ葉の原因が遺伝的なもので劣性遺伝だとすると四つ葉の遺伝子は3%くらいの頻度ということになるのよね。シロツメクサは異質4倍体だからもっと複雑なことになるのかもしれませんが。環境が原因だとか発生時に変異があったとかも考えられますけど、何らかの淘汰圧で遺伝子プールに多型が維持されていると考える方がロマンがありますね。」
「????」
狩人には何を言っているのか欠片も分からなかった。だが、楽しそうに四つ葉のクローバーを探すいたいけな少女、それもとびきり美しいこの少女を手にかけなければいけない運命を呪わずにはいられなかった。
女王に言った来週まで引き伸ばすか?いやそれを待てずに今日にしたのだから、来週外出するとは限らない。それにその日まで悩んでいたら决心が揺らぐことは間違いがない。狩人は刃物に手をかけ、白雪姫の背後に迫った。
狩人が刃物を振り上げたその刹那、白雪姫は振り向いた。ぎょっとする狩人に白雪姫は
「見てください。3つめです。三つ葉の密度からやっぱり同じくらいの確率ですね。遺伝的原因の可能性が高そうですね!二つはゲノムを読んでみて確かめるので、1つあげますね。狩人さんにとっては幸運のシンボルですからね。」
その屈託ない笑顔に狩人は膝から崩れ落ちた。自分はなんということをしようとしていたのだ。涙が止まらない。
「白雪姫様。お逃げなさい。私は今あなたに懺悔いたします。私は女王様の命令であなたを殺そうとしたのです。女王様は恐ろしいお方です。お逃げなさい。もう戻ってはなりません!」
白雪姫は突然感情を露わにした狩人に困惑した。だが状況は飲み込めた。蒐集した資料、手をかけた実験室、それらを失うことは半身を失うような気持ちだったが、状況はそれを許さない。
「ありがとうございます。狩人さん。ひょっとしたらこのようなこともと可能性は考えていました。女王様には私が谷にでも落ちて死んだと告げて下さい。」
「ああ、白雪姫様、私をお責めにならないのですか。なんと心お優しい。ですが私は女王様にあなた様の体を切り刻んで持って来いと命じられているのです。あなたを手に掛けることはもうできない、ああ、どうすれば・・・」
「狩人さん、女王様にお会いするのはいつですか?」
「あなたが外出されるのは来週とお話して来ましたので、それ以降ということに・・・」
「分かりました。来週までお待ちください。」
白雪姫は向かう場所を知っていた。捨てられた廃坑、そこに集う奇妙な男たち。大多数の坑夫にはもう宝石が枯れたと思われた鉱山でも、地震波を測定し最適な抗道を掘り、最小限のリソースで最大限の宝石を採掘する通称【小人】たち。見捨てられたはずの土地に入り込み存在しないはずの鉱石を集める彼らを、半ば蔑み半ば妬み、王国の者達はそう呼んでいた。
彼らが自分と同じタイプの人間であることを白雪姫は以前から見抜いていた。祈祷よりも分析を、仮説と検証、統計に裏打ちされた再現性。
「事情は分かった、白雪姫。」
「狩人に殺されたと偽装しよう。」
「狩人ならば簡単なこと。」
「猪の一匹や二匹つかまえて」
「その心臓でも切り取って」
「城に送りつけてやればいい。」
「どうせなら寄生虫まみれのやつがいい。」
盛り上がる議論を白雪姫が議論を遮る。
「待って」
「あなたたちは女王を甘く見過ぎよ。猪の臓器なんか持たせたらゲノム読まれてすぐにバレるわ。」
「じゃあだれか人が死んだらその体を使わせてもらえばいい。」
「それもダメ。疑い深い女王だもの、ゲノム全部読んでSNPレベルで同定される。」
「じゃあどうしたら?」
「私の細胞からiPSを作る。」
「そこまでするのか?いや確かに女王の知能と執念深さから言えば念には念を入れなければ・・・」
「正確にはもうストックがあるから、そこからオルガノイドをつくる。1週間では心臓は難しいと思うけど、小脳、皮膚、肝臓、血液、筋肉、肺、私達のリソースで出来る限り、平行して進めて使えるものを狩人さんに持たせるつもり。」
