「現代の神話」によせて その1



 個人的には、『エピソードII クローンの攻撃』においてアナキンがパドメと恋愛関係になった事は、「その時点においては」シディアス(パルパティーン)の「狙い」「計算」通りの結果だったのではないか…そう感じているのですね。

 しかしながら、それは同時に未来、つまり『エピソードVI ジェダイの復讐(帰還)』において生じるだろう、パルパティーン(シディアス)にとっては「思いもよらない」「まったく理解も及ばない」、最大の「誤算」「計算違い」のはじまりでもあったのではないだろうか…おそらくはこの、シスとしての生涯におけるただ一度にして最大の「誤算」「計算違い」によって、シディアス(パルパティーン)は破滅する事になるのではないだろうか…そうも感じているのですね。


 『エピソードII』において、アナキンは母シミ…父という存在を持たないアナキンにとって、この世と自分をつないでくれる、ただ1つの確かな絆であり心の「拠り所」でもある存在を、死によって永遠に「喪失」してしまったわけですね。
 この「母の喪失」によって受けた心の痛手を埋めようとして、また母に代わる新たな心の「拠り所」としても、アナキンがパドメをより強く求めるようになり…さらには、シミのように「喪失」してしまう事を怖れるあまりに、その裏返しとして強い「執着(心)」をパドメに持ってしまったとしても、ごく自然な事ではないだろうか…そう、私には思われるのですね。

 なのでやはり、アナキンがダークサイドに「自分から」おもむいてしまう原因の1つは、このパドメに対する「執着(心)」にあるのだろう…そうも思われるのですね、言うまでもない事でもありますが。


  また、マスターであるオビ=ワンに対しても、パドメとは違った意味で心の「拠り所」になってほしいと、おそらくは無意識のうちに願っているのではないだろうか…そうも思われるのですね。
 アナキンが『エピソードII』において何度も繰り返していた、「オビ=ワンは父のようなものだ」という言葉は、その願いが形となって表れたものなのではないだろうか…おそらくは心の「拠り所」としての「理想の父」「魂の父」を、アナキンは無意識のうちに父代わりの存在でもあるマスターのオビ=ワンの上に見いだそうとしているのではないだろうか…そう、私には感じられるのですね。

 とはいえ、その願いは『エピソードII』においては結局かなわず、おそらくはこれから先もかなう事はないだろう…そうも感じているのですね。


 その最大の原因はやはり、オビ=ワンがあまりにも若すぎる事にあるだろう、そう思われるわけですね…これまた、言うまでもない事ではありますが。
 何しろアナキンと15歳しか違わないわけですから、いくら建前としてはマスターとパダワンという「師弟」つまり「擬似父子」の関係とはいえ、実際には「兄弟のような友人」になる方が、より自然だったのではないだろうか…トリロジーのハン=ソロとルークが、そうであったように…そうも思われるのですね。
 おそらくはその方が、アナキンとオビ=ワンのどちらにとっても心の負担が少なくなり、互いに抱いていると思われる信頼や愛情といった感情にも、もしかしたら今よりはもう少し素直になれたのではないだろうか…そうも思われてならないのですね、「もし」がありえないという事も分かってはいるのですが。

 また、オビ=ワンとアナキンの間に存在すると思われる「価値観の相違」も、互いに対する理解を妨げてしまっているのではないか…しかも、そういった「理解不足」の状態に自分たちが陥っているという自覚がどちらにもまったくないために、結果として互いにいっそうフラストレーションがたまってしまうという悪循環にも、はまってしまっているのではないか…そうも感じられるのですね。
 この事はおそらく、情緒的に…また年齢的にも、より不安定な状態にあるアナキンの方に、大きなプレッシャーとしてのしかかっており、それがオビ=ワンに対して「自分を理解してくれない(理解する気なんかないんだ)」と反発する事にも、つながっているのではないか…そうも感じているのですね。

 なのでやはり、アナキンが無意識のうちにかなわない願い(自分の「(理想の)父」となり、「拠り所」になってほしい)にこだわっていると思われる事…そして、その願いをかなえてくれないオビ=ワンにこだわり続けていると思われる事が、結果としてオビ=ワンに対する過度の「執着(心)」…さらには願いをかなえてくれない事に対する不満と怒りを生みだす事にも、つながっているのだろう…そう、私には感じられるのですね。
 したがって、この事もまた、パドメに対する「執着(心)」と同様に、アナキンがダークサイドに「自分から」おもむいてしまう原因の1つとなるのだろう…そうも感じているのですね。