「なるほど、こりゃ大変だけど、やるしかないな。」
「よし、じゃあ早速作業に取り掛かろう。」
「久々に動かすからクリーンベンチをチェックしないと。」
「インキュベーターのCO2も。」
鉱夫たちは持てる最大限のリソースを投入してできるる限りのオルガノイド作成を試みた。1週間では心臓や脳は無理だったが白雪姫の耳の形をスキャンして3Dプリンタで軟骨様の構造体を作成し人工皮膚で覆った人工耳と、筋肉様組織、多数の肝臓組織小片の作成に成功した。狩人にはこれらを持たせよう。だが狩人に培養細胞の話が分かるとは思えない。しかも下手に説明すれば女王に情報が漏れる危険が大きい。【小人】たちは狩人には猪の肉だと言って革袋に詰めて持たせた。
狩人は女王の下に参じると革袋を差し出した。これが白雪姫を殺めた動かぬ証拠と言って。
女王は怯える狩人を見下しながら革袋を開ける。そこには確かに肉片が収められている。だが、どうにも腑に落ちない。
「狩人よ、お前本当に白雪姫を殺したのか?」
脂汗が顔を覆う狩人。
「も、もちろんでございます。」
「確かに切られて間もない臓器、見覚えのある形の耳、だが、これは本当に白雪姫のものか?」
「は、はい・・・」
消え入るような声の狩人の様子は嘘をついているようにも、ただ女王に怯えているようにも見えた。
「このような意気地なしでは子供を殺せたかどうか疑わしいものだ。しかしこの城には白雪姫のDNAサンプルがある。ヒトでなければたちまちに、別人のものであってもゲノムを読めば分かること。いずれにせよこの男に聞くべきことはもうない。配下の研究所にサンプルをまわせばすぐに配列が出てくるであろう。」
女王はそう考えると狩人に口止めとしては十分な金貨を与え、厄介払いのように狩人を帰した。
数日後、ゲノム解読の官僚の知らせを聞くと女王はVCFファイルを受け取った。ヒトゲノムへのマップ率は90%以上で、他の動物であるという可能性はない。ならば次はゲノム配列だ。さっそくSNPsの特定を行い白雪姫のゲノムと比較する。もし別人の肉であれば白雪姫と狩人を共同正犯の殺人者として裁いてやろう。
しかしどこからどう見ても白雪姫のSNPsパターンと区別がつかない。本当に狩人は白雪姫を殺したのか。だが女王はまだ引っかかるところがあった。革袋に入れられた白雪姫の耳とされたもの、そこには白雪姫のホクロがなかったか?鏡では見えぬ位置のホクロであれば、本人が偽装したとすれば気が付かなくとも不思議はない。しかしゲノムが一致しながら別人ということが有りうるだろうか?双子などいなかったはずだ。
女王はこのときある仮説を思いついた。まさか、白雪姫はそこまで思いつき、しかも実行できる設備と試薬を持っているのか?そこまでするとしたら白雪姫よ、考えていたよりはるかに手強い相手かもしれぬ・・・女王はその仮説を検証するため自らラボインした。
もはや他人には任せられない。私の手で確かめ、そして-20℃のフリーザーからキットを取り出し、ゲノム解析に残ったサンプルを調べた。
「うむ・・・7歳では微妙だが、しかしこれは恐らく・・・」
女王がその結果に戦慄を覚えていると、従者が女王を呼びに訪れた。
「誰だ、ここには誰も参るなと申し付けたであろう。」
「申し訳ありません女王様、旅の商人が無理やり城に入り込んで騒ぎ出しておりまして。」
「そのような者たちは追い払えばよい。」
「ですが連中、少々奇妙な術を使うのです。」
「奇妙なとは?」
「冷えた石の上に座って宙に浮き、極彩色の炎を燃やし、この世のものとも思われない音のする楽器を鳴らし、とにかくおかしな事ばかりで。」
「王国の魔術師にでも対処させればよいではないか。」
「彼らは全くの役立たずでして。」
女王は、知ってる、とは思ったが、その度の一団の様子が気になった。連中がやっていることは学問に重きを置かなかったこの国では知らぬ者ばかりだが、他国ではよく知られた「テクノロジー」の数々だ。
「これはこれは女王様、本日はお目にかかれて光栄です。私たちはこの国の打ち棄てられた鉱山に済む【小人】の一団でございます。本日はお美しい女王様に是非ともお買い上げ頂きたい一品がございます。」
臣下が一団を排除しようとするところを女王は手で制止した。
「ふむ、このような無礼、法に則れば牢獄行きであるが、お前たちのテクノロジーに興味がある。特別に用件を聞いてやってもよい。」
「ありがたき幸せ。」
7人の団員たちが順に言う。
「女王様、本日お持ちいたしましたのは」
「西方の秘薬、若返りの薬。」
「これは当てにならない魔術などではなく」
「いわばサイトカインのカクテル、秘密のレシピ」
「これを使えばヘイフリック限界もなんのその」
「テロメア長すら元通りに」
「そうあの雪のように美しい少女のように」
女王の眉がピクリと動く。
「少女といったな、若返りの薬を欲する少女などおるわけがない。」
7人が応える。
「そこは世界は広さ故。」
「たとえ7歳の娘といえど」
「不本意な発生をした場所は巻き戻してやり直したいと願うもの。」
「そしてあり得べき世界線」
「美しくなり、満足し」
「安心して未来へと進むことができるもの。」
「世界で一番美しくなるまで。」
何ということだ、白雪姫がこれを使ったというのか?あんな少女が世界をリセットするかのごとく何度もこの薬を使ったというのか。
このような奇妙な話は信じるに値しない。だが、狩人が持ってきた臓器は、たしかにテロメア長がリセットされていた。それはこの臓器が新たに「つくられた」ものだと思っていたが、この若返りの薬の力だとすると説明がつく。学問を極めようとしていた白雪姫だが、その動機が私よりも美しくなる方法を探すためであったとしたら?私が権力を掌握している礎を一つずつ崩していく策として。この連中が持ってき薬が本物であるかどうか証拠はない。しかしそれをしつこく聞くことで白雪姫と狩人、そして自分の関係を匂わせるのは得策ではない。この謁見室の中に大臣の間者が何人いるかも知れないのだ。そして何よりこの薬が本物であったなら・・・
女王はうむとうなずき、商人たちが求める金貨を渡し、「若返りの薬」を手に入れた。女王ははやる気持ちを抑えながら自分の部屋にこの薬を持ってこさせた。いつになく自分が興奮していることを自覚しつつ、飾り気のないその小瓶を手に取る。
「おお、これが本当に若返りの薬であるのなら。我が治世と美貌は永久のものとなるやもしれぬ。」
アンプルから注射器に移し、静脈に注射する。今は何の変化もないが、明日どうなるか。
そして気が早いと思いながらも鏡に向かう。
「OKグーグル、世界で一番美しいのは誰?」
「世界で一番美しい人は、白雪姫です。」
女王は何を言われたか、聞こえてはいたのだが、全く耳に入ってこなかった。
「今何と?OKグーグル、世界で一番美しいのは誰?」
「世界で一番美しい人は、白雪姫です。」
刹那、女王は全てを理解した。
あの者たちは白雪姫の手の者なのだ。自分がいずれ肉片の偽装に気付くとしてもそれまでの時間稼ぎとこちらがそれに気付いているかを探るため、リスクを冒して乗り込んだのであろう。何という大胆不敵さよ。白雪姫の存在を匂わせてこちらの反応を見られた以上逃走までに猶予はない。速やかに白雪姫を処分しなければ。もはや愚かな狩人や近衛兵を差し向けるのでは歯が立たぬ。この女王自らきやつを手に掛けるしかない。
ならばどうやって白雪姫を?あの者たちが加勢すれば多勢に無勢、銃剣は証拠が残る。最適なのは、毒殺。先王が死去した時に証拠として確保されたフグの肝臓がディープフリーザーに残っているはずだ。テトロドトキシンは氷点下でも300度の高温でも安定な毒素。あれを使おうとは誰も思うまい。もはや誰もその存在を忘れているはずだ。