 とはいえ、この「執着(心)」という感情は、言うまでもなく「人(の子)」が持つ愛という感情が、極端な形で表れたものであるわけで…なのでやはり、それがどれほどゆがんでしまっていても、愛には違いないだろう…そう、私には思われるのですね。
 そして、この単純で簡単きわまりない、当たり前すぎるほど当たり前である事そのものに、おそらくは「あの」シディアス(パルパティーン)にとっては「思いもよらない」「理解も及ばない」最大の「誤算」「計算違い」を生じさせる要因が潜んでいるのではないだろうか…そうも感じているのですね。


 さて、『エピソードII』においてアナキンは、パドメとの恋愛によっておそらく愛というものを理屈ではなく感覚として、「感じた」のではないか…そう、私には思われるのですね。
 憧れの女性と思いがけず再会を果たす事ができた喜びや、想像していた通りの…あるいはそれ以上の美しさや魅力に心ときめかせた事、そして初めてのキス…なかなか想いが通じずもどかしく感じただろう事、ついに愛の告白を受けた瞬間の驚きと感動…おそらくはパドメからの申し込みによって結婚し、愛し愛される喜びとぬくもりを知った事…こういったすべてはおそらく、愛というもの、そして「人の子」「人のあるべき姿」としての生きる喜びそのものにつながっているだろう、そうも感じられるのですね…言うまでもない事ではありますが。

 とはいえむろん、一歩間違えば「執着」という極端な形になりうる感情でもあるでしょうし、おそらくはそうなってしまった事もあって、アナキンは「自分から」ダークサイドに転落してしまったのだろう…そうも思われるわけではありますが。

 また、いかに人としての自然な感情とはいえ、恋愛というものがジェダイ(騎士)にとって「禁じられた」感情と見なされている以上、パダワンとはいえジェダイ(騎士団)の一員であるアナキンが、その戒めを破ってしまった事によって、「自分は本当にジェダイなのか」「こんなはずじゃなかったのに」と、無意識のうちに自分で自分を責めるようになり、苦しむようになってしまったとしても、それほど不思議な事ではないだろう…そう、私には思われるのですね。
 さらには、その「自責の苦しみ」から逃れたいあまりに、もっとも身近なジェダイであるオビ=ワン、そしてジェダイ(騎士団)という存在そのものをいわば「逆恨み」するという悪循環にはまってしまったとしても、ごく自然な成り行きではないだろうか…そうも思われるのですね。

 なのでやはり、パドメと恋愛関係になってしまった事…また、それが原因で生じた「自責の苦しみ」にはまってしまったのではないかと思われる事…さらには、その事実を直視する代わりに無意識のうちにジェダイという存在を「逆恨み」して自分を正当化し、それによって少しでも楽になろうとあがくものの、「ジェダイにあるまじき掟破りをした」事実そのものが消えてなくなるわけではないので葛藤が消える事もなく、その苦しみから逃れたいあまりにますますジェダイという存在そのものへの憎悪をつのらせていく…こういった心理的な悪循環にはまってしまったのではないかと思われる事から、アナキンは確かに「この時点においては」シディアス(パルパティーン)の「狙い(計算)通り」の状態になってしまったと言えるのではないか…そう、私には感じられるのですね。


 ちなみに、もう1つの「ジェダイにあるまじき掟破り」の行動と思われる「タスケン虐殺」によっても、アナキンは同様に「自責の苦しみ」から逃れたいあまりに、オビ=ワンとジェダイそのものを「逆恨み」するという悪循環にはまってしまっただろうとも、思われるわけですね。
 なのでおそらく、『エピソードII』の時点においてアナキンは、シディアス(パルパティーン)の仕掛けた二段重ねの心理的な「罠」に落ちてしまったのではないか…それによってシディアスは、アナキンの心が憎悪で塗りつぶされてしまう事で、最終的には「自分から」ダークサイドに落ちてしまうように仕向けていくという目的に対し、確かな手ごたえをつかむ事に成功したのではないか…そうも感じているのですね、個人的にではありますが。



…続きます ^^☆


(2003/01/21初稿、2005/05/28改稿)



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