女王は更に作戦を練った。まずは大急ぎで白雪姫の仲間たちの跡を追わせ、白雪姫に近づくための変装を整えた。白雪姫の好物の林檎を用意し、フグ毒をシリンジに入れ何十となく射ち込んだ。ひとかじりで白雪姫の致死量になるよう計算しながら。それはそうと、若返りの薬を使ってからちょっと肌の調子がよくなったようなのでこれはこれで保管した。
白雪姫たちは廃坑にしたはずの鉱山の一角に潜んでいた。女王は老婆の変装でその様子を伺う。このシチュエーション、オタク7人が幼女誘拐したと通報したら捕まるんじゃないかとも思ったが、それでは白雪姫を亡き者にすることはできないので自重した。
報告によれば【小人】たちは毎朝決まった時間に仕事に出かける。その間白雪姫は実験やら文献整理やらをしているらしい。女王は白雪姫が外出する時を息を潜めて待った。
「ああ、気持ちのいい天気。今日も鉱山の観察にしようかな。ここは余り人が来ないから新種の動物もいるはずだから。この前見かけたカエルは少なくとも亜種だと思うし。」
程なく外出してきた白雪姫、他の連中が昼飯に帰ってくるまでに事を済ませなければならない。ここは廃坑の近くの不便な場所。新鮮な果物は簡単には手に入れらない。多少怪しんだとしても口に入れる可能性は大いにある。もし拒めばその時は無理矢理にでも食べさせればいい。
「もしもし、お嬢さん。」
「あら?こんなところに珍しい。おばあさんどうしたの?」
「私は北の国からお城を目指して来たんだが、昨日仲間とはぐれてしまってな。お嬢さん、ご存知ならお城へはどういけばいいか教えてくれないかい。」
「あ、お城ね。それなら簡単ですよ。ここから少し歩いたところで太陽の方を見ると、二つの頭がとんがった山が見えますよ。」
「ありがとうお優しいお嬢さん。これで仲間と落ち合える。お礼にあげられるものは何もないが、お城に持っていこうと思っていたこの林檎をどうかもらってくれないかい。」
「ありがとう!私林檎大好き!」
意外にも疑わない白雪姫に拍子抜けしたが、老婆の姿の女王は白雪姫の最期を思い内心ほくそ笑んだ。
「いいんだよ。これくらいしか私にはあげられないからね。」
「じゃあおばあさん、早速二人で食べましょう?みんなを待っていたら食べられる分がほんのちょっとになっちゃうから。」
「いやいや、それは・・・」
断ろうとする老婆の手を引き、家の中に入れる白雪姫。
「林檎剥きますね。二人で半分ずつ食べましょう。」
何ということだ!女王はつい数秒前とは逆の気分になっていた。もし白雪姫が怪しんだ時の備えに、林檎は片側だけに毒を入れ片側は無害にしていたのだ。白い方を自分が食べ、赤い方を白雪姫に食べさせる予定が剥いて寄越すだと!皮が剥かれた後、どうやれば毒のある無しを見分けられる?何としても白雪姫にだけ毒リンゴを食べさせなければ。
「いいえ、結構よ。これはあなたにあげたものだから。」
「遠慮しないで。とてもおいしそうなリンゴよ。それともこれって何か特別なリンゴ?」
「そんなことは・・・普通のおいしい林檎よ。」
「じゃあ一緒に食べましょ?私皮むき上手よ。」
時間稼ぎをするまでもなく林檎が載った皿が目の前に差し出される。
「お茶いります?」
「あ、ああ・・・ありがとう・・・(考えろ、考えろ!)」
「じゃあこちらもどうぞ。一緒に食べましょうね。はい、せーの」
白雪姫のペースに巻き込まれ、女王も同時に林檎を口にする。もし白雪姫がどちらに毒が入っているかを見破り、自分にだけ毒林檎を食べさせようとしているのだとしたら。絶望に近い感覚に襲われる。
「おばあさんは林檎売りなんですか?それともこれはもともと食べようと思って?」
「そ、そうねえ。こっちのお城の回りでは林檎は採れないから私達が売りに来るのよ。お嬢さんがこれまでに食べていた林檎も私達が持ってきたものかも。」
そんな他愛もない会話をしている場合ではない。できるだけ早くここから出て城に戻らなければ。
「ねえ、おばあさん、あのお城の一番高いところには望遠鏡もあるの・・・よ・・・」
女王が焦っている間に、白雪姫は椅子から崩れ落ちた。
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん?」
「あ・・・あ・・」
やった、ついにやった。
女王はぎりぎりのところで思い出した。片面が赤く、片面が白いこの林檎は赤い側がより多く日照を受けている。太陽のせいか、あるいは枝と接触して実ったからか、白い側はわずかに小さかったことを。差し出された4つ切り林檎のうち、小さい方を選んでできうる限りリスクを減らし、そして体格差による致死量の差。最後の最後で悪運は女王に味方した。
しかし女王も無害ではいられなかった。白雪姫の呼吸が止まったことを確認しているうちに女王も四肢にしびれを覚え始めた。はやく城に戻って治療しなければ女王自身が危険であることは明らかだった。
忍ばせてきたナイフで止めを刺す余裕はない。もはや白雪姫は助からないのだ。ここで倒れれば私が殺したことは明らか。しかもこんな老婆の変装のままくたばっているところを誰かに見られるのは死ぬことそのものよりも耐え難い。女王は廃坑を後にするとよろよろとした足取りで、しかし決して歩みを止めることなく城に急いだ。
しばらくして昼になると、小人たちが昼食をとりに戻ってきた。いつもなら勉強でもしている白雪姫であったが、この日は姿が見えない。自然観察に行くこともあったが、どうも様子がおかしい。
「白雪姫!白雪姫!」
家の中を探すと、床に倒れているではないか。しかも呼吸をしていない。
テーブルにはまだ変色しきっていない林檎が二皿。誰かがここに訪れて白雪姫に林檎を食べさせたのだ。その誰かが誰なのか、考えるまでもない。
「そんなまさか!」
「きっとあの女王に違いない」
「ああ、偵察になんか行ったから!」
「ここがいつかバレるとしても」
「こんなに早くに手を下すとは」
「こんなことなら一人ずつ」
「白雪姫を見ていればよかった!」
7人は皆涙を流しこの不幸を嘆いた。ああ、かわいそうな白雪姫!
【小人】達はできるだけ美しい棺をつくり、白雪姫を安置した。白雪姫のノートに記されている、彼女が愛したこの地域の植層の多様性を表現する花々を敷き詰めて。
埋葬するなら彼女が育った「図書館」を見下ろす丘の上。そこへ皆で白雪姫を送り届けよう。
悲痛にくれ、泣きながら棺を運ぶ小人たち。そこへ白馬に乗った何者かが現れた。見るからに高貴な服装。
「なぜそれほど泣くのだ、坑夫たちよ。」
「おお、どなたかは存じませんが高貴なお方とお見受けします。どちらのお国の方でしょうか。」
「私は西国の王子だ。訳を話せ。」
「おお、やんごとなき王子様、」
「齢7歳、麗しき姫君、」
「聡明なる白雪姫が女王に殺められ」
「幼い命を落とされた。」
「我らはその不幸を悼み」
「白雪姫が勉学に勤しんだ思い出の地に」
「棺を担いで向かうところ。」
王子は沈痛な面持ちになる。棺を見れば死者と分かるが、そのような悲痛な物語があったとは。
「なんということか。私も哀悼の意を捧げよう。坑夫たちよ、頼みがあるが棺を下ろして顔を見せてはもらえぬか。」
【小人】たち棺を下ろすと蓋を開け王子と白雪姫を対面させた。
「おお、なんと美しく幼い。」
王子は一目で白雪姫と恋に落ちた。ああ、噂には聞いていたが死して尚なんという美しさ。生前に出会っていれば私の妻として迎えたのに。
このような美しい姫が命を落とすとは、運命はなんと不公平なことだろう。王子は白雪姫に顔を寄せ、口づけをしようとした。
「おい、何をする」
【小人】が王子を制止する。
「いや、これは失礼。しかしあまりにも美しくつい。」
「白雪姫は王女とは言っても7歳だ。初対面でこんなことをするとは変態かよ。」
「いや確かに私は若い女性が好きだが。」
「若すぎだろ!ロリコンかよ!」
「しかも死んでるのに!」
「うーん、まあ、とりあえず」と王子はまたも白雪姫の方に。
「おい、やめろって」
王子と【小人】は白雪姫をよそに取っ組み合いの喧嘩を始めた。その間棺はガタガタ揺れまくる。何度も揺らしているうちにとうとう白雪姫が地面に落ちてしまった。
「ええい!下がれ!無礼者!お前らこれ以上歯向かうと叩き切るぞ!」
ついに王子は刀を振り上げ、【小人】を威嚇する。もう何が目的だったのかよく分からなくなっていた。
武器になるようなものは何も持ってきていない【小人】たち、明らかに素人っぽい刀の振り上げ方が何をしてくるか分からず逆に恐ろしい。
警戒の視線を絶やさないまま白雪姫の方ににじり寄ると、王子はようやく白雪姫を抱きかかえた。
「おお、白雪姫よ。そなたの麗しさは永遠。」
乱闘でボサボサになった髪の王子はそう言うと白雪姫に口づけした。
すると、王子は異変に気付く。
「おい、坑夫ども!白雪姫が蘇ったぞ!」
王子が顔を寄せると、鼻を通るかすかな呼気の音が聞こえたのだ。
【小人】たちが駆け寄り白雪姫の顔に耳を当て、脈をとる。
「白雪姫は生きている!」
「そうか、何らかの神経毒を経口でもられたのか」
「だからこれまで仮死状態だったのかも」
「それなら呼吸を回復させれば生き返る」
「棺を揺らしたときに偶然呼吸を促したのかもしれない」
「人工呼吸はちょっとあれだが」
「とにかくすぐに心臓マッサージだ」
こうなれば時間との勝負。手分けをしてある者は家から酸素ボンベを持ち、ある者は心臓マッサージを続け、必死に蘇生させようとした。
当初は除け者にされて割り込もうとする邪魔者だった王子も、自分の国の病院に連絡し、落ち着くと入院の手はずをとり、万全の治療体制を敷いた。
それから数日後、白雪姫は病院のベッドで無事目を覚ます。
「お目覚めかな。僕の美しい白雪姫。」
「あなたは?」
「私はこの国の王子。運命的な出会いで毒に倒れたあなたに出会い、あなたを蘇らせ、ここに入院させた者です。」
「そんなことが。ありがとうございます。」
「私が邪魔する者たちを遮って人工呼吸しなければどうなっていたか。」
するとすかさずその「邪魔」が入る。
「何言ってるんだ、このロリコン!死体だと思ってキスしたくせに、このネクロフィリアめ!」
「大体今日まで看病もしないで目が覚めそうと聞いたら急いでやってきたくせに!」
「うるさい!お前たちに任せていたらそのまま生き埋めだったんだぞ!」
こうやってドタバタと喧嘩するのはこの数日で何度目だろうか。どうやら彼らはいい仲間になってきたようだ。白雪姫はその様子を微笑ましく見ていた。
どうやら王子に気に入られたようだし、こちらの国では結婚は16歳にならないとできないし、しばらくこちらの国で勉強したり研究したりしてみるのもいいかもしれない。いざとなったら8年余りの猶予の間に逃げ出せばいいんだし。助けてくれた王子には悪いけど、多分私がその年になったら興味がなくなりそう。とりあえず歩けるようになったらこの国の図書館に連れて行ってもらいたいな。
そんなこんなで白雪姫は、当分西の国で賑やかな中で幸せに暮らしましたとさ。
女王?女王は林檎から採取されたDNAで犯人がバレていることを告げられて、さわらぬ神に祟りなしと手を出してこなかったそうな。自分の国より大きな国の王子と結婚されたら困るからと、いろいろ仲違いさせる工作活動をしているらしいが、それはまた別のお話。
